第45話
「ごきげんよう、セラフィカさん。………………どうされましたの?」
教室に入った私を真っ先に迎えてくれたのマリアーネ様だった。最初は本当に笑顔で迎えてくれたのに、途中から訝しげに眉を潜めた。
「おはようございます。マリアーネ様。大丈夫です。ちょっと立ち眩みがしてるだけなので。直ぐに良くなります」
精一杯笑顔を造ったけれど、感のいいマリアーネ様をどこまでごまかせるだろう。
「そうですの。あまり無理はなさらないでね」
マリアーネ様はそれ以上突っ込まないでくれたから助かった。
久しぶりに授業を受けた。
私が休んでいる間に授業は随分と進んでいて、ちょっと戸惑った。遅れている部分は後から課題が出るそうだ。授業の進みが早いので、課題もたっぷりになるだろうな……。それが凄く怖い。
そして、ずっと私達の事件がどう伝わってるのか心配だったけれど、杞憂だったみたいだ。少なくともクラスメートからは何も言われない。私は身体を壊して長く療養していたことになっているらしい。いや、実際療養してたのは事実だし、嘘ではないかな。
一番びっくりした変化は、ユリカ嬢だった。
何故か一人ぼっちで授業を受けている。いつも何人もの取り巻きに囲まれたたのにどうしたんだろう。
気になって友達に聞いてみたけど、誰も首を振るばかりだ。
ただ、ある男子生徒が言ってた事が気になった。彼が言うには「前は、彼女をみる度にどきどきしたんだけど、ある日、全然何も感じなくなった」って。どういう事だろう。
そうやって、普段通り笑顔を浮かべて授業をこなしていった。
だけど……内心は必死だった。気を抜くと泣き出してしましそうで。
私の精神力がそろそろ限界を訴え始めた時、マリアーネ様がそっと私の肩ん手をかけた。
「参りますわよ、セラフィカさん」
「あ、あの?」
「何も仰らないでおいでなさい」
そのままどんどん歩き出す。教室を出て学舎を突っ切り、人目につかない冬薔薇の茂みに連れて来られた。そして、設置されていた長椅子に並んで座った。
「あの、マリアーネ様……?」
「もう身体は良くなったのでしょう? だから出席したのですわね」
「……はい」
「では、何故、そんな蒼い顔をしてますの? どうしてずっと泣きそうになるのを耐えていますの?」
「……マリアーネ様……」
「わたくしでは頼りにならないかもしれませんが、お話ししてご覧なさい。すっきりしますわよ」
「だけど……」
「ここで聞いたことは貴女が良いと言わないかぎり、王族の方々の命でも漏らさないと誓いますわ」
「ま、マリアーネ様……う、うぅ……」
限界だった。私は堰をきったように泣き出してしまった。マリアーネ様は私の背中を子供をあやすように優しく叩いてくれて。
「思いっきり泣かれるとよろしいわ。そして全部吐き出してしまいなさい。わたくしでできる事でしたら力になりますから」
それから……。
少しづつ今まで思っていた事をマリアーネ様に話した。
洞窟で危険な目に会って、皆を、アーシュを失いかけて、今でもその時の事を夢に見て魘される事があるのだと言うこと。
アーシュを失いたくなくて、守って欲しくないとわがままを言ってしまった事。そう言ったら、逆に好きだと告白された事。
アーシュをどう思っているのか、自分の心がわからなくてずっと悩んでいる事。
最後に……今朝、アーシュの婚約者と名乗る人と会った事。彼女に会った事で自分が貴族ではないのを実感させられた事。貴族ではないことで彼に迷惑しか齎さないのがつらい事。
「……色々ありましたのね。混乱するのも当たり前ですわ」
マリアーネ様は話している間中ずっと手を握ってくれていた。その手がとても暖かくて、嬉しかった。
私が落ち着いた頃を見計らって、マリアーネ様は口を開く。
「問題を一つづつ整理しましょうね。
まずは……あの事件の事はすっぱり忘れることですわ。面倒くさい事は全部殿方に任せてしまいなさい。貴方は被害者なのですからね。ええ、簡単に忘れられはしないでしょうね。でも、少しづつでいいから忘れましょう」
「……はい」
「それとですけれど、精神関係の治療士をご紹介しますので、そちらで相談を受けると良いですわ。素人の私見ですけれど、貴女は精神的な障害を負っているのかもしれませんし」
「……そうなんですか」
「ええ、一度気休めにでもかかってみると良いですわ。気楽にね」
「はい」
「それと、間の二つはちょっと置いて次に行きましょうか。その、アーシュリートの婚約者という方は、わたくしは初耳なのですけれど? なんと名乗られたのですか?」
