十七話 ここを去るのに悔いはない。
自分には人生を共にしたい者がいる。
彼の純粋さに惹かれて、出会ったその日からその芯の強さに憧れている。
それに彼は諦めかけた自分に手を差し伸べてくれた。彼はきっとそんな事を思ってはないだろうが。
「え、今なんて?」
「聞こえてるくせに聞き返すのかい?聞き返した所で何も変わらないよ。それとも二度も嫌な事を聞きたいのかい?あはは、君も良い趣味だね。」
今目の前ケラケラと愉快そうに笑うこの人は自分と彼の師尊だ。自分はこの人の智慧や理念には敬意を抱くが師として仰いではいるが決して尊敬はしたくないと思っている。この人もそれを理解してる。
「あー言い様だよ。君はあの子大好きだもんねぇ?僕も大好きな人居るから解るよ。君は僕の弟子の中でも僕に結構似てるからね。だからこそ君には僕の秘蔵の書物なんかを見せてあげてるんだしね。でも、そろそろ手に余るんだよ。だから、お前に選ばせてあげる。人生の選択ってヤツだ。どの道を歩けるかはお前の行動の末の結果が示してくれる。精々、お前の望む未来へと星が導くと良いな。」
目の前に紙を差し出される。そこには宝具の名前が書かれている。
「これを持ち出し、届けておくれ。わかるね。」
クソが。と口にしなかった自分を褒めたい。普段はいらない事ペラペラと喋る癖にこう言う事は必要最低限以下になるのだ。これを上手く理解して選択すれば望む未来をと言う訳か。いや、コレは互いの読み合いだ。自分が理想とするのはこの人の望まない結果を出して自分の利益を得る事。最悪はその逆だ。さて、どうしたものか。
師尊との話も終わり、コツコツと下の階へと降りる。牢のあるその場所は冷えてきて寒い。今は真冬ではなく春の終わり頃だ。日の当たらないが水脈のあるここはそれなりに冷える。仙師となってなければ防寒なしでは些か辛いだろう。
「起きてるか?」
目的地にたどり着き、その牢にポツリと真ん中で座禅を組む彼に声をかけた。
彼はゆっくり目を開けると不満気な顔をして口を開いた。
「どうして来たんだ。」
予想通りの反応に苦笑いをしてしまうが、その答えは既に用意してあるのでそれをそのまま言う。
「何を当然の事を。お前が心配だからな。」
「でも、お前まで変な疑いがかかるかも知れないぞ。」
「もう遅いさ。お前こうなったら後直ぐに誰もが聞きに来たし、師尊にも直ぐに呼び出しだったさ。その間、自分は何もしてないぞ。あはは!」
「笑い事じゃない。」
むすっとした声でそう言われる。
実際、自分は彼に何があっても共にあるつもりがあったから周りにもそう言うふうに仕向けていた。だから、当然と言えば当然だからこそ、上手く行きすぎて笑ってしまう。彼には悪いがお前がどんな事をしても理由があったと自分は信じるし、それがどんな理由だろうとそれを肯定する。
自分は用意して来た物を取り出して鉄格子の隙間から渡す。
「これを取り敢えず飯と水な。数日はこのままかと思うがどう言う結果になるかは確証はないがなんとかするから。」
「おい、なんとかするって何するつもりだ?この件については私は彼の方に嵌められてる。だから、変な事をするな。」
「知ってるさ。」
「はぁ…、貴方は私よりも賢い。だから、今一度あの日と同じ事言おう。貴方は素晴らしい人です。勿体無い事はしないでください。」
それは正しく自分をここに留め、彼を自分の道標と決めた時の言葉だ。自分に見切りを付け、諦めていた私に私よりも無様だった彼はそう静かに怒ったのだ。他にも、貴方がが諦めたら私も諦めなければならないじゃないかとか、己より下も上も当たり前にいるのだから上ばかりではなくしたもの見なければとかそれはもう色々。この人はあの時には自分よりも遥かに広い視野を持っていた。だからこそ思う。
「忘れる訳ないだろう。だから、勿体無い事はしないさ。」
「なら、私の気持ちを…」
「自分はずっとお前の味方だよ。」
渡す物も渡したし、言う事も言った。未だに何かアイツは言ってるが聞かずに降りた階段を登り外に出る。外は日差しは高くなっている。来たのは飯をくすねる関係上朝食後だったがそこそこ話をしていたらしい。
それにしても、宝具を持ち出すのは簡単だとしてもそれをあの人の望む人の部屋に持ち込むかだ。最近の彼は声が出なくなったからか違和感がある。清酒劍士と前は事あるごとに揉めていたが口論できない故に諦めてるのか言いなりだし、前は頑なに他と関わらなかったのに朱願凛という奴と李梦蝶とかいう仙子とつるんでる。聞いた話だと朱願凛は剣の腕も術も優秀で知識も豊富。彼の地に眠っていた宝剣原谅を手にしてると言う。そして、李梦蝶は今回の件に関わっていたと聞く。考え過ぎと思いたいが師尊の嫉妬に近いこの行為に先手を打たれてるのではと思わず考えてしまった。
前回のあの人への嫌がらせが大々的に失敗するしたのはあの人の弟子以外にも知れる所。あの、傲慢な師兄もいい君になったと聞く。
それに今は冷静歌君は自分達、楊陳翔…誓言三生の弟子は避けられてる様に思う。清酒劍士が居ない時にはすれ違いもしない。
