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Act.5 襲撃


 窓の外から微かに鳥の鳴き声が聴こえる。どうやら朝になったようだ。

 浅い眠りから目を覚まし、暁奈は憂鬱な気分のまま身体を起こした。

 軽く目を擦りながらベッドから出ると、そのまま窓辺まで歩いていく。閉まっていたクリーム色のカーテンを左右に開くと、途端に眩しい朝日が部屋の中に差し込む。

 暁奈は陽光に眼を細めながら、昨晩の事を思い出していた。



 巧と別れて深夜の学校から抜け出た暁奈は、すぐには家に戻らなかった。

 暁奈の両親は、暁奈の私生活に対してあまり干渉してこない。

 無関心という訳ではないが、必要以上に踏み入ろうとはしなかった。だから遅くなっても適当に言い訳を並べれば、ある程度は誤魔化しきれる。

 暁奈はもう一度、自分が『鏡界』に遭遇した場所へ向かってみる事にした。もう一度あの場所に行けば、まだあの世界への入口が残っているかもしれない、と思ったのだ。

 淡い期待を抱きながら、暁奈は走り続けた。

 シャッターの下りた夜の商店街を駆け抜け、住宅密集地へと繋がる道に入り、漸く目的の場所へと辿り着いた。

 だがそこに、暁奈が求めていた非日常は無かった。

 もしかしたら位置がずれているのかもしれないと、時間を掛けて辺りを探し回ってみたが、結局それは徒労に終わった。



 暁奈が家に帰った時には、巧と別れてから二時間近くも経過していた。起きていた母親の方に少し怒られ、夜食と言う名の夕飯を少しだけ食べ、シャワーを済ませてベッドに潜り込む頃には、時計の針はすでに夜中の三時を回っていた。

 ぐっすり、と言うほど眠れている訳もなく、暁奈はノロノロと制服に着替え始めた。

 あれから幻影の道化(ファントム・クラウン)はどうなったのだろう?

 自分が求めていた非日常の世界は、こんなにも早く、こんなにもあっさりと消え去ってしまったのか? そう考えると、暁奈は憂鬱な気分を払う事など出来なかった。

 あの世界で『心羅』の力に目覚め、『災魔』たちと戦っていた時、暁奈の心はこれ以上ないくらい歓喜に打ち震えていた。

 別に戦闘その物が楽しいという戦闘狂のような気分になった訳ではない。ただ、自分が今不可思議な力を使って不気味な化物を退治している、という実体験が、心地よい刺激となって暁奈の心を満たしていた。

 あの瞬間に早く戻りたい、と暁奈は思う。

 そのためには何が何でも『鏡界』の入口を探し出さなければならない。そしてそのためにあの少年、神藤巧と話をするのだ。

 そういえばあの少年は、自分が非日常に憧れていると知った時、まるで信じられない物でも見たかのように驚いた顔をしていた。

 彼は自分とは違うのだろうか、と暁奈は思う。

 非日常の存在を知っていながら、それに全く興味を示していないのだろうか、と。

 今日彼と話せば、それがわかるかも知れない。

 ぼんやりとそんな事を考えながら着替えを済ませた頃に、階下から母親が自分を呼ぶ声が聴こえた。

 暁奈は無言のまま、鞄を持って部屋を後にした。




 ◆  ◆  ◆




 巧は暁奈とは違う意味で、憂鬱な気分で登校していた。

 昨日の晩、どこにも寄らずに家に帰りはしたが、それでもやはり予想した通りの事が起きた。



 巧が家の前に着き、玄関のドアノブに手を掛けるとカギが掛かっていなかった。嫌な予感がして恐る恐るドアを開けると、そこにはパジャマ姿の和菜恵が仁王立ちして立っていた。

