暗雲
かりこり。
かりこり。
くちゃくちゃ。
くちゃくちゃ。
ごくん。
薄暗い地下遺跡の中で、何かを噛み砕き咀嚼する音が静かに響く。
「ふむ……やはり量はあっても美味くはないのぉ」
誰に言うでもなく呟いたのは、全裸の少女。
口元から胸の辺りまでを鮮血で真っ赤に染めたその少女は、先程までは六、七歳ほどの外見だった。
だが、今は違う。
今の彼女の外見は十歳ぐらいまでに成長していた。
その少女の背後に、静かに近づく影が一つ。
その影は少女の背後まで足音一つ立てずに近づくと、その場に恭しく跪いて深く頭を垂れた。
「お久しぶりにございます、母上」
「うむ、貴様か。確かに久しいな。息災であったか?」
「は。母上が封印された場所を特定するのと、封印を解除する方法を見つけ出すのに思いの外時間を食いました。真に申し訳ございません」
頭を上げることもせずに少女にそう告げたのは、間違いなくエアウェイブという名前の探し屋の男だ。
「ふむ……妾が封印されてから……どれ程の時が流れた?」
「およそ二千年にございます」
「そうか……」
少女は口元と胸元を真っ赤に染めたまま、その愛らしい大きな黒瞳を静かに閉じた。
そしてその双眸が再び開かれた時、そこには激しい怒りが燃え上がっていた。
「この愚か者がっ!!」
少女は力いっぱい、手にしていた肉を齧り取った骨をエアウェイブに投げつけた。
投げつけられたエアウェイブも、それを避けるようなこともなく甘んじて身に受ける。
「二千年……二千年だとっ!? 妾はそんなに長い間、この穴倉に閉じ込められていたのかっ!?」
まさに燃えるような視線でエアウェイブを睨み付け、あらん限りの罵詈雑言を浴びせていく。そして、それをエアウェイブは黙って聞いている。
やがて怒鳴り疲れたのか、少女は肩で息をしながら静かになった。
「それで……外の世界はどうなった?」
エアウェイブから視線を外し、食事を再開した少女は詰まらなそうな表情で尋ねた。
「は……母上が封印された後、我らが勢力は目に見えて衰え……魔道皇率いる軍勢に劣勢を強いられました……」
少女は目の前に横たわった身体から内臓を引きずり出し、口へと運んでぶちりと噛み切り咀嚼する。
「それで? あやつらはどうなった? あの忌まわしき獣どもは?」
エアウェイブは、ただ床を見ている。
少女からは見えないが、その表情は苦虫を噛み潰したようだった。
「どうした? なぜ、答えぬ?」
「…………あの連中は……あの獣どもは、我らが王と魔道皇が共に力を合わせてなんとか殲滅、一部は母上同様に封印されました……」
「なに?」
少女が目を見開いて、再びエアウェイブを見る。
「なぜだ……? なぜ、我らの王が憎き魔道皇と肩を並べる? なぜ共に戦う? なぜだっ!?」
「そ、それは……」
エアウェイブが何かを言うより早く、少女の身体から噴き出した濃厚な魔素が、嵐のように地下の狭い部屋の中を吹き荒れた。
渦巻く魔素の嵐に、エアウェイブの身体は木の葉のように舞い上がり、地下室の壁に激突する。
そして、舞い上げられたのは彼の身体だけではない。
半ば食い荒らされた三つの身体もまた、エアウェイブと同じように壁に激突し、千切れかけた四肢を飛び散らせ、内臓をあちこちにぶちまける。
ずるずると壁伝いに床へ崩れ落ちたエアウェイブの頭を、少女の小さな裸足の足が踏みつけた。
小さな足は、ぎりぎりと凄い力でエアウェイブの頭を圧迫する。
「なぜだっ!? なぜ、我が王は魔道皇と……っ!! 妾は王のために……王に勝利をもたらさんがために産み出されたというのに……その王がなぜ、宿敵である魔道皇と……っ!?」
少女は更に足に力を込める。このままではエアウェイブの頭が熟し過ぎた果実のように無残に割れるだろう。まさにそうなる瀬戸際、少女の足元から苦しげで弱弱しい声が響いた。
「……全ては……全ては後の世の子供たちのため……我らが王は配下の者たちにそう告げて魔道皇の元に下り、お二方は協力してあの獣どもを退けました……」
「それで……世界はどうなった? 我らの敵……帝国は今も健在かえ?」
「いえ……あの忌まわしき獣どもとの戦いで帝国も力を著しく衰えさせ……また、魔道皇自身も後継者を定める前に獣どもとの戦いで命を落としたため、帝国は獣どもとの戦いの後、間もなく崩壊いたしました……」
「ほう? 憎き帝国が崩壊したとな? それは愉快」
少女はようやくエアウェイブの頭から足をどけた。そしてそのまましばらく楽しそうに笑うと、どこか狂的な笑みを床に転がったままのエアウェイブへと向けた。
「おもしろい。帝国が滅んだ後の世界……妾がこの目で見定めてやろう。だが、その前に……」
少女の視線が、床に無造作に転がっている三つの屍へと向けられた。
かつて、『鋼砕き』と呼ばれた、三人組の冒険者の成れの果てに。
「もう少し、美味いものが食いたいのぉ。やはり男は筋張っていて美味くない。どうせ食うならば女か子供がいいのぉ」
少女は倒れたままのエアウェイブを見下ろしながら、禍々しい笑みを浮かべる。
「そうさの……あと、百人ほど食えば我の力もある程度は戻るであろうな。身体の方もそれだけ食えばもう少しはまともになろう」
小さくなってしまった自分の身体を見下ろして、少女は溜め息を吐く。
