戦場 1 青年の戦い
夜半という事もあり、大通りにはすっかり人影などほとんど見当たらない。あるのは灯りを手に持った巡回する兵たち程度である。
これがもし緊急事態などではなければ、酒に呑まれ、通りを我が物顔で歩く陽気な者や道端で酔いつぶれる者など喧騒に包まれていたのだろうが、生憎この状況下では普通はそのような者は現れない。
「うっ……」
しかしながら、大通りから外れた建物と建物の間の抜け道とでも言うべきようなとこから人の悶えるような声が微かに響き渡る。
「はぁ……はぁ……くっ」
建物を背もたれ代わりにしながら、夜空を見上げる。
生憎月は建物の影に隠れてしまい、この場所から見ることはできないが光が差し込まない分俺には都合が良いのかもしれない。
正直今は顔が酷い。ルナのおかげで悪夢を見ることが無くなったのだが、やはり過去の呪縛は未だに俺を蝕んでいるようで思い出すとすぐにこうなってしまう。
「……情けない、な」
心臓の辺りを右手で握りながら夜空に向かって呟く。
しかし言葉とは裏腹に心はなぜか少しばかり晴れやかにも感じている。
正直言ってしまえば昔の以前までの俺なら絶対に過去の事を事細かに話そうとは思わなかった。にもかかわらず、今回は饒舌になってしまうほど語っていた。
ルナとフィリアーナにはそれほどまでに俺の過去のことを知ってほしかったのだろう。理解されたい、あるいは同情されたい、そんな甘えた感情があった。
(何より少しでも話したかったって言うのがあるんだろうな……)
嫌なことは誰かに話すだけでも楽になれると言うが、確かにその通りだったのかもしれない。
まあ、そうは言っても多少軽くなった心とは対照的に身体はかなり重い。
もちろん戦闘になれば否応なく身体は動くだろうが、正直今はこのままこの月が見えない夜空を眺めていたいと思ってしまう。
「……でも戻らないと心配されるだろうな」
こんな暗がりに巡回兵もさすがに来ないだろうが、やはり外で寝ていると普通よりは目立ってしまう。
これが平時なら周囲にも冒険者やらが騒いでいたり、酔いつぶれたりしていて目立ちもしないだろうが今はそれがないために逆に目立つ。
はぁ、とため息を吐きながら仕方なしに気怠い身体にグッと力を籠めて立ち上がろうとした、まさにその時だった。
――――グォォォォォ!!!!
破鐘のような咆哮が静寂に包まれる都市の夜空を覆った。木霊するように、ただ響く咆哮。
おそらく、この都市内にいる者たちは一様に、一時的に思考が停止しただろう。ありえない、どういゆことだ、とそんな否定するような言葉が脳内を満たしてしまっている違いない。
現に俺もそんな言葉を口から漏らしたくなってしまっているだから。
「くそったれ……」
悪態をつきながらも、身体が動き始める。樽や木箱といった雑多なものを一足とびに避けながら狭間道右に左に曲がりながら駆け抜ける。
「ハァハァ……」
軽く息を乱しつつ暗がりの路地裏から駆け出ると、巡回の兵士たちが灯りを片手にしながら呆然と同じ方角を見て立ち尽くしている。
俺もそちらの方角に咄嗟に目を向ける。その方角は俺たちがやってきた門があるほうであった。
月はちょうど俺の背の方角にあるため、普通なら空はそこまで明るくない。それこそ漆黒の夜空が広がっているはずだった。
「空が……燃えてる?」
近くで呆然と立ち尽くしている兵士たちの一人があり得ないとばかりにポツリと漏らした。
夜半にも関わらず、夕焼け空のように空が燃えている。宿の窓から顔をのぞかせる者、建物から出て俺たち同様に空を見あげる者、誰もがその光景を疑っている。
「……ちっ!」
俺はとっさに石畳を蹴り、駆けだす。
背筋を嫌な汗が伝い、多くの気配がこの都市に向かってきているのがヒシヒシ感じる。
呆然と立ち尽くしているローブを着た魔術師たちの一団や鎧姿の冒険者、寝間着姿の人々の間隙を縫うようにして俺はひたすら走り、外門を目指す。
ザーッと砂埃を巻き上げながら俺は外門の前で急停止する。
