少女の懊悩
少女は宿の自室に戻ると、ドサッと着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。別に疲れているわけでは無ければ、身体を痛めたわけでも無い。ただ、心の奥が締め付けられるように痛むだけ。
「はぁ……何を悩んでいるのだろうな、私は」
仰向けになり、目元に腕を置きながら誰もいない部屋でフィリアーナはポツリと呟いた。
いつもはその踊り子装束からも分かる通り勝気な性格をしているので悩むことなどそんなになかったし、そもそも今抱えているような悩みなど無縁だと思っていた。
彼女の抱える悩み、それは普通の少女なら誰でも抱えるような恋の悩み。しかし、フィリアーナはその美貌と万人を虜にする魅力でその手の悩みなど皆無だった。それこそ、男など勝手に言い寄ってくるものとまではいかないが、その程度のものという認識もあった。
「……まったく、嫌になるわ」
豊満な胸を抱えこむように、両の手をギュッと握る。
そんなフィリアーナの脳裏を掠めては、苦しませる意中の男と言うのは紛れも無くマフユである。
今まで多くの猛者たちと戦ってきたが、どれも物足りなく、心の底から熱く燃えるような戦いは出来なかった。
しかし、マフユは違った。彼女の最初の印象としては、フィリアーナが狂おしいほどまでに求めていた理想の好敵手であった。一目見ただけでそう感じさせるものを身体から発していた。
「そして彼との踊りは私をどこまでも昂らせてくれた……」
頬を薄紅色に染めながら、初めて対峙した夜のことを思い出す。あの出来事を思い出すだけでも、彼女の中にある戦女神としての血が熱く脈打つ。
飄々とした態度と言葉を吐く割に、いざ拳を交えると彼は真剣に戦ってくれた。彼のすべての動きが、真剣そのものだった。
今まで戦った男たちのほとんどは彼女の美貌に見惚れ、卑陋な笑みを浮かべ、女だと侮っていたのだが、マフユは違った。
別に卑陋な視線がフィリアーナ自身、嫌というわけではない。彼女としてもその美貌を餌に男を釣っているのだから仕方ないと思っている。
(それでも彼みたいな人は本当に初めてね……)
フィリアーナ《自分》のことを卑陋な視線で見ない。もちろんマフユも男なので時には彼女のことを見てはドキッとした表情を見せていはいるが、それでも強者と認めて対応してくれている。
そして強いと認めてなお、自分を女性として扱い、あまつさえ守ろうとまでしてくれた。そんな対応に彼女は心が完全に奪われてしまった。
「思えばあの時に私は彼に恋慕を抱いたのよね……。いや、恐らくは初めて会ったあの時、かな」
自分の気持ちに気が付いたのはトレントのことがあった時。
だが、本当に彼に惹かれたのは最初にマフユを見た時だろう。まさに一目ぼれ、そんなどこかの物語のように恋した自分がどこか違和感を感じるフィリアーナ。
「どこの乙女よ……全く」
自嘲気味に笑うフィリアーナ。そんな姿ですらも気品が漂う辺り彼女がどれだけ魅力的かアリアリと伝わってくる。
そんな彼女は再び、意中の彼との思い出に浸る。
(あの夜は、あの夜で楽しかったわね……)
はぁ、と温かく艶のある溜め息を吐き出しながらマフユと共闘した日の夜を思い出す。
目を閉じればあの時のことを全て思い出されてくる。それこそ背中合わせに戦ったことや、彼にお姫様抱っこをされたこと、初めて女性扱いされたこと、見たことも無いほど洗礼された剣技。そして――――。
「豹変した姿、も……」
とても辛そうなあの表情はその記憶の中でも特に強く、鮮明に残っている。
そんな中、フィリアーナはふと疑問に思った。彼とそんなに時間を共有していないが、彼の笑顔というモノを今の今まで見たことが無いという事を。
いくら記憶を遡っても、思い出される表情の中に笑顔が無い。もちろん苦笑いようなものはあったかもしれないが、嬉しそうな顔は見たことがない。
「私、警戒されているのかしら……」
ズキッと胸の奥に痛みが生じる。
初めて好きになった男性に避けられている、そのことが彼女の心を押しつぶすように傷つける。
「って、そんなこと考えても仕方ないわね。彼にはふさわしい伴侶がいるんだし」
マフユの隣に寄り添うようにして、彼を支える可憐な少女――――ルナ。
フィリアーナから見てもルナは魅力的な女性であった。その整った容貌に、長く燃えるような真紅の髪。物腰も落ち着いていて、彼の心の支えになっているのは火を見るより明らかである。
いくら一夫多妻が認められているとはいえ、ルナのような女性が隣にいるなら自分の恋慕は叶わない。だからこそあきらめないと、とひたすらに自分に言い聞かせるフィリアーナ。だが、そう思えば思うほど脳裏にはマフユの姿が強く表れる。
「何なのよ、これっ……」
目元を腕で覆いながら、震える声で呟く。今までに経験したことない感情にどうしていいか分からず、ひたすらに苦しさだけが心を蝕む。
「もう……最悪よっ」
はぁ、と目元を赤く腫らしながら勢いよくベッドから起き上がる。すると、自分の身体から血生臭さが漂い思わず顔を顰めてしまう。
こんな女性らしくない私が恋なんて似合わないわ、と自嘲気味に呟く。熱いお湯でも浴びて少し気分をスッキリさせよう、と身に纏っていた踊り子装束を脱ぎ捨てて、一糸纏わぬ姿のまま浴室に向かった。
――――ザァァァァァ
浴室から白い湯煙とともに、お湯が流れ出る音が絶え間なく聞こえてくる。
