第72話
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夏も盛りに入った。
王都の夏は気温はそこそこいくが、湿気がないので過ごしやすい。日も長いので、外出は夕方からになる事も多い。
今日、夕方涼しくなってから、私はアーシュと久しぶりに街にでかけることになっている。
最近のアーシュはすごく忙しい。何でも夏中にギルドランクを上げておきたいんだって。どうして、って尋ねたら、真面目な顔になって”外”に行く用があるから、って言っていた。何をしようとしているのかは知らない。
「それで、今日は? 行きたい所はある?」
「もちろん、夏の夕方って言ったら、夕市!」
夏の夕市は三ノ壁の名物だ。
王都を横切って流れる川の河原で、夏の期間だけ一週間に一度ガラクタ市が開かれる。専門業者も出品しているけれど、一般参加も可能だ。生活用品から高級品まで、新品から破棄寸前の中古品まで、様々な物が売られている、規模の大きなフリーマーケットみたいなものだ。
人出を多くそれを目当てにした飲食店の出店も多い。
夏の王都に来る事があれば絶対に見たかった夕市だけど、今の私には、ちょっと問題がある。
「お嬢様、今”夕市”とおっしゃいましたか?」
「ノリスさん……えっと、ノリス。あの、聞き間違いだと思います」
執事補さんの蟀谷がピクピク動いてる。
”夕市”と聞いただけで過剰反応しているこの執事補さんの目をかすめないと出かけられない。これが一番の問題だ。
「なるほど、私の聞き違いでございますか。……ブルムスターの御令息様は、どちらへお行きになるおつもりですか」
「今日は二ノ壁の川沿いのレストランに行く予定です」
「嘘ではございませんね」
「予約も入れてありますよ。二ノ壁の門からは出ませんのでご安心下さい」
アーシュがごまかしてくれたので、外出禁止にはならなかった。護衛は十人程つけられたけど。
『セラ、レストランに入ったら【転移】するから。食事が終わる時間までに帰ってこよう』
『うん、わかった』
作戦は成功した。
後は護衛に気づかれる前に戻ればいい。
*****
夕市に着いた。
アーシュと一緒に一つ一つ見て歩く。
高級品の食器の隣に壊れかけた魔道具があったり、どう見ても素人が作ったとは思えない精巧な手作り品の横に平然と贋物が並んでいたりで面白い。
「アーシュ、これ見て」
「気に入ったのあった? ああ、これって」
「やっぱりそうよね。買っていいかな」
「いいんじゃないかな」
私が気になったのは、黒い石が嵌っている錆びたナイフだ。レターナイフだ。ただ、飾り石が多分クズ石じゃないしっかりとした魔石。今は古ぼけて見る影もないけど、もとはいいものだった……はずだ、きっと。お値段もこのクラスの魔石にしては手頃で質も上々だ。
「だけど、ナイフなんてどうするの?」
「石を外して加工して使うの」
「黒い石を? 飾りには向かないよ」
黒じゃないよ、と言う言葉を飲み込んだ。この石、一見黒に見えるけれど本当は深い藍青色なんだ。
しょうがないな、とアーシュは笑って別に小さい何かと一緒に買い上げた。
「アーシュは何を買ったの?」
「これだよ」
それは、綺麗なピンクのガラス細工の桜草だった。
「これって」
「そう、セラの花」
うう。なんて台詞を……。
きっと今、私真っ赤になってる自覚がある。
「君が僕の髪色の石を買ったからお返し」
「……知ってたの」
「もちろんだよ」
駄目だ、もう限界。甘さで死ぬかも……。
俯いたらアーシュの顔は見えなくなったけど、逆にまわりの声が耳に入ってくる。
「やるなー兄ちゃん」「独り者には目の毒だぞー」「二人の世界は向こうでやってくれよぅ」
ますます恥ずかしくて手で顔を覆う。と、アーシュが耳元で「向こうに行く?」と聞いたので、頭だけぶんぶんと振った。
「じゃあ、いこうか」とアーシュはごく自然に手を差し出す。
こんなに自然に触れられるなんて、久しぶりですごく嬉しい。
川岸で、飲み物と焼き菓子を買って、並んで食べた。
