兆候
祝! 連載開始一周年(と、プラス5日)
蛮族軍は苦境に追い込まれていた。
アコード・ハイゼッドが生み出した怪物たち。最初こそ帝国軍に圧倒的な戦果を上げていたものの、帝国の若き皇帝が怪物たちを相手に有効な戦術を開発し実戦に投入すると、徐々に戦況は帝国側へと傾いていった。
合わせて、化け物たちの生みの親であるアコードが失脚したことで、怪物たちを新たに生み出すこともできなくなり、蛮族軍は更に苦境へと追い込まれていった。
「……そうか。獣の女王が……」
「はい……。帝国のプレジデント皇帝による罠に陥り、皇帝の手によってどこかに封印された模様です」
腹心の部下であるオーリスの報告を聞き、竜王ルミナスは落胆の溜息を吐いた。
獣の女王は確かに忌むべき存在ではあったが、ルミナスは彼女自身のことはそれほど嫌いではなかった。
彼女はルミナスに対して、まるで姉を慕う妹のようにあどけなく接してきた。そのためか、ルミナスはどうしても獣の女王のことを嫌いにはなれなかったのだ。
そして、獣の女王は蛮族にとって最後の切り札でもあった。彼女が生み出す化け物たちは、帝国に比べてどうしても兵数で劣る蛮族軍にとって、無視することのできない戦力だったのだ。
だが、獣の女王が帝国に封印された今、今の逆境を覆すのは竜王たるルミナスの力を以てしても容易ではないだろう。
「……やはり、帝国のプレジデント皇帝は……魔道皇は戦の天才だな。これほどの短時間にあの化け物に対して有効な対抗策を構築してくるとは……」
ルミナスの脳裏に、一夜だけ情を交わした密かに愛しく想っている男の容貌がよぎる。
「はい…………やはり魔道皇は恐ろしい存在です」
主であるルミナスの言葉を受けて、オーリスは相変わらず真面目な顔で受け答えた。
そんな腹心の部下にルミナスが苦笑を浮かべた時、配下の兵士が彼女の部屋に駆け込み、更に彼女たちを苦境に追い込む報告をした。
「も、申し上げますっ!! 投獄しておいたアコード・ハイゼッドが……姿を消しましたっ!!」
「な、なんだとっ!?」
がたり、と椅子を蹴倒して、思わずルミナスは立ち上がった。
戦況が思わしくなくてアコードの処刑どころではなくなり、牢に投獄したままでおいたのだ。
「いつ、どうやって奴は牢から姿を消した?」
「そ、それが……い、いつの間にか牢の壁に穴が開けられており……そこから脱獄したものと思われます!」
「ここ最近は牢の管理も疎かになっていましたからな。方法は不明ですが、おそらくはこちらの隙を突いて逃げ出したのでしょう」
どうしますか、と続けたオーリスに、ルミナスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「今は捨て置くしかあるまい。正直、いつ逃げ出したのかも分からん罪人一人を追いかけている余裕は、今の我々にはないからな」
「お言葉ですが、最低限の追跡だけは行うべきです。あいつを放っておけば、どこで何をしでかすか分かりません」
「……それもそうだな。分かった。最低限の人数で、奴の行方を追わせろ。そして、可能ならば身柄を取り押さえるのだ」
「御意」
竜王に一礼したオーリスは、報せに来た兵士にアコードの行方を追う旨の支持を出す。
そして。
その指示に応えた兵士がルミナスの部屋を飛び出して行った時だった。
突然ルミナスが苦しそうに口元を押さえて、その場に蹲ったのは。
「何? それは本当か?」
「いいえ、あくまでも噂に過ぎないようですな」
側近の報告を聞いたクリソコラ帝国の若き皇帝プレジデントは、訝しそうに眉を寄せた。
「蛮族の王……竜王が病気だと?」
「ですから、噂程度……確度の高くはない情報です。敵陣営に潜り込ませた間者からの報告ですが、ここ最近竜王が民や兵士の前に姿を現さないそうです。もちろん、竜王が病だと公式に発表されたわけではありません」