そのお湯を頭から浴びるフィリアーナ。彼女の健康的な小麦色の肌は熱めのお湯によって仄かに上気し、余計に色香が濃くなっている。
そんな中、ふぅと艶のある声を漏らすフィリアーナ。未だに心の中にモヤモヤが残っており、それが疼くように痛むが先ほどよりは落ち着き、何より血生臭さが落ちた。それを確認すると、彼女はお湯を止めた。
「……本当にどうすればいいのかしら」
胸をギュッと抑えながら呟くフィリアーナ。その表情はまさに恋する乙女のソレだった。
はぁ、と何度目か分からない溜め息を吐きつつ、湿った紫色の髪を両手でかきあげる。ポタポタと髪から雫が垂れ、それは彼女の豊満な双丘を、引き締まった腹部を、色香漂う下半身を伝いながら床に落ちていく。
彼女は暑くなったのか、身体を簡単に拭いてタオルを巻いたまま浴室を出る。
フィリアーナはバスタオルを巻いただけの姿のまま脱ぎ捨てた踊り子装束を簡単に片付け、ログチェアに腰かける。そして、ふぅ、と軽く息を吐き出す。
「さて、これからどうしようかしら……」
未だに心に痛みがあるが、それでもいつまでもそれを考えている余裕などなく、無理に思考を切り替えるためにこれからのことを考える。しかし――――。
「まさかここにも顕れるとは、ね……」
龍との一戦が近づいている、そのことを考えようとしているのだが、如何せんその戦いにおいて彼と共闘をすることはすでに決定事項とも言える。
考えないように別のことを考えようとしたにも関わらず、脳裏に表れたマフユの姿にさすがに苦笑いを浮かばざる負えない。その苦笑いもどこか悲しそうで、目元には雫が浮かんでいる。
その雫を認めないようにと、天を仰ぐようにチェアの背もたれに体重を預ける。火照る身体も、今は何か温もりを求めるようにどこか儚く震える。
そんな時、コンコン、と扉が控えめに叩かれた。
「……っ。はい、どちら様?」
震えそうな声を無理やり喉の奥に押しやり、気丈に振舞うフィリアーナ。目元の雫も指でサッと拭う。
「……夜分遅くにすいません、フィリアさん。ルナです」
思わず、言葉を失うフィリアーナ。別にルナが嫌いと言うわけではなく、むしろ彼女からすれば気の合う良き友でもある。しかし、今はタイミングが絶望的に悪かった。
フィリアーナの性格上、普段なら仲の良い人間が訪ねてくればすぐにでも招き入れただろう。しかし、今は思い人のことで悩み、苦しみ、しかもその恋慕を抱く伴侶の女性が訪ねてきたと悪い要素が積み重なっている。
フィリアーナの心の中に黒い感情がぬるりと産声を上げた。適当な言葉で嘘をつき追い返せ、と。しかし――――。
「開いているわよ、入って」
フィリアーナはかぶりを振り、表面上快くルナを招き入れた。もちろん心の中では黒い感情が燻ぶっているが、それはルナのせいでも恋慕を抱くマフユのせいでもない。
そのように必死に言い聞かせるフィリアーナ。そんな折、「失礼します……」と遠慮がちにルナが入室してきた。
「いらっしゃい、どうしたの?」
面倒みの良い姉を思わせる口調でルナを歓迎するフィリアーナ。しかし、やはりどこか声に張りがなく悲しげにも聞こえる。
しかし、ルナはそのことに気が付かなかった。あるいはフィリアーナが衣服を身に纏っていれば気が付いただろう。だが、バスタオル一枚の彼女を見てルナは思わず赤面してしまった。
「ご、ごめんなさいっ!?お風呂の最中でしたかっ!!」
そんなルナの態度を見て、ああ、とわが身を眺めるフィリアーナ。湿った髪に赤み帯びた頬、そして纏っているのは布きれ一枚。しかも、豊満な双丘が創りだす谷や、健康的な太ももが見えてしまっていては同性ですらルナのように赤面してしまうだろう。それほどまでに色香が漂っている。
「ううん、すこし涼んでいたのよ。だから気にしないで」
そう言いながら反対側の椅子に腰かけるように促す。ルナは未だに赤面しているが、王女としての矜持か、勧められたので失礼は出来ず、腰をゆっくりとかけた。
「女性同士なんだから、そんなに恥らわなくてもいいのに」
「で、ですがぁ~」
未だにフィリアーナを直視できずに、小動物のように縮こまりチラチラと視線を向けてくるルナに思わず笑みをこぼす。同時に彼女のことも友として好きなんだな、としみじみ思ってしまう。
そんなフィリアーナに気が付いたわけではないが、ルナもあまり長居しては邪魔になってしまうと思い、できる限り平静を取り繕って話を切り出した。
「え、えっと、ですね。フィリアーさんに二点ほどお聞きしたいことがあるんです」
「へぇ、それはなにかしら?」
声が上ずらないように必死なルナを可愛く思いつつ、フィリアーナは艶っぽく内容に進めるように促す。その際、彼女が居住まいを正したことで胸元が揺れ、ルナが赤面してしまった。しかし、それを隠すようにルナは話を続けた。
「一つはフィリアさんについて。そしてもう一つは……」
少しだけ言いにくそうに言葉を詰まらせるルナ。だが、それでも懸命に言葉をつづけた。
「マフユ様をどう思っているか、です」
それを聞いた瞬間、フィリアーナの中で消えかけていた黒い感情が今度は唸り声をあげそうになった。
もう一話投稿できるか微妙です。
書き終えたら18時投稿し、無理なら次週に持ち越しになります。
もし投稿ができずに、まだ読みたいと言う方がいるなら書き溜めにしてある別の小説を投稿するのでご連絡ください。なかったらおそらくしません。もう少し書き溜めしたいので……。




