お嬢様の調理実習
箸より重たいものを持ったことのないお嬢様、いざ調理に挑戦!
……でも調理というほど調理してないという罠。
「起立──礼!」
日直の号令と共に皆が一斉に同じ行動を取る。一日の授業が終わりを告げ、放課後がやってきた。俺は鞄に教科書を詰めながら今日の予定を頭の中で組み立てていく。
(洗い物はやってなかったから夕飯の支度する前にやっておくか。冷蔵庫の中は今日一日持つから買い物は明日にしよう。あと足りないものとかあったか?)
俺の記憶が確かならそろそろシャンプーと洗剤がなくなりそうだった気がする。別に今日買い物しなくても数日ぐらいは保つけどこういうものは早めに買った方がいい。それにインスタント食品もそろそろ底を尽きる頃だし、この際だからまとめ買いしておくか。
「それじゃあ雫さん、また明日」
「はい。弥生さんは真っ直ぐ帰宅ですか?」
「いや、商店街で買い物してからだな。雫さんは?」
「料理研究部の方に顔を出してみようと思っています」
「…………。料理、研究部?」
「えぇ。弥生さんはご存知ないですか?」
「いや、知ってるけど……」
なんつったって昼休み、偶然席を同じにした部長に勧誘されたぐらいだし。もしかして雫さんは今朝、校門前でチラシを受け取ったのか?
「雫さんは直接、チラシを貰ったのか?」
「はい。……実は私、料理というものをしたことがないのでこの機会に少しでも料理ができればと思いまして入部しようと思ったんです」
「あー、なるほど」
雫さんに料理スキルがないと知っても俺はさして驚かなかった。話の端々で推理してたんだがどうも相原家は大半の仕事を使用人に任せる感じがある。多分、両親も料理しないんだろうなぁ。お抱えのシェフに頼ってるみたいだし。
「弥生さんは料理の方は得意ですか?」
「手の込んだものじゃなければ」
俺が作る料理と言えば簡単で大量に作れるものが多い。その最たる例がカレーやシチューといったもの。あれは一度に沢山作っても二日ぐらいは普通に冷蔵庫の中で保存できるという小技が活きるから素晴らしい。餃子は未経験だが作ろうと思えば作れるかも知れない。餃子の中身だけ作って残りは冷凍保存っていうやり方があったから餃子の作り置きも出来る筈だ。
だが俺にはそうした、明らかに手間の掛かる料理を作る気はない。経済的な理由ではなく、単純に面倒だからという理由で。例外として焼き魚ぐらいなら時々作ってやってもいいかなって思う。こっちは好みの問題。
「弥生さんもどうですか? 料理のレパートリーを増やす良い機会だと私は思うのですが?」
「レパートリーねぇ……」
雫さんの言うことも一理ある。けど俺は基本、料理は本やテレビを見て勉強する派だから料理部にはそれほど興味が沸かない。毎日の食事は出来る限り安価で済ませようってタイプの人間だし。何より昼食の一件もあって少しばかり顔を出しにくい感じがあるが雫さんの言う、レパートリーを増やすってのは素直に名案だと思った。
……ちょっと待て俺。なに前向きに入部を検討してんだ? いやでも、見学だけはいいって言ってたし全く興味がない訳でもないし……。
「…………じゃあ、見学ぐらいなら」
言っちゃった、言っちゃったよ俺。しかも完全にその場のノリで返事しちゃったし。流石にあんなことがあった手前、堂々と見学するってのも気恥ずかしいものがあるけど……うん、友達の付き添いってことにしよう。
「では。早速参りましょうか」
にこやかな笑顔を見せてから雫さんは一直線に家庭科室を目指す。何処もH.R.が終わった直後らしく、廊下は人の往来が激しい。中には本当に躾の行き届いた生徒もいて、俺や雫さんみたいな下級生に対してもちゃんと挨拶してくる。雫さんは慣れた様子で返事をしたけど俺なんかは不意打ちも同然だったから思い切りどもったりカミカミで返事したりして笑われる始末だ。