 自分の予想的中率に自分自身で舌を巻いたが、出来れば当たってほしくない予想だった。

「こんな時間まで何してたの?」

 可愛らしいがかなり怒っている様子の妹。まるで、旦那さんの帰りを待っていた奥さんみたいな第一声だった。

 一体いつからそこにいたんだと巧は突っ込みたかったが、どうやら冗談が通じる状況でもないらしい。

 結局巧は謝る暇もなく、リビングに引きずられるようにして連れて行かれ、深夜だというのに延々一時間も説教を喰らった。



「……妹に説教されるっていうのも、おかしな話だよな」

 兄としての威厳の無さに、自分自身で肩を落とす。

 と、その巧の視界に、例の横断歩道が見えてきた。

 自分が最初に『鏡界』に出くわした場所。それを渡るため、巧は赤信号で立ち止まる。

 ふと、歩道にあるガードレールの根元の部分を見ると、いくつかの小さな花束が添えられていた。巧は複雑な気持ちでそれを見つめる。

 あのサラリーマン風の男性は、正確にはここで死んだ訳ではない。


『鏡界』で死んだ人間は、死の事実を書き換えられて、現実世界に吐き出される。


 その法則に従い、彼の『鏡界』での死が、現実世界での死に書き換えられたのだ。

 だがここに花束を添えた人たちは、そんな事が起きているなんて知りもしない。ただの不運な交通事故だと思っている。そう考えると、巧は居た堪れない気持ちになった。

 自分は事の真相を知っている。

 だがそれを伝える術がどこにあると言うのか。

 言っても信じてもらえないだろうし、そんな事をすれば遺族の悲しみを煽るだけだ。

 何もできない。それが全てだった。

 くそっ、と巧は内心で呟く。

 なぜあんな世界が存在するのか? それを確かめようと決意した矢先に、幻影の道化(ファントム・クラウン)は謎の言葉を残して『鏡界』と共に消え去った。

 一体彼はどうなったのか?

 幻影の道化(ファントム・クラウン)を捕縛しに来たという、あの鎧の騎士たちは何者なのか?

 何もかも、わからない事だらけだった。そしてそれを確かめる方法が、今の巧には無い。

 憂鬱な気分は晴れそうにない。

 目の前の信号は赤い色のままだった。




 ◆  ◆  ◆




 昼休み。

 自分の教室で昼食を取り終えた巧は、偶然廊下を歩いていた暁奈を見つけ、一緒に屋上へと向かった。

 巧たちが通っている私立朝倉高等学校は、四階建ての割と新しい校舎だ。教室棟と実習棟がコの字型で分かれている校舎の屋上は、昼休みと放課後の一時間だけ全面開放となっている。利用する生徒は日によってまちまちだが、教室で話すよりはと暁奈が屋上を選んだ。

 事故防止のために設置されている金網のフェンスを横目に、巧と暁奈は屋上の隅を目指す。

「こうやってちゃんと話すのは、昨日の夜以来だな」

「そうだね」

 巧と暁奈は屋上の隅に設置されている、二、三人用の長いベンチに腰を下ろした。

 そして巧は、自分が今までに得た色々な情報を暁奈に話して聞かせた。『鏡界』の法則、幻影の道化(ファントム・クラウン)の正体など、説明するのにだいぶ時間が掛かった。



「――とまぁこんな感じなんだけど、わかったか?」

「うん、問題ないよ。それでさ、これからの事なんだけど」

「あ、ああ」

 なんだか暁奈の様子がおかしい、と巧は思った。何かに駆り立てられて焦っている、そんな風に見える。

 怪訝な顔をしている巧の様子など意に介さず、暁奈は話を進める。

「私たちどうすればいいのかな? さっきの話だと、幻影の道化(ファントム・クラウン)さんはこっちの世界には出て来られないから、『思念』を飛ばして来るんでしょ? それまで待つって事?」

 腕を組んで巧は「そうだな……」と考え込む。頭の中で情報と状況を整理し、ゆっくりと切り出す。

幻影の道化(ファントム・クラウン)の言う通りなら、昨日俺たちが入った『鏡界』の入口は消えてるって事になる。入口が無い以上、あいつの方から何か連絡が来ない限り、やっぱり俺たちは待つしかないと思う」

「そっか……」

「それに昨日の別れ方から考えたら、もしかするともう、『鏡界』その物が消滅してる可能性も――」

「そんなの困るよ!」

「!」

「あ――」

 突然怒鳴って立ち上がったその後で、暁奈は自分がまずい事を言ったというのを自覚したのだろう。尻すぼみに勢いをなくすと巧から顔を逸らし、無言でまたベンチに腰を下ろした。

