1話 俺の彼女は可愛い
俺、曽野拓斗には彼女がいる。すごく可愛い子だ。
名前は夏月姫という。いわゆるキラキラネームみたいな名前で、最初はどう読むの? なんて困惑したが、慣れると何とも可愛らしい、彼女に似合った名前だ。
もちろん顔も可愛らしい。いや顔だけではなく、声、性格、仕草、愛嬌まですべてが可愛らしくて愛おしい。こんな取り立てて長所もない俺と付き合ってくれたのは奇跡だ。だから俺は大事に、この関係性が終わったとしても後悔しないように、夏月姫との日々を過ごしている。
そんなことを思いながら今俺がどこにいるかというと、下駄箱前だ。気づかないうちに俺は足を止めて夏月姫のことを考えていたらしい、先ほどから射るような視線で他の生徒から見られている。いてっ、今後ろから強く背中を押された。そのまま押し出されるようにして校舎を出て、校門前まで進む。
すみませんねえ、こんな鈍臭い奴で。この一瞬で全員が俺のことを嫌いになったかもしれないけど、俺はそれでもいい。
だって俺には夏月姫がいる。夏月姫が俺のことを好きでいてくれる限り、俺は世界中のどんな人間から嫌われても平気なのだ! はっはー! …………やっぱイタいな俺。取り消そ、今の発言。
まあそんな感じで、好かれたり恨まれたりしつつ何てことない毎日を送っている。
そうだ、何で俺が下駄箱前にいるかというと、夏月姫と待ち合わせをしているからだ。
あの可愛さだ、どんな怪しい奴らが夏月姫に危害を与えるかわからない。毎日……と言いたいところだけど、用事があってできない日もあるから、平均週に四回程度、夏月姫を家まで送っている。
もちろん夏月姫を守るというのが第一目標だが、”彼女を家まで送り届ける優しい彼氏”の絵に憧れていたから、というのも理由の一つだ。だって、何だか騎士みたいでかっこよくないか? 高校生にもなって憧れてるのは俺だけかもしんないけど……
と、とにかく、俺はまず夏月姫と会わなければいけない。だからこうして情けない姿を晒しながら待っているのだが、夏月姫が来る気配は一向にない。
心配になり夏月姫の教室まで乗り込もうかとも考えるが、頭をぶんぶんと振ってその考えを消す。ダメだぞ俺、さすがにそれは彼氏として必死すぎる。夏月姫に恥ずかしい感情を与えさせてしまうだろう。そんなことは何より俺が望んでいない。
そうだ、なんのために文明の利器があると思ってる。付き合ってすぐ、「何かあった時のために」という名目でLINEを交換したじゃないか。それを使う方がよっぽどかっこいい。
いやだとしても、何て送ればいいんだろうか。「ついたよ」とか、「終礼まだ終わってない?」とか、言い方ならいくらでもあるし。うーんどうしようか、何が一番スマートなセリフなんだ?
「……」
“ついたよー”
よし。悩んだ末に俺は、当たり障りのない言葉を送った。ついたよの”つ”を漢字にするべきか否か、伸ばし棒を波線にするべきか否かで死ぬほど迷い、五分ほど時間を無駄にしてしまった。
はあ、俺はLINEすらまともにできないのか。一体いつになったらスマートな彼氏になれることやら。
既読 ”ついたよー”
己のヘタレ加減にほとほと呆れていると、パチッ、と既読の文字がついた。それを見て丸まっていた背中が一瞬にしてピンと伸びる。
“ごめん、ちょっと遅れそう”
“待ってて”
夏月姫も焦っているのか、二回に分けて短い文を送ってきた。そして通知が止まったかと思えば、すぐにもう一つ、今度はスタンプが送られてくる。
これは……猫だな。猫が土下座をしているゆるい絵柄のスタンプ。その横には、達筆な文字で「ごめん寝」と書かれている。
「っはは」
なんともシュールすぎる。思わず笑いが声に出てしまった。
夏月姫は服装のセンスも言葉のセンスも抜群なのに、スタンプだけは謎のセンスを発揮する。
付き合った日の夜、改めて「よろしくね」などという簡単な挨拶をしたら、植木鉢を割った猫が真顔でこちらを見つめてくるスタンプが送られてきた。達筆の「よろしくにゃ」という言葉を添えて。
