異界の獣
側近からの報告を聞き、クリソコラ帝国皇帝、プレジデントは訝しそうな顔をした。
「……この世界の生き物じゃないだと……?」
「はい。賢者たちの調べによると、あの魔獣どもは異界から召喚されたものの可能性が高いそうです」
あの和睦の会談──プレジデントたち帝国人が蛮族と呼ぶ亜人たちとの終戦の約束を取り交わすあの会談から、既に五ヶ月の時が流れている。
その間、亜人たちとの戦争は実質的に休戦することになった。これはそう望んだからではなく、そうせざるを得なかったからだ。
和睦の会談の最終場面の時、突如山の頂から沸き上がる雲の如く出現した魔獣の群れ。
その群れに対処するため、どちらの陣営も戦争どころではなくなってしまったのだ。
出現した魔獣たちは、これまでに見たこともない姿をしていた。
鮫の頭を持ち下半身は蛸のような無数の触手を持った巨人、右側に巨大な腕を持ち、左側に小さな十本の腕を持つ鬼、頭のある部分から第三の腕が生え、十字に交差するように飛び出した足の間に巨大な眼球を持つ魔物、背中に無数の剣を生やした芋虫、などなど。
プレジデントは倒した魔獣の死骸を回収し、生物の生態に詳しい賢者たちにその解析を命じておいた。魔獣たちの弱点が判明すれば、おのずと戦い方も変わってくるからだ。
だが、その賢者たちが見出したものは、彼が予想もしないようなものだった。
「確かに異形の魔獣どもだとは思っていたが……ん? おい、ちょっと待て」
プレジデントは何かに思い至ったようで、魔獣たちが異界の生き物だと聞かされた時以上に不審な表情を浮かべた。
「今、召喚されたと言ったな? では……?」
「はい。誰か──どこの何者なのかは知れませんが、あの異界の獣たちを召喚した者が存在するはずだ、と賢者たちは申しております」
最も信頼する腹心中の腹心であるオーリスの報告を、ルミナスは自室のソファに寝そべりながら聞いていた。
最近目立ってきた自らの腹部を、愛おしそうに撫でていた手が不意に止まる。
「なに……? それは間違いないのか……?」
「はい、間違いないかと」
オーリスは相変わらず生真面目に、直立不動の姿勢で主君に応える。
「アコード・ハイゼッドの屋敷より押収した研究成果の中に、異界の生物やそれの召喚に関するものが多数ありました。おそらく……」
「今回の魔獣騒ぎの裏側に、あいつが絡んでいる……と?」
先日、帝国の皇帝から届いた親書には、今回の魔獣が異界から召喚された可能性が高いという報告があった。
正式な和平は結ばれてはいないが、現状では帝国も亜人も異界からの魔獣の相手に奔走しており、事実上の休戦と共闘が確立している状態だった。
プレジデントもルミナスを正式な正妃として迎え入れてはいないものの、両陣営はすでに敵ではないとの声明を発表しており、親書などで魔獣に関する情報を寄越してくれている。
「このことは帝国は知っているのか?」
「いえ、まだでしょう。そもそも、帝国にアコードの研究結果が残っているとは思えません」
「そうか……よし、ではこちらからの親書にその情報を付け加えておこう。できれば、その研究成果の写しを取って一緒に送れるといい」
「御意。ただちに手配致します。ところで……」
オーリスの視線が、ふっくらと緩やかな曲線を描くルミナスの腹部へと注がれる。
「陛下が民衆の前に出なくなったことで、一部に動揺が見られるとのことです。いかがいたしますか?」
ルミナスは現在、病気療養という名目で館に閉じ篭もっていた。もちろん、館の中でできる仕事はこなしているが、それでも王としての仕事の一部に滞りが生じるのは避けられない。
彼女がその腹に新たな命を宿していることは、信頼できる側近しか知らぬことなのだ。
そして、その命の父親が誰なのかを知っているのは、その側近の中でもオーリスを含めて三、四人程度でしかない。
「いっそのこと、公表してしまってはいかがでしょう? 魔獣という危機が迫っている今、帝国に敵意を抱く者は少なくなっています」