 巧もどうしていいかわからず、何となく黙ってしまう。

 沈黙が支配する中、巧はふと考える。ここまで彼女が非日常に拘る理由は何なのか、と。

 全く理解できないとは言わない。巧だって非日常の世界に憧れる気持ちが無いと言えば嘘になる。ただそれ以上に、巧にとっては日常の方が大切なのだ。

 だから不思議に思う。彼女の非日常に対する、執着心を。

「なぁ、何であんたは、そんなに非日常の世界に憧れてるんだ?」

 気付けば巧はそんな風に質問していた。

 暁奈は相変わらず顔を逸らしたままだが、それでも巧の質問に答え始める。

「別に、深い理由なんてないよ。ただ退屈だったの。自分が毎日、同じ事繰り返してるだけのような気がして。だから刺激がほしかった。何かが変わってほしかった。……それだけだよ」

 そう語る暁奈の声は、少しだけ元気がないように聴こえた。そんな暁奈に巧が声を掛ける前に、暁奈は立ち上がって軽く伸びをした。

「異常なんだってさ、私」

「え……?」

 巧に背を向けたまま、突然そんな事を言う暁奈。巧が怪訝な顔をしていると、暁奈が巧の方に振り返った。その顔には、少し陰りが見える。

幻影の道化(ファントム・クラウン)さんにね、そう言われちゃった。人が死ぬ事も非日常の内だ。だけどキミは非日常を求めてるくせに、人の死を求めようとはしない。そんなの都合が良過ぎる、って。日常にしても非日常にしても、結局私は現実から目を背けてるだけなのかな?」

 そう言って暁奈は眼を伏せる。

 全くあの男は……、と巧は内心で溜め息をつく。

 幻影の道化(ファントム・クラウン)は事実しか言わない。それは巧も身をもって体験している。

 あの男の言葉は正しいのかもしれないが、それが他人の気持ちを考えた上での発言ではない事は明らかだ。

「それに私、『災魔』に襲われてる人を助けられなくて……、死なせちゃったんだ」

「え……!?」

 自分の知らない事実が出てきた事で、巧は言葉を失った。どういう経緯かはわからないが、暁奈も自分と同じように人の『死』を体験している。

 陰ったままの暁奈の表情を見て、巧は何とも言えない気分になった。

 暁奈は眼を伏せると、苦々しげに口を開いた。

「私が中途半端に非日常を望んだりしたから、あの人は死んじゃったのかな……」

 自分を責めるような暁奈の言葉に、何を言うべきか迷っていた巧は顔を上げた。

「そんな事無いだろ」

「……神藤くん?」

「確かにあんたは非日常に憧れてるみたいだけど、そんな事誰だって少しくらい考えるさ。それと人の死を直結させるなんて事の方が間違ってる」

 巧は真っ直ぐに、暁奈の眼を見てそう言った。同情している訳ではない。自分の考えを述べているだけだ。

 それに、と言って巧は続ける。

「俺もあんたと同じだよ。……助けられなかった人がいる」

「え?」

 巧の告白を聞いて、暁奈は驚いた表情を見せた。

「俺はその人のためにも、『鏡界』の謎を探ろうと思ってる。だから水嶋。お前の力も貸してほしいんだ。これ以上、誰かの理不尽な『死』を招かないように」

 暁奈は少し驚いた顔をしたが、巧の真剣な表情を見て口元を緩ませる。

「わかった。私に出来る事なら、何でもやるわ」

「……ありがとう、水嶋」

 そう言って巧が快活に笑うと、暁奈も笑顔で答えてくれた。

 それを少し照れ臭いと感じ、巧はわざとらしく立ち上がると伸びをして、晴天の青空を見つめて気を引き締めた。

「とにかく、今は状況が動くのを待つしかないんだ。いつ何が起きても、対処出来るようにしておかないとな」

「そうだね。――ところでさ、神藤くんって何か部活に入ってる?」

「へ? いや、入ってないけど、何で?」

 突然の話題転換に巧はかなり戸惑った。暁奈の方はと言えば、よかった、と言って嬉しそうに手を叩いている。

「じゃあ今日一緒に帰らない? 考えてみたら、私まだ神藤くんの事あんまり知らないし、色々聞いてみたいからさ。それに一緒にいれば、もし突然『鏡界』が現れてもすぐに対処出来るでしょ?」