彼女を思い出した途端に心臓を掴まれたような気がして苦しくなった。
「レドヴィック家のご次男フィリス様の婚約者でミレニアーナ・ケイト・ナルヴィ様と名乗られました」
「ミレニアーナ・ケイト嬢? ああ、ナルヴィ家の次女の方ですわね。あの方が……そうですか」
マリアーネ様が首を捻っている。何か問題でもあるのだろうか。
「セラフィカさん。この件に付いてわたくしが言えるのは、今の時点でアーシュリートに婚約者はおりません、ということですわ。その根拠ですけれど、上級貴族の婚姻には王の許諾が必要なはご存知でしょう?。ということは殿下のお耳には必ず入ります。その殿下が側近の方の婚約という大事をご存じないはずがござません。わたくしは殿下よりそんなお話は一切聞いておりません。ですから、レドヴィックとナルヴィの婚約はまだないと言って良いと思いますわ。恐らく、そのご令嬢の独断でしょうね」
え、と目を瞬かせた。あんなに自信たっぷりに宣戦布告(今にして思えばあれは宣戦布告だった。なんて私鈍いんだろう)してきて、まだだったなんて……。
「安心しました? 本当にセラフィカさんは気持ちがお顔に出やすい方ですわね」
マリアーネ様には笑われてしまった。笑いながら、何故かマリアーネ様は鋭く冬薔薇の茂みを睨みつけた。気になって振り向いたけど、そこには何もなかった。
「何でもありませんわ。それで、二番目と三番目ですけど……貴女はすでに分かってらっしゃると思いますけど」
そう言われて、すとんと何かが落ちていった。
そうだ。
どうして気づかなかったのだろう。なんで、アーシュに婚約者がいて落ち込んだのか、なんで自分の身分が釣り合わないと悩んでるのか……。考えなくても明白じゃないか。
私はアーシュが好き……なんだ。
家族じゃない。
だって……もっともっと彼に近づきたくて、なのに、彼には誰にも近づいて欲しくなくて。
ずっと見つめていて欲しくて、でも他の人は見て欲しくなくて。
そんな浅ましくて狂おしい想いを持っていて”家族”なんてあり得ない。
そう思い知ったら、鼓動がどんどん早くなって、さらに頬に火が灯ったかのように熱が上がった。
「で、でも……私、……へ、平民だし、貴族と平民だと……」
「貴女はもう平民ではないと前にわたくしご説明しませんでしたかしら? それに魔術学院を出るほどの高魔力の女性なら、結婚相手に欲しいという貴族男性はたくさんおりますわ。王族でもなければ、全然問題ありませんし、第一そのくらい障害はアーシュリートも覚悟しているはずですわ」
「……あ、う、うそ」
「本当に初々しいですわね……でも凄く可愛らしいわ」
マリアーネ様はくすくすと笑った。
「これで貴女の憂いはほとんど解決したと思いますけれど? セラフィカさん、これからどうなさいますの」
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すっかり放心して自分の世界に入ってしまったセラフィカを置いて、マリアーネは冬薔薇の茂みの向こう側に足を向けた。
そこには案の定、マリアーネが想定していた人物がセラフィカと同じように放心して座り込んでいた。
「盗み聞きは失礼ですわよ、ベルノ?」
そこにいたのはヒュイスだった。
「あいつ……」
「ベルノ? しっかりなさいませ」
「あいつ……アーシュリートが好き、なのか?」
「……ええ、はっきり聞いたわけではありませんけれど、あの様子ではそうなのでしょうね」
ぽろりとヒュイスの頬を涙が伝わっていく。末っ子らしくヒュイスの感情表現は大らかで素直だ。
ヒュイスはたった今、自分の恋心に気がついた。
そして、気がついたと思ったら一瞬にして砕け散った。
ヒュイスの有様を見てマリアーネはため息を吐く。恋なんて自分のものですらままならないのに、なんで他人の恋の相談ばかり受けているのだろうか。
「……あいつ、笑うと可愛かったんだよ。蛙に向けている眼差しが親蛙が子蛙が見てるみたいに優しくてさ……」
失恋した直後なのにヒュイスはヒュイスだ。どこかずれている。
親蛙の眼差しって何? それに、蛙に例えられて喜ぶ女の子がいると思っているのだろうか。
「なのに、あんなにかっこいいカマキリみて悲鳴上げて逃げ出して……ギャップって言うの? わけわかんねーけどそれが可愛くて……」
それはギャップじゃない。ごく当たり前の事だ。カマキリを見て平気でいる女子のほうが少ない。女の子に虫は大敵だと何度も教えたはずなのに。
「ベルノ、気持ちはわかりますが……ちょっとズレてますわ」