「弥生さんって、もっと堂々とした方だと思っていたけど……意外ですね」
「俺だって緊張ぐらいするぞ」
目立つような功績もなければ運動部に所属している訳でもない。それに雫さんは知らないだろうけど入学当初なんか俺、まともに人と話せなかったんだぞ? 周りは中等部から持ち上がりで来る奴等が多いし昔からの友達グループがそのまま同じ学校選んだって連中が大半だったから非常に混ざりにくかった。
そんな世間話に華を咲かせつつ、三人目に会った上級生にごきげんようと声を掛けられた頃には俺も随分リラックスして答えられた。最初に挨拶した上級生(金髪セミロングでちょっとキツそうな女子生徒だった)なんかはなんか引け腰で挨拶してたし、俺。そんな過去の余韻に浸ろうとした時は既に家庭科室が目と鼻の先にあった。
「失礼します」
一言、断りを入れてから楚々とした仕草で扉を開けて入室する雫さん。釣られるように俺も足を踏み入れると先輩が少し退屈そうに据わっているのが目に留まった。
「ようこそ、我が料理部──て、紅瀬君じゃない。やっぱり来てくれたのね」
「えっと、自分は付き添いで来ただけです」
「……?」
俺の返答に若干の戸惑いを見せる雫さん。きっと彼女の中で俺は入部を前提に見学しに来たということになってるんだろう。見学ぐらいなら、と言っただけなのに……。
「そう。……あぁそうだ、そっちの娘にはまだ自己紹介してなかったわね。私は三年の桐生玲子。料理研究部……と言っても今は同好会だけどね、部長をしてるわ」
「初めまして、桐生先輩。一年の相原雫と申します。……あの、先輩は弥生さんとはお知り合いだったんですか?」
「えぇそうよ。実はここだけの話なんだけど私と紅瀬君は幼馴染みでね、昔はよくお姉ちゃんって言いながら私の後ろに──」
「変な嘘教えないで下さいッ。……雫さん、桐生先輩とは昼休みの食堂で偶然会っただけだから」
「そ、そうでしたか……」
一緒に昼食を摂った時からそうだったけど先輩って案外フランクな感じなんだな。けどいくら冗談好きとはいえ、いきなりそういうネタを振られたら対応に困るぞ? ぶっちゃけ、俺と先輩の友好関係ってまだ知り合いの一言で片付くものだし。
「よし! 今日はもう人が来る気配もないし、早速行きましょうか」
「行くって……先輩、他の見学希望者は待たないんですか?」
「えぇ。今朝配ったチラシを受け取ってくれたのは相原さんを含めて二人だけだから。そしてチラシを受け取ったもう一人はアタシの熱意も届かずあっさり断られちゃった。てへ♪」
いや、そんな可愛く言っても俺が入部しない限りは何も解決しないんじゃ? しかもその断れた人ってのが暗に俺のことを言ってるように聞こえるのは気のせいか?
「あぁそうだ相原さん、今うちは同好会だから事実上、部室となる家庭科室は許可が下りないと使えないから代わりの私の家で見学会ってことになるけど構わないかしら?」
「はい。問題ありません」
「よぅし! そうと決まれば早速行くわよ~!」
いやー、マジでテンション高いなこの人。でもって微妙に仕切り魔的な臭いを漂わせてるよ。元気なのはいいことだが俺、先輩のテンションに付いてこれるかな?
桐生先輩の家は学校から歩いて十五分ぐらいのところにある高級マンションがそうだ。父は弁護士で母親は広告代理店勤め。白鷺学園で料理研究部をやるぐらいだからてっきり両親が料理家とばかり思っていたんだが彼女のそれは趣味でしていたのがいつの間にか自分の一部になったとか。
マンションのロビーでセキリュティを解除してエレベーターに乗る。先輩に言われるがまま五階と表示されたボタンを押す。
「何を作るかはもう決めてあるんですか?」
部屋に着くまで暇なので興味本位で聞いてみる。けれども先輩は笑顔で『それは着いてからのお楽しみよ♪』としか答えなかった。一体何を作る気でいるんだろう?