「……まぁ、別にいいけど」

 誘われた時は一瞬胸が高鳴ったが、『鏡界』という単語が出た瞬間、やっぱ俺の方はついでか、と巧は内心で肩を落とした。

 暁奈にはそんな巧の心中などわかる訳もなく、ただ隣で嬉しそうにはしゃいでいる。

 するとその時、昼休みの終わりを告げる予鈴のチャイムが鳴り響いた。巧と暁奈は二人して顔を見合わせる。

「え、もうそんな時間?」

「ちょっとゆっくりし過ぎたな。早く教室に――」

 戻ろう、と言い掛けてその動作は固まる。

 屋上のフェンス越しに見えた風景に、巧は目を奪われた。

「ちょっと、待てよ……」

「? どうしたの?」

 驚愕したまま動こうとしない巧と同じ方向に、暁奈も視線を向ける。そして暁奈も驚いた表情になった。

 屋上のフェンス越しには、地上にあるグラウンドなどの風景が見えるはずだった。

 だが二人の視線の先にあったのは、自分たちが見失い、これから探そうと思っていた物だった。


 それはまさしく、『鏡界』の入口。虚空に浮かび、人間を引きずり込む、魔の空間。


 だが二人の視線の先にあるそれは、今までに見た物と明らかに違う物だった。

「何だよ、あれ。大きさが今までの比じゃない。デカ過ぎる……!」

 今までの『鏡界』の入口は、直径がほぼ二メートル程の大きさだった。

 だが今巧たちの視界にあるそれは、甘く見積もっても直径二十メートルを超えている。まるで青空その物が、大きく口を開けて待っているかのようだ。

「そんな。あんな大きい物がここにあったら……」

 暁奈は驚きのあまり、言葉を最後まで紡ぐ事ができない。しかし巧には、彼女の言おうとした事が容易に想像出来た。

 ここは学校だ。生徒や職員といった大勢の人間がいる。今『鏡界』の力に飲み込まれたら、どれだけの人があの空間内へ落とされるか。

 考えただけでも身が震えた。間違いなく甚大な被害が出る。いや――、或いはもうすでに何人もの人間が飲み込まれているかもしれない。躊躇っている暇は無かった。

「水嶋!」

「うん!」

 二人が短く言葉を交わすと、二人の周囲に淡い光が現れた。互いの正面に集束した光はそれぞれ形を成し、巧の光は身長程の長さがある長剣、暁奈の光は弦のない銀色の弓へとそれぞれ変化した。

『災魔』と戦うための力、『心羅』の発現である。

 二人は各々の武器を掴むと、屋上を疾走して加速を付け、一飛びで屋上の高いフェンスを飛び越えた。『心羅』の力によって、強化された身体能力が成せる芸当だ。

 巧と暁奈はフェンスを飛び越えた勢いをそのままに、虚空に浮かぶ巨大な『鏡界』の入口を目指す。

 やがて二人の意識は、一度暗転した。




 ◆  ◆  ◆




 暗転した視界が元に戻った時には、巧の身体はすでに『鏡界』の中にあった。

 右手には長剣が握られたままになっている。気を失っていたのは、ほんの一瞬だったようだ。

 少し遅れて巧はある事に気付く。一緒に飛び込んだはずの暁奈の姿がない。

 恐らく別の場所に落ちたのだろうと、巧は周囲を注意深く観察してみる。

 相変わらず、辺りには廃墟となった街並みが続いている。この場所に来るのも、これでもう三度目だ。

 だが今回は少しだけ違う所がある。

 それは、幻影の道化(ファントム・クラウン)が同行しているか、という所だ。

 こうして『鏡界』の内部に入れば、遅かれ早かれ幻影の道化(ファントム・クラウン)は巧の前に姿を現した。ところが今回は、いつまで経ってもあの青年は現れない。

 やはり彼の身に何か起こったに違いない、と巧は思った。

「――とにかく、俺や水嶋の他に飲み込まれた人がいるか、探してみよう」

 声に出して確かめながら、巧はゆっくりと走り出した。

 この空間が消滅していなかったという事は、幻影の道化(ファントム・クラウン)もまだどこかに存在しているはずだ。飲み込まれた人を探していれば、いずれ彼にも会えるだろう。巧には、そんな確信に近い物があった。

