第47話
――普通って何? どうすれば良いの?
そう自分に問いかけたのは、もう何回目だろう。
朝、アーシュが迎えに来てくれて、二人で並んで学舎に向っているのだけのなんてことのない事なのに。アーシュが隣にいるだけで、どうしても緊張する……。どうしよう。
「セラ、今日の放課後だけどね」
「ごめんなさい、今日は課題の仕上げで図書塔に行くから、放課後は会えないです」
「そう? じゃあ時間を見計らって迎えに行くよ」
「何時に終わるかわからないから……無理に待ってなくても」
「適当に時間潰すから平気だよ。それに、僕が待っていたいだけだから。……駄目?」
「え? そ、その」
分かったから、顔覗きこまないで。悲しそうな表情見せないで。……いいって言った途端に微笑まないで。
本当に今までどうして、やって来られたんだろう……。自分の事なのによくわからないよ……。
教室に入ると、すでにマリアーネ様が来ていた。
「おはようございます。マリアーネ様」
「……ああ、セラフィカさん……。ごきげんよう」
最近、マリアーネ様の様子が変だ。
いつものように振る舞ってはいるけれど、周りに人がいなくなるとぼんやりと何か考え込んでいる。多分殿下の成人の儀が終わって、マリアーネ様が学院に復帰なさった頃からだと思う。
殿下に何かあったかとも思ったけれど、噂ではつつがなく終わったと聞いているし、カミーユ様は翌日に帰って来られているから、そんなことはないのだろう。
だったら、どうしてマリアーネ様は何か悩んでおられるのかな……。
「セラフィカさんは最近いかがですの? 良く眠れてまして?」
聞かれたくなかったのかな、マリアーネ様は話をそらした。
「あ、はい……。最近は魘されなくなりましたし、マリアーネ様の言う通り治療士の先生からもご助言いただいてますし」
「そう、それなら良かったですわ。それに、どうやら仲直りなさったみたいですし」
「……それはその…………」
くすりと笑われて一気に熱が上がった。でも、マリアーネ様には全て知られてるし、今更ごまかせない。
「まあ、わたくしでもお役に立てたのかしら?……このまま全て上手くいくと良いですわね……」
その時のマリアーネ様はひどく寂しそうで……気にかかった。
「あの、マリアーネ様? 何かあ」
「授業が始まりますわよ。席にお戻りなさいませ」
ちょうどフェルプス先生がお見えになったので、マリアーネ様との会話はそこで終わってしまった。本当はもっと聞き出したかったのに……。
*****
放課後になり、私は予定通り図書塔に向かった。
この王立学院の「図書塔」は、この国で有数の規模を誇っている。自国は元より諸外国の書籍図版類を幅広く収集しており、特に魔道書関係に関しては魔導塔の研究者も足繁く通ってくるほど豊富だ。
建物は古い塔を改築したもので全五階建て。
一階はが全学部生に解放されている一般向けの書架がある。
二階と三階が魔術学部生に向けの魔道書があり、四階はさらに貴重な魔道書が収められている。
五階は禁書の書架で立ち入りは禁止されている。
三階で目的の本を探し出して閲覧スペースに持っていた。図書塔の中央は丸く吹き抜けになっていて、エルランスペースはその吹き抜け沿いにあり、下を見下ろす事ができる。一階には、魔術学部だけではなく総合学部や騎士学部の生徒の姿もちらほらと見える。
テーブルに魔道書を何冊か広げて見ていると、声をかけられた。
「アズリさん、ご一緒してよろしいかしら?」
振り返って見上げると、ユリカ嬢がいた。彼女が声を掛けてくるのは珍しい。不思議に思ったけれど、別に彼女を避ける理由がない。私が承知すると、ユリカ嬢は私の前に座った。
「一度聞きたかったんだけど……あなた、フィリス様のどうやって取り行ったの?」
「……取り入る?」
「私だって怒らないから、怒らないで聞いて、ね。凄く不思議だったの。ホントはね、フィリス様は人嫌いのはずなのよね。なのに、あなた凄く懐かれてるし? おかしいと思わない? なんかしたんじゃないの?」
「……私は何もしてません」
「そっかぁ、しらを切るつもりなんだ? 良いけど、もう。どうせこの”ゲーム”は私の負けだしね」
「……ゲームなんて言わないで」
私には、もうとうの昔にこの世界が作られた世界とは思えなくなってる。私はこの世界に転生したんじゃなくて、ただ前世の記憶をたまたま持っているだけ何じゃないかと。
だから、簡単にゲームだとか負けとか言われて思わず反発したのだけど、そんな私の様子を見てユリカ嬢はしたり笑いを浮かべた。
「ほら、やっぱりね。やっぱりあなた”転生者”だったんだ」
驚いて立ち上がり掛けてそのまま固まる。なぜなら、ユリカ嬢に腕を掴まれてしまったから。
ユリカ嬢も立ち上がって私と目線を合わせてきた。彼女はもう笑ってない。
「やっぱりあなたが”バグ”だったのね。だから、全然上手くいかなかったのね」
言うべき言葉を失った。ユリカ嬢も何も言わない。
「あなたって……」
ユリカ嬢がそう言いかけた時、背後で鋭く強い魔力が発せられたのを感じた。
咄嗟にその方向を向く。誰もいない。でも、底知れないほどの悪意はまだ感じられる。
と思う間に、風の塊が襲いかかってきて、私とユリカ嬢を吹き飛ばした。
「きゃ、あああ」
ユリカ嬢が悲鳴をあげて、私にしがみついてくる。
私達の後ろは吹き抜け、何もない。三階から一階までの十メートルほどをもんどり打って一気に落下していく。
「……【風盾】!」
慌てて、衝撃を和らげるために、【風盾】の術式を展開した。
