第18話
試験が終わって校舎を出ると、ちょっと離れた木陰でモスグリーンの制服姿の男子生徒が誰かを待っていた。こっそり待ってるつもりだろうけど、女生徒の注目を集めている時点でもう目立ってる。
「……アーシュ」
いろんな意味でため息を吐きたくなる。
アーシュは最初に会った時は私と同じぐらいだったのに今では頭ひとつ分以上は高い。エリー兄とかと比べるとちょっと細身だけど、子供の時のような華奢な印象はなくなった。現在は十六歳で、魔術学院の第三学年に在籍している。元から天使みたいに整った容姿だったけど、最近はそれに加えて理知的で紳士な上級生で評判らしい。
アーシュが私の姿を見つけてにこりと笑うと、どこからか小さな歓声が上がるのが聞こえた。
――相変わらず、王子様だなぁ、アーシュは……。
「セラ、送ってくよ」とアーシュは言って、私の荷物をさり気なく手に取る。同時に悲鳴みたいな声が上がる。
紳士な態度がよく似合うけど、恥ずかしくていたたまれないよ……。せめて、誰もいなかったら良かったのに……。
アーシュがフロワサールを去って三年が経つ。その間に彼はびっくりするぐらい成長して、社交的で素敵な大人の男性に近づいている。
そして、この三年でフロワサールのアズリ家も大分変わった。
父様は二年前に配置替えになって王都努めになった。それまでも月に一、二度しか帰ってこなかったけど、ほとんどそれも無くなった。
エリー兄様は学院に入学し念願の冒険者ギルドに名を連ね着々とランクアップし、今は学院と両立させているようだ。
先生方はずっと残ってくれてたけど、私が学院に入学したのを機にアナ先生は辞職され、マーク先生はご領主様に請われてフロワサール公爵家付きの魔術師になったらしい。
ブルムスターの小父様と小母様は、王都のニノ壁内のご自邸に戻られたそうだ。アーシュも休暇はそちらで過ごしていると言ってたかな。
使用人達の一部は王都に来た。キーラは二年前に来ているから、これからは休暇の度に会えると喜んでくれてる。
そんな流れ去った月日を懐かしみながら、アーシュと寮までの道を歩く。
「魔術学院入学おめでとう。どう、感想は?」
「……まだ、分からないかなぁ。人がいっぱいいて目がまわっちゃってるし」
「あー、それすごく分かる。僕も三年前は同じだったよ。でもセラなら直ぐ慣れるよ」
「だと良いんだけど。それに凄い人達がいっぱいいて、ついていけるか心配」
といったら、アーシュは「セラも十分凄いと思うけどね」と笑ってた。
「具体的にどんな人がいたの?」
と聞かれた瞬間、ユリカ嬢の顔が脳裏に過ぎる。だけど、何故か彼女の事をアーシュには言いたくなかった。
「……魔力測定でアーシュの記録を抜いた人がいたの」
「それって、マリー嬢のこと?」
「知ってるの?」
「ああ、知ってる。リュスラン殿下のご学友で何度か会った事がある。いい子だよ、彼女。セラと友達になれると思う」
アーシュはさらりと言ってのけたけど、公爵令嬢とただの庶民が仲良くなれるかな……。それに、何だかもやもやするのは何でだろう……。
そんな事を話しているうちに寮に着き、朝迎えに来ると言ってアーシュは帰っていった。
*****
次の日、クラスが発表された。
私はAクラスでサジェはBクラス。一学年は約百人の三クラスだから、サジェは宣言通りのクラスになったことになる。同じクラスになれなかったのはちょっと残念だ。
ユリカ嬢とマリアーネ嬢も同じAクラス。攻略対象は全員二学年上のAクラスに在籍してるし、縦割りの授業とかもあるので、これからいろいろイベントが起こるんだろうな、と思うとちょっと気が重い。あまり巻き込まれないように大人しくしていないと。
朝、教室に入った途端に数人の男子生徒に取り囲まれた。彼等の間から現れたのはユリカ嬢だった。茶色のふわふわし髪を可愛らしく纏めている。にこにこと微笑む顔は小妖精みたいだ。