エレベーターが静止して、僅かな間を空けてから扉が静かに開く。先輩が先頭に立ち、借りてる部屋へと案内する。何気なく玄関先に付いているプレートを見てみるとそんなに入居者がいないことに気付いた。
「空き部屋が多いようですが、マンションというのは何処もこんな感じなんですか?」
俺と同じことを思ったのか、雫さんが思い切って先輩に尋ねる。
「どうかしら? このマンションって結構イイトコだけど駅から離れているし人通りも少ないから正直、言う程人気はないと思うわ。……ところで相原さんは徒歩で通学してるの?」
「いえ。毎日送迎させて頂いてます」
「ふぅん。紅瀬君は?」
「俺は庶民ですから電車通学ですよ。本当は自転車使いたいんですけど学校側が認めてませんから」
寧ろ俺みたいな電車通学を希望する生徒は少数派だろう。徒歩で通学している人も半数ぐらいは居るみたいだけどそういう人たちって大体、事前にガードマンが通学路の安全確認してるらしい。それらしき人間なんて見たことないけど。
「自転車通学かぁ。歩く人にはすごく魅力的な響きよねぇ。……と、ここがそうよ」
言われて、ネームプレートを見上げる。そこには確かに桐生と書かれていた。先輩は慣れた手付きでポケットから鍵を出すと難なく開錠して扉を開けて俺と雫さんを中へ招き入れる。
「お邪魔します」
「お邪魔します……」
「あはっ、そんなに固くならなくていいわよ。別に凄いところって訳じゃないんだから」
俺からすれば充分凄いです──
その言葉をどうにか喉元で飲み込んで靴を脱いで中へ案内してもらう。少し歩くと清潔感溢れるリビングが目に止まる。奥行きもあって、くつろぐには充分なスペースだ。チラリと、キッチンの方を見るとコマーシャルなんかでよく見かけるタイプのシステムキッチンだった。桐生先輩の言葉通り、古典的なお金持ち的な気品さは窺えなかった。
先輩に断りを入れてから鞄を椅子に置き、勧められるがまま椅子に座る。彼女は一度自室に戻って着替えると言って足早に部屋へと戻っていく。何もすることがないので俺はぼんやりと天井を眺めていたけど雫さんは興味津々といった感じで周囲を見渡していた。
「何か珍しいものでもあったのか?」
「いえ……。私、実はこういう所に入ったのは初めてなんです」
こういう所って……マンションのことか? そう訊くと雫さんは短く『はい』と答えた。
「私の家……と言っても弥生さんも一度来たことがあるから分かると思いますけど、いわゆる洋館みたいなところでしょう? ですからここは私の家と違ってとても生活臭があるように見えるんです」
そ、そうか? 俺に言わせればこれは生活臭って言葉よりも清潔って言葉の方がしっくり来るんだが。もしこれで生活臭溢れる空間というならうちは豚小屋確定だぞ? 今朝の状態だと食器は流し台に入れっぱなしだしテーブルの上はゴチャゴチャしてるわ少し目を離すとビールの空き缶が隅っこの方に転がってたりともー大変なんだこれが。親父に何度注意してもビール缶をすぐに片付けるクセは身に付けてくれねーし俺も掃除をサボることがあるから小汚いイメージは拭いきれない。
「お待たせー!」
俺が一時の感傷に浸っている間に桐生先輩は着替え終え、上機嫌でリビングにやってきた。赤いハイネックの上から着けた花柄エプロンにジーンズ。これが先輩の勝負服って奴か? ……んなわけねーか。
先輩自身、この服装(というかエプロン?)がお気に入りなのか、紙袋を引っさげたまま上機嫌に俺と雫さんのもとへやってくる。……あれ、紙袋?
「どう、紅瀬君? 家庭的な奥さんって感じしない?」
「どちらかといえば花嫁修業中の恋人ですね」
非常に申し訳ないが桐生先輩の年齢じゃどう頑張ってもそれが限界だ。第一、家庭的な奥さんがどういう人柄なのか俺には分からないし。
「む~、紅瀬君冷たいぞっ。ねね、相原さんはどう見える?」
「はい。とても可愛らしいです。花柄のエプロンなんて桐生先輩らしくていいと思います」
どっちかと言えば花柄エプロンは雫さんの方が似合いそうな気がするんだがそれは俺だけか? ついでに言えば俺は面倒臭がってエプロンなんか付けずに料理する。
「ところで先輩、手にしている紙袋は何ですか?」
「なにって……紅瀬君と相原さんのエプロンと三角巾だけど?」
「エプロンと三角巾、ですか?」
「うん。色々考えたけどただ見るより実際にやった方がいいと思ってね」
なるほど、百聞は一見に如かずってヤツか。考えてみれば料理研究部の見学なんて見ただけじゃきっと入りたいとは思わないだろう。ならいっそのこと調理を体験して潜在意識下にある入部したいという気持ちを高めるのが先輩の目論見らしい。だけど相変わらず肝心なこと──つまりは何を作るかまでは聞いていないからいくらかの不安もある。
「それじゃ、早速説明に移るわね。今日、私達三人で作るのはいわゆるデザートものよ」
