私のめくるめくモブ学園生活は、このようにして始まった。
短編版のウケが良かったので、味をしめて書き直しました。
煌びやかなダンスホール。
シャンデリアの一つ一つの輝きがまばゆく感じるのは、涙のせいだろうか。
今日の、この晴れ舞台の中心にいるのは私ではない。
私は主人公ではないからだ。
周囲の人々を巻き込み、嵐のように周囲へ影響を与えていく主人公。
彼、彼女たちは雨の日も風の日も、毎日毎日ドラマチックな日々を過ごしている。
瞬き一つで心が揺さぶられ、風が吹くだけで音楽が鳴り、運は味方する─
ほら、これだけで自分は主役格ではないことがわかる。
私の存在は出がらしの紅茶のように薄く、声は誰にも届かないし、影響力も皆無。
せいぜい主人公たちを盛り上げる脇役──モブなのだ。
今日も今日とて、メインストーリーの外側にて。
モブたる私は、なぜか、主役級の王子様から熱烈に見つめられ……いや、怨念の籠もった目で見下ろされ、壁ドンを受けていた。
ひ、ひぃいい!!
かかか壁に私の髪ごとドンされているようだ。
今なら蜘蛛の糸に絡まってしまった落ち葉の気持ちがよくわかる。
ここで自分のことを哀れな蝶に例えないのが、私のモブさをよく表している。餌にすらなれない哀れなモブ。お騒がせしてすみません。
でもね。落ち葉でも怖いんです。
視界が涙で滲んで、シャンデリアの光源が大きく見えてとっても綺麗で……あっ、視界のほとんどが闇に! ちょ、近い! 近いですって!
迫る主役級の顔面。
揺れているのは、恋心ではなく、私の歯の根である。
「──ナタリア、もう俺、だめだよ。我慢できない。このくだらない芝居を壊したら、二人きりになれるかな」
「エッ、アッ」
ざわりと周囲から声が聞こえた。
み、見られてる……!!
「ナタリア、こちらを見て。俺に集中、して?」
とろりと粘度のある色っぽい声が耳に流し込まれた。
見ようによっては恋愛物語の一幕に見えるかもしれないが。
間違いなくここにあるのは、脅しである。
「…………もういいよね?」
近距離だからこそ私の視界からは、はっきりと見えた。
わんこ系王子の瞳孔が、底のない闇の入り口のようにぶわりと開いたことが。
とたんに消える周囲の騒音。
遠くの方で聞こえるヒューヒューと風を切る音がやかましいが、それは私の生命維持活動の音だ。喉が生きようともがいている。
ほんと、あの、私のことより、どうぞあちらでメインストーリーを進めてください!
****
私、ナタリア・ヒューズは脇役である。
──某月某日。春。
王立学園の入学式のため、私は決められた順番で馬車から降りて入学会場へと向かっていた。一人で、だ。
学園の門の周辺では新入生と在学生が入り交じり、きゃいきゃいとはしゃいでいる。
その光景を横目に……嘘をつきました。ごめんなさい。本当はあまりの眩しさに目を逸らし、息を殺して立ち去りました。
あの賑やかな場に一人で立っているのが怖くて、邪魔にならないように端の方を歩いていたつもりだったのだが、盛り上がっている集団の一人にぶつかられてしまった。
「──きゃ! ごめんなさい!」
吹き飛ばされつつ、もしかしてこのハプニングがきっかけで友人ができるのでは!? と少し期待もしたのだが。
「ダッ……アッアハッ。ヘヘ……」
友人候補(気が早い)の彼女は「それでね」とお話の輪に戻り、私の「大丈夫よ、あなたは平気?私はナタリア・ヒューズ。新入生なの、よろしくね」という言葉は声にならず、地に落ちた。
