反撃
淡く輝くドーム状の障壁の中で、ソリオは盛大に安堵の息は吐き出した。
「よ、良かったぁ……山勘が当たったよ……」
獣の女王が吐き出す吐息の種類が判別できなかったので、ソリオは咄嗟に最も確立の高い炎に対する紋章術を展開した。
吐息攻撃を有する魔獣は多いが、その中でも火炎吐息を用いる魔獣が最も多いと、以前に養父であるスイフトから聞いたことがあったのだ。
そのため、ソリオは対炎用の紋章術を用いたのだった。
ソリオが再び指先を宙に踊らせ、ドーム状の障壁を解除する。
この中に篭っていれば獣の女王の火炎吐息は完全に防げるが、こちらからも手出しができない。更には、獣の女王が火炎吐息以外の攻撃を選択した場合も、この障壁の中にいては逃げ場を失うだけである。
障壁を解除した途端、周囲から物凄い熱波がソリオたち三人を包み込む。
それだけでも、獣の女王の吐息がどれ程の威力を秘めていたのか、嫌でも実感してしまう。
「さて……と。今度はこちらから攻撃する番だね」
にかり、と。
ソリオが不適な笑みを浮かべた。
自ら繰り出した超高温の火炎吐息を完全に防がれ、思わず呆然としていた獣の女王。
だが、すぐに気を取り直した彼女は、武器を振りかざして自分へと駆け寄って来る者たちを改めて観察する。
彼女が唯一王と認めた竜王。その竜王の御子かもしれない少年は最後尾を走っている。
彼の前には雄が一匹と雌が一匹。どちらも武器を手にしているが、魔素を纏っていない武器など彼女にとっては何ら脅威でもない。
彼女は、彼女自身に効果的な打撃を与えるには、魔法か魔素を用いて強化した武器だけであることを知っている。
そのように、彼女は造られているのだから。
獣の女王は、その身体の内部に高レベルの復元術式が組み込まれている。
そのため身体にダメージを受けても、魔素さえあれば短時間で受けたダメージを回復することができる。
だが、魔法によるダメージや、魔化された武器によるダメージは、それらに含まれた魔素が体内の復元術式に干渉して、回復速度が著しく低下してしまうのだ。
もちろん、普段以上の魔素を消費すればダメージを回復させることができるのだが、獣の女王とてその体内に秘めている魔素は有限である。魔法によるダメージを何度も回復していれば、いずれは魔素が尽きてしまうだろう。
今、対峙している者たちは、魔化された武器を所持していないようだ。
先頭を走る二匹が手にしている単なる鉄の塊である武器など、彼女にしてみれば武器でもなんでもない。
そうたかをくくり、鷹揚に迫り来る二匹の虫けらを待ち受ける獣の女王。
だが。
だが、彼女の目が再び驚愕に見開かれることになるのは、このすぐ直後のことだった。
仲間たちの後ろを走りながら、ソリオの指先がゆらゆらと宙を踊る。
今、彼が描いている紋章は、防御用のものではない。
〈攻撃補助〉〈打撃力上昇〉〈強化〉
複雑に宙に刻まれた三つの紋章が、ソリオの手元を離れてヴェルファイアが構える戦鎚とコルトが手にしている幅広剣に纏わり着く。
紋章はすぐに武器に染み込むように消え去ったが、二人が手にしている得物に淡い魔素の輝きが宿る。
ソリオたちが装備している武器は、確かにごく普通の武器である。
クリソコラ文明期の遺跡などからは、当時に魔化された武器が発見されることがあるが、それらは極めて貴重であり、大抵は発見した冒険者がそのまま使用するため、まず市場に流れることはない。
稀に市場に現れることもあるが、その値段は極めて高価であり、大抵は貴族や騎士などが購入してしまうため、ソリオたちのような駆け出しの冒険者が手に入れることは殆どない。
だが、ソリオが用いる紋章術ならば、一時的にだが魔化された武器と同じ状態を作り出すことができる。
これこそが、ソリオが対獣の女王用に考えていた対策だ。
そしてソリオは、目前まで迫った獣の女王が浮かべている表情から、この策が間違いではなかったことを悟る。
再び指先を滑らせて、ソリオは次の紋章術の準備をしながら、仲間たちへと指示を飛ばす。
「ヴェル! 正面から思いっきりいけっ!! 向こうの攻撃は全部俺が防いでみせるっ!! コルトは側面からヴェルの援護っ!!」
「おうっ!!」
「了解ッス!」
背後からのソリオの指示に従って、ヴェルファイアとコルトはすぐに行動に移る。
サイドステップを踏むように獣の女王の右側面へと回り込んだコルトが、魔素を宿して淡く輝く幅広剣で獣の女王の右手を狙って鋭い突きを繰り出す。
