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朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──  作者: Song1
朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──
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第23話 炎上

 第23話 炎上


 炎上は一日で終わらない。


 三日目に、陽太が消えた。


 影山と対峙した翌日から、掲示板の火はさらに大きくなっていた。「恋路工作室の闘」というスレッドが新しく立ち、そこに過去の依頼を歪曲したスクリーンショットや、メンバーの個人情報が次々に投稿された。匿名の群衆が正義の旗を振って工作室を断罪している。佐々木の件で見た構造の再帰だ。断罪する側は匿名。断罪される側だけが名前と顔を晒す。


 木曜日。炎上二日目。


 校内の空気が変わっていた。俺が廊下を歩くと、すれ違う生徒の視線が変わった。知っている目だ。水谷のときに見た、佐々木のときに見た、あの目。噂を消費する目。しかし今回は俺自身がその視線の対象だ。見られる側に立つのは、こういう感覚なのか。肌に細い針を刺されるような、持続的な不快感。


 工作室の依頼ボードは空白のまま三日が過ぎていた。新しい依頼は来ない。炎上している組織に依頼する人間はいない。助けてもらった過去の依頼者も沈黙している。藤川も、園田も。工作室に助けられた事実を口にすれば、自分も巻き込まれるからだ。正義の断罪は、連帯責任を作る。工作室と関わっていたことが罪になる空気。


 凛花が掲示板の動向を逐一記録していた。ノートのページが埋まっていく速度がいつもの三倍だ。記録者は記録を止めない。しかし凛花の手がときどき震えているのを、俺は見ていた。記録者も人間だ。自分たちの組織が燃えているのを記録するのは、自分の家が燃えているのを撮影するのに似ている。


 金曜日。炎上三日目の朝。


 教室に入ると、陽太の席が空だった。


 陽太は遅刻する人間ではない。コミュ力お化けは朝のHRが始まる十分前には席に着いている。あの笑顔で誰かと話しているのが、朝の風景の一部だった。


 しかし今日、席が空だ。


 嫌な予感がした。翻訳者の直感ではなく、もっと原始的な不安。スマホを取り出した。陽太にLINEを送った。


『陽太。学校来てるか』


 既読がつかない。


 一限目が始まった。陽太は来なかった。二限目。三限目。来ない。


 昼休み。凛花が俺のところに来た。顔が白い。


「先輩。掲示板に新しい投稿があります。今朝のです」


 スマホの画面を見せられた。


「工作室のメンバー特定した。実行班長は天野陽太、二年。こいつ中学のとき告白晒されたやつじゃん」


 笑いの絵文字が三つ並んでいた。


 腹の底が冷えた。


 陽太の過去。中学時代に好きだった子に告白して、その告白をSNSで晒された。陽太が俺に話してくれた記憶だ。あの明るい笑顔の裏にあった傷。笑顔で覆っていた痛み。


 それが今、匿名掲示板に掘り返されている。


 陽太のトラウマを、面白半分に消費している。中学時代に受けた傷と同じ種類の暴力が、もう一度陽太を襲っている。


「陽太が学校に来ていない」


 俺は凛花に言った。


「連絡も取れない。既読がつかない」


 凛花の顔がさらに白くなった。記録者の顔に、恐怖が浮かんでいる。


「探しましょう」


「ああ。俺が行く。凛花は工作室にいてくれ。玲奈先輩に状況を伝えてくれ」


 教室を出た。廊下を歩いた。どこを探す。陽太が学校に来ているなら、どこにいる。教室にはいない。部活の練習場所は昼休みは使えない。


 屋上。


 昨日、影山と対峙した場所だ。しかし陽太が屋上に行く理由はない。陽太は屋上が好きな人間ではない。人が多い場所を好む。コミュ力お化けは人の中にいるのが自然だ。


 しかし今の陽太は、人の中にいられない状態かもしれない。


 屋上のドアを開けた。


 七月の光が降り注いでいる。コンクリートの床が熱い。フェンスの向こうに海が見える。夏の海。青い海。波が光っている。


 屋上の隅。フェンスに背を預けて座っている人影があった。


 陽太だった。


 制服を着ている。学校には来ていた。教室に行けなかっただけだ。


「陽太」


 声をかけた。陽太は振り向かなかった。膝を抱えている。顔が見えない。天野陽太が膝を抱えている姿を、俺は初めて見た。あの明るい笑顔が消えている。笑顔で覆っていた防壁が、粉々になっている。