今でこそ笑える話だけど、その時はスタンプに込められた夏月姫の心情を理解しようと、かれこれ一時間は猫と目を合わせていた。だけど何も得られず、次の日夏月姫に思い切って聞いてみると、「かわいくない?」の一言だけが返ってきた。
以来、夏月姫からスタンプが送られてくるのを密かに楽しみにしている自分がいる。もしかして俺を笑わせようと頑張って選んでいるのかもしれない、なんて勝手に想像すると、より愛おしくなる。
「おーい、拓斗!」
夏月姫の可愛さを噛み締めていると、遠くから俺の名前を呼ぶ声がした。あの声とテンションは……もしかしなくても、あいつだな。
「よっすー! 何笑ってんだよお!」
確信を得た俺はもはや振り返りもしなかった。だけどそれが悪かった、肩をどーんと押され、体幹よわよわの俺はすぐに前に転びそうになってしまった。だけど何とか踏ん張って体制を戻し、振り向いて犯人を軽く睨みつける。危ないだろ、スマホの画面がバッキバキに割れたらどうしてくれる。
「……レン〜」
声をかけてきた存在、そして今俺の肩を押した犯人はこいつだ。永乃レン、俺の幼馴染。
家が隣で、かつ母親同士が高校時代の親友という、典型的な幼馴染である俺とレン。最初は親のエゴで仲良くさせられたようなもんだけど、別に一緒にいて居心地が悪い訳ではなく、かといってすごく良いという訳でもない。趣味は合ったり合わなかったりするし、まあ現実の幼馴染ってこんなもんだよな、を地で行っているような間柄。だからといって関わりが全くない訳でもなくて、今みたいにたまたま会えば一緒に帰ったりするような、至って普通な関係だ。
「危ないからやめろって言っただろ!」
「にゃは、ごめんごめ〜ん」
転びそうになった腹いせに、レンの胸ぐらあたりをポカポカと軽く殴って反抗する。
こいつは昔から人を驚かすのが好きで、俺はそれに何度も巻き込まれてきた。とりわけ、後ろから歩み寄って背中をどーんと押すのがお気に入りなのか、頻繁にやってくる。俺はかなり親切(だと思う)に毎回注意してるけど、決まって毎回聞いてないし、毎回軽い謝罪をしてくる。正直ムカつかないこともないけど、こいつは昔からこういう性格だから、もう諦めに近い。
今さら矯正しようとしてもどうにもならないのがレンという人間だ。それをレンらしいなと思って許してしまう俺も俺でおかしい。
「ったく……何回も言ってるだろ」
「ごめんって〜許してよ拓ちゅん〜」
「……やめろってその呼び方」
ぞわわわ、と鳥肌が走る。
最近レンは、俺のことを”拓ちゅん”なんていうふざけたあだ名で呼んでくる。おちょくっているのか、それともこいつなりの愛嬌なのか、どちらにしろ不快であることに変わりはない。なんだちゅんって、俺はスズメなのか。せめて拓ちゃんとかだろ、いやそれもそれで気持ち悪いか。
そうやって謎の自問自答をしていると、これまたレンが急に、俺のスマホにぐいっと顔を近づけてきた。そして夏月姫という文字を見て腑に落ちたのか、大声で俺に聞いてきた。
「あー! その子が前言ってた彼女でしょ!?」
でっか……。声でかすぎるだろ、鼓膜破れるかと思った。俺は咄嗟にキンキンする耳を押さえる。
何を血迷ったか、俺はレンに夏月姫のことを話してしまっていた。名前も、いつ付き合ったのかも、どういう会話をしているのかも。俺としては名前とせいぜいどんな子かだけしか話さないつもりだったのに、気づけばペラペラと話してしまっていた。
甘いルックスと気の抜けた喋り方からつい油断しがちだが、レンは根っからの策士だ。人から情報を聞き出すのが驚くほどにうまい、前世スパイでもやってたのか? と疑いたくなるほどに。
夏月姫のことについて、どうやって話したのかはあまり覚えていない。たしか期末試験の勉強のため、俺の部屋にレンを呼んで二人して悪戦苦闘していた時だと思う。きっと、苦手な英語で頭がパンクしていた俺を巧妙に操って情報を抜き取ったのだ、この男は。