今の亜人たちにとって、帝国人は共に肩を並べて魔獣と戦う盟友である。皮肉にも、魔獣の出現が亜人と帝国人との長年の確執を薄めている結果となっていた。
確かに帝国人に対して根強く反発心を抱く者もいるだろうが、それも今では少数派になっている。
「な、なにっ!? こ、この子の父親を世間に明かせと言うのかっ!?」
「はい。別に公表しても恥ずかしくはない相手だと愚考しますが?」
「ば、馬鹿者っ!! そ、そんな恥ずかしい真似ができるかっ!!」
「ですから、恥ずかしくはない相手でしょう?」
「そういう問題ではないわっ!! おまえは女心というものがまるで分かっていないっ!! 未婚のまま子を宿しただけでも恥ずかしいと言うのに、更に父親を……わ、私が誰と身体を交わしたのかまで明かせだと……っ!? そ、そんな恥ずかしいこと……っ!!」
真っ赤になってぎゃいぎゃいとわめくルミナスを、いつものように真面目な表情のままオーリスは首を傾げながら見つめていた。
しばらくぎゃーぎゃーと第一の騎士に八つ当たりをしていたルミナスも、どうにか落ち着きを取り戻してきたらしい。
やはり慣れない身重の身体では、あれこれとストレスも溜まるのだろう。時々、こうして部下に八つ当たりすることが彼女の気晴らしになっていた。
本来ならば、そのような愚痴や八つ当たりは夫が引き受けるものなのだろうが、その「夫」は近くにいない。部下たちもそれが分かっているからか、八つ当たりされても逆に微笑ましく笑みを浮かべるのみだ。
もっとも、中にはこの第一の騎士のように、常に真面目に受け応えてしまう者もいるが。
ようやく顔色も元通りになり、ルミナスはオーリスに報告の続きを促す。
「それで、例の東の山はどうなっていたのだ? 帝国と協力して斥候を送り込んだのだろう?」
異界からの魔獣たちが出現した場所である帝国頭部の山岳地帯。そこは現在、無数の強力な魔獣たちが跳梁跋扈する魔境と化しており、具体的な召喚場所や召喚装置などの情報が皆無だった。
そのため、帝国と亜人は選りすぐりの斥候たちを東の山岳地帯へと派遣し、情報を集めさせたのだ。
魔獣を召喚したのはどのようなものなのか。また、召喚者と思われるアコードは今でも東の山に潜伏しているのか。そして、魔獣を召喚は今も尚続いているのか。
ルミナスたちが求める情報は限りない。例えそれらの全てに関する情報が得られなくても、断片的なものでも入手することができれば、今後の戦略を立てる上での指標となる。
「……残念ながら、斥候たちは誰一人として戻ってきません。それは我らだけではなく、帝国の斥候も同様のようです」
悲痛な表情を浮かべるオーリス。ルミナスも、「そうか」と小さく呟いただけでそれ以上は言及しない。
重苦しい空気が立ち籠めるルミナスの私室。そんな中で、再びルミナスが小さく零した。
「せめて……せめて、この子が産まれてくる時は、魔獣どものいない平和な世の中になっていて欲しいものだな」
だが、彼女のその願いは叶えられなかった。
数か月後、竜王ルミナスが一人の男の子を秘かに産み落とした時、世間にはまだ魔獣という脅威が蔓延り続けていた。
クリソコラ帝国、西部辺境。
鬱蒼と広がる森林地帯。この西部の大森林はクリソコラ帝国皇家の直轄地であり、付近には集落さえ存在しないまさに辺境である。
その辺境の大森林の中に、元気な子供の声が響き渡っていた。
「ほら、こっちだよ、オーリス!」
「お待ちください、殿下! そ、そんなに走り回っては危険です!」
「大丈夫だって! 僕ももう小さな子供じゃないんだしさ!」
そう言った子供は、まるで猿のように木から木へと飛び移る。
年齢は十歳には達していないだろう。見るからに活発……いや、やんちゃそうな男の子だ。
そして、そんな男の子を、木の根元から心配そうに見上げるのは、一人の青年。
革製の鎧を身に纏い、年齢は二十代半ばから三十ほど。木から木へ元気一杯に飛び回る男の子とは、丁度親子程度の年齢差がある。
だが、この二人が親子ではないことは明らかだった。
男の子は燃え盛る炎のような色の髪と、雲一つなく晴れた空の色の瞳をしている。対して、青年のそれはどちらも焦げ茶色だ。