 俺はゆっくり歩いて、陽太の横に座った。一メートルの距離を空けて。翻訳者の距離ではない。友人の距離だ。近すぎず、遠すぎず。肩を組めるくらいの距離。


 何も言わなかった。


 陽太も何も言わなかった。


 沈黙。セミの声。海風。夏の匂い。日差しが強い。影が短い。昼の光の中で、二人の男子高校生が屋上の隅に座っている。


 三分。五分。十分。


 陽太が口を開いた。


「見たか」


 声が掠れていた。いつもの明るいトーンがない。低い。乾いている。


「見た」


「また、か」


「ああ」


「また晒される。また笑われる」


 陽太の声に感情が滲んだ。怒りではない。疲労だ。二度目の暴力に耐えられない疲労。一度目は中学時代に受けた。耐えた。笑顔で覆い隠した。しかし二度目が来た。同じ傷を同じ場所に刺された。かさぶたが剥がされた。


「恒一。俺さ、噂の暴力がどんなものか知ってるから工作室に入ったんだ。匿名で晒される痛みを知ってる人間が、その痛みから人を守る仕事をする。意味があると思った」


「意味はある」


「でもさ。知ってるからって、耐えられるわけじゃなかった。経験者だから平気ってわけじゃなかった。むしろ経験者だからこそ、二回目のほうが辛い。一回目は何が起きてるか分からなかった。二回目は分かってる。分かってるのに止められない。分かってるのに動けない」


 陽太の手が膝の上で震えていた。細かい震え。筋肉が制御を失っている。コミュ力お化けの身体が、恐怖で震えている。


「笑顔作れないんだよ。今日は。いつもなら作れるのに。教室入って、みんなの視線浴びて、掲示板見たやつの顔見て。無理だった。口角が上がらなかった。筋肉が動かなかった」


 陽太の笑顔は鎧だ。防壁だ。中学時代のトラウマから自分を守るために作り上げた笑顔。その笑顔が機能しなくなっている。鎧が割れた。防壁が崩れた。


「恒一。俺、少し休む」


「休め」


「工作室、抜けるとは言わない。でも少し。今は無理だ。掲示板を見ると手が震える。廊下歩くと視線が刺さる。教室に入ると空気が凍る。全部が中学のときと同じだ。全部が二回目だ」


 二回目の暴力。一回目を乗り越えた人間に、同じ暴力が再び襲いかかる。乗り越えたはずの壁が目の前に立ち塞がる。乗り越え方は知っている。しかし身体が覚えている恐怖が、知識を上回っている。


「陽太。お前が工作室に入った理由は、噂の暴力を知ってるからだって言ったな」


「ああ」


「俺は翻訳者だ。お前の言葉を翻訳する。工作室に入った理由は、噂の暴力を知ってるからじゃない。噂の暴力に苦しんだ自分を、二度と一人にしたくなかったからだ。工作室は、お前にとって『一人にならない場所』だ」


 陽太が顔を上げた。目が赤かった。泣いてはいない。泣く前の目だ。


「あの笑顔は、一人にならないための道具だ。笑っていれば人が寄ってくる。笑っていれば嫌われない。中学で晒された後、お前はそれを学んだ。笑顔は人を集める。人が集まれば、一人にならない」


 陽太の唇が震えた。


「でも今、笑顔が作れなくなった。鎧が割れた。一人になるのが怖い。だから教室に入れない。入ったら、笑顔なしの自分を見られる。笑顔なしの天野陽太は、どう見えるか分からない。怖い」


