第76話
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リュスラン殿下に指示に従って、隠し通路を抜けた。
仄暗い通路から夏の庭にでて、一瞬目がくらむ。
青くて高い夏空が広がっていた。
白とピンクのペチュニアや星形の花が風に揺れている。
王城の裏庭の一角は、静かで全く人気がなかった。
「あれ? ここって」
ここは私が殿下と初めてであった場所だった。
懐かしさと、少しだけ心の痛みを感じながら、ライラックの木陰のベンチに腰を下ろした。
「チ、チチッ」
上空から私を見つけたチーちゃんがふわり通りてきて、私の腕に止まった。
私を見て、不思議そうに、首を傾げる。
「うん、チーちゃん。……もう使わなくてよくなったの。待機してくれてたのに、ごめんね」
心配そうにチチチと鳴くチーちゃんにそう言った。ひらりと飛び上がって、私のまわりを旋回するチーちゃん。でも、すぐに降りてきてまた不思議そうにこてんと首を傾げた。
「大丈夫、私は元気だよ。心配しないで」
チチチ、チーちゃんは鳴き止まない。
「うん。殿下との婚約は無くなったの。私はもう自由なんだって……」
ピピ、ピルル。チーちゃんが応える。
「……嬉しい……よ。嬉しんだけど……。思っちゃうの。もう遅いって。あと一日早かったら、あんな魔術使わなかった……」
殿下に告げられた「自由」の言葉。
聞いた瞬間は、感情がついていかなくて、頭が真っ白になった。そして、パニックが過ぎてみると、嬉しさがこみ上げてきた。けれど……すぐに思いだした。
一日、遅かった。
私は過ちを犯した。私の大切な人の心から私の存在を消し去ってしまった。彼の心にはもう私はいない。
「私が馬鹿なの。誰も悪くないの。そんなの分かってる。でも、でも、何で今日だったの? 昨日じゃ駄目だったの?」
私が奇跡を使えたら。
時間を巻き戻して私を止めたい。
チェルシーが私の胸をの当たりを突く。
鎖を長くして見えないようにドレスの下に忍ばせたのは……アーシュからもらったペンダント。もう、声を聞くこともない大切な思い出の品。
そのペンダントに、私は叶う事のない願いを口にした。
「……会いたいよ……アーシュ」
返答はない。もとより術式を展開させていないから届くはずがない。
だから彼の声が聞こえるはずなんて……。
「僕もだよ」
ふわりと抱きしめられた。
「……アーシュ……?」
「そうだよ」
「本当に?」
「本当に」
「……私を憶えてるの?」
「何が起ころうと君を忘れることなんて出来ないよ、セラ」
「どうしてここにいるの?」
「君を迎えにきた」
「………………これって夢?」
「夢じゃない、現実だよ」
もう言葉にならなかった。
そのままずっと、私はアーシュの腕の中で泣きじゃくっていた。
*****
ライラックの木陰で、私はアーシュと話した。
「君の考えはなんとなくわかってた。だから、師匠に【抗精神魔術】をかけてもらってたんだ。だけど、予想外だったのは、君の魔術の威力が強すぎた事だ。【抗精神魔術】の効力を超えて、君の魔術が僕の精神に干渉してきて焦ったよ。【認識障害】から一時的な【健忘】まで引き起こされたんだ。前もって、対策は立ててあったからなんとかなったけど」
アーシュは、その時の事を思い出したのか、ごく僅かに身震いした。
「ごめんなさい」
「正直、気にしなくていいよ、とは言えない。人の心に干渉する魔術は嫌いだ」
「本当にごめんなさい」
「受け入れるよ。だから、もうあの魔術は封印してほしい」
「うん。もう使わないよ」
私だって、本当は精神干渉系の魔術は好きではない。こんなことになったのだから、もう二度と使うつもりはない。
「それから、エリーに回収してもらって、師匠に【忘却魔術】を解いてもらった。それが昨日の夜。そして真夜中になって、王宮から使者がきた。今日のこの時間にこの場所で待っているようにって」
「殿下が?」
「真夜中に叩き起こされて、ブルムスターの両親には迷惑かけたけど、事情が事情だからしかたがないかな。本来なら早朝にはもう王都をでていたはずだから」
「ああ、そうだった。アーシュは”外”に行くはずだったよね」
「延期にしたよ。殿下からの命令じゃ抗えないし。今は、師匠が僕に代わって関係者に謝罪に言ってる。……ほんと、ますます師匠に頭が上がらなくなったよ……」
「本当にごめんなさい。あの、先生には私からも謝罪とお礼を言うから」
「いいよ、大丈夫だから」
小さくため息を吐くアーシュ。彼はそう言うけれど、私も謝ろう。他にも、先生には色々ご迷惑をおかけしたから。
「それで、君は? どうなったの?」
「誓約は解消されたの。……殿下がね」
私がことのあらましを説明すると、アーシュは目を閉じて考え込んでいた。
「そうか。殿下が」
「うん。私はもう自由なんだって」
「……癪だな……」
アーシュが本当に悔しそうに唇を噛み締めてる。
「アーシュ?」
「……君は殿下に本当に愛されてるね。きっと、君がどうするつもりなのか悟ったんだろう。だから、手を離した。尊敬するよ。僕が同じ立場にあっても同じことはきっと出来ない」
「そうかな……」
「でも、癪だ。誰よりも君を思っているのは僕だ。君を愛するのも僕だけでいい。……僕より強く思ってる奴がいるなんて……嫌だ」
「あのね、アーシュ。私が好きなのはアーシュだけだよ」
「分かってる。だけど、癪だ」
「……もう」
「まあ、それはもういいよ。殿下には後で文句言っておくし。それより、君だ」
「え?」
向き直って私を見るアーシュ……ブルーグリーンの色が怒りと哀しみをたたえて深みを増してる。怖い。
「セラ、君、死のうとしたね」
「……あ、あの」
「状況が悪かったのは分かってる。君が僕や殿下を思ってそれを選んだのも分かる。けど、僕は諦めてほしくなかった。君がいなくなったらと思うと……ぞっとする。耐えられない」
「アーシュ……ごめ」
息が苦しい程、抱きしめられた。
「もう二度と、そんな事は考えるな」
抱きしめる手は、きつくて熱くて、でも震えてる。
かけられた言葉は、言葉は真剣で怖いだ。そこまでの怒りは今まで向けられたことがない。
私はやはり愚か者だ。
もう二度と、彼を悲しませたくない。
「はい」
自戒を込めて頷いた。
抱きしめられたまま、どのぐらい時間が過ぎただろう。
やがて、アーシュは、深く息を吐き出し、そして同時に抱きしめる腕を緩める。
「ねぇ、セラ。これからはずっと一緒にいよう。笑い合って助けあって、時々は喧嘩して……ずっと仲良く過ごそう。そして、神が許してくれるなら、そのうちいつか終焉が来ても……その先もずっと一緒にいよう。セラ、どう?」
そんなの、私の答えなんて決まってる。
ひたすら頷けだけの私をアーシュは笑ってる。
「誓うよ。僕はずっと君の側にいる」
「……私も……誓います」
そうして、私とアーシュは……誓いの口づけを交わした。
お読みいただきましてありがとうございました。
次話で完結です。