どうしたら上手くいくだろうか。
時間もない、あの人は案外気がないしそんなに先延ばしするつもりもない。
通常ならば宝具を借りた際には許可申請をしてからが決まりだが、今回はそんな申請出来ない。そもそも、師尊はその申請を拒否するだろう。それか申請用紙を受け取ってもそれは燃やされるだろう。書類に紛れさせるなんてのが出来れば楽だが、それはきっとバレる。あの人は知識を愛する故に記憶力が恐ろしい程にずば抜けてる。
増えた書類一つに目敏く気付くのだから恐ろしい。きっと何か術式でも組んでるんじゃと思わずにはいられない。
それはさておき、だから仕方なく今この深夜の誰もが寝静まった時間にやって来た訳だ。不寝番は居るが案外ここに入るのが難しい故に襲撃や来客でも無い限りは緩い。忍び込むのは容易い訳だ。
問題は忍び込んだ後にその宝具を見つけて悟られないようにあの人の望みを叶えるフリを上手くしながらあの人の迷惑になるように小細工する事だ。
それにしても、また随分と小賢しいモノを彼の方は選んだものだ。確かにこれがあれば彼を貶めるのに丁度良いだろう。
♪〜
歌?…誰の歌声だ。それにこの歌は聞き覚えが無いし、こんなに上手い奴…これだけの歌えるなら宗主が放っておかないし、定期の演奏会で真っ先に演目を任される筈だし。結丹し正式に入門時に演奏は必須。
けれど、ここ最近入って来たのはあの朱願凜を含めた数人。でも、この声には聞き覚えがあるがあいつの歌を最初に聞いた時にはこんなじゃなかったはずだ。
「ねぇ、それを何処に持って行こうと言うのですか?」
その歌声の主を確認しにそっと近づいたつもりだったのにその声は後ろから聞こえた。
「…お前、なんでここに?」
「何故って?さぁ、どうしてだろうと思いますか?」
振り向いた先に居たのはさっきからチラチラと名前がよぎっていた本人だ。
「お前、あんなに歌が上手いなんてな。入門式の時は手を抜いたのか。」
「いいえ、この歌はあの人と歌う為の歌なので見劣らない為に練度が違うんですよ。素敵でしょう。」
何言ってんだ。気持ち悪いほどにうっとりと語られたそれに後ずさる。
「それで、貴方はそれを何処へ?」
「……お前には関係ないだろ。」
「さぁ、それはどうでしょう。僕は僕の願いの為に動くだけです。」
それなりに距離があったがゆっくりと朱願凜が距離を詰める。そして、手にしてる宝具を見て言う。
「貴方はその目的を果たした後、己を許せますか。」
「は?」
「僕はあの時正しいと信じた事を今でも悔いている。今でも自信を許せてない。僕は正直貴方が嫌いじゃないですよ。だから、あの為に問いましょう。貴方が真に思うのはなんでしょうと。」
どうやら、意味のわからない問いを口にして満足したのかそのまま自分に彼は背を向けて歩きした。けれど何か思い出したのか振り返る。
「あ、そうそう、これは純粋な質問なのですが…。さっきの歌、冷静歌君が奏で歌ったらどう思いますか?」
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「__… 冷静歌君の歌と琴をもう一度聴きたかったな。」
「確かに。」
あの日、朱願凜が歌った歌を冷静歌君がと思うとコイツの言葉に自然と頷く。
自分は結局あの宝具は元に戻して彼の方の機嫌を損ねた。そのお陰で破門だ。いい加減あんな息苦しい場所おさらばしたかった。
でも、今ポツリとそう呟いたアイツは名残惜しそうだ。もっと上手く立ち回ればまだここに居られたのを棒に振ったのは自分だ。彼は自分が巻き込んだと嘆いていたがそもそもで自分で選択した事だ。
お陰であの師尊の顔は中々に良かった。
「さて、ここで学ぶ事は学んだ。自分はずっと思っていたのさ。お前はこんな狭い山の一角にいるより旅をして美しい場所や醜い場所、数多の世界を共にお前と見たかった。良かったら、この命運尽きるまで共に行かないか?」
階段を降り切った所で自分がそう言うと突然彼は驚いた顔をしている。
まぁ、当然だろう。彼は常々自分親友と呼んでいたのだから。
「ふ、ふはは、それはいいな。お前となら何処までも行けそうだ。」
だけど、その困惑した顔も直ぐに吹き出して笑う顔になり、まだ数段降り切ってなかった階段から降りて自分の先を行く。
「お前、いいのか?こう言っちゃアレだが人生を共にと言っているのだぞ。」
「いいさ、私もお前の事を少なからず思ってる。それが全く同じ気持ちかは知らないが、私はこれからもお前と離れるなんて思ってもいなかった。」
「同じかわからないって…まぁ、自分とお前は違う人だからなぁ。」
本当はここで道を別つためにそう懺悔したつもりだったが、どうやら別つ必要も無いようだ。
「早くしろ、取り敢えず龍江で旅支度をしないとな!」
朱願凜、歌っていたあの歌。自分はお前とあの人が合奏するが時楽しみに成る程だったとも。
一章はここで終わるつもりです。
次回からは二章に入ります。