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「夕凪」
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目を開けると、青空が広がっていた。そこには鳥も雲もいない、群青一色の青。まさに群れる青だ。空を眺めたのは久しぶりだ。
ぼんやりしながら上半身を起こすと、今度は草原が目に映った。涼しい風が駆け抜けると、草原は音を立てて波打った。初めて聴く風の音と草の声。
草原の向こうには水平線が広がっている。これも初めての風景かもしれない。海を見たことは何度もあるけど、その時に、何が見えたのか覚えていない。何も思わず、何も感じず、ただ見ただけ。
空を眺め、草原を眺め、水平線を眺める。見るではなく、眺める。どうしてそんなことができるのだろう・・・。高校3年の夏という、忙しくて、大事な時期に、俺はどうしてそんなことができるのだろうか。
再び風が草原を駆け抜けた。俺は草原を見ようとして視線を下ろした。草が風と戯れるように揺らめいている。そんな光景を見て、俺は思わず口元を緩めた。
「平和だ・・・時がゆっくり流れている」
だからなのかもしれない。見るではなく、眺めることができるのは。
俺がどうしてここにいるのか。それは高校生活最後の、夏休みの前日、終業式の日のことだ。
教室に終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。その音を合図に、教室が一斉に騒がしくなった。カバンを持ってさっさと帰る者、後ろを向いておしゃべりを始める者、携帯を取り出し、素早く指を動かしている者。皆それぞれだった。
夏休み。その言葉とは裏腹に、俺は憂鬱な気持ちだった。
「高校最後の夏休みだな。お前何すんの?」
机に頬杖をついてボーっとしている俺に話しかけてきたのは、子供の頃からの親友のオリン。フルネームは「夏野 オリン」名前で分かるとおり、ハーフだ。
「さぁ?」
「さぁ、って何だよ?遊ぶとか、勉強するとか、就職活動するとか、色々あるだろ?」
「まだ将来のこと決めてないんだって」
俺は高校最後の夏にもかかわらず、進路を決めていなかった。と言うより、決められないでいた。この先の人生をどうするのか、その答えを18歳で出すなんて酷なことだ。そう思えて仕方ない。
「お前は?将来どうすんだよ?」
俺の問いに、オリンは腕組みをした。
「オレも決めてない」
自信を持ってそう答えたオリンが、俺は憎くなった。そしてその反面、どこか羨ましかった。
「偉そうに言うな」
オリンの自信の根源を、俺は聞こうとしなかった。
「凪、そう焦んなよ。お前、今にも自殺しそうな顔してんぜ?」
凪とは俺の名だ。「風間 凪」それが俺の名前。
「焦らない方がどうかしてる」
俺がそう言うと、オリンは溜め息を吐きながら両手を小さく掲げた。洋画でよく見る仕草だ。オリンは、俺の前の席の椅子を、音を立てて引き、鼻で息を吐きながら座った。
「18年しか生きていない人間に、将来の答えを出せって言う方が間違ってる」
オリンは俺の肩に手を乗せて優しく揺すった。
「答えを出せる奴もいるけどよ、出せない奴だって沢山いる。別に命取られるわけじゃねぇんだ、もう少し楽しく生きようぜ」
オリンは俺の肩に軽くパンチした。
「そうだな・・・そうだよな」
少しだけ、気持ちが軽くなった気がする。
「凪、お前はもっと知らなければいけない。どんな生き方があるのか、をな」
オリンの言葉に、俺は感銘を受けた。この言葉は、親も教師も教えてくれない言葉だった。俺は少し笑った。今日始めての笑顔だ。
「おお、それそれ、忘れんなよ?今の顔」
オリンはそう言って、笑いながら俺のわき腹を突っついてきた。人気の少ない教室に、脳天気な笑い声が響き渡った。
「楽しそうね、何してんの?」
じゃれあっている俺たちに興味を示したのか、一人の女子が声をかけてきた。その女子の名前は「大空 美夕」このクラスの委員長だ。統率力があり、気が強い性格をしている。女子はもちろん、男子からも人気がある。
「別に、高校生らしく楽しんでたのさ」
と、オリン。
「馬鹿笑いしているだけにしか見えなかったけど?」
「高校生らしいだろ?」
「ん、まぁそうかもね。それより・・・」
美夕は俺の机に両手をついた。そして黙ったまま俺とオリンを交互に見た。
「・・・何だよ?」
俺は美夕独特の威圧感を感じ、気圧されてしまった。
「二人とも、夏休みはどうするの?」
「決まってない。オレも凪もな」
俺は声を出さず、頷いて答えた。
「そう・・・よかった」
そう言うと、美夕は小さな笑顔を見せた。そして机から手を放し、腰に手を当てた。
「ねぇ、暇なら出かけない?」
「はぁ?」
想定外の言葉に、俺は動揺した。
「何処に?」
オリンはいたって普通に質問した。当たり前の質問だ。動揺する俺の方がどうかしている。
「私のおじいちゃんの家。おじいちゃん、おばあちゃんと旅行に行くんだって。それで夏休みの間、私が留守番をすることになったんだ。一人だと退屈しそうだし、よかったらどうかなぁ、と思ってね」
一人での留守番は退屈。それは分かる。けど普通、クラスメートとはいえ男を誘うか?