かつて……彼女の全盛期ともいえる二千年前。彼女の美貌は美しくも危険なものの象徴として、帝国の住民を恐怖のどん底に陥れたものだ。
「二千年飲まず食わずだったからのぉ。あと千年も封印され続ければ、さすがの妾も消滅していただろうて。さて、そろそろゆくぞ。共をせい」
「は!」
ようやく立ち上がったエアウェイブは、恭しく少女に向かって頭を下げた。
「だが、その前に……」
「何かございましょうか、母上?」
「うむ。外へ出る前に何か着るものを用意せい。妾が以前に着ていたものは、長い歳月の中で風化してしまったからの」
きん、と澄んだ音が、コーラルの街の郊外の草原に響き渡る。
上段から振り下ろされた巨大な大剣を、小さな小剣が受け止めた際に奏でられた、金属と金属がぶつかり合う高く済んだ音。
ぶつかり合った大剣と小剣の質量差は大差がある。普通なら、その重量と振り下ろした勢いで小剣が大剣を受け止めることは不可能だ。
それは小剣を操る剣士も理解しているのだろう。剣士は手にした小剣を巧みに操り、大剣を受け止めた次の瞬間、するりと大剣の勢いを受け流した。
太剣は小剣の刃の上を滑り、そのまま剣士の横の大地に轟音と共に突き刺さる。
大剣の剣士が驚きをその顔に浮かべるより早く、小剣の剣士は大地に突き刺さった大剣を足場にして跳躍、器用にも大剣の剣士の肩の上に着地すると小剣を大剣の剣士の喉元に突きつけた。
「……………………参った」
大剣の剣士が剣から手を離し、悔しそうな顔で両手を挙げる。
「まだまだ力任せに剣を振っているぞ、ヴェルファイア」
小剣の剣士は大剣の剣士──ヴェルファイアの肩から飛び降りると、剣を鞘に収めながらヴェルファイアにアドバイスする。
「戦槌と大剣は違うんだ。力任せに振っているだけでは、大剣を使いこなせない」
「うっす。分かりました、トレイルさん」
素直に助言を聞き入れるヴェルファイアに、小剣の剣士──犬鬼族のトレイルは満足そうに頷いた。
「よし、次だ。次は────」
「はいはいはいはいはいはいはいっ!! 次はあっしッス! あっしが相手ッスよ!」
少し離れた所でヴェルファイアとトレイルの稽古を見ていたコルトが、元気良く手を挙げてトレイルに駆け寄った。
「うひひひひひ。今日こそはトレイルさんに参ったって言わせるッスよ?」
「おもしろい。やれるものならやってみろ」
トレイルとコルトは、互いに向き合って剣を構える。
「行くッスよ?」
「来い」
短い言葉の応酬の後、二人は同時に剣を繰り出した。
クリノクロア伯爵より授剣されたソリオたち『真っ直ぐコガネ』。
彼らはアパタイトから戻ってすぐ、先輩冒険者であるトレイルに剣の扱いを教えて欲しいと頼み込んだ。
もちろん、トレイルは「幸運のそよ風」亭の筆頭冒険者であり、決して暇ではない。だが、最近仕事を一つこなした直後であり、しばらくはコーラルの街でゆっくりするつもりだったらしいトレイルは、快くソリオたちの剣技の指導を引き受けてくれた。
ソリオたちがこうしてトレイルから手ほどきを受け始めて、十日ほどになろうとしている。
彼らの剣の扱いはまだまだ未熟だ。それでも基礎の基礎だけはトレイルから徹底的に叩き込まれ、なんとか様になりつつあった。
そろそろトレイルも仲間たちと次の仕事に取りかかるので、いつまでもこうして訓練を施してもらうわけにはいかない。
そのため、ソリオやヴェルファイア、そしてコルトは精力的にトレイルの訓練を受けるようにしていた。
甲高い金属音と共に、ソリオが手にしていた幅広剣が天に舞う。
「はぁ。降参だよ、トレイルさん」
ソリオが溜め息と共に両手を挙げた。
「君たちも大分上達したが……まだまだだな。できれば、実戦の中ではまだ剣は使わない方がいいだろう。もうしばらく、慣れた得物で戦うんだ」
トレイルの言葉に、ソリオたちは神妙に頷いた。
「もう二、三日したら、私も仲間たちと次の仕事を受ける。そうすると当然、君たちの指導はできないが……今日まで教えたことを思い出して、しっかりと反復しておくように。いいな?」
師匠とも言えるトレイルの言葉。それにソリオたち三人はしっかりと返事する。
その時だった。
「ソリオー! ヴェルー! トレイルさーん!」
コーラルの街の方から、小さな人影が真っ直ぐにソリオたちの方へと飛んで来る。
「あれ? ポルテ? どうしたのかな?」
「何かあったんスかね?」
飛んで来る人物が誰なのかすぐに分かったソリオとコルトは、互いに顔を見合わせて首を傾げる。
「おい、姉貴ー! 何かあったのかー?」
弟分の呼び声に応えるように、ポルテは飛ぶ速度を速めて仲間たちの所へやって来た。
「じゅ、ジュークのおじさんが依頼が来たって言っているわ。早く『幸運のそよ風』亭に戻って来て欲しいって!」
「仕事の依頼? それって俺たち『真っ直ぐコガネ』に? それともトレイルさんたちに?」
ソリオのその質問に、ポルテは肩で息をしながら首を横に振った。
「そうじゃないわ。仕事の依頼は私たち『真っ直ぐコガネ』とトレイルさんたちの両方同時に来たみたいなの!」
『無敵の盾』更新。
更新が遅くなり、申し訳ありませんでした。何とかこうして更新できました。
次回は依頼の内容についてです。
では、これからもよろしくお願いします。