「くっそ、目から汗がどんどん出てやがる!! とまんねーー」
それは涙ですわ! と言いかけてぐっと我慢した。
いやいや、流石にわざと”汗”と言っているのだろうし……ですけどヒュイスだし、真面目に間違えてるのかも……。
「呪ってやる。一生、幸せでボケちまえ!!」
それって、呪っていません、むしろ祝福してますわ……。
ヒュイスはまだぐすぐす泣いている。
このままでは埒が明かない。こうなったら、無理矢理立ち直らせよう。
「しっかりしなさい、ヒュイス。貴方は騎士でしょう。ぐだぐだ言ってる場合ではありませんわ」
「……ぐぐ……分かってるよ……わかってるけどさ」
「貴方にお願いが有りますの」
「へ?」
友人のためにも、彼には動いて貰わないといけない。なぜなら、時間的にマリアーネは動けないから。
「先程の話、どこまで聞いてましたの?」
「あ? ああ、前半分は。後半は……良くき、きこ、……」
「ああ、前半分だけで結構ですの。また動揺しないで下さいませ」
再び泣きそうになったヒュイスを何とか話ができる状態まで戻す。
「アーシュリートがナルヴィのご令嬢と婚約したというのは聞きました?」
「ああ。聞いた。それがどうした? 婚約してないんだろ?」
「現時点ではない、と申し上げただけです。恐らく、水面下では動いてますわ。けれど、アーシュリートはまだ知らないのでしょう」
「そうだな、知ってたらすぐに手を打ってるだろう。あいつの事だから」
「ナルヴィのご令嬢の暴走があって返って良かったですわ。外堀が埋められてからでは面倒ですもの。ヒュイス、アーシュリートに警告しておいてくださいませ」
「は? 俺? なんで? 俺、たった今失恋したばっかりなんだけど? いくらなんでも可哀想じゃね?」
「時間がありませんの。わたくし、この後、登城しなければならないのですわ」
「あーそうか。殿下のお相手しないとな」
リュスランの成人の儀は明後日に迫っており、その際、彼女はお披露目の舞踏会でパートナーを務めることになっている。その打ち合わせ等でこれから数日学院を休まざるをえない。
「今は殿下もカミーユもおりません。でしたら学院内は貴方の担当ですわ。だから、アーシュリートに警告と忠告を。お願いしますわね」
「……分かったよ。やってやるよ……ちくしょー。なんで俺が、恋敵だった幸せいっぱいのあいつの後押ししなくちゃならないんだよ……」
愚痴りながらも、ヒュイスはしっかりやってくれる。マリアーネは長年の付き合いで彼の性格を熟知していた。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その日、私はどうやって寮に戻ったか覚えていない。
寮に帰ったら、サジェがすごく心配してベッドに入れられたのは覚えている。その日は悪夢はみなかったけれど、ずっとアーシュの言葉が頭の中を巡っていて眠れなかった。
そして次の朝。
私は、寮の外で待ってるアーシュを見つけた。
「セラ、おはよう」
彼の声を聞いた瞬間、身体から火が吹き出たかと思った。
脳が情報を処理しきれなくて……。
「ちょ、ちょっと。待って! セラ」
一目散に逃げた。
でもすぐに追いつかれた。手を掴まれて抱き込まれる。
――は、恥ずかしい。今までは普通にでいられたのに……。
「逃げないで、セラ。違うから」
――あれ? もしかして気づかれていない?
「ナルヴィのご令嬢とは何の面識もないし、こ、婚約なんてしてないから! 昨日の夜にブルムスターの養父には連絡入れて絶対受けないでと頼んでおいたし。他の女性なんて考えられない」
アーシュ凄く焦ってる。
だから、今の私の状態は気づかれていない。
――よ、良かった……。とりあえず、暫くはごまかせるかも……。
「あの、アーシュ」
「ごめん。僕は嘘ついてないから。信じて?」
「うん、分かったから……離して」
「本当だね」
「うん」
頷いたら嬉しそうに笑った。その笑顔に心臓が跳ねる。
「ありがとう」
「うん……」
それから……今までみたいにアーシュに送られて学院に登校した。
跳ねまわる心臓を気力で抑えて、私は何とか平静を保とうと努力した。顔が見れなくて地面ばかり見ていたけど……。
彼の顔がまともに見れるようになるまで、ちょっとだけ時間を貰おう。じゃないと、恥ずかしくて恥ずかしくて死にたくなるから……。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回の更新は3月29日(火曜日)午前0時を予定しております。よろしくお願いします。