「面白そうだな」
俺の思考とは反対に、オリンは美夕の話に食いついた。
「でしょ?二人となら退屈しないで済みそうだよ」
「それは約束する。な、凪?」
「ん・・・それは・・・まぁ」
「凪、深く考えないでよ。別荘に行くような感じで誘ってんのよ?凪もオリンも変なこと考えてないでしょ?」
歯切れの悪い俺に、美夕は言葉を付け加えた。
「それは神に誓う」
オリンは右手をかざした。
「それは俺も誓う」
俺もオリンのように右手をかざした。
「それならいいじゃない。気に入らなかったらすぐ帰ってもいいしさ。ね、行こうよ?」
俺はかざした右手を口元へ運び、どうするべきなのか考え込んだ。
「行ってみようぜ、凪。環境が変われば、考え方も変わるかもしれない。ただ悩むだけなら、自分の部屋じゃなくてもいいだろ?それに面白そうじゃねぇか」
オリンの言うとおりかもしれない。この気持ちのままだったら、俺は夏休みの間、部屋の天井を眺めて過ごすことになりそうだ。それなら・・・。
「そうだな。行ってみようかな」
「よぉし、決まりだ。オレたちも行くよ。で、いつから行くんだ?」
「急だと思うけど、明日から。始発電車で行くから、朝5時半に駅に集合ね」
「了解だ」
オリンは警察官のように敬礼をした。俺はオリンほど乗り気というわけではないが、環境を変えることはいいことかもしれない。そう考えることにした。
「分かった、5時半な。遅れずに行くよ」
「うん、楽しみにしてるよ。じゃ、また明日ね」
美夕はそう言い残し、カバンを持って教室を出て行った。
「オレたちも帰ろうぜ」
「そうだな」
俺とオリンも教室を後にした。
部屋に入ると同時にカバンを投げ捨てる。制服から普段着に着替え、テレビをつけ、ベッドに座る。いつもどおりの一連の動作だ。テレビをつけたとはいえ、真剣に見るわけではない。音と光が欲しいだけだ。
しばらくした後、俺はベッドに横になり、テレビに背を向けて目を閉じた。そして自分の未来を想像し始めた。近い将来、俺は何をしているのだろう?
大学か専門学校に通うのか?
何のために?それが分からないのに、進学してもしょうがない。
じゃあ働くのか?
どこで?大体、世の中にどんな仕事があるのか分からない。求人雑誌を見たって、文面だけじゃ何も分からない。
結局、俺は何がしたいんだ?