「……今の戦況では、例え本当に奴が病でも公表はできないだろうからな。ここのところ、蛮族たちのちょっかいが少ないのはそのせいか?」
「確証はありませんが、その可能性は高いかと」
側近の言葉を聞き、プレジデントは顎に手をやりながら考え込む。
あの一夜。偶然の邂逅から、互いの気持ちと身体を求め合った夢のようなあの夜。
彼が密かに熱い想いを寄せていた女性とたった一度通じ合った時から、彼女に対する想いは更にその熱量を増して魔道皇の胸の内を焼き焦がしていた。
「一度……様子を見に行ってみるか……」
「陛下? 何かおっしゃいましたかな?」
「いや、何でもない。些細なことだ」
側近に手振りだけで下がれと命じた帝国の若き皇帝は、指先に淡い輝きを灯しながら幾つもの紋章を宙に描いていった。
ある日の夜。
眠りつつも何かの気配を察知した竜王は、ぱちりと目を開いて寝台の上で身を起こした。
月明かりが差し込む自室の中を、ゆっくりと見回すルミナス。その空色の瞳が、窓辺に立つ長身の人影を捉えた。
「──っ!! 何奴っ!?」
ルミナスは咄嗟に飛び起き、両手に鋭い鉤爪を生やす。その鉤爪を人影へと向けた時、その人影が場違いなほどのほほんとした口調で言葉を放つ。
「慌てるな。別におまえの命を狙ってここに来たわけじゃない」
聞き覚えのある声に、ルミナスはその空色の瞳を一杯に見開いた。
「ま、魔道皇……? ど、どうやってここに……?」
月明かりが帝国の若き皇帝の横顔を照らし出す。その顔には、してやったりというまるで子供のような笑みが浮かんでいた。
「いやな? 以前におまえを抱いた時……おまえの身体にちょっと目印を……な?」
にっこりとあどけなく微笑む魔道皇を、竜王はしばらくぽかんとした表情で見つめていた。
「貴様……いつの間に……」
はっと我に返った竜王は、ばたばたと夜着の上から自分の身体を確かめ始める。おそらく魔道皇は、彼女の身体のどこかにあるという魔術的な目印を目標にして、紋章術で転移して来たのだろう。
ばたばたとまるで小動物のように動く彼女のそんな様子を愛おしそうに眺めながら、魔道皇は言葉を続けた。
「いつか、こうしておまえの前に突然現れて驚かせようと思っていたんだが……取り敢えず、その目的は果たせたみたいだな。ま、今日おまえの寝所に忍び込んだのは、単におまえを驚かせようとしただけじゃないんだが」
「……まったく。会いに来られるのならば、もっと頻繁に来てくれればいいものを……」
「ん? 何か言ったか?」
「な、何でもないっ!!」
月明かりにもはっきりと分かるほど真っ赤になりながら、竜王はぷいっと魔道皇から顔を逸らした。
そのことにしっかりと気づいていながら、敢えて気づいていない風を装った魔道皇は、改めて竜王の様子をじっくりと観察する。
「ふむ……別に病気ってわけじゃなさそうだな」
「病気……? なるほど。最近流れている私が病だという噂の真偽を、魔道皇自ら確かめに来たわけか」
どうして魔道皇が突然姿を見せたのか。その理由が分かり、竜王は得心したとばかりに頷いた。
「確かにここ最近体調は思わしくはないが、それは病だからというわけじゃない」
「病ではないが体調は良くない……? 理由は分かっているのだろうな?」
「ああ。……………………………………………………………………………………ができた」
再び顔を朱に染めた竜王が、小さな小さな声でぽそりと呟いた。
だが、静かな深夜の二人以外には誰もいない竜王の寝室で、その小さな声はしっかりと魔道皇の耳に届いていた。
ぽかんとした間抜けな顔を、思わず晒してしまう帝国の若き皇帝。
耳に入って来た竜王の言葉が、彼の脳に浸透し、その意味をはっきりと理解するまで、魔道皇の優秀な頭脳を以てしても僅かな時間を必要とした。
「ほ、本当なのか……?」
「ああ、間違いないそうだ。今、私のここには──」
竜王はとても優しげな視線を、自らの腹部へと向けながらそっとその手──鉤爪はとっくに元に戻してある──をそこに当てた。