 その確信を胸に巧は一人、廃墟となった街を突き進む。

 そうしてしばらく走り続けていた巧は、通り過ぎていく辺りの風景の中に、何か違和感を覚えた。

 今まで『鏡界』の内部で眼にした建造物と呼ばれる物は全て、何年もの年月を経て朽ち果ててしまったかのように、どれも傷付き、錆や罅に覆われ、半壊したような状態の物が殆どだった。

 だがその建造物に混ざって、真新しい物体がいくつも点在しているのが見える。

 高さ三メートル程の黒く塗り潰されたその物体は、地面に対して垂直に屹立している巨大な十字架だった。

 疑問を感じて、進行方向の右側にあったその十字架に、吸い寄せられるように近付いた。

 下から徐々に視線を上げて、その眼を十字架の中心まで持って来た時だった。巧はその十字架に何が吊るされているのか漸く理解した。

「これは……!」

 十字架の中心、縦と横の柱が交差する部分に、巧と同じ年頃の少年が磔にされている。しかもその少年が着ている服は、巧の学校で使用されている制服だった。

 まさかと思い、辺りに見える別の十字架の中心に目を向ける。その十字架には、巧の学校で使用されているセーラー服を着た少女が、さらに別の場所にある十字架には、ワイシャツにネクタイ姿の中年の男性が、それぞれ磔にされている。

 間違いないと巧は思った。黒い十字架に磔られているのは、自分と同じ高校に通う生徒と、勤務している教師だ。眼に見える範囲だけでも、かなりの数の黒い十字架が屹立しているのがわかる。

