私、嫁ぎます──その理由
その場の視線は、ただ一か所へと集まっていた。
問題発言をぶちかました張本人である、スペーシアの元へ。
だが、当のスペーシアは恥ずかしそうに頬を染め、ぐりんぐりんと腰を捻るばかり。
おそらく彼女のそんな様子を初めて見るのであろうグランディス皇帝が、やや呆れたような調子で声をかけた。
「お、おい、スペーシア? い、一体、おまえ……どうしちまったんだ? ってか、本当におまえ、スペーシア……なんだよな?」
幼い頃から神殿へと追いやられたスペーシアとグランディスの間には、それほど親しい繋がりはない。
それでも年に何回かは国の行事などで顔を合わせているし、僅かではあるが個人的な会話を交わしたこともある。
グランディスの記憶にあるスペーシアは、物静かで落ち着いた女性だった。
自身の身体に存在する原因不明の鱗の存在が、彼女を常に一歩下がった性格にしていたことを、グランディスは以前より知っている。
そのスペーシアが。その筈のスペーシアが。
なにゆえここまで、それも突然「はっちゃけた」のか。グランディスもその理由が分からない。
いっそ、「良く似た他人です」と言われた方が余程信じられる。それほど、目の前にいるスペーシアはグランディスの知らない存在だった。
一方、呆然としたのはソリオを始めとした、『真っ直ぐコガネ』の面々も同様である。
特に突然「嫁ぎます」と言われたソリオは、まさに茫然自失。
確かに将来の伴侶を探すことが彼の冒険の目的ではあるが、まさか相手の方から一方的に「嫁ぎます」と宣言されるとは想像もしていなかった。
しかも、相手はそれほど親しい者でもない。と言うか、初めて顔を合わせてから一日も経っていない。
そんな相手からの「嫁ぎます」宣言である。彼でなくても混乱するというものだろう。
「えっと、そのー……理由を聞いても……いいかな?」
当然、スペーシアにしても何らかの理由があって、突然「嫁ぎます」と言い出したはずだ。
当事者であるソリオには、その理由を尋ねる権利がある……と思いたい。
「はい……」
頬を紅色に染めたスペーシアは、相変わらず腰をぐりんぐりんさせながらもやや上目使いで、尋ねてきたソリオをちらちらと見やる。
「お、覚えておいででしょうか……私とソリオ様が……そ、その……禊ぎの泉で二人きりで出会った時のことを……」
『真っ直ぐコガネ』の面々が「禊ぎの泉?」と呟きながら、まじまじとソリオを見る。
だが、それ以上は何も言わず、皆がスペーシアの次の言葉に耳を傾けた。
「そ、その時……私たちは……私とソリオ様は……互いに何も身に纏わないままでした……」
頬の紅色を更に鮮やかにさせながら、それでもどこか陶然とした表情を浮かべるスペーシア。
無論、ソリオとてはっきりと覚えている。と言うか、まだ一日も経っていないので当然だが。
「あっ!! 分かったッスっ!!」
突然、コルトが声を上げた。
「こいつは、アレッスよね、アレ! 未婚の女性が家族以外の男に裸を見られちゃったら、その男に嫁がなきゃならないとか、そういった掟がこの国の皇家にはあるんじゃないッスか?」
どうだ図星だろう、と言わんばかりに胸を張るコルト。
だが、グランディスもスペーシアも不思議そうに首を傾げるばかり。
「いや、ウチにそんな掟はないぞ?」
「はい。私も聞いたことがありませんが……」
「えー、違うンスか?」
絶対にコレだと思ったのになー、と誰に言うでもなく呟くコルトを、その場の全員が綺麗に無視した。
「で? 突然ご先祖様へ嫁ぐと言い出した理由は何だ?」
グランディスが椅子に腰掛けたまま、ずいっと身を乗り出した。
好奇心が旺盛な彼──オーリスや一部の側近に言わせれば単に子供なだけ──にとって、この話題は十分に興味を引くものらしい。
「はい……ですから……」
鮮やかに染まった頬を両手で押さえながら、スペーシアはちらちらとソリオを見る。
その際、袖口から鮮やかな蒼玉のような鱗に包まれた手首が覗いていたが、そのことにさえ気づいていない。
あれほどまでに、鱗の存在をひた隠しにしようとしたいたスペーシアが、だ。
「……………………てしまったのです……」
ぼそぼそと小さな声で囁くスペーシア。しかも言い終わった途端、きゃーと可愛い悲鳴と共に両手で顔全体を覆ってしまった。
「あ? 何て言ったんだ?」
「ですから……み、見てしまったのです……」
「見たって……ああ、ソリオの裸を見ちまったってか?」
納得した、とばかりにぽんと手を打つヴェルファイア。
庶民ならば男の裸を見たところで、「嫁ぎます」なんて思わないだろう。
だが、皇族ではないとはいえ、相手はある意味で箱入りのお姫様である。そう考えてしまうものなのかもしれない。
庶民には理解できないなと内心で呆れつつも、それでも一応理由らしきものは判明した。
ソリオを含めた『真っ直ぐコガネ』がそう思った時、なぜかスペーシアは首を横に振った。
「そ、そうではありません。た、確かに同じ年頃の殿方の身体を……裸を見てしまったのは初めてのことでしたが……それでも、それでソリオ様に嫁ぐ決心をしたわけではありません」
「じゃあ、何が理由なンスか? 焦らさないでいい加減教えて欲しいッス」