デザートだって? 俺はてっきり食事もので来るとばかり思ってたんだが……。これには相原さんも俺と同意見らしく、少し遠慮がちに手を挙げている。
「あの、桐生先輩」
「はい、相原さん。どうぞ」
「今回作るのはデザート、なんですか?」
「えぇ。勿論うちのモットーはデザートに限らず普通の料理だって作るわ。ただ、今回は時間もないから簡単なものを作ることにしたの。手の込んだものを作るとやっぱり時間を浪費しちゃうからね」
なるほど。先輩はこの辺りのことを考慮した上でデザートにした訳か。納得。
「今回作るデザートはずばり、ホイップクリームのチョコレートソース! 個人差があるけど大体十五分ぐらいで作れちゃうから」
そう口で説明しながら先輩は手際よくキッチンと冷蔵庫から必要な道具や材料を取り出していく。その間、俺たち二人は渡されたエプロンと三角巾を身に付ける。俺はあやめの花で雫さんはクリスマスローズの柄をあしらったエプロン。この花柄は先輩の趣味なのか? 男が花柄エプロンとか想像以上に恥かしい……。
「弥生さん、エプロン姿がお似合いですね」
「あやめの花が綺麗だからそう見えるだけだろ?」
「そんなことありません。少なくとも私よりはずっと板に付いてますよ」
雫さん、流石にそれは大袈裟だって。けど桐生先輩が着けてるヤツもそうだけどこの花柄エプロン……本当によく出来ているな。男の俺でさえちょっといいかもって思うぐらいの出来栄えだし。
「──オッケー、準備が出来たわ。二人ともキッチンの方に来て頂戴」
先輩の声で我に返り、言われるがまま俺と弥生はキッチンの方へ向かう。そうだ、今日はおしゃべりをする為にここへ来たんじゃない。あくまで見学という名の調理実習を体験する為に来たんだ。キッチンにはラズベリーや市販のチョコレート、ホイップクリーム、他多数に加えて人数分の皿と道具が所狭しと並んでいた。
「まずはチョコレートを細かく刻んで。なるべく細かくね」
言われるがまま、板チョコを包丁で細かく刻む。キャベツの千切りをするような感じでやってみたけど如何せん相手は板チョコ。キャベツと違ってサクサク切れない。なんかこう、おろし金で一気に細かく刻みたい気分なんですけど?
「そうそう、相原さん。時間は掛かってもいいから細かく刻んでね。そうした方が早く溶けるから」
どうやら雫さんは先輩がしっかりとフォローを入れているようだ。包丁を握ったことがないのか、不器用ながらも上手くチョコを刻んでいる。
「さて、紅瀬君の腕前の方は……へぇ。紅瀬君、相原さんと違って包丁使い慣れてるわね。よく使うの?」
「ちょっとしたものを作る時に使う程度ですよ」
実際、俺が包丁で切る相手なんてカレーに入れる野菜ぐらいだし。間違っても魚を三枚に下ろしたり大根のかつらむきなんて芸当は出来ない。
「ちぇ。折角頼れるおねーさんが手取り足取り優しく教えてあげよーと思ったのに。教え甲斐がないぞ、コイツめ」
ちょんちょんと、俺の頬を二度三度突いてから先輩は再び雫さんのフォローに回る。その頃にはもう板チョコを半分ぐらい刻んでいたから用意されてあった小さめの容器に刻んだチョコを入れて残りの半分に取り掛かる。
「紅瀬君、私が相原さんの面倒を見ている間に次の作業、お願いできる? 鍋に砂糖と水を入れて混ぜながら沸騰させて。で、沸騰したら私と紅瀬君、相原さんのチョコレートを入れるから。あ、その時に火は弱火にしてね」
「分かりました」
指示された通り、俺は次の工程の準備に取り掛かる。雫さんの指導に一区切り付いたところで先輩も自分の分の調理に取り掛かる。こっちはもう本当に上手い。プロも顔負け、とまではいかずともとにかく手付きが鮮やかだ。淀みない動作で板チョコを均一の大きさに刻みつつ、手捌きは素早く動かす。
「──うん、こんなところでいいわね。それじゃ、相原さんにはホイップクリームを作ってもらいましょう。ボールに市販の生クリームがあるからそれを入れて頂戴」
「どのぐらい泡立てれば宜しいですか?」
「そうねぇ……泡だて器で五分立て──なんて説明しても分からないわよね。液体だけど粘り気が出る前の状態になるまでお願い」
「分かりました」
どうやら雫さんの料理センスは目に見えて酷いというレベルではなさそうだ。箱入り娘とは言え、彼女は頭のいい娘だし要領は決して悪くない。ただ、料理をする機会に恵まれなかっただけで然るべき訓練さえ受ければ恐らく大凡のことはこなせるんじゃないかと思いつつ、砂糖水が沸騰したので刻んだチョコレートを入れてコンロの火を中火から弱火で混ぜる。頃合いを鍋を火から遠ざけてスプーンで出来栄えを確かめてみる。
……うん。チョコソースは初めて作ったけど上手く出来ている。先輩が予めきっちり材料を適量に分けていなかったらこうはいかなかったに違いない。
「あはっ。ちゃっかりつまみ食いしちゃってるのかなぁ~?」
「してませんって!」
いや、ちょっとはしようかなって思ったけど──なんて思った矢先に俺の横から何か腕が伸びてるその手は何ですか……?