「ひぃやっはああああああああっ!! 『真っ直ぐコガネ』の切り込み隊長、『剣闘姫』のコルト様とはあっしのことッスっ!!」
鋭い踏み込みと共に、コルトの剣の切っ先が獣の女王の右手を貫かんと空気を切り裂いて疾る。
獣の女王の顔に真剣な表情が浮かぶ。さすがに魔素を付与させた剣による攻撃は、彼女にとっても無視のできないものなのだろう。
手元に向かって突き出された切っ先。それを獣の女王は、拳の裏で剣の腹を叩くことで弾き上げた。
「な、なにぃっ!? あっしの太刀筋を初見で見切っただとぉっ!?」
剣を弾かれたコルトが驚愕を浮かべる。
しかし。
「──なーんちゃってぇっ!! あっしの攻撃が防がれるのは初めっから想定済みッスよっ!!」
至近距離で、コルトは獣の女王を馬鹿にするようにぺろっと舌を出す。
そう。コルトの攻撃は牽制、すなわち囮だ。
獣の女王の意識がコルトへと向いている隙に、巨体を揺らして走り込んだヴェルファイアが、腰の高さで地面と水平に構えた戦槌を、女王の華奢な身体目がけて横殴りに降り抜いた。
暴風のような一撃。さすがの獣の女王も紋章術で強化されたこの一撃を片手で止めることは不可能と判断し、大きく後ろへ跳び退ることで回避した。
大きく後退した獣の女王は、着地すると同時に地面を蹴って地面すれすれを跳躍。一瞬で飛び退いた距離を殺すと、小さいながらも驚異的な破壊力を秘めた拳を、戦槌を振り抜いた状態で回避どころではないヴェルファイアの顔面目がけて叩き込む。
「むぅ────っ!?」
だが、その拳はヴェルファイアの顔面に触れる直前、光り輝く小さな円形の盾によって受け止められた。
もちろん、それはソリオの紋章術による障壁だ。
ソリオは仲間たちの背後に控え、防御用の紋章術を展開したのだ。
彼は最初から、後方で仲間たちの防御に専念するつもりでいた。
紋章術は強力だが、多量の魔素を消費するという欠点もある。
獣の女王の強烈な攻撃を防ぎきる防御障壁を展開し続ければ、あっという間に魔素が尽きてしまう。
そのためソリオは必要な時にのみ、効果範囲を最小限に押さえた障壁を展開することにした。
こうすれば無駄な魔素の消費を抑えられる。ただし、その代わりに彼自身は防御に専念しなければならない。いくらソリオが器用な方であるとはいえ、攻撃しながら仲間を守る紋章術を的確に展開することは不可能だ。
だから、彼は攻撃は仲間に任せた。
彼には信頼できる頼もしい仲間たちがいるのだ。
自分は防御に専念し、攻撃はヴェルファイアとコルトに全て任せる。
それがソリオの、いや、『真っ直ぐコガネ』の戦い方なのだから。
ヴェルファイアとコルトは、互いに連携を取りながら獣の女王を攻め立てる。
時にコルトが牽制してヴェルファイアが本命の攻撃を繰り出す。
時にヴェルファイアがその巨大な身体でスクリーンの役割を果たし、その影から飛び出したコルトが鋭い斬撃を放つ。
これには獣の女王も防戦に回ることが多くなる。
それでも僅かな隙を突いて、獣の女王が強烈な攻撃を繰り出す。
しかし、それらの攻撃は全てソリオが展開する盾で、ことごとく防ぎ止められてしまう。
今も獣の女王が繰り出した回し蹴りが、コルトの身体に食い込む直前、展開された盾によって受け止められた。
「ふははははははは! あっしたちの後ろには『無敵の盾』が控えているんスよ!」
「そういうこった! アイツの盾をぶっ壊すのは簡単じゃねえぜぇっ!?」
ヴェルファイアとコルトは、背後のソリオを信じて防御は二の次にして攻撃に専念する。
防御を捨てて攻撃に専念すれば、その攻撃はより鋭く、より強烈になるのは自然の理。しかもそれを二人が同時に行うのだ。
これにはいかな獣の女王とて、手を焼かざるを得ない。
「く……っ!! この戦い方……まるで魔道皇と同じではないかっ!!」
忌々しげに吐き捨てる獣の女王。
かつて宿敵と戦った時。敵である赤い髪の帝国の王もまた、帝国の魔法技術──紋章術で、仲間を強化したり防御して戦っていた。
ただし、魔道皇はソリオのように後方に控えて防御に専念するのではなく、常に先頭に立って武器を振るいながら、仲間たちを守り強化補助しながら戦っていたが。
「ええい、忌々しい小僧よ!」
ヴェルファイアとコルトの猛攻を裁きながら、獣の女王はその向こうで紋章を宙に描き続ける真紅の髪の少年を睨み付ける。
獣の女王の左右から、ヴェルファイアとコルトが絶妙のタイミングで攻撃をしかける。