 翻訳が当たっている。陽太の目の変化で分かる。園田のときと同じだ。翻訳が当たると、目が揺れて、それから涙が来る。


 しかし陽太は泣かなかった。目が赤いまま、俺を見た。


「お前の翻訳、的確すぎて腹立つな」


 少しだけ、声に温度が戻った。怒りではない。呆れに近い親しみ。翻訳者に翻訳されて、むかつくけど認める、という複雑な感情。


「休め。必要な時間だけ。工作室は逃げない。俺と玲奈先輩と凛花がいる。お前が戻ってくるまで、場を守っておく」


「約束できるか」


「できる。工作室は場を作る組織だ。お前がいなくても、場は維持する。お前が戻ってきたときに、居場所がなくなっていることはない」


 陽太が頷いた。小さく。力なく。しかし確かに。


「ありがとな、恒一。翻訳が的確すぎてムカつくけど、的確だから助かる」


「褒めてるのか貶してるのか分からん」


「両方」


 陽太の口角がわずかに上がった。笑顔ではない。笑顔の残骸。しかしゼロではない。完全に消えたわけではない。かすかに、一ミリだけ、口角が動いた。


 それだけで十分だった。


 陽太は屋上から降りていった。階段を降りる足音が遠ざかる。保健室に行くのだろう。あるいは早退するのかもしれない。どちらでもいい。陽太が自分で選んだ行動だ。工作室は選択を強制しない。


 俺は屋上に一人残された。二日連続で屋上だ。昨日は影山と。今日は陽太と。この屋上は、工作室のメンバーが剥き出しになる場所だ。


 空を見上げた。七月の空。雲がない。青一色。逃げ場がないほど青い。


 放課後。工作室。


 三人だけだった。俺と玲奈と凛花。陽太の椅子が空いている。窓際の、陽太がいつもだらしなく座っていた椅子。空席が目立つ。四人でちょうどよかった空間が、一人欠けただけで広すぎる。


「報告する」


 俺は陽太の状態を説明した。屋上での会話。陽太のトラウマの再燃。一時離脱の申し出。


 玲奈は黙って聞いた。腕を組んだまま。表情は冷静だ。しかし腕を組む力が強い。いつもより強い。指の関節が白い。怒りか。悲しみか。あるいは両方。


「天野の離脱は認める。強制的な復帰はしない。天野が自分で戻ると決めたときに受け入れる」


「了解です」


「掲示板の状況は」


 凛花がノートを開いた。


「炎上三日目。投稿数は累計三百件を超えました。『恋路工作室の闘』スレッドが校内SNSのトレンド一位です。メンバーの個人情報が出回っています。高瀬先輩の名前、天野先輩の過去、私の新聞部との掛け持ち。全部晒されています」


 凛花の声が平坦だった。記録者の声だ。しかし「全部晒されています」と言ったとき、声がわずかに硬くなった。凛花も恐怖を感じている。自分の名前が匿名の群衆に消費されている恐怖。


「過去の依頼者の反応は」


「沈黙しています。藤川くん、園田さん、佐々木くん。全員、掲示板にコメントしていません。工作室を擁護する声もない。助けてもらった事実を言い出せない空気です」


 沈黙。助けてもらった人間が沈黙する。それは工作室の限界を示している。工作室が依頼者を助けても、依頼者は工作室を助けてくれない。助けたことが弱みになる。「工作室に頼った」ことが、断罪の対象になりうるから。


「玲奈先輩」


 俺は聞いた。


「対応方針は」


 玲奈がホワイトボードの前に立った。マーカーを取った。しかし書かなかった。マーカーのキャップを外して、閉めて、また外して。手が迷っている。桐生玲奈の手が迷うのを、俺は初めて見た。


「対応会議を、明日にする」


「明日」


「今日は判断しない。今日の私は冷静ではない。天野が離脱した。影山が攻撃した。嘘の依頼の事実が漏洩した。全部が同時に起きていて、情報量が多すぎる。今の状態で判断を下すと、間違える」


 玲奈が自分の冷静さに疑問を持っている。それ自体が異常事態だ。桐生玲奈は常に冷静だった。冷静であることが玲奈のアイデンティティだった。その冷静さが揺らいでいる。


「了解です。明日の朝、全員で」


「全員は無理だ。天野は休んでいる」


「三人で」


「ああ。三人で」


 凛花がノートに書いた。ペンの音だけが響いた。


「第二期危機対応記録。炎上三日目。メンバー一名離脱。団長判断待ち」


 凛花はそこで止まった。ペンを置いて、ノートを見つめた。それから、ペンを取り直して一行付け足した。


「空気が、冷たい」


 記録者が感想を書いた。凛花のノートに感想が書かれるのは、俺が見た限り初めてだ。記録者は事実を記録する。感想は書かない。しかし今日の凛花は、事実だけでは足りなかったのだ。「空気が冷たい」。それは感想であると同時に、事実でもあった。