「ごきげんよう、セラフィカ・アズリさん。同じクラスになれて嬉しいわ」
「あ、おはようございます、ユリカ様、私もです」
今朝、寮で顔を合わせた時には何も言ってなかったけど、と少しだけ戸惑った。
彼女の取り巻き達もわらわら寄ってきて気さくに話しかけて来る。
「よかったら、これから仲良くしてくれると嬉しいわ。私達ならあなたが貴族でなくても気にしないし」
私はちょっと弄れているのかも知れない。ユリカ嬢の言葉を真っ直ぐには受け止められないんだ。何だか、気にしないと言ってる時点ですごく気にしてるんじゃないかと思えてしまって。
――ユリカ嬢、私を派閥に取り込みたいのかなぁ。
実は昨夜、サジェとお喋りした時にユリカ嬢とマリアーネ嬢の関係についてちょっとだけ聞いていたのだ。
『あの二人、プレスクールの時から仲悪いのよ。学年終わりには派閥に別れて張り合ってたの。二人とも優秀だからAは確定でしょ。だからAにはなりたくなかったんだよね。絶対巻き込まれるから。セラちゃん、多分Aだし、気をつけてね。どっちかに入っても大変だし、入らなかったらもっと大変だよ』
出来れば関わりたくないけど、どうしよう……。
助けを求めて他のクラスメートに視線を送ってみるけど、ユリカ嬢の取り巻きっぽい人たちはニヤニヤしてるだけだし、他は逸らされちゃうし……。どうしたら良いんだと、途方に暮れる。
そんな膠着状態を動かしたのは、まさに鶴の一声だった。
「そこをどいてくださる?」
出入り口近くにいた私の後ろから、柔らかなアルトの声がかけられ、振り向いたらストロベリーブロンドの髪をゆるく巻いた綺麗な少女、マリアーネ嬢がやはり取り巻きの上品そうなお嬢様方を従えてそこにいた。
「す、すみません」
私は急いで横に退いて道を開ける。マリアーネ嬢は、あわてて淑女礼を取った私を値踏みするかのように目を細めて見た。
「ごきげんよう。あなたは新しくクラスメートになった方ね。お名前を伺ってもよろしいかしら」
「あ、はい。セラフィカ・アズリと申します」
「あら、アズリって言うとフロワサールのアズリ家の?」
「……はい。あの、我が家をご存知なのですか?」
「わたくしも、フロワサール縁の家だから。――マリアーネ・フラン・エルセーヌよ。これからよろしくね」
「マリアーネ様、双子名を持たぬ平民に名乗られるなど……」「平民ですけど、一応フロワサールのお身内だからじゃないですか」「それでも、信じられませんわ……」とひそひそ囁き合う取り巻きの方々。
マリアーネ様は、そんな方々をゆっくりと見回し品よく微笑んだ。
「あら、皆様お忘れではなくて? ここ、王立魔術学院内では、身分差はないのよ」
「ぞ、存じておりますわ。ですけれど、庶民の方には庶民の弁えと言うものがおありでしょう?」
「弁えておられるからわたくし達に道を譲って下さったのよ。ありがたく通らせていただきましょう? 気にしないでね、セラフィカさん、これから仲良くしましょう?」
ころころと転がすようにマリアーネ様が笑うと、周囲の令嬢方は無言になった。そして、マリアーネ嬢は、更に私の横で固まったままのユリカ嬢にその笑顔を向ける。
「あら、アーベンス様ではなくて? ごきげんよう」
「――ごきげんよう、エルセーヌ様」
「またご一緒ね。これからよろしくね」とマリアーネ嬢は言い残し取り巻き達を連れて自席へと向かった。
残されたユリカ嬢はさっきまでとは違い固い微笑みを浮かべて「気に入られて良かったわね、アズリさん。これからよろしく」と、取り巻きを促して自分の席へ向かう。
その後は、一切マリアーネ嬢もユリカ嬢もその取り巻き達の人達も私に近づかなかった。中立かと思える人達にもすっかり遠巻きにされるばかりになり、結局その日はひとりぼっちで過ごす羽目になった。
****
――疲れたなぁ
正直、「なんで?」と問いたい。私が何をやった?