「で、ですから……わ、私は見てしまったのです……そ、ソリオ様の……そ、その……ご、御不浄の穴を……」
顔全体を真っ赤に染めたスペーシア。
当初、彼女が何を言っているのか理解できなかったヴェルファイアたち。
「えっと……『御不浄の穴』って、一体何スか?」
「さあなぁ? そんな言葉、聞いたことねえな」
「でも『穴』って言うぐらいだから……穴なのよね?」
「あー、ごほん。あのだな、ヴェルくんたち。スペーシア殿の言われる『御不浄の穴』とは、ヒトの排泄のためのもので……」
ヴェルファイア、コルト、ポルテの三人は互いに顔を見合わると、オーリスの解説の意味をようやく理解した。
「ああ、『御不浄の穴』って、要するにケツの穴のことか?」
ヴェルファイアがそう答えた時。
ソリオはスペーシアに負けないぐらい真っ赤になって、思わず両手で自分の尻を隠した。
言われてみれば。
禊ぎの泉でスペーシアと出会った時、互いに全裸だったことに驚き、ソリオは泉の中に転んでしまった。
泉の中で慌てて起き上がろうとして、両手と両膝を着いた姿勢になった時、彼は下半身をスペーシアの方へと向けていた。
もちろん、意図してそうしたわけではない。偶然にもそうなってしまっただけだ。
だが、スペーシアの方からは、ソリオのアレやコレが全部丸見えだっただろう。
「と、殿方の……い、いえ、殿方に限らず、あのような身体の箇所を他人に見られるのは、それはもう屈辱的なことでしょう。ですが……私は見てしまいました……となれば、これはもう嫁ぐしかっ!!」
ぐっと拳を握り締めて宣言するスペーシア。そんな彼女に思わずソリオがツッコミを入れた。
「ちょ、ちょっと待ってっ!? どうしてそこで『嫁ぐ』って発想になるのさっ!?」
「先程も申しましたように、他人にあのような場所を見られるのはとても屈辱なこと。ですが……家族や血縁のある者ならば、まだその屈辱は和らぐのではないでしょうか。つまり、私がソリオ様の家族……伴侶となれば……」
「あー、なるほどな。簡単に言えば、スペーシアはご先祖様のケツの穴を見てしまったから、その責任を取ってご先祖様に嫁ぐ、と」
グランディスの言葉に頷いたスペーシア。
彼女はそのままソリオの前で両膝を床に着けると、深々と頭を下げた。
「ソリオ様……不束者ではありますが、これから末永くよろしくお願いします」
「あ、あのー……スペーシアさん?」
「妻となる私にそのような畏まった言葉遣いはご無用です。どうぞ、私のことはスペーシアとお呼びください」
頭を下げたままそう言うスペーシアを前にして、ソリオは助けを求めるように周囲を見回した。
だが。
「わははははは! いいじゃねえか、嫁にもらっておけよ。このスペーシアってお姫様、素顔は初めて見たがえらい別嬪じゃねえか。それにケツの穴を見られちまったんだ。男として責任を取らねえとなぁ」
にやにやとした笑みを浮かべながら、ヴェルファイアがソリオの肩をばしんばしんと叩く。
対して、ソリオはぶすっとした顔で。
「……どうして見られた方が責任を取るのさ?」
「そうですわ、ヴェルファイア様。責任をとるのは私の方です。ソリオ様は夫として、どーんと構えておられればよいのです」
「いや、それも何か違わない?」
ソリオが改めてツッコミを入れているその横で、オーリスがいつの間にか片膝ついて頭を下げていた。
「私はソリオ様に仕える騎士でオーリスと申します。以後、改めてお見知りおきを、奥様」
「オーリスもっ!! ちょっと気が早すぎじゃないかなっ!?」
そんなオーリスの背後では、コルトが深々と土下座。
「えっへっへっへっへ。あっしはコルトっていいまして、オーリスの兄貴同様、ソリオ様の子分ッス。あっしもこれからよろしくお願いするッスよ、奥様」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。オーリス様、コルト様」
跪いて頭を下げ合う三人──内、一人は見事な土下座だが──をぱたぱたと宙を飛びつつ見下ろしながら。
「…………また、ややこしくなりそうね……」
と、ポルテが深々と溜め息を吐いた。
「ところで、スペーシア……って、これからは同じ冒険者仲間なんだ。俺もスペーシアって呼んでもいいよな?」
「はい、構いませんわ、ヴェルファイア様」
「よせやい。俺は『様』なんてつけられる身分じゃねえって。それに言っただろ? 同じ仲間だってな。だから俺のこともヴェルファイア、もしくはヴェルでいいぜ?」
「うん。私もポルテでいいからね、スペーシア」
自分で自分を指差しながら、にやりと笑うヴェルファイアとポルテ。そんな二人を、スペーシアは目を丸くして見つめる。
「で、だ。スペーシアに聞きたいんだけどよ? それって一体何だ?」
ヴェルファイアが指差したのは、袖口から覗いている彼女の鱗。一同の目が、改めてスペーシアの手へと向けられた。
『無敵の盾』更新。
ふう。ようやくここまで来た、って感じです。
これでスペーシアも『真っ直ぐコガネ』に迎え入れられたことになります。
次回はスペーシアの鱗の謎について。
次かその次辺りで、今章も最後となり、次はいよいよ最終章です。
では、これからもよろしくお願いします。