門番の兵士たちも街中にいた兵士たちと同様に呆然と立ち尽くしていた。確かにそれは仕方のないことなのかもしれないが、いつまでも呆けてられていても困るので嫌々ながら支持を檄のように飛ばす。
「ぼやぼやするなっ!すぐに迎撃の準備と各所に伝達、および警鐘を鳴らせ!魔物が攻めてくるぞ」
「っ!は、はいっ」
俺の切迫した雰囲気に押されたのか、それとも空気を読んだのかはわからないが、彼らは文句を言うことはなくすぐさま俺の指示を履行するべく走り出した。
各所に連絡のために都市内に向かって走り出した兵士たちを尻目に俺は重厚な門を潜り、いち早く都市の外に躍り出た。
「森が……燃えてるな」
夏の夜を思わせるじっとりとした風と共に、焦げ臭さが鼻の奥を刺激する。
視線の先では、猛々しい炎が森から上がっている。
そして炎の光を背に多くの影が都市に向かって来ているのが見える。その大きさはまちまちでかなり小型のものからこの場からでもわかるほどの存在感がある大型のものまである。加えて空にもいくつか影が見える。
それらに共通している点といえば、どれも怯えたように、あるいは逃げ惑うような空気感があるというところか。
「……最悪のタイミングだな」
腰から吊るされる剣の柄に掌を当てながらつぶやく。
俺が持っている武器は現状でこれだけである。いつもの護身用の短剣も弓矢もない。もちろんメダルはいつも通り首から吊るされているが、コレは人が大勢いるとこでは使えないし、何より龍との戦いまでは使わないほうがいいだろう。
ドドドドッ、と地鳴りが次第に大きく近づいていてくる中、ようやく背後からも人の気配が多くなってきた。
ちらっと振り返ると鎧に着込み己の得物を担いだ冒険者たちが緊張した面持ちで門から出てきている。加えて門の上でも迎撃用のバリスタや魔法道具の準備が着々と進んでいる様子。
(……この様子だとルナやフィリアーナたちが来るのも時間の問題だな)
正直彼女たちと別々になってしまっていることがかなり気がかりだが、一応はその辺の冒険者や魔術師よりは強いし、ここで彼女たちを待っているよりも少しでも脅威を排除した後に合流するほうが効率的と考え、前を見る。
砂埃を巻き上げながら多くの魔物が押し寄せてくる。その数はとても数えられるものではなく、トレントたちの数のほうが可愛く見えてしまう。
億劫な思考とは裏腹なまでに冴えた身体の感覚。スッと双眸を細め、静かに剣を抜き、先陣を切るべく俺は草原を駆け出した。
「失せろっ!!」
目の前にいた巨大なクモ型の魔物、デットリースパイダーを真っ二つに切り裂き、すぐに周囲に視線を巡らせる。
戦場はかなり荒れ模様となっていた。
わかっていたことだが、やはり魔物に対して人の数があまりにも少ない。それに加え夜中の急な出来事だったということも顕著にあられている。明らかに押されているというのが目に見えている。
そんな中でもどうにか完全に押されていない要因として、一つは魔物たちが龍に怯えてここに来たということだろうか。魔物たちの動きが鈍く本来の動きはできておらず、また草原地帯を苦手とする魔物も多く見受けられる。
また、バリスタや強力な魔法道具の存在も大きい。巨大な矢が軽快に魔物たちを射抜き、魔法道具が砲声を上げるたびに魔物の数が減ってくれる。もちろんすぐさま乱戦になるのだが、それでも一時的に身体を休められるのは大きい。
「……だが、それもアレを早くどうにかしないと均衡は一気に崩れるな」
魔物の血で顔を赤く染めながら、チラッととある方角を見る。
時折その方角からは噴火の如き劫火が地上から放たれ、空を焦がし戦場に恐怖と熱をもたらす。
あの業火は刻一刻とこちらに近づいてきている。そしてそのことが戦場を余計なまでに荒らさせている原因とも言える。
今もあの業火に煽られ、あるいは恐怖に呑まれた魔物たちが乱心したように俺に襲い掛かる。
山羊を思わせる風貌の顔をした悪魔型の魔物・デーモンが巨大な戦槌を振り下ろし、足元からはホーンラビットが自慢の角を突き立てようと接近してくる。
「くっ!」
戦槌をギリギリとのところで躱し、ホーンラビットの体側を蹴飛ばし山羊顔にぶつける。