「魔女の店」と看板のある所で、幸せのお守りを買う。持ってるといい事があるらしい。だけど、アーシュが、「【探知】したけど、何もかかってないただの石だよ」って。もう、知らない。
最近、気がついたんだ。
アーシュ、私の事好きって言ってくれなくなった。
仕方がないとは思ってる。けど、寂しいな……。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「魔女の店」で幸運のお守りを手にしたセラは本当に嬉しそうに笑う。
それでなくても、今日のセラはすごく可愛くてたまらないのに。
ただ並んで歩くだけで幸せだ。
すっとこのままでいたい。離したくない。
――まだ時間がある。もう少しだけ、このままでいさせてくれ。
「アーシュ」とセラが呼ぶ。
だから、甘く微笑む。幸せそうに。
彼女を悲しませないために。
「セラ。今行くから、ちょっと待ってて」
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
川の向こう側が夕暮れの色から夜の色のグラデーションになってる。
もうすぐ、夜が来る。
川辺にいた人たちもどんどん少なくなった。
「もう、帰らないといけないね」
「うん……」
もう時間だ。戻らないと……だから、言わなくちゃ。
「あのね、アーシュ」
「うん」
「明日なんだけど……」
「……言わなくていいよ。知ってるから」
ああ、アーシュはやっぱり知っていた。
明日、私はリュスラン殿下と再び「婚姻の誓約」を結ばなければならない。
子供時に交わした「婚姻の誓約」、それ自体は有効な物なのだけど、儀式としては不十分であり、そのために予想よりも重い”制約”を科せられてしまった。しかも日を経るにつれてどんどん重くなって来ており、今では、うっかりすると命に関わるまでになってる。このままでは、リュスラン殿下の王族としての公務にも多大な影響が出てしまう。
それを解消するために、三日前王命が下った。正式な「婚姻の誓約」を結び直すようにと。
正式な婚姻の誓約が結ばれれば、成人であるかないかに関わらず、婚約者として認められる。認められてしまう。
だから、アーシュと恋人でいられるのは、今日が最後。
私は我侭だ。最後までアーシュには知られたくないと足掻いていた。
今日が終わらなければいい。ずっとそう願っていた。
「アーシュ……ごめんなさい」
「謝らないで、セラ。僕はまだ諦めてない」
はっと顔を上げる。彼は今確かに「諦めない」って言った。
「だけど……僕も言わなければならない事がある。明日の朝、僕は”外”に行く」
「え?」
聞いてない。そんなの聞いてない。
「何で?」
取り乱す私の髪を、落ち着かせるようにアーシュは優しくなでた。
「どうしても、行かなくちゃ行けないんだ。すぐに、とは言えないけれど必ず戻ってくる」
「アーシュ……」
「待っててとは言えないね……。だけど僕は諦めない。いつか必ず、君の側に戻る」
そうだよ。アーシュは私が思ってるよりずっと強い。絶望のその先にすら行こうするなんて。
そんな彼に憧れる。
だけど。
「アーシュ……。ごめんね」
「セラ、……何があっても君が好きだよ」
「ごめん、ごめんね」
私も好きだ。誰よりも。今までも、これからも。
私は心の中で、術式を紡いだ。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「アーシュ……ごめんなさい」
セラがついにその言葉を口にした。
覚悟していた事なのに、心を深く抉られる。
明日、「婚姻の誓約」が行われるのは知っていた。
最初聞いた時に感じたのは、自分に対する怒り。まだ、時間はあると思い込んでいた自分の甘さに対する怒りだ。まだ早い、何も掴んでない。憤りの果てはなかった。
それでも、前を向く。怒りも悲しみも、ねじ伏せる。
諦めるものか。
師匠に嘆願して”外”行きを早める事にした。
もはや一刻も無駄に出来ないから。
”外”の遺跡に行って古書や文献を調べる。終了するまでどのぐらい時間が掛かるかわからないが、やるしかない。