「まさか、ここにある十字架全部に?」

 巧はそれらを見上げながら不審に思う。これだけ多くの人が『鏡界』に飲み込まれている事に驚きもしたが、それ以上に彼らがなぜこんな状態にされているのかがわからない。

 黒い十字架を見上げ、呆然していた巧の耳に、金属同士が擦れ合うような重苦しい音が響いてきた。

 聞き覚えがある音だ。そう感じて巧は背後を振り返る。


「――マタ会ッタナ、『力』ヲ持ツ人間ヨ」


 視線の先には、全身を赤褐色に染め上げられた鎧の騎士が五体、横一列に屹立していた。皆一様に、その身の鎧と同色の剣と楯を携えている。

赤褐色の騎士(オーバーン・ナイト)……とか言ったか?」

 鬱陶しそうに巧は呟き、長剣を両手で握り構えを取る。すると以前と同じように、少しくぐもった機械的な声が聴こえてきた。

「早々ニ剣ヲ向ケルトハナ。我々ニ聞キタイ事ガアルノデハナイカ?」

 問い掛けられても、巧は構えを解かない。凛とした表情でただ言葉を返す。

「ああ、そうだな。でも話を聞くなら一体だけでいい。他の奴らは邪魔だ」

「強気ダナ、人間。……ナラバヤッテミルガイイ。本気デ一体ニデキルト思ウナラナ」

 鎧の騎士たちは一斉に剣を構え、横一列の陣形を崩した。そして左右から巧を囲もうと、じりじりと移動していく。

 その輪が完成する前に、巧は真っ正面にいる鎧の騎士に突貫した。囲まれるのを黙って待つつもりはない。

 右下から斜め上へ振り上げた剣を、鎧の騎士は楯で受け止めた。鈍い音がして剣線が遮られるが、巧は構わず体重を乗せて楯ごと剣を振り抜く。

「だあぁぁぁっ!」

 バットでボールを打ち返したように、鎧の騎士は楯ごと後方へ飛ばされた。そうして距離が開いた瞬間、横合いから別の騎士が襲い掛かる。

「ムンッ!」

 横振りにして振られた赤褐色の剣を、巧は屈んで回避した。斬撃が空を切り、鎧の騎士の体勢が僅かに揺らぐ。

 そこへ巧は屈んだ体勢から、その場で回転するように剣を横に振るう。体勢を崩し、がら空きになった鎧の騎士の胴に斬撃が吸い込まれ、胴を上下に分断した。

 崩れ落ちる鎧の横を抜けて、他よりも動作の遅れていた鎧の騎士の一体と、瞬時に距離を詰める。

「ふっ!」

 巧は短く息を吐き、左下から逆袈裟斬りを放ち、反撃の間を与えずに斬り伏せた。

 残りはあと三体。

「人間風情ガ調子ニ乗ルナァァァ!」

 残っていた三体の内、二体が同時に斬り掛かってきた。

 同時に放たれた上段からの斬撃を、巧は剣を水平に構えて受け止めた。身の丈程もある長剣のため、二つ分の斬撃を受け止めても、まだまだ余裕がある。

「――その人間風情にやられてんじゃねぇ、よっ!」

 言葉と同時に、右側にいた鎧の騎士の腹の辺りを、右足の裏で思い切り蹴飛ばした。靴の裏を介して固い感触が伝わってくるが、『心羅』の力で強化された脚力ならどうという事はない。

 くの字に折れ曲がって後方に飛ぶ片割れを見て、残った方の鎧の騎士が僅かに慄く。

 巧はそれを見逃さず、赤褐色の剣を押し返すと一旦後方に距離を取り、体勢を崩した鎧の騎士の真上に向かって跳躍した。

「うおぉぉぉっ!」

 上段に高く振り上げた身の丈程の長剣を、落下と共に振り下ろした。

 なんとか体勢を立て直した鎧の騎士が、楯を構えて受け止めようとする。

 だが落下の速度が加わった斬撃は、赤褐色の楯ごと、鎧の騎士の身体を容易く両断した。

 左右に分かれて灰になっていく鎧の身体を軽く見てから、巧は残った二体に告げる。

「どうやら結構簡単に行きそうだな。どうする……? まだ続けるか?」

 右手に持った剣を肩に掛け、巧はわざとらしく挑発してみせる。

 すると残った二体の片方が、くぐもった機械的な声で言う。

「調子ニ乗ルナト言ッタハズダ。ソノ程度デハマダ終ワラン」

「何だと?」

 怪訝な顔をしてそう言った瞬間、巧の周りで異変が起きた。

 以前見た『鏡界』の出口のように、渦を巻いているような空間の裂け目がいくつも出現し、その中から新たな鎧の騎士たちが何体も現れた。巧の背後に、朽ち果てた建物の屋上に、黒い十字架の影に、鎧の騎士たちの数は増え続ける。

「くそっ、なんて数だ……!」

「サァ、『心羅』ヲ使ウ人間ヨ。開幕ノ鐘ガ鳴ルノハ、コレカラダ」

 苦々しい笑みを見せる巧は、長剣を握る手にこれまで以上の力を込めた。




 ◆  ◆  ◆




(何だろう、あれ)

 朽ち果てた状態で乱立しているビルの最上部を、暁奈は跳躍を繰り返しながら、飛び石のように渡っていく。『心羅』の力で身体能力が向上しているため、この程度の芸当は朝飯前だ。

 空中高くに跳躍する度、進行方向の遥か前方に巨大な黒い物体が見える。

 その黒い物体は、地面に下半分が埋まった半球形の形をしていた。内部を見る事が出来れば、その中はドーム状に広がっている事だろう。その巨大なドーム状の黒い物体が暁奈には気になった。

 先程目撃した、人が磔にされている黒い十字架と、何か関係があるのだろうか、と思考を巡らせる。

 暁奈がそれを発見したのは、この世界に来た直後の事だった。廃墟と化した街並みのいたる所に見えるその十字架を見て、最初は驚いた物の、暁奈はすぐに行動に移って、磔にされている人々を助けようとした。

 だがその行動は徒労に終わった。

『心羅』の力で、その十字架を破壊する事が出来なかったのだ。

 最初に発見した人を助けようと、暁奈は十字架に向けて牡丹色の光の矢を何度も放った。だがなぜか、光の矢はそれに当たる直前になると、まるで見えない壁にでも衝突するかのように、中途で粉々に砕け散ってしまう。