確か、吹き抜けに落下防止の魔法陣もあるはず。これなら、何とか大怪我はしなクて済むかも。
そのまま、真下にあったラウンジのテーブルの上に肩から叩きつけられた。二人分の重量と落下の加速を受けてテーブルの足が折れて砕けた。
確かに落下の衝撃は減った。【風盾】が柔らかい緩衝材の役目を果たしてくれたから。でも、高さと二人分の落下の加重に加えて、ユリカ嬢の下側になっていた体勢が災いした。右肩が強く打ち付けられ、少し動かしただけでかなり痛い。
痛みを堪えて、近くに落ちたはずのユリカ嬢を探す。
「大丈夫ですか、ユリカ様?」
声をかけたけど答えはない。見ると白目をむいて気絶していた。側に寄ろうとして動いたら、右肩に激痛が走った。
「痛っ」
「あら、あなた」
場違いののんびりと下声が頭上から降ってくる。
皆、遠巻きに逃げ出したはずなのに人がいるの? この声は……もしかして?
「セラフィカ・アズリさんでしたわね」
思った通り、あのナルヴィのご令嬢だ。後ろに屈強そうな従者達を従えてる。そして、その従者が、救助に近寄ってこようとした人達を追い払ってるように見えるけど、何故?
「ええ、わたくしの知り合いですの。ですから心配いりませんわ。ええ、大丈夫です。わたくし達で運びますので……」
彼女が説明してるけど、何を言ってるの?
「さて、セラフィカさん。可哀想に、今直ぐ運んで差し上げますからね。大丈夫ですわよ。わたくし、これでも良い女主人ですもの」
女主人って何ですか? それに、運んで貰わなくても大丈夫です。
そう言いたかったけれど、その前に、彼女の従者が立ち上がらせようと右肩を掴んだので、言えなかった。
「痛い!」
「まあ、大変ですわ。でも、少しは我慢なさいませ。これも修行ですわ。我慢は美徳ですわよ」
ナルヴィのご令嬢は笑顔を浮かべて無邪気に窘める。慈愛たっぷりの優しい顔なんだけど、信じ切れない。確かに我慢は美徳だ。けど、痛いものは痛い。
更に、従者は強引に肩を掴んで釣り挙げようとして、私は激痛を覚悟した。
でも、痛みは来なかった。
なぜなら、見たこともないくらいの怒りの表情を浮かべたアーシュが、私と従者の間に割り込んで来たからだ。
「怪我人に何をするんだ」
ナルヴィのご令嬢が不思議そうに目を瞬かせる。
「ですから、助けて差し上げようと。大切な我が家の使用人になる方ですし? そんなに怖いお顔をなさってますけれど、何か気に障ることでもおありですの?」
「使用人? 誰が?」
「そこにいらっしゃるセラフィカ・アズリさんですわ」
「セラが、貴女の使用人だと?」
「ええ。だって、その方、わたくしの旦那様になる方の愛人になられるお方ですの。愛人って、いわば特化した使用人だとわたくし教えられてますの。何に特化しているのかは存じませんけれど? けれど、使用人は使用人でしょう? 違いまして」
多いに違うが、今回の問題はそこではないと思う。
「誰が誰の愛人だとおっしゃるか?」
「はい。そこのセラフィカさんが、わたくしの婚約者フィリス・レドヴィック様の、です」
「は?」
ついにアーシュが怒りを通り越して呆れて無表情になった。
「……フィリス・レドヴィックの?」
「ええ、この王立学院に第三学年に在籍していると伺ってます。貴方も魔術学部の生徒のようですけれど、彼をご存知ですかしら」
「……まあ、それは知っているというか」
「そうですの。それでしたら、旦那様のご友人ということですかしら? わたくし、仲良くしていただけると嬉しいですわ」
「友人って……僕はアーシュリート・ブルムスターと申しますが?」
「わたくし、ミレニアーナ・ケイト・ナルヴィと申しますの。これからよろしくお願いいたしますわね」
「ちなみに、婚約者とはあったことがおありですか?」
「いいえ、残念ながら肖像画もございませんの。ですけれど、お噂は伺ってますわ。淡い茶色の髪に翠の瞳をしたお綺麗な方らしいのです」
「……そうですか」
「ええ、お会いするのが楽しみですのよ。……ところで、そろそろ、我が家の使用人の運びたいのですけれど?」
「いえ、セラは僕が運びますので結構です。ナルヴィのご令嬢、ここは僕達に任せてお帰り下さい」
「あら、そうですの? ではお任せいたしますわね。何か粗相をしましたら遠慮無く仰ってくださいませ。では、ご機嫌よろしゅう」
ナルヴィのご令嬢は、とても優雅に礼をしてドレスを捌いて帰った。
あまりな突飛さに痛みも忘れて彼女の後ろ姿を見送っていたけれど……アーシュに抱え込まれて我に返った。
「痛みは? 我慢できる?」
「うん、大丈夫。あ、ユリカ様は?」
「ああ、エリーがいるから運んでもらうよ。まずは君。静かに運ぶつもりだけど、痛かったら言って」
*****
治療所で、診察を受けたら右の鎖骨が折れていた。そのままでも時間を掛ければ治るけれど、アーシュが治癒術を使えるので、彼に治してもらう。
治癒術の術式を展開しながら、彼は何か考え込んでいた。
「どうしたの?」
「いや、セラを使用人扱いしたあのご令嬢……あの子だよね、『フィリス』の婚約者とか名乗った子って」
「そう……。ちょっと変わった人だったね」
ため息がでる。
私を愛人扱いしたことにではなくて(本当は良くない。私は愛人ではないしなるつもりもない)愛人を使用人と認定して更には使用人なら多少乱暴に扱ってもいいと思っている事に対してだ。
しかも、”アーシュ”を”フィリス”の友人と勘違いって……? 婚約者の顔も知らないのって……ありなの?