・・・分からない。
俺は毎日こんな思考の罠にかかっている。結末はいつも一緒。将来がない、将来どころか、明日も見えない。その答えに辿り着くと、俺は死の宣告をされたような気分になり、暗闇の世界に怯え始める。
俺は悪い夢から覚めたように、凄い勢いで寝返りを打ちながら目を開けた。つけっぱなしにしていたテレビの青白い光が目に入った。その光を見ていると、乱れた呼吸と、荒ぶる心音が穏やかさを取り戻していった。
机の上に置いてある子機が一回だけ鳴った。夕食の合図だ。俺は額に手を当て、ゆっくりと深呼吸した。そして、額に当てた手で髪を撫で上げた後、居間に向かった。
食事中、母さんは俺に将来のことを聞いてきた。毎日のように聞かれる同じ質問に俺は「ああ」とか「いや」というように、一言で返していた。今日もそうだ。次第に会話が無くなっていき、テレビだけが頑張って喋っている状態になった。
夕食を食べ終えた俺は、ご馳走様を言う前に夏休みのことを話すことにした。正直、少し言いづらい。母さんに反対されるのが目に見えているからだ。
「夏休みのことだけどさ、友達から別荘に行かないかって誘われてるんだ。行ってもいいだろ?」
「何言ってるのよ?将来のことを考えるのが先でしょ?」
予想通り、母さんは反対した。父さんは黙って話を聞いている。
「考えないわけじゃないって。環境が変われば見えるものもあるかもしれないだろ?」
「そんな無責任なこと言わないでよ」
母さんは今にも泣き出しそうな声で言った。その声は、俺の胸に深く突き刺さった。
母さんはいつも俺のことを心配している。いつも俺に答えを求めている。けど、俺にはそれが苦しくて辛かった。
「凪、お前の好きにすればいい」
俺と母さんの会話を黙って聞いていた父さんが、突然そう言い出した。
「ちょっと何てこと言うんですか。凪には、今が一番大事な時期なんですよ?」
「それは分かってる。だが凪はちゃんと考えると言っているんだ。それなら好きにさせてあげなさい」
父さんの静かな声に、母さんは言葉を飲み込んだ。
父さんは昔から俺のやることに反対しなかった。口を挟んでくることはあったが、最近はそれもない。
父さんに視線を向けると、父さんは黙ってテレビを見ていた。その姿は「お前に興味がない」「お前には期待していない」そう言っているような気がしてならない。
「・・・ご馳走様」
俺は冷えた空間から抜け出そうとして立ち上がった。すると父さんが、
「凪、手ぶらで帰ってくるなよ」
と、テレビを見ながら言った。
部屋に戻った俺は、何も考えないようにして、黙々と明日の準備を始めた。それが終わるとさっさと風呂に入った。そして、少し早いとは思ったが、寝ることにした。
ベッドに横になって目を瞑った俺は「父さんへの土産は地酒にしよう」そう心の中で思い、眠りに落ちた。
早起きは三文の徳。誰もが知っている言葉だが、この言葉が真実なのかは誰が知っているのだろう?朝の4時半、俺は寝癖を直しながらそんなことを考えていた。
レバーを回し、お湯から冷水に切り替えた。重い瞼を全力で抉じ開け、視点の定まらない瞳に冷水を一気に浴びせる。心臓がチクチクと痛んだが、これも試練と思い、耐え続けた。
乱暴にバスタオルで頭を掻き回し、少し曇った鏡を見ながら手櫛で髪を整えた。まだ眠気は覚めきっていなかったが、時間を考えると、熱いコーヒーを飲む暇はない。俺は急ぎ足で部屋へと戻り、荷物を持って家を出た。
家を出た俺はまず、オリンの家を目指した。駅までオリンと一緒に行くことになっているからだ。オリンの家は俺の家の三軒隣にある。近所中の近所だ。
あっという間に「夏野」という表札が目に入った。表札の掛かったブロック塀の奥には、立派な道場が建っている。
「・・・いつ見ても立派な道場だな」
そう呟くと、道場の玄関がガラガラと音を立てて開かれた。続いて中から、投げ捨てられた空き缶のようにオリンが放り出された。そして、オリンを追うように大きなボストンバッグも放り出された。
「くそ、化物め」
オリンは上半身だけを起こし、道場の中に向かってそう吼えた。
「まだまだ、だな」
粋な声と共に、道場の中から武道着姿の、オリンの親父さんが現れた。