「人に注意しておきながらつまみ食いしている先輩は何ですか?」
「私のはつまみ食いじゃなくて味見って言うのよ」
「人はそれを屁理屈と言うんですよ。知ってますか?」
「ノンノン、細かいこと気にしちゃ駄目よ、紅瀬君♪……さて、どうやら相原さんのホイップクリームも出来たことだし、早速飾りでも付けましょうか。あ、紅瀬君は出来上がったソースをお皿に入れて。そんなに沢山入れなくていいから」
言いながら、先輩は十センチ角の紙を三角に巻いてその先端をカットして、そこに大さじ一杯のホイップクリームを入れた。そのまま力加減を調節しながらホイップクリームを搾り出すとチョコソースの上に綺麗な直線が描かれた。
「わぁ……桐生先輩上手ですね!」
「そんなことないわよ。このぐらいならちょっと練習すれば誰にでも出来るわよ」
「いや。それでも先輩は上手い方だと思いますよ」
「もう、紅瀬君まで……二人してからかわないで」
からかってるつもりは微塵もないんですけど? 不器用な俺が同じことをすればその差は歴然だと思うし。俺と雫さんが感心している間に先輩は竹串でソースの上に描いた白線を等間隔に引っ掻いて幾何学模様を描いている。見た目はがさつに見えるけどこの人、センスはあるんだな。
「ほらほら二人とも、見惚れてないで私と同じようにやりなさい! 何事も挑戦、挑戦♪」
「が、頑張ります……っ!」
「善処します」
握り拳を作って応える彼女に対して俺は当たり障りのない返事を返して作業に取り掛かる。先輩同様、ソースの上に生クリームで線を描こうとするがこれがどうしてなかなか、見た目の作業とは裏腹に地味に難しい。綺麗に描いたつもりでも実際は線がふらふらしてたり上手に線と線を結べなかったり……早い話が目を背けたくなる出来栄えだ。
雫さんも俺と同じような悲惨な思いをしてるだろうと、さり気なく隣を見ればすんなり幾何学模様を描けている姿が。……あ、なんかちょっと泣けてきた。三人集まって自分だけ下手くそだとなんか泣きたくなるよね? 俺の状況、まさにそんな感じです。
「そうそう、上手よ~相原さん。紅瀬君は…………まぁ、頑張っている方じゃない?」
「気休めなんていりません。素直にこの下手くそがって罵ってくれた方が気が楽です」
「紅瀬君の下手くそぉ♪ 出直して来いってね!」
「桐生先輩、痛いです…………」
本気で言ったよこの人。しかも力任せに背中まで叩いたし。まぁ変に褒められるよりはずっとマシだけどさ。
苦労して竹串で模様を描き終えるといよいよ仕上げの飾りつけに入る。冷蔵庫からフルーツが盛られたボールを取り出して作業台の上に置く。ブルーベリーにラズベリー、旬のもので苺ととにかくまぁ庶民なら両手を挙げて喜ぶような代物ばかりだ。
「この中から好きなものを選んでトッピングすれば完成。デザインなんかを意識してやるとこういうのも結構楽しいよ。……あ、そうそう。さっき五分立てしたホイップだけど八分立てにしておいたから必要なら使っても構わないから」
それは美術センスゼロの俺に対する当てつけですか? しかも微妙に糖分多めのデザートだな。いや、デザートだしこれくらいが普通なんだろう。
(適当に盛り付けちゃまずい、よな?)