「なんていうか……究極の箱入りご令嬢って感じがした……」
「何だかね……自分にも関わってるのにね、笑うしかないって言うか……」
だよね、私もそう思う。
でもね、アーシュ。実はちょっと安心したの。アーシュがナルヴィのご令嬢に関心がなくて、ナルヴィのご令嬢もアーシュを知らなくて……良かったなって。
そんな気持ちが顔に出てたのか、私の顔をアーシュはじっと見つめていて、やがて安心したように笑った。
「良かった。やっといつものセラに戻った」
「え?」
「ここの所、何だか避けられてるみたいだったから、ちょっと不安だった」
「あ、ああ、あの……」
「うん? セラ、真っ赤だ」
怪我をした肩に置かれた手を妙に意識がいってしまう。ただの治癒術なのに……とても困る。
「ゆっくりでいいよ。ずっと待ってるから……。だけど、忘れないでね」
王子様スマイルでそんな優しいこと言わないで欲しい……な。
「……ところで、お二人さん、俺はここにいてもいいのかな? 気を使った方がいいか?」
「え、エリー兄! どうしてここに」
「最初からいるが」
「声をかけてくれれば良かったんだけど……」
「悪かったな」
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
セラを女子寮に送り、エリーと二人になって、アーシュリートは口を開いた。
「エリーは見てた? ナルヴィのご令嬢を」
「ああ」
「どう思った?」
「世間知らず。無垢ってより……いや、これ以上はやめておこう。アナ女史に叱られる」
「やっぱりそう思うか……。ただ、ちょっと気になってる」
アーシュリートが「フィリス」と同一人物と知らなかったのは、多分肖像画も見ていないのだろうと想像はつく。本人を知らずとも婚約者としての主張をするのもわかる。
では、なぜ、彼女はセラの存在を知っていたのだろう。そして、なぜ、誰も知らなかったセラの帰寮に合わせて会いに来た?
「誰かがセラの情報を掴んでいる。そして、故意に制限した情報をナルヴィに与えた……か」
「その”誰か”が重要だよ。考えられるのは……」
「レドヴィック家の誰か。伯爵本人か……ライル・ストラトス・レドヴィック」
「……だね」
ライル・ストラトス・レドヴィック、アーシュリートの異母兄で優秀な闇使いの魔術師であり、切れ者でも通っている。
「レドヴィック伯爵の動きも怪しいし、纏めて調べてみるか……」
「助かるよ、エリー」
「任せておけ……それとな。言いにくいんだが……。お前、セラが落ちた時に魔力を感じなかったか?」
「……少しだけだけどね。すぐに隠したみたいだったけど」
「その魔力の”色”だけどな……俺は見たことがある」
「……誰のもの?」
「――――」
「まさか……」
エリーが告げた名を聞いて、アーシュリートは一瞬呆然とした
「信じられないか? 気が合うな、俺もだよ」
「……エリーを信じないわけじゃないけど、でも何故?」
「分かるか。ただ、……セラの身辺に警戒はしておいた方がいいだろうな」
「そうだね。そうなると学院内は僕とエリーで手分けするとして……寮内はどうする?」
「女子寮は男子禁制だからな……」
「……気は進まないけど……クロを送り込むか……」
「……黒玉か。頼りになるのかは疑問だが、仕方がないな」
次の日、真っ黒な毛玉の謎な生物がセラフィカ・アズリの部屋に送り込まれた。
お読みいただきましてありがとうございました。
ナルヴィのご令嬢ですが、とても変わった育てられ方をして、変わった考え方をしています。(←言い訳です 笑)
次回4月5日午前0時を予定しております。よろしくお願いします。