私の乏しいコミュニケーション能力では、彼女の視線を留めることはできない。
これがモブの在り方。
背景と同等。
道ばたの小石、もしくは草である。
草があるから風の存在が見える。
かすみ草があるから、薔薇が映える。
そういうものだから。別に泣いてない。
あっ、今日の風は目にしみる。
そんなぼやけた視界の中でも、生徒たちはおおよそのまとまりができつつある。
それもそうだ。一部の生徒は前日から寮で生活を始めているらしい。
先ほどそう言っている生徒がいた。
盗み聞きではない。耳に入っただけである。
そんな、寮で生活しない生徒は、お友達作りの初日に参加できないってことじゃない! と一瞬狼狽えたが、一般的な貴族たちは入学前から人間関係を構築しているので手遅れだ。
数年ぶりに、このドラグナール国に帰国した私には、なんとも耳の痛い話である。
周回遅れの新しい環境で、お友達はできるのだろうか。はぁ。
と、空を仰ぎ見ていたら。心情だけではなく、現実的にぼっちになっていた。
先ほどまで楽しそうに集まって、通行人の壁になっていたはずの人々が(ぼっちすぎて思考が卑屈になっているのかもしれない)どんどん人が建物に吸い込まれていっているではないか。
角で差をつける勢い、かつ、慌てているように見えない速度で足を動かし、入学式典が開かれる講堂に入場を済ませた。
だって、あの方々が入場する場面を見逃すわけにはいかないもの。
講堂の席順は後方から埋まっていく。
家格順になっているようで、上位の家格の者の席は壇上に近い前方にあるようだ。
入場扉をくぐった瞬間──何千もの目が、一斉にこちらを見た。
目が、眩む。
視界がだんだんボワンボワンと膨らんで歪むのは、息が浅くなっているからだろうか。
たくさんの値踏みされるような視線から逃げるように、顔を伏せた。
こ、こわい……!
ダメかもしれない。ダメです。緊急脱出ボタンがあったら連打している。
いつからか、私は注目されたり、人前に出ると過呼吸や幻覚などの諸症状が出るようになった。
たくさん練習に訓練に特訓を重ねて、これでもマシになったと思ったのに……!
震える喉を何度も鳴らし、緊張で縮こまる肩を意識して下げる。
ここで逃げては、いけない。
なんのために帰国したのか。
なんのために、この学園に通うと決めたのか。
あの方を、この目で見るためでしょう──!
ギシッとこわばる背をシャキリと正して、視線は前方やや上に向ける。
しししし視界にヒトを入れなければいいんです。
見えなければ、存在しないと同じ。同じ。同じ。
今こそ、練習に訓練に特訓を重ねた成果を見せるとき!
「──きゃー! あの方、見ました?」
「──えぇ、えぇ! なんて麗しいのでしょう。どちらの家門の子息なのかしら」
「──あの佇まいは、高位の方でなくて?」
後ろから続々と入場する集団の後ろをソソソと着いていった。
彼女たちはおしゃべりに夢中で、至近距離に立つ私に気づいていない。
周囲の視線からも隠れられ、やっと呼吸ができた。
……練習に訓練に特訓を重ねた成果は、これからだから。うん。
集団は霧散し、良い感じに空席あたりまで侵入することができた。
素早く隠れるため自分の席を探して視線を流せば、「ヒッ」と叫ばれた。
それはこちらの台詞である。私の席はどこ。
あ、もしかして。お友だちのきっかけチャンスの再来なのでは?