「帰ってきたらボコボコにしてやるからな」
「面白い、やって見せろ」
二人のやり取りを、俺は唖然として見ているしかなかった。
「凪君、うちの馬鹿息子を頼む」
「あ、はい」
俺は反射的にそう答えた。
「じゃあ行ってくる。親父も最後の夏を楽しめよ」
オリンは捨て台詞を吐きながらバッグを拾い上げた。そして俺の方へ。
「行くぞ、遅れると厄介なことになる」
「そうだな」
俺は美夕の顔を思い浮かべた。不思議と、足取りが速くなった。
「ったく、あの年であの強さだ。親父はモンスターに違いないぜ」
オリンの親父さんは格闘技の師範代だ。40代後半とはとても思えない体つきをしている。その親父さんに、オリンは毎日挑んでいるそうだが、一度も勝ったことはないらしい。
「親父のやつ、強すぎるぜ。お袋が惚れるのも無理ねぇよな」
俺はオリンの母親を、一度だけ写真で見たことがある。とても美しい人だった。
オリンの親父さんは、その人と話をするためだけに英語を覚えたらしい。そして、オリンが生まれた。母親は、オリンを生んですぐに亡くなったそうだ。
親父さんは、亡くなった妻を想ったのか、オリンが幼い頃から英語を教えた。今でもそれは続いている。月、水、金、日は英語で会話をするのが夏野家の掟となっているらしい。
仲が悪いように思えるが、本当は父親と分かり合っている。
「凪、美夕の奴、先に着いてるみたいだぜ」
「そうみたいだな」
黄色に点滅している信号の先の、駅の前に美夕の姿があった。俺たちは足早に美夕のもとへと歩み寄った。
「遅いよ、何してたのよ?」
「遅いって、時間丁度じゃねぇか」
オリンは駅にある大きな時計を指差して言った。
「待ち合わせは、5分前に来るのが常識でしょ?学校で習わなかった?」
「こんな所で委員長すんなよな」
二人とも、朝からとっても元気だ。確かに、退屈しないで済みそうだ。
「なぁ、早く行こう」
もう少し、二人のやり取りを見ているのも面白そうだったが、乗り遅れたら本末転倒だ。そう思い、俺は二人を促した。
首尾よく切符を購入した後、人気のない駅の中を靴の音を響かせながら歩いた。シャッターが降りている土産屋の側を通り、階段を降る。すると、出発を待っている電車が、薄い朝霧の中に寂しそうに停まっていた。
誰もいない電車に乗り込み、荷物を上に載せ、席に座った。俺は窓際の席だ。
「どれ位で着く?」
俺は向いに座っている美夕に聞いてみた。
「そうねぇ・・・6時間位かな」
美夕は持ってきていた小説の、栞を挟んであったページを開きながら答えた。
「そんなに?」
「だって、おじいちゃんの家は田舎にあって、新幹線が通ってないんだもん」
田舎に行く。今初めて知った事実だ。行き先を尋ねなかった俺たちはどうかしている。
「別にいいじゃねぇか。ゆっくり行こうぜ」
俺の隣に座っているオリンは、やけに落ち着いた声でそう言った。
「寝てていいよ。着いたら起こしてあげるから」
「じゃ頼むよ」
オリンは早速目を閉じた。「俺も寝よう」そう思い、目を閉じた。程なくして、体で電車が動き出すのを感じた。
あれだけ眠かったのに、何故か眠れない。時々意識が遠ざかるのだが、すぐに戻ってくる。どれだけ時間が過ぎたのだろうか。そればかりが気になる。薄目で美夕を見ると、小説を読み続けている姿が薄っすらと見えた。横目でオリンを見ると、口を開けて深い眠りについていた。
次第に車内が賑やかになっていった。薄目で通路を見ると、制服姿の学生たちで埋め尽くされていた。お喋りをしている学生、布に包まれた竹刀を持っている学生、参考書を読んでいる学生など、様々だった。学生たちを見ていると、今の自分の現状が素早く頭を過ぎった。
俺は不快な気持ちに顔を歪ませ、強く目を閉じた。
次に目を開けた時、車内には静けさが戻っていた。立っている人は一人もいない。窓の外に目を向けると、田んぼと電柱と電線だけの景色が広がっていた。俺の住んでいる町は都会ではないが、田舎でもない。ほとんど町から出たことのない俺には、窓の外の景色がとても新鮮に見えた。
俺は再び目を閉じた。
「起きて、もうそろそろ着くよ」
美夕の声がはっきりと聞き取れる。俺は結局、ほとんど眠ることが出来なかった。