マリアーネ嬢自身はともかく、取り巻きの方々は私が平民でAクラス入りしているのが気にいらないらしい。
ユリカ嬢は、平民出身の私がユリカ嬢と同等の魔力持ちなのが気に入らないのと、マリアーネ嬢が私を拒否しなかったことで、私に敵対心を抱いてしまったようだ。
中立派の生徒は、両派に巻き込まれたくないので両派から目をつけられてしまった私をひたすら無視し続けている。
――へこむなぁ。
寮に変えればサジェと話せるし兄達とも相談できるし、思ったほど煮詰まってはいないが、すぐにこの状況が好転するとは思えない。このまま終わりの見えない状態が続くのはさすがに堪える。
ため息つき気分を変えてから、エリー兄と約束した裏庭に足を伸ばす。
エリー兄達が言った通り、そこは気分を変えるにはちょうど良い場所だった。小さな噴水の周りに色とりどりの花壇がある。ベンチの一つに座って小さく伸びをした。
すると、前の冬薔薇の繁みから小さな話し声が聞こえた。
聞くつもりはなかったけど、その一方の声が良く知っている人に似ていたので、つい聞き耳を立ててしまう。
『あ、あの……。拾っていただいてありがとうございました』
『別に、礼を言われるほどの事じゃないよ。君は新入生?』
『はい。Aクラスのユリカ・アリス・アーベンスです』
これって、もしかして主人公と「フィリス・レドヴィック」の出会いイベント?
確か、ヒロインが落とした髪留めを「フィリス」が拾うっていうイベントだったはず。それから、クラスと魔術の話になって人嫌いの「フィリス」が何故か気に入って……って流れだったと思うけど……。
『僕はアーシュリート・ブルムスター。君、Aクラスというと、多分だけどセラフィカ・アズリって子いる?』
『えっ……あの、セラフィカさんならクラスメートですけど……』
『そう、やっぱり、セラはAクラスか。まあ、あの子なら大丈夫だとは思ってたけど』
アーシュ、ちょっと声が上ずってる……。そんなにヒロインと話すの楽しいのかな……。
ちょっと落ち込んでたら、おい、と肩を叩かれた。
「え、エリー兄。驚かさないで!」
「さっきからいたぞ。何やってる……って、へぇ、あのアーシュが女とねぇ」
「しっ。小さな声で話して。邪魔しちゃ悪いでしょ」
「邪魔したほうが喜ぶと思うがな……」
『あ、あのフィリス様……』
あ、ユリカ嬢、アーシュの地雷踏んだ……。
アーシュは、「フィリス」と「レドヴィック」と呼ばれることが好きではない。不快さを表情には出さないからあまり知られてないようだけど。
『ああ、確かにそれも僕の名前だけど、悪いけどそれで呼ばないでくれるかな』
『え、でも……フィリス様?』
『僕はアーシュリート・ブルムスターだ。そう名乗ったと思うけど』
『でも、貴方はレドヴィックの……』
『……もう出た家だ。今は関係ないんだよ。知らない?』
「うわ、アーシュ、苛ついてるな」
「うん、でも丁寧に応対してるところがアーシュらしいと言うか」
「でも、何で知らないんだ? 有名だろ、あいつの身上」
「そうだよね……」
『え、ごめんなさい……私、知らなくて』
『そう? じゃ、これから気をつけてね』
ユリカ嬢の声が涙声になった。
『ご……ごめん……なさい。私、フィリ……先輩』
アーシュが小さくため息を付いたようだ。
『もう良いよ』
『ほんとに……ごめんなさい……。模擬試合、出場するんですよね。応援してます……』
そして、誰かが立ち去る音が聞こえて話声は聞こえなくなった。
頃合いを見計らったように、エリー兄が声をあげる。
「おーい、セラ。待たせてごめん」
『え、セラ?』
それから直ぐに繁みをかき分けて、慌てた様子のアーシュが出てきた。アーシュ、服に草がいっぱいついてるよ。それじゃ、王子様が型なしだよ……。
「セラ!! ……エリーも」
「……俺はついでかよ……」
「セラ達はこれから帰るの? 一緒に帰ろう」
慌ててるアーシュを呆れたように眺めるエリー兄。それはフロワサールの森にいた頃と同じ光景だった。
私は二人と笑いあいながら、心の底で考え込んでいた。
今のは「ヒロイン」と「フィリス・レドヴィック」の出会いイベントだ。
これから、攻略対象者紹介イベントの「模擬試合」を経て、ヒロインと攻略対象は急速に仲良くなっていく。
――ユリカ嬢は誰を選ぶんのだろう……?
ヒロインがフィリスのルートを選んだら、私どうしよう……。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回は1月12日(火曜日)の予定です。