「──新たな命が宿っているらしい。この事実は、我が陣営でも私が本当に信頼している数人しか知らぬがな」
「……そ、それは俺の子……なんだよな?」
「当然だ。この身体を許した男は、後にも先にも貴様だけだからな」
蛮族の竜王は、帝国に魔道皇に向かってはっきりと宣言する。その顔に自慢げな表情が浮かんでいるのは、愛する男の赤子を宿すことができた女の誇りゆえか。
そんな彼女を愛しく思うも、ことはそれほど簡単な問題でもない。それを魔道皇はすぐに理解した。
「産む……つもりか?」
「ああ。他ならぬ貴様との子だからな。王ではなく一人の女として……世界でただ一人愛した男の赤子は……何としても産みたい……」
苦痛に満ちた顔で、竜王は告げた。
産まれてくる子が、とても複雑な立場となるのは簡単に想像できる。
これから先、帝国が勝とうが蛮族が勝とうが、双方の王の血を受け継ぐ赤子は様々な問題の火種となりかねない。
それが分からぬ王たちではないのだ。
「……俺の元に来い、竜王」
「何……? 私に……いや、我々亜人に帝国に下れと言っているのか?」
「そうだ。おまえたちが我々に下った時、亜人たちを虐げることなく、正式に帝国の民として迎え入れよう。そして……おまえは我が正妃になれ。そうすれば、産まれてくる子はどちらの勢力にとっても王の子だ。今すぐは様々な感情を抱えることになるだろうが、その子の治世になればそれも収まろう」
仮に竜王が魔道皇の正妃となり、産まれて来る子が世継ぎとなれば。
その子は蛮族側からしても正統なる王の子である。帝国に蛮族が降伏することで複雑な思いを抱いたとしても、その子が帝国の正式な跡継ぎとなれば、その思いも収まるに違いない。魔道皇はそう考えたのだ。
予てより、同じ理由で婚姻を政治の道具とした例は幾らでもあるのだから。
「む、無茶を言うなっ!! いくら私の言葉といえども、民や兵たちはそう簡単には納得しまい。彼らは先祖代々、帝国に対する深い恨みを抱いているからな。それに、帝国を統べる皇帝ともなれば、側妃の一人や二人は既にいるだろう? そこへ敵である私が正妃として収まるなど……」
帝国の頂点である皇帝ともなれば、様々な政治的理由から押しつけられた女性がいないわけがない。
例えそこに愛はなくとも、例え皇帝といえども、無視できるほど簡単なものではないだろう。それぐらいは、帝国の内情に詳しくない彼女にだって想像は容易くつく。
「確かに押しつけられた側妃はいるが……そいつらとは最初に一度関係を持っただけで、以降は誰一人抱いてもいない。おまえと俺たちの子は、何があっても俺が守る。だから……だから、俺の元へ来い」
月明かりの中、真摯な視線が真っ正面から竜王の空色の瞳を射抜く。
「ほ、本当か……? その言葉に嘘はないか……?」
「ああ。この世界を見守る全ての神々に誓おう。生涯、俺の本当の女はおまえただ一人だけだ」
差し伸べられた魔道皇の腕。その腕を、震える手で竜王は取る。
そして、竜王が己の腕に触れた時。
魔道皇はやや強引に竜王の身体を引き寄せ、そのまま腕の中へと誘った。
逞しい腕に抱き締められ、竜王は蛮族の王ではなく一人の女として、至福の表情を浮かべる。
情熱的に重ねられる二人の唇。
それを、月だけが静かに見下ろしていた。
だが、結果として二人の王が添い遂げることは遂になかった。
正確には、彼らと生まれてくる子供が幸せに暮らす未来は訪れなかったのだ。
それは一人の狂った天才が引き起こした未曽有の危機によって、魔道皇と竜王は最後まで公式に寄りそうことはできなくなるのだった。
『無敵の盾』更新。
仕事が忙しくてなかなか書けません。そのため今回も遅くなってしまいました。
物語の方も今章はそろそろ佳境かと。過去の話をあまり長くするのも何ですから。
では、これからもよろしくお願いします。