ヴェルファイアは上から渾身の力で戦槌を振り下ろし、コルトは幅広剣を薙ぎ払うように振り抜く。
獣の女王は一瞬の判断で、どちらの攻撃も回避ないしは防御するのは不可能と判断。そのため、より強力な攻撃であるヴェルファイアの戦槌だけは受けないように身体を捻った。
その結果、コルトの剣が獣の女王の腹を深々と切り裂く。
腹部に受けた衝撃と激痛に、獣の女王が足を止めて前のめりに姿勢を崩す。
「おっしゃああああああっ!! 手ごたえあったッス!」
更に畳みかけようと追撃に移るヴェルファイアとコルト。
その二人に、獣の女王は口から真紅の炎を吐き出して浴びせかけた。
とはいえその火炎吐息は、事前に息を吸い込む予備動作を省いた威力の低い吐息だ。はっきり言って、目くらまし程度の威力しかない。
だが、それで十分だった。
突然吐きかけられた炎に、ヴェルファイアとコルトの追撃の手が鈍る。
その僅かな隙に、獣の女王は大きく後ろに跳び退って距離を取った。
意識して多量の魔素を流し込み、切り裂かれた腹部を修復する獣の女王。
「……魔法技術による仲間の援護と支援、息の合った配下どもの連携……本当に魔道皇を相手にしているようよな」
獣の女王は、真紅の髪の少年にかつて何度も煮え湯を飲まされた宿敵の姿を重ねるように幻視した。
「良かろう。そちらが手下と連携するならば、こちらも配下と連携するとしようかの」
くいっとその可憐な口角を吊り上げ、不適な笑みを浮かべる獣の女王。だが、その不適な笑みは、すぐに困惑と取って変わる。
彼女と配下であるスカイウェブと名乗っている男とは、精神的な繋がりを有している。それは距離に関係なく、いつでも意識化で交信できるほどの繋がりである。
さすがに彼女本人が封印されていた時はこの限りではなかったが、封印から開放されてからこちら、獣の女王はエアウェイブとの繋がりを用いて、彼の記憶さえ共有して今の世界の情報を得ていた。
彼女が今の時代の言葉を理解しているのも、それが理由である。
だが今、獣の女王がエアウェイブと意識の接続を試みたところ、それに対する応答がなかったのだ。
すなわち、これはエアウェイブが既にこの世に存在しないことを意味する。
「ち……妾を封印から開放するのに手間取ったことといい、ほんに使えぬヤツよ」
その美しい顔を醜悪に歪め、役に立たない配下を罵る獣の女王。
配下であるエアウェイブがこの世から消滅したと知っても、彼女の心には悲しみは一欠片も存在しない。彼女が彼に対して感じるのは、役に立たないことの苛立ちだけだ。
「まあ、よいわ。配下などまた産み落とせばいいだけのことゆえに」
獣の女王が、その小さな口をぱかりと開ける。
それを見たソリオたちは再び火炎吐息かと身構えるが、獣の女王が吐き出したものを見て思わず目を丸くしてしまう。
小さく開けられた口が、徐々にその大きさを変えていき、その向こうに白くてつるりとしたものが見え、それはかぽんという音と共に彼女の口から飛び出した。
「な、なんスか、ありゃ?」
「な、なあ、ソリオ? あれってもしかして……」
「う、うん、俺もそうだと思う……」
獣の女王の口から飛び出したもの。
それは間違いなく卵だった。
大きさはヴェルファイアの二の腕ほどもある巨大な卵が、獣の女王の可憐で小さな口から飛び出したのだ。これにソリオたちが驚いたのも無理はないだろう。
吐き出された卵はごろりと地面に転がり、すぐにぴくぴくと蠢き出す。
そして白い卵の表面に無数の皹が走ると、殻を破って中から何かが飛び出して来た。
「あ、ありゃあ……猿……か?」
「あんなに大きくて鋭い牙と爪を持っている猿がいるわけないッスっ!!」
卵から生まれたそれは、あっという間にその身体を巨大化させ、巨漢のヴェルファイアよりの大きな身体を持つ猿のような獣となった。
そして、これで終わりではない。
獣の女王は立て続けに四つほど卵を産み落とすと、それらの卵もすぐに孵化し、同じような巨大な猿の怪物となる。
「ふむ。かなり魔素を消費してしまったが、なかなか強そうな子が生まれたのぅ。さあ、愛しき我が子たちよ。目の前の虫けらどもを踏み潰すがよい」
生みの親である獣の女王の言葉を受け、合計五体の巨大な猿が、狂気と凶暴を秘めた視線を『真っ直ぐコガネ』に向けた。
『無敵の盾』更新。
対獣の女王戦は第二ラウンドといったところ。
次回はいつの間にか倒されていたあいつについてです(笑)。
では、これからもよろしくお願いします。




