白山の主
翌日。恭子と豊五郎は荷造りをしていた。
着替えを少々、陰陽術の資料少々、食料少々。
少々も積もり積もればかなりの量に。
「まあとりあえずこれだけあればね。」
「後は月島殿をお待ちするだけですね。」
月島新右衛門は、実はこの小田原付近には住んでいない。
彼は常陸国の住人である。
そんな彼が昨日一日で自宅に帰れた理由は、特殊な陰陽術にある。
《気流の道》
かの有名な陰陽術の使い手、安倍晴明の子孫である土御門家に伝わる秘術である。
転移したい場所に自らが予め術を込めた、術具を設置しておく。(恭子の首飾りや豊五郎の短剣のようなものだ。)
移動したい人物は術を発動する。するとその術具の地点に移動する事が可能になる。
注意点は移動距離と必要霊力が比例関係にある事と、術の仕様上行った事のある地点にしか移動できない事だ。
土御門家とは恭子、新右衛門ともに関わりがあり、とある事件をきっかけにこの術を譲り受けた。
「待たせたな。」
とん、と恭子の自室に新右衛門が到着する。
さあ、出発しよう。
白山のふもとの町は小田原から歩いて半日ほどで着く。
白山に近づけば嫌な気が漂っている事がわかる。
「中々凄いですね。」
豊五郎が嫌な顔をしながらそう言う。
「全く、この町の陰陽師は一体何をやってるんだ。」
新右衛門も言う。
陰陽師とは町を陰陽術の力で守る職に就いた者の事だ。
生活を保障されるが、町を脅かす事態―今回の一件など正にあてはまる―には対応し解決する義務を負っている。
「完全に職務怠慢ですね。後で相原家からのお叱りがあるでしょうね。」
反省文か、減給か、陰陽術の使い手は僅かだから解雇はないだろうけど。
「とりあえず最初に宿を取っておきますか。」
向かったのは町のはずれの小さな宿。
「宿を取りたいのですが。」
にこにこしてそう言う青年と、後ろの同じ年位の男女。
宿の亭主はこの三人の関係を測りかねて困っている。
夫婦…?いや、兄弟…?。いや。
「部屋は空いてないのか?」
そう言われて我に返る。
「いえ。空きがございます。あちらの部屋にどうぞ。」
「これから出かける用がありまして、後ほど再び参ります。」
女性がそう穏やかに答える。
三人は宿の確保を終えるとすぐにどこかへ向かっていった。
ちなみに宿の亭主の三人の関係の結論は、夫婦とその(義)弟という良く分からない関係性の結論になってしまっていたが、彼らは知る由もない。
やがて淀んだ気―陰陽道では瘴気と呼ぶ―の大本である白山へと歩を進める。
「けほっ。」
恭子が濃い瘴気のために小さく咳をした。
《浄渦》
新右衛門がすかさず炎の守りを展開する。発動の瞬間、火気と熱が私のすぐ脇を通り過ぎていく。
五十はあろうかという炎の球が私たちの周りを守り、瘴気を捉え逐一浄化していく。
仄かに光る球も五十揃えば灯りの代わりにもなり、少し暗くなったとしても大丈夫そうだ。
「師匠。大丈夫ですか。」
「ありがとう。それにしても濃い瘴気だね。驚いた。」
「町に被害が出ていないから規模は大したことはないと思っていましたけど、私たちが向かわなければ大惨事になっていた可能性もありますね。」
豊五郎も瘴気の濃さには同意見のようだ。
「まずは狼とやらを探すとしよう。強い瘴気の流れを辿っていけば辿りつけるはずだ。」
新右衛門の言うように瘴気の流れを感じてみる。
気は北東方向に強まっている。またそれ以外に別の気を察知した。
弱弱しく今にも消えてしまいそうな木気が北東方向にわずかに向かった所に存在している。
「新右衛門。感じた?」
恭子が尋ねる。
「ああ。蛟か。」
「師匠。急いだ方が良いのでは。」
豊五郎も感じたらしい。
急いでその地点に向かうと藍色の鱗を持つ小さな蛟がぐったりと地に倒れていた。
細長いひげはぴくりとも動かないし、空を飛ぶ様子も見えないがかろうじで息はある。
蛟。五行の気が凝り固まって生まれた精霊と呼ばれる存在の一つ。蛟は木気の精霊である。
その身が気であるために、瘴気による淀みの影響を受けやすい存在でもある。
「まだ何とか生きてます。」
「ここで応急処置をしてから一度宿で介抱するか。」
「白山の主を絶対に死なせるわけにはいかないしね。瘴気が抜けた後の山を立て直すのは主がいないと成りたたないから。」
一般に精霊は自らの気と同じものを操る事に長けている。生まれた場所でのみその力を行使する事が出来る。その業は大雨を呼び、土地に実りをもたらし、清めの劫火で辺り一面を清める事など容易い。
彼ら、彼女らは神ではない。この日本に存在する神は四神だけであるから。
比較するとあらゆる人の目にも見える四神達と、霊力のある者にしか見えない精霊の間には力の差は歴然である。精霊皆で挑もうとも傷一つつける事は出来ない。
だが神の力に近しい力を行使する精霊達を、その土地の人々はその地の主として感謝の念を忘れない。その土地では神と共に感謝され、祀られる存在なのだ。
豊五郎は蛟を救うべく術を行使する。
《清水》
水気の単純なる術式。水気を集中させ澄んだ水を作り出す。
空の水筒の中に呼び出したそれをそっと口に含ませる。
けふっ。
小さく咳をした。
心なしか少し呼吸が楽になったように見える。
「ひとまずこの場を離れよう。回復したら少し話を聞いて、それからにしようか。」
帰る道々で火気の浄化の術を行使しながら瘴気の元が更に強大になるのを少しでも遅らせようとする。
まだ時間はわずかではあるが余裕がありそうだ。
腕の中に未だ苦しげな蛟を抱えて恭子たちは宿に向かった。
もう西の空が赤くなり始めている。
勝負は明日か、明後日か。
蛟‥‥龍に似た生き物。小振り。
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