そして何より、青年の男の子に対する態度が、自分の子供に対するものではなかった。
青年は男の子がまるで自分の主君でもあるかのように、常に一歩下がった恭しい態度で接している。
男の子は地面からはらはらした様子で見上げている青年のことなど気にした風もなく、新たな木にぴょんと飛び移った。
「あっ!! コガネムシだっ!!」
男の子は木の裂け目から染み出していた樹液を舐めていた、緑色のコガネムシをぱっと捕まえた。
「ねー、ねー、オーリス、これ、なんてコガネムシ?」
男の子は身軽に木から飛び降りると、捕まえたばかりのコガネムシを嬉しそうに青年に見せた。
「ふむ……これは鋼鉄コガネと呼ばれているコガネムシですね。外皮が思いの外硬く、薄い木の板ぐらいなら容易に貫く突進力を持っています。昼間はまだ危険度は低いのですが、夜になると灯り目がけて突進してくる危険な昆虫ですよ」
「ふーん……」
男の子は空色に瞳を興味一杯に輝かせながら、手の中で六本の脚をわきゃわきゃさせている緑色のコガネムシを眺めている。
しばらく捕まえたコガネムシで遊んでいると、森の中に澄んだ女性の声が響いた。
「殿下ー! オーリス殿ー! お食事の時間ですよー!」
「あっ!! オプティの声だっ!! ごはんだって、オーリス! 早く行こうっ!!」
男の子は手の中のコガネムシをぽいっと放り投げると、一目散に森の奥へと向かって駆け出した。
そんな男の子の背中を、青年は苦笑しながら追いかける。
二人が戯れながら森の中を歩けば、行く手に一軒の小屋が見えた。
その小屋の前に、侍女のお仕着せを着た人物が立ち、男の子と青年に向かって手を振っている。
「お帰りなさいませ、殿下、オーリス殿。さあさ、手を洗ってからお食事にしましょう」
にっこりと笑いながら二人を迎え入れる侍女。
濁った緑色のごつごつとした皮膚、その皮膚をむき出しにした頭髪のない大きな頭、そして、その頭とはやや不釣り合いな小さな身体。
彼女は妖鬼族であった。彼女もまた、焦げ茶色の髪の青年と同じように、男の子に恭しい態度を見せる。
だが、そこには恭しいだけではなく確かな親愛がある。彼女も男の子を心から主として認め、敬愛を捧げているのだ。
「わぁいっ!! 僕、オプティが作ってくれるごはん、大好きなんだー」
「まあ、殿下ったら。嬉しいことを仰ってくださいますわね」
オプティと呼ばれた侍女は、丁度同じくらいの身長である男の子の頭を優しく撫でる。
そして三人が小屋の中に入ろうとした時。
彼らの頭上を巨大な影が横切った。
思わずその影を見上げた男の子が、実に嬉しそうな声を上げる。
「あっ!! お母さんだっ!!」
男の子の声が聞こえたのだろうか。頭上を横切った巨大な影──蒼い鱗の竜は、男の子に応えるようにゆっくりと旋回し、小屋から離れた森の中へと姿を消した。
「まあ、まあ。ルミナス様がいらっしゃるなんて、大変だわ」
オプティが慌てて小屋へと飛び込み、しばらくすると服を抱えて飛び出してくる。
ルミナスが竜に変化する時、衣服などは一緒に変化しない。そのため、一度竜の姿になるとどうしても裸になってしまうのだ。
オプティが慌てて飛び出して行ったのは、人の姿に戻ったルミナスに衣服を届けに行ったのだろう。
やがて、森の中からオプティを伴ったルミナスが姿を見せると、男の子の顔が更に輝く。
「お母さんっ!!」
「久しいな、我が子──ソリオよ。元気であったか?」
母親であるルミナスもまた、普段は離れて暮らしている我が子に久しぶりに会えて、嬉しそうに微笑んだ。
『無敵の盾』更新。
次回あたりで過去編にも決着がつきそうです。
ソリオがどうして両親と離れて未来へと送られたのか。それを明かして今章は終わりです。
いや、ようやくここまで来れたなぁ。
では、これからもよろしくお願いします。
私信で恐縮ですが、活動報告でも述べた通り、4月1日より新連載を開始します。
タイトルは『俺のペットは聖女さま』。転生、異世界召喚ものです。よろしければ、そちらにも目をと通してやってください。