俺としてはちゃっちゃと済ませたい気分だが隣で真剣に飾り付けをしている雫さんを見るとそれが出来ない。あと親父の影響で昔から地味な作業にも手を抜くなと耳にタコが出来るくらい言われ続けてきた。
……えぇいままよ! こうなりゃ下手なりに頑張ろうではないか! 一人で奮起した俺は早速ホイップクリームを搾り出す。ちょうど渦巻きソフトの渦みたいな感じで搾り出して、適当なところで止める。次にヘタを切り落とした苺に縦の切れ目を半分以上入れる。そしてセンスを開くように苺を横へスライスさせるとセンスが開いたみたいな形になった。これを頂上に盛り付けて周りにいくつか適当に置けば完成なのだが──
「う~む」
遠目から見ると扇状に開いた苺の見栄えが少し──いや、かなり悪い。ラズベリーの盛り付け方もなんか汚い。我ながら手先の不器用さを呪う一品である。全体像を一言で表現するなら粗が目立つ。
チラリと、雫さんと先輩の皿を見てみる。彼女は苺が栄えるように他の果物を上手に飾り付けしてある。カットしたものが混ざっているあたり、先輩の助けを借りたのだろう。
で、肝心の先輩だがこれがまた凄い。一見すると豪快にフルーツを盛りつけたようにも見えるけどそう見えるのは一瞬。次の瞬間にはその皿の上に花が咲いているかのような気品さが漂っている。特に中央のホイップに飾られている苺は扇状に開いて(こっちはもうマジで上手にできてる!)生け花の如く、渦巻き状のホイップに乗せてフルーツという華を開花させている。そりゃもう料理の見本に載ってもおかしくないぐらい、彼女の美的センスは素晴らしかった。
「よくデザート作るんですか?」
そのあまりの見栄えの良さに浮かんできた疑問を素直にぶつけてみることにした。すると先輩は遠くを見るように視線を泳がせてから答えた。
「昔、ね……お母さんに連れてってもらった店があったの。デザート専門店なんだけど季節の果物がメインなんだけどメニューが全部コースなの」
「コース?」
それってフランス料理とかでよく耳にする単語を指してるのか?
「桐生先輩、それってコースメニューという意味ですか?」
雫さんも俺と同じことを思ったらしく、念を押すように尋ねてきた。先輩は無言で頷き、言葉を続ける。
「そのときに食べたデザートの味が忘れられなかったのは勿論だけど、一番驚いたのは飾りつけ。食材ってこんな綺麗な姿に変わるんだっていう感動と見た目に違わぬ美味しさに二重の喜びを覚えたわ。私がデザートにはまった切っ掛けはそこね」
ふむ、なんとも分かり易い理由だなそれは。つまり先輩にとってデザートは原点でもあり、忘れられない味でもあったのか。俺の場合は必要だから覚えたっていう感じしかないからな。正直、好きになったから覚えたっていう先輩をちょっと羨ましいと思った。
「はい! 昔話はこれでおしまいっ。一息付くにはちょうどいい時間だから二人の出来栄えをチェックしちゃうわよ~?」
昔を懐かしむような表情から一転して先輩は意地悪そうな笑顔を俺たち二人に向けてくる。そのギャップは一体何ですか? どう考えても審査する人間の目じゃない。敢えて言うなら小姑でも言おうか。
「よ、宜しくお願いします」
「お手柔らかに……」
「私は手厳しいわよぉ~? 特に私のことを小姑なんて思った人には」
え、もしかしてバレた? しかも今の言い方からすると先輩は自分が小姑っぽく見えることに自覚があるように聞こえるんだが。
「あ~、なんか今余計なこと考えたから紅瀬君は更に減点ね」
はい。藪蛇でした。
因みに俺の作ったホイップクリームのチョコレートソースの出来栄えだが案の定、先輩にボロクソ言われたりその横で不器用ながら雫さんがフォロー入れたりとまぁ散々な結果だったと言っておこう。駄目元で男は普通デザートなんか作らないと言ったらパティシエを侮辱する気か!? と言い寄られた。
いや本当、先輩にデザートの話題はある意味じゃタブーだということを身を以って知った見学会だったさ。