ホーンラビットの鋭い角がデーモンの目を貫き、デーモンは聞くに堪えないような呻き声を上げる。もちろん俺はその声を茫然と聞いているわけは無く、突き刺さるラビットもろともデーモンを斬り殺す。
鮮血が当たり前のように俺の身体を染め上げていくが、もうそんなものは気にしていられず、周囲をすぐに見渡して走り出す。
辺りには折れた剣や槍、鎧や杖など冒険者や魔術師、騎士が装備していたであろうモノとその所持者たちが光を失った眼を見開きながら倒れていた。
その中に俺の大切な者たちの姿が無いのがせめてもの救いかもしれないが、それでもいい気はしない。
「助けてやれず、すまない……借りていくぞ」
横たわる者たちの傍に落ちる武器を適当に借り受ける。右手には長剣、左に槍を持ち、それらで魔物たちを打ち取りながら戦場を駆けた。
かつて神々の王であるゼウスが俺にこう教えた、力ある者には相応の責任がある、と。
正直あの頃の俺はその言葉の意味が理解できなかったし、今も理解出来ていない。ただ俺には力がある、それだけが分かったことかもしれない。
そんな俺だからこそ考えてしまう。もちろん全てを助けられるなんて傲慢な考えを持ち合わせてはいないが、それでも俺が力を使えば死なずに済んだかもしれないと。そう思えば心を締め付けられる感覚にもなってしまう。
(昔は思わなかったのにな。……これも大切な者たちが出来たおかげなのかな)
脳裏には少女たちの笑顔が浮かぶ。あの笑顔を守り、せめて隣にいてもいいような人間になりたい、と心から思ってしまう。
ただ、今吐いた言葉も多くを救えたかもと考えたことも言うなれば自分を正当化しようとする言い訳のようなモノ。そんなモノは偽善で、自己満足、そして単なる思いあがり。贖罪にもならないし、許されもしないのはよく分かっている。
だからこそ、そんな安っぽい謝罪の言葉を吐いたのかもしれない。俺は下唇を噛み締めながら、ただ魔物を殺した。
ひたすらに視界を血で染めながら俺はルナやフィリアーナ達を探していた。まだまだ脅威が残ってはいるが、この先のことを考えれば彼女たちと別れているのは色々と拙い。
そう思い魔物を屠っていると、とある光景が目に映った。視界の先に広がる光景は魔物たちと相対する一人の冒険者。そこそこのランクなのだろうか、上手く攻撃を捌いているが、圧倒的不利なのは一目瞭然である。
本来なら他者の獲物を奪うのは禁忌とされているのだが、今はそんなの気にしていられず、俺はその戦いに割って入る。
裂帛の気合と共に棍棒を持つオークの肘から先を容赦なく斬り飛ばし、勢いそのままに冒険者を背後から狙うデットリースパイダーの頭に剣を突き刺す。
「下がってろっ」
有無を言わさず名も知らない冒険者の襟首を掴んで無理やり引っ張り、俺の後ろに飛ばす。
急なことで瞠目しながら何か声を上げようとしていたが、その前にべしゃりと音を立てながら冒険者は尻餅を着いた。そこには魔物の死体があったようだが、そんなとこまで気を使ってやれるほど俺にも余裕があるわけではない。
気にせず俺は前に踏み込んで両腕の無いオークの心の臓止める。もちろんそこで動きは止めずに、剣をすぐに抜いて鞘に戻しオークの持っていた棍棒を拾い上げる。
「はぁぁぁぁあああっ」
棍棒を担ぎ上げ、巨大な双角を持つブラック・エルクを叩き潰す。
「大丈夫か?」
「おまっ……いや、助かった。ありがとう」
棍棒をそのまま捨てて、俺はひとまず投げ飛ばした冒険者に歩み寄る。
その冒険者は一瞬俺を見て恨み言でも飛ばそうかと思ったのか、口を開きかけたがそれを閉じ、謝辞を述べた。
「気にするな。それより仲間とはぐれたのか?」
周囲を見渡すが、彼の仲間と思しき者は戦っているように見えない。それどころか視界は砂埃と血の海、そして魔物の大群に覆われていると言っても過言ではない。
「……二人は殺され、ほかは知らん」
「そうか……。なら決して無理だけするなよ」
気休めのような言葉は吐かずに、俺はすぐさま阿鼻叫喚が包み込む戦場を駆けだした。
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