 他の場所にある十字架で試しても、結果は同じだった。

(何かの力が働いてる……)

 そう確信した暁奈は、とりあえず高所に上り、辺りを遠くまで見通してみようと思い立ったのだ。別の力が働いているのなら、何かそれらしい物が見つかるかもしれない、と。

 そして近場にあったビルの屋上に上った所で、暁奈は黒い十字架とは違う、謎の巨大な黒い物体を見つけたのだった。

 その巨大な黒い物体は、どうやら『鏡界』の中央付近に存在しているようだ。一体あれが何のために存在しているのかわからないが、明らかに自然物でも人工物でもない。

 敢えて言うなら、現実にはあり得ない現象、『非日常』の存在。

(『鏡界』を作り出している力と、関係がある……とか?)

 不吉だがそんな予感がする。だからこそこうして今、暁奈はその中心部へ向かって突き進んでいる。

 そして六度目の跳躍を終え、暁奈がビルの屋上に降り立った時だった。

「!?」

 周囲に何かの気配を感じて、暁奈は瞬時に弓を引いた状態にした。現れた牡丹色の光の矢が、暁奈の顔を明るく照らす。

 するとその時、まるでビルの壁面を駆け上がって来たかのように、視界の右側から突然、鎧の騎士が姿を現した。

赤褐色の騎士(オーバーン・ナイト)……!」

 跳躍の勢いを殺さずに斬り掛かってくる鎧の騎士に向けて、暁奈は待機させていた光の矢を瞬時に放った。牡丹色の爆発が、鎧の騎士の身体を包む。

「グアッ!」

 光の矢の爆撃を受けて、鎧の騎士がそのまま地上へ落下していく。

 するとそれと入れ替わるように、今度は左後方から鎧の騎士が飛び上がってきた。

 暁奈は瞬時に反転し、それを撃ち落とす。

 すると今度は右後方、次は左前方、その次は左後方と、あらゆる方向から鎧の騎士が飛び上がってくる。

「なんて数の多さなの!?」

 次々と飛び上がってくる鎧の騎士に向けて、右に左にと光の矢を放ち続けるが、徐々に対処が遅れ始める。

 その場で全てを捌き切れなくなった暁奈は、その場から大きく飛び退いた。

 跳躍した先の空中で身体を捻り、回転させる。そうして下を見ると、自分がさっきまで立っていた場所に、二十体近い数の鎧の騎士が群がっていた。

 それを好機と見て、暁奈は弦を引く右手にここぞとばかりに力を加えた。

「はぁぁぁぁっ!」

 右手が力強く弦を引くと、弓と弦の間に極大の光の矢が現れた。集束された力が暁奈の腕の中で震える。それを躊躇う事なく、群がる鎧の騎士の中心に放った。

 極大の光の矢は、まるで天から降る雷の如く、避雷針のようにそびえているビルの屋上に直撃した。

 その直後、朽ち果てたビルの屋上が無数の鎧の騎士を巻き込んで、牡丹色の大爆発を起こした。ビル自体が荒廃していたため爆発の衝撃に耐えられず、轟音を響かせながらビルは瞬く間に倒壊していく。