 工作室の空気は、本当に冷たかった。七月の外は灼熱なのに、工作室の中だけが冬のようだった。


 帰り道。


 俺と凛花が並んで歩いた。玲奈は生徒会室に寄ると言って、先に校舎に戻った。明日の判断のために、夜の間に頭を整理するのだろう。


「先輩」


 凛花が小さな声で言った。


「工作室、なくなりますか」


 記録者が存続を聞いている。凛花にとって工作室は居場所だ。新聞部と工作室。二つの場所を行き来する生活が、凛花の日常だった。工作室がなくなったら、凛花は新聞部だけになる。記録者ではなく記者だけになる。


「なくならない」


 俺は断言した。根拠はない。しかし断言した。


「先輩がそう言ってくれるだけで、少し安心します」


「根拠はないぞ」


「分かってます。でも先輩の声に嘘がなかったから」


 記録者は嘘を聞き分ける。翻訳者とは別の方法で。翻訳者は言葉の裏を読む。記録者は声の質を記録する。嘘の声と本当の声は、質が違う。凛花はその違いを聞いた。


「凛花。明日の会議で、玲奈先輩が何を言うか分からない。どんな判断でも、受け入れる準備をしておいてくれ」


 凛花が頷いた。目が少し潤んでいたが、泣かなかった。記録者は泣かない。泣くとノートが滲むから。


 家に帰った。


 自室のベッドに座った。


 陽太のことを考えていた。あの笑顔が消えた瞬間。膝を抱えた姿。「もう、いいよ」と言いかけた声。コミュ力お化けの天野陽太が、教室に入れなくなった。


 断罪ゲームの最終形態だ。匿名の群衆が個人を破壊する。佐々木のとき、俺たちは外から助けた。しかし今回は俺たち自身が標的だ。助ける側が壊れている。


 炎上は一日で終わらない。三日経っても収まる気配がない。影山は「序章」と言った。まだ続くのか。どこまで続くのか。


 玲奈が明日、判断を下す。三人だけの工作室で。陽太がいない。四脚の椅子が三脚になった。バランスが崩れている。


 玲奈は何を決めるのだろう。


 工作室の継続か。撤退か。方法の更新か。メンバーの再編か。


 あるいは。


 考えたくない可能性が、頭をよぎった。玲奈が全責任を取る。工作室の団長として。嘘の依頼を受けた責任を。審査の甘さの責任を。炎上を招いた責任を。全部を、玲奈が一人で背負う。


 玲奈ならやりかねない。ルールで動く人間は、ルールに従って自分を裁く。「心は操作しない」。原則の一番目。その原則を守れなかった責任を、原則を作った人間が取る。


 考えたくない。しかし翻訳者の直感が告げている。玲奈の手が迷っていた。マーカーのキャップを外して閉めて外して。あの動きは判断を先送りしている動きではなかった。すでに判断が出ていて、それを口にするタイミングを測っている動きだ。


 玲奈は、もう決めている。


 明日、何を言うのか。


 スマホが震えた。陽太からのLINEだった。


『恒一。今日はありがとう。屋上で一人だったら、たぶんもっとやばかった。翻訳してくれて助かった。ムカついたけど。少し休む。でも辞めないから。工作室、辞めないから。それだけ伝えたかった。おやすみ』


 辞めない。


 その二文字を見て、胸の奥が熱くなった。陽太は壊れかけている。しかし壊れかけたまま、「辞めない」と言っている。鎧が割れても、中身は折れていない。


『分かった。ゆっくり休め。工作室は待ってる。おやすみ』


 送信した。


 もう一件。玲奈からのメッセージ。


『明日の朝、八時に工作室に来い。話がある。二人で』


 二人で。凛花にではなく、俺に。参謀に。団長が参謀を二人きりで呼んでいる。


 翻訳者の直感が鳴っている。大きな音で。


 玲奈は、決めている。何かを。


 明日の朝。工作室。八時。


 何が起きるのか。翻訳者にも予測がつかなかった。しかし予感だけがある。嫌な予感だ。翻訳者の直感が「準備しておけ」と告げている。何に対して準備するのかは分からない。分からないまま、準備する。


 七月の夜は短い。夜明けが早い。眠れないまま、空が白み始めるのを見ていた。


 明日が来る。


 工作室にとって最も長い一日が、来る。

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