それを今日言わねば、と思っていた。一時的な「さよなら」を告げなければと。
思った通り、それを伝えたセラは、真っ青になった。思わず抱きしめて……セラが震えているのを感じて、後悔しながら安堵していた。
まだ、セラの心は僕にある。まだ好きでいてくれる。
「諦めない」
口に出して誓う。
「セラ、……何があっても君が好きだよ」
その瞬間だった。
「ごめん、ごめんね」
セラの泣き声混じりの謝罪の声。
彼女のまわりの魔力が動く。精神を絡めとるような不快な魔力。
これは……恐らく精神干渉系の術式。
「やめろ」
目の前のセラの姿が融けるように消えていく。
感じたのは恐怖だ。
「やめてくれ」
僕からセラを消さないでくれ。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
大好きだったアーシュの瞳。
いつも私に向けてまっすぐに向けられていたその瞳が、私から外れていく。
「やめろ」
彷徨う手はもう私には届かない。
「やめてくれ」
「ごめんね……」
アーシュを置いて、私は歩きだした。
彼の目はもう私を捕らえることはない。
【忘却】の魔術。
たった今、アーシュの心から私の存在が消えた。
「【忘却】を教えて下さい」
そう言った時、マーク先生は何ともいえない苦い顔をしていた。きっと私がしようとすることを予測していたと思う。けれど、何も言わないで教えてくださった。
”誓約”関連を調べていて感じた事。
それは、この誓いに抜け道は存在しない、ということだ。”誓い”から解放されるのは、どちらかが死を迎えたその時だけ。
絶望しかなかった。
それから、ずっと考えていた。
理性ではわかっていた。
私がアーシュの側にいたいと願うのはただの我侭だ。
アデル様が仰ったように、貴族は政略での愛の無い結婚が当たり前だから。私は、恋を諦めるべきだ。
だけど、一方で私は誰からも妃としては望まれていない。むしろ、今の私では殿下の足を引っ張る事になる。
殿下はきっと私を守って下さるだろう。それなのに、私は。
殿下は優しい。私との距離を少しづつ少しづつ詰めてきて、 今では昔のように、いやそれ以上に大切な人になっている。だけど……だけど、どうしても、アーシュ以上には思えない。
殿下を思えない事が苦しい。
アーシュを裏切る事が苦しい。
何度も諦めようとして、諦めきれなかった。
何とか希望を見出そうとして、逆に絶望した。
悩んで悩んで……。ある日、ぽんとはじけ飛んだ。
私は、明日殿下と「誓約」を交わす。
その直後に、月光鳥の固有魔術【広域治癒】をアレンジした【広域忘却】を展開する。
私の魔力なら、ぎりぎり王都全域に届くだろう。
その術式が完成しすれば、父様からも兄様、殿下や学院の友達、フロワサール家とアズリ家の皆から、セラフィカ・アズリの存在は消える。
私の存在が消えれば、その後何が起こって誰も悲しまない嘆かない。母様をなくした父様みたいに泣く人はいない。
「ねぇ、チーちゃん」
いつの間にか付いて来ていたチェルシーが、私を慰めるように肩に止まっている。
「泣きたいんだ……なのに、涙が出ないよ。何故だろう」
本当は、アーシュにも、明日皆と一緒に【忘却術】をかけるつもりだった。
でも、アーシュは明日の朝、”外”に行くって言うから。
どうしても彼の嘆きだけは見たくないから。
会えるのは今日が最後だと覚悟はしてた。でも、明日の朝までは彼の恋人でいられるって思ってた。一分でも一秒でも彼の心に存在したかった。
「終わっちゃったよ。チーちゃん」
もう何も感じない。
悲しいはずなのに、なんにも。
壊れたのかな? だったらその方がいいね。何も感じないまま、明日が終わればいい。
「アーシュ、大好きだよ」
一番言いたかった言葉はもう彼には届かない。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回は本日(7/1) 午後12時の予定です。