今度はごくりと喉を鳴らし、ちゃんと声を届けるのだ。
しばしの睨み合い。
──いざ、参る。
「……アッアノ」
「も、申し訳ございません!」
欲しかったのは謝罪ではない。
行き場のなくなった手を、そのままスライドさせ他のヒトにも視線を流す。
誰も彼も椅子から飛び出し、おなかを抱えて伏せている。体調は大丈夫だろうか。
こ、困った。自分の席がわからない。
ハワワと震えていたら、偶然にもヒューズ公爵家の席次札を自力で見つけ、事なきを得た。
また、お友だちチャンス、逃しちゃったナ……。
別に泣いてない。あれ? 室内なのに、雨かな。
今まで見たこともない入学生を値踏みするような視線は徐々に剥がれていく。
絶えず聞こえていた囁き声が途切れ、生徒たちの視線が出入り口の方に向いた。
空気が、一瞬にして塗り変わる。
いよいよ、登場だ。
ここはドラグナール王立学園。
王国内の貴族の子弟は必ずここに入学する。
これから入場する、あの方たちのための世界なのだから──
私の期待通りに、彼等が姿を見せた瞬間。世界に色が増えた。
視線も。光すらも、集まってみえる。
歓声やどよめきすら、彼・彼女たちの影響力を知らしめる舞台装置。
この学園を舞台にした物語があるとすれば、この年の新入生は主人公たちの集まりだ。
ドラグナール国の第一王子や、そのご婚約者であられる公爵令嬢。
そして、それぞれに背景を抱えていそうな側近候補の有力貴族の子息たち。
彼等の前では、誰しも等しくモブだった。
彼等の席次は私を通り過ぎた前方中央に位置する。
つまり、花道を通り、大接近するということ。
お、おぉ……光が近づいてくる……。
光の住人の行進の中、私は第一王子のご婚約者であるマデリン様をじっと見つめた。
歩く度に揺れる金の髪。伏せた睫毛の影。ヴェールのかかったような頬の稜線。
なにもかも、一瞬も見逃したくない。
彼女を間近で見るために、この学園に入学することにしたのだから。
そう、推し事をするために。
──ん?
あわ。あわわわ!? 目、目が合ってる!?
彼女の美しい青の瞳がこちらを見て、通り過ぎて、戻ってきた。
綺麗な二度見だった。私も二度ほど身体が跳ねた。
彼女が跳ねろと命じれば、跳ねる。そういう玩具だと思ってくれて差し支えない。
次第にわなわなと美しい唇を震わせたマデリン様が、行進の列から一歩だけ外れ、私の方に近付いた。
ついでに私の視界から見たマデリン様の解像度が10dpiから300dpiに上がった。
推しの視覚情報を得ようと身体が反応している。
頑張れ肉眼! うなれ記憶力!
「あなた、もしかして」
「はひ」
はわ。マデリン様の声が、聞こえる……!
「ナ──」
「おい、マデリン。はやく行くぞ、もたもたするな。全く」
マデリン様が第一王子殿下の方に視線を逸らすと同時に、私は顔を下げた。
供給過多による心肺停止を起こしそうだったし、何より私のようなモブよりも殿下(準主役)を優先してほしい。
私の願いが正しく通じたのか、マデリン様の靴先は一瞬戸惑ったようにジリリと動き、やがてそのまま去って行った。
一瞬の出来事に、何が起きたのかとまた周囲が私の存在を思い出した様子だが、もうそれどころではない。
マデリン様が私に向かって「ナ」と発した。
それ以外の情報は第一王子殿下がマデリン様を呼んだため、全くわからないが記念すべき「ナ」の摂取である。私の好きな言葉が決まった。ナ、である。未来の子どもの名前も「ナ」にしよう。
私の価値観を一変させる力を持つ存在。それこそが主人公。
私は主人公たち──主にマデリン様を、間近で観察できる日を今か今かと待っていたのだ。
運良くドラグナール王国の公爵家に生まれたのは、彼等のそばに立っていても不自然ではない立ち位置にいるために違いない。
早速、最推しマデリン様の視界に入るという、初回ボーナスまで獲得してしまった。どうしよう。
もしよければこの喜びを共有できる友人もできたらいいが、今はまだいないので日記にしたためるとしよう。
あまりの嬉しさに表情が戻らず、しばらく顔を上げられなかった私は気付いていなかった。
今年の新入生の中に、王族は二人いることに。
そして俯く私の横を、第二王子殿下が通ったことも。
──その第二王子殿下が、私の推し活を脅かすことも。
まだ何も気付いていない私のめくるめくモブ学園生活は、このようにして始まった。