「オリン、起きろよ」
肘でオリンを突っつくと、オリンは低い唸り声を上げた。唸り声は欠伸へと変化した。隣に座っている俺に、お構いなしに背伸びをするオリン。よほど気持ちよく眠れたのだろうな。俺は少しだけ、オリンが憎たらしくなった。
「意外に・・・早かったな」
「お前だけだよ、そう感じるのは」
程なくして目的の駅に電車は停まった。俺たちは荷物を降ろし、電車を降りた。
駅には俺たち以外誰もいない。駅員すらいない。無人の駅だ。
「やば、急ぐよ」
美夕は突然走り出した。俺とオリンは訳の分からないまま美夕に続いた。そしてそのまま、停まっていたバスに駆け込んだ。俺たちが乗り込むと、バスはすぐさま走り出した。
「こんなに慌てなくてもさ、次のバスに乗ればよかったんじゃないか?」
「分かってないねぇ、ここは田舎なの」
美夕はそう言うと、さっきとは違う小説を取り出し、読み始めた。
俺は窓を開けて、流れる景色を眺めた。田んぼが道路を挟んで続いている。ぽつぽつと民家が見えてきた。どの家も古風な作りで、隣の家との感覚がとても広い。
田んぼ道を抜けると、今度は並木道に差し掛かった。薄暗くなった道路に、セミの声が響き始めた。
「凪、何だか楽しくなってきたな」
俺の後ろの席からオリンの声が届いた。
「ああ、そうだな」
俺は木漏れ日に手をかざしながら答えた。今の言葉に、嘘偽りはない。
並木道を抜けると、今度は広大な草原が目に飛び込んできた。
「スゲェ、海だぞ、海」
興奮した声でオリンが叫んだ。俺はその声に釣られて草原の向こうに視線を向けた。草原の端には、白い柵が立てられている。その向こうには、青々とした海が広がっていた。
俺は仄かに香る潮の匂いを思いっきり吸い込み、吐き出した。遠ざかる意識の中、オリンの歓喜の声と、波の音だけが俺の耳を支配した。
草原に出て5分位だろうか、俺たちはバスを降りた。
ベンチとバス停が仲良く並んでいて、その後ろには草原が広がっている。バス停は潮風のせいで酷く錆びていた。時刻表は日に焼けていて、白と薄いオレンジ色に変わっている。一文字も見えない状態だ。
「なるほどな、急いだ訳が分かったよ」
これでは次のバスがいつ来るか分からない。きっとどのバス停も、同じような状態になっているのだろう。
「さ、行こう。10分位歩けば到着だよ」
俺たちは無言で歩き出した。
生まれた町しか知らない俺には、今歩いている所が異国のように思えた。何とも言えない気分だ。嬉しさと、達成感と、好奇心、それから不安も混じっている。初めての感覚に戸惑いながらも、俺は歩き続けた。
しばらくして、木の柵に囲まれた牧場が見えた。尻尾を振りながら、のそのそと歩いている牛を見つけた俺は、思わず声を出しそうになった。
「着いたよ、ここがおじいちゃんの家」
美夕はそう言って、牧場の奥にある赤い屋根の家を指差した。手摺りの付いた白いポーチに気が付くと、洋画に出てくる田舎の家が連想された。
三段しかない階段をミシミシと音を立てて上り、ポーチの上へ。
「ちょっと・・・待ってて」
美夕は鍵を取り出そうとバッグの中を探り始めた。俺はその様子を、手摺りに寄りかかりながら眺めていた。
「疲れたでしょ?今日はゆっくり休んで。私は家畜の世話をしてるから、その間は自由にしてていいよ。但し、7時に夕食にするから、それまでに戻ってきてよ」
「分かった、7時5分前だな?」
オリンは皮肉っぽく言った。
「ん、よろしい」
鍵を探し出した美夕は慣れた手つきでドアを開けた。その瞬間、俺とオリンは荷物を家の中に放り込んだ。
「あ、ちょっと、」
美夕が少し怒った声で何かを言いかけた。それと同時に、オリンは逃げるように走り去っていった。「俺だけ怒られるのも嫌だ」そう思い、オリンの後を追うように俺も走り出した。
「オリンの奴・・・何処へ行った?」
荒れる息を整えながら辺りを見渡したが、オリンの姿は見えなかった。
「相変わらず足が速いな。・・・まいっか」
俺は草原に仰向けで寝転んで、大の字を描いた。雲のない空を見上げると、平穏な時間に包まれた。
涼しい風が、汗ばんだ頬を優しく撫でた。草が風になびく音が聞こえると、俺は必然的に目を閉じた。