 空中を舞っていた暁奈は、地上を挟んで反対側にあった別のビルに軽やかに着地した。

 と同時に、その膝が力なく崩れ落ちた。その身体は、自身でも驚く程に息を切らして喘いでいる。

「やっぱり……、いきなりあんな強い力……、使うべきじゃなかったかな……」

 身体が重い、と暁奈は感じる。先程の極大の矢を放った事で、体力をかなり消耗しているようだ。

 だがじっとしている訳には行かない。まだどこかに敵が残っている可能性がある。

 乱れた息を整えながら、暁奈はゆっくりと立ち上がろうとした。

 と、その時だった。

「驚クベキ破壊力ダガ、ドウヤラ酷ク消耗シテイル様ダナ」

「!」

 横合いから聴こえたくぐもった声を、暁奈は愕然とした表情で聴き取った。

 声のした方を見れば、ビルの屋上の際の部分に、さらに二十体近い鎧の騎士が屹立している。暁奈の表情が絶望の色に染め上げられていく。

「最悪ね……、こんな展開……」

 そう呟きながら、自嘲気味に苦笑してみせる。

 最早立ち上がる気力も無くなった暁奈に向かって、鎧の騎士たちは殺到した。




 ◆  ◆  ◆




 もう何十体目になるかわからない鎧の騎士の身体を斬り裂いた所で、巧はついに膝を付いた。汗が額から、ゆっくりと伝い落ちていく。

「はあっ、はあっ、はあっ」

 長時間『心羅』の力を酷使したのもあるが、巧は普通の人間だ。体力に限界がある以上、赤褐色の騎士のような人海戦術で戦われると、結果は目に見えている。

 現に巧の周囲には、未だ十体以上の鎧の騎士がいる。これだけ倒しても数が減らないという事は、倒した端から次々と新たな鎧の騎士たちが出現しているという事だ。いくらなんでも際限が無さ過ぎる。

「ドウシタ、モウ終ワリカ?」

「……ッ」

 歯噛みして巧は立ち上がろうとするが、足に力が入らない。もうすでに身体が限界を迎えているのだろう。

 鎧の騎士は終わりが近いと見たのか、武器を構える事すらしていない。

「幾ラ『心羅』ヲ持ッテイヨウトモ、所詮ハ人間ダナ。数デ押セバ何ト他愛モナイ」

「くそっ……!」

 悔しさ紛れにそう吐き捨てるが、それでどうにかなる事でもない。

 再び立ち上がろうと、足に力を入れようとしたその時だった。

 巧がいる位置よりも少し『鏡界』の中心部に近い所で、巨大な爆発が起こった。

 一瞬牡丹色の光が見えた気がしたが、それに続いて辺りに轟音が響く。

 恐らく何かの建物が倒壊したのだろう。心成しか自分が膝を付いている地面が、少し揺れているような気がした。

「なっ、何だ?」

 土煙が巻き上がる中心部付近を巧が見ていると、鎧の騎士の一体が、その方向を見る事なく告げる。

「オ前ノ仲間ガ我々ト戦ッテイルダケダ。――アア、ダガ向コウハモウ終ワッタラシイ」

「? どういう意味だ」

 後から付け足したような報告に、巧は土煙の上がる方向から視線を戻した。なぜ見てもいないのにあの場所で起こっている事がわかるのかと、そんな疑問の顔を見せる。

 すると巧の真っ正面にいた鎧の騎士が、それに応えるように一歩前に進み出る。

「見テノ通リ、我々ハ複数体イル。ソノ全テガ、アラユル情報ヲ瞬時ニ共有スル事ガ出来ル」

 ソシテ、と鎧の騎士は続ける。

「向コウデ戦ッテイタオ前ノ仲間ハ、我々ニ敗北シタ。少シハ粘ッタ様ダガ、所詮ハ人間ダナ。実ニ呆気ナイ幕切レダッタ」

「! 何だと……?」

 巧は威勢よく歯向かおうとするが、身体が言う事を聞かない。口を動かすのがやっとだった。

 鎧の騎士が言った敗北という言葉に、巧はとてつもなく嫌な物を感じた。まさか、と考えてしまう。

「安心シロ、死ンデハイナイ」

 思考を読んだような意外な言葉に、巧は俯きかけていた顔を上げた。

「本当か?」

「アア。オ前タチハ二人トモ、生カシテ連レテイク必要ガアル。アノ御方ノ所マデナ」

「あの御方……?」

 誰の事だ、と巧は思う。だがその考えは、結論に辿り着く事はなかった。

 真っ正面にいる鎧の騎士との会話に気を取られていた巧は、背後から別の鎧の騎士が近付いてくる事に気が付かなかった。

 巧の首筋の辺りに、振り下ろされた赤褐色の剣の柄が深く叩き込まれた。

「ぐっ!」

 鋭い痛みと衝撃で、巧の身体は前のめりになって倒れた。徐々に意識が薄れていく。

 脳から身体への神経信号が一時的に遮断され、巧はそのまま意識を失った。



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