第十話 東海岸三日目
海の向こうから、濃灰色の雲が空と海を埋めるかのように急速に迫っていた。
こりゃ、一雨くるかなー
なんて呟きながら
シッキムは足をぶらぶらさせて、ガラガラと荷馬車に揺られていた。
シッキムは確かに太ったかもしれない。
いや違う、毛艶が良くなったのだ。
オリバーはじいっとシッキムを観察した。
砂色というか、クリーム色の髪とモフモフとした髭は、ミラに住まう羊や犬に似ていた。
オルハンが最初に父親とともにシッキムと会ったときは、いまいち汚い感じの貧相な男だと感じた。
しかし数日をともに過ごすうちに、段々と肌の色がよくなり、髪や髭がふんわりふっくらと熊のぬいぐるみのような風合いになり
酒場の煙草や酒のしみこんだにおいではなく、草原の草花のような香りがするようになってきた。
これは、それまで昼も夜もなく酒場で強い酒を飲みながらくすぶっていたシッキムが、オリバーの生活に合わせてきちんと三食食べ、きちんと眠り、毎日湯浴みをするようになった結果であった。
『ん?どうした?』
シッキムはオリバーの視線に気がついて振り返った。
そしてはにかむ。
青いような灰色いような瞳がきらきらと光を宿した。
『シッキムさん、質問してかまいませんか。あのエディンさんという方とはどれくらいのおつきあいをされていますか。』
オリバーの質問にシッキムははっとした。
昨日のエディンとの朝食以来、オリバーはずっと、やや沈んだような様子だったのだ。
少し近づいたような気がしていたのに、また距離をとられたような気がしていた。
げんに、シッキムさん、とは何とも他人行儀だ。
『え…と…七、八年くらいかなあ…。もしかして、オリバーはエディン苦手?』
おろおろと瞳を揺らしながらオリバーの顔をのぞき込むシッキムをややぼんやりと眺めながら、少し考えたあと、オリバーはゆっくりと首を横に振った。
『いえ、けしてそういうわけでは…。そういうわけではないのですが…あの人は…』
すべらかな天使の顔の、眉間に皺が寄る。
『お、オリバー?もしかして怒ってるのか?焼き餅、焼いてる?』
『?』
オリバーはまじまじとシッキムを見た。
シッキムは心配そうな口振りだが、そこにはなんとなく期待らしきものが混じっており、やや嬉しそうな感じもした。
『いいえ、そういうわけでは、いや…う、うーん。』
そこでオリバーは一度言葉を切り、ぎゅっと目をつぶった。
『お、オリバー?!?』
そしてオリバーは覚悟を決めたように、かっと目を見開くと言い放った。
『そう。エディンしゃんは、パーパにくっつきすぎなの!』
『…お…おお…オリバー…?』
オリバーは素早くポケットから蜂蜜飴を二つだすと、一つを自分の口にいれ、もう一つをシッキムの口に押し込んだ。
『ふごっ』
『あい、パーパ、飴、どーじょ。』
『どーじょって…』
突如口の回らなくなったオリバーにシッキムは目を白黒…というか白青させて動転している。
それをみて、オリバーは少し困ったように笑った。
『やっぱり、おかしいですか?
町の子たちはこんな感じで父様になついていたようですが・・・・・・』
『あ…』
シッキムは、突然申し訳なさで一杯になった。
そうなのだ。オリバーが、子供らしからぬ綺麗な滑舌で話せたのは、オルハンがそれを求められて厳しくしつけられたからなのだ。
四大公爵家の長男ではなく、只の異邦人の倅になったオリバーは、いくらだって甘えたらいいのだ。
シッキムは、オリバーをぎゅーっと抱きしめた。
『ごめんな。そうだよ。オリバーは、好きにしゃべったらいい。もっと甘えてくれ。』
オリバーは少し頬を赤らめた。
ぱっかぱっかぱっか・・・・・・。
そんなこんなしていると、いつのまにか器用に馬の速度を落として、二人の荷馬車にエディンが近づいてきた。
『おっはー!』
爽やかにエディンは二人に手を振った。
金髪と青い目が、陽光を受けてキラキラと光る。
イケメンぶりが実にキラキラしい。
『朝から仲良しだねー。ところで、二人は昼になに食う?』
『は?』
『というのはね。なんかえらく順調に来てるから、昼前にモリー村に着きそうなんだよ。だから、先に昼飯の集計とって、俺が一足先に伝えに行くの。で、みんながついたらすぐに食べれるってわけ。』
『へえ、そうなのか。じゃ、俺はオムレツかな…。オリバーはどうする?』
『パーパとおんなしのー』
『ん?』
オリバーの猫なで声にエディンが顔をひきつらせる。
『エディンしゃまもあめたべましゅかーそおれっ』
『!?』
オリバーは、シッキムに背を向け、エディンに相対した。
そして、蜂蜜飴をカバンから取り出すと、エディンにいいフォームで投げつけた。
エディンはそれをぱしっととると、やや顔をひきつらせたまま、にっこり笑った。
『あ、ありがとう。オリバー』
『えへっ』
『あの、あのねオリバー?』
『にゃん?』
『俺は、大丈夫だから。約束するから。』
『・・・・・・。』
オリバーは、エディンを見上げると、ひざをついた。
それはまるで、臣下の礼をとるような…
『オリバーっわあっ大丈夫かっ。動いてる馬車のうえでちょこまかするからっ』
後ろからみたらバランスを崩してしゃがみこんだように見えたのだろう。
すぐさまシッキムが抱きすくめにきた。
そんな二人をみて、エディンは苦笑した。
『じゃ、二人ともオムレツね。』
エディンはさわやかイケメンらしく手を振ると、馬の速度を上げて隊列の前方に消えていった。
そして、エディン…イルガント王国の第二王子エドワードは、馬を早駆けさせながら
次のモリー村でイルガントからの使者に渡そうと思っていたメモを懐からだし
魔法の火で燃やした。
ミラ近況。
国王派の筆頭魔術師、パンジェンシー公爵ヨハン・ウィルフレッド、その息子、オルハン・ウィラルドとともにテロリストに暗殺される。
テロリストの大半はヨハン・ウィルフレッドに返り討ちにされたが、わずかな残党あり。
テロリスト、前国王弟派の可能性高し。
また、一部に公爵家の長男、オルハン・ウィラルドの『白の忌子の呪い』との声もあり。
風の魔法使いシッキム、ミラにて発見。
ヨハン・ウィルフレッドの国葬の二日前に、イルガンドへ出発。
5歳程度の子供を伴う。
そのほかにも、いくつかミラの近況が書かれていたメモは、すっかり灰となり風に舞った。
ヨハン・ウィラルドの死に関しては、すでに他のスパイからイルガントに報告が上がっている。
『ま、おれには、関係ないしね。兄上にだって、たいして関係ないだろう。』
エディンは、ふところからメモ帳を取り出すと、オムレツ2個と書きつけた。
はるかかなたの雨雲は、だいぶ隊商に追いついていたが、まだ、エディンの頭上は青い空が頑張っていた。




