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翌日も同じように病院内を掃除していたら、ついでに怪我人の治療を頼まれた。元は浅い傷だったのだが、軽傷だからと放置していたら化膿したのだ。ここでは薬不足も深刻らしく、簡単な処置で済ませた結果、悪化させてしまうケースが多いという。
自分がやっていいのか、半信半疑になりながらウェンディが治癒魔法をかけると綺麗に治った。患者もその家族も驚いたが、ウェンディ自身が一番驚いていた。
そこからあれよあれよと軽傷の患者を振り分けられ、雑用をしている暇がなくなってしまった。師長に訊ねてみたが、こちらが最優先と言われてしまったら反論できない。
午後はまた孤児院の医務室で子どもたちの怪我を治す。が、昨日に比べて連れてこられる子が格段に減った。怪我をせずにいられるならそれに越したことはないが、昨日との落差が引っかかる。
(……まさかね?)
困らせるためにわざと怪我をしていたというのであれば問題だ。しかしシスターのありがたいお話でもいただいたのか、それとも別の作戦に切り替えたのか、やってくるのは一人か二人。もっとも、その子たちもこの世の終わりかと思うほど暴れて泣くから、体力よりも精神にキている。シスターが四人がかりで手足を押さえつけなければいけないなんて、火事場の馬鹿力とは恐ろしい。
前任の看護師や治癒術師は何をしたのかと頭を抱えるが、ここにいない人に文句を言っても詮無いこと。
「よし、勉強、勉強」
手を叩いて気分を切り替える。
乗り継ぎの馬車の中でも勉強できるようにと、数点の教本を持ってきておいて助かった。途中で路銀が尽きてしまった時は焦ったし、遭難寸前だったが、これはトランクの中で死守した。
開いたのは、治癒術を行使する上での基本をまとめたもの。
無数の縁で結ばれたこの星は、同時に精霊の加護にも包まれている。
精霊の加護は地、水、火、風、光の五種。人は生まれた時、このいずれかの加護を授かる。これがそのまま、その人が使用できる魔法の属性になるのだ。
しかし、中にはその加護を授からない人々も生まれる。精霊に見放された彼らを国は“番号札”と呼び、英数字による管理番号で支配した。人権のない彼らは国から人々に貸与され、様々な労働に従事する。
生まれてきた子が番号札かどうかは、神官が祈りを捧げて初めてわかる。それでも、せっかくお腹を痛めて、時には母親の命を犠牲にしてまで生まれてきた子どもが番号札だった時、親の憔悴ぶりは見るに堪えない。中にはその場で赤子を殺してしまう事例もあった。そのため子どもが番号札だと判明した時、親には急性のショック死と言って隠すことになった。
酷なことだが、番号札が便利なのも事実。どれだけ親が泣き崩れようと、知らない方が幸せなこともあるのだ。
教本のページを目で追っていると、ノックの音が聞こえた。
「はーい?」
返事をすれば、おそるおそる、といった感じでドアが開く。開いたドアの隙間から顔を覗かせたのは、三歳くらいの女の子だ。
「あら、どうしたの?」
教本を置いて立ち上がる。すると女の子は怯えたように後ずさりしてドアを閉めてしまった。
が、どうやらドアは勢いで閉めてしまっただけらしい。すぐにまた開いて、隙間からこちらを窺ってくる。
「どうしたの? 誰か怪我した?」
その場でしゃがみ込み、目線を合わせて訊ねる。大人と子どもでは目線の高さが違う。子どもの目線に合わせるのは、相手の話を聞くうえで基本の姿勢だった。
女の子はおずおずと、ドアで隠れた向こう側を指さした。
「あっち」
「わかった。案内してくれる?」
こくりと頷いた女の子の後を追い、ウェンディはドアを開ける。
「きゃあああ!?」
ばっしゃあん、と派手な音と共に大量の水が降ってきた。同時にゲラゲラと子どもたちの笑い声が聞こえる。
そちらを見れば、子どもたちがウェンディを指さして腹を抱えて笑っていた。呼びに来たはずの女の子も手を叩いて笑っている。
「…………」
頭上を見れば、水滴を垂らしながら揺れるバケツが目に入った。ドアを一定以上の角度で開けるとひっくり返る仕組みのようだ。
頭から水をかぶると、いくら室内とはいえ冷えるもの。だからウェンディはドアを閉めて鍵をかけ、室内にあった予備の服を引っ張り出した。
謝って洗って返そう。
そう思いながらシスターの服を身につける。
子どもたちはまだ足りないのか、しきりに開けろと言ってドアを叩いてくる。ウェンディはそれを無視して、びしょ濡れになった服――これも村から頂いたものだった――に顔をうずめた。
「――ふぅ」
顔を上げ、服をハンガーに吊るして乾かしておく。帰る頃までに乾いていれば上々だ。
そしてドアの鍵を開ける。
「おい、おっぱい見せろよ!」
ドアが開いた瞬間、そんな言葉が飛び込んできた。ウェンディはそれを無視して廊下を進む。
「ムシすんなよー!」
「やーい、でかぱい!」
「パンツみせろー!」
耳障りな声を無視しながら、孤児院内を歩き回ってようやく目当ての人物を見つける。
「あ……」
囃し立てることに夢中で気付いていなかった子どもたちが、顔を赤くするシスター・ケイトに全身を強張らせる。
彼女が規律にも差別にも人一倍厳しいのは、昨日一日でウェンディも骨身に沁みていた。
「あんたたちっ!!」
シスター・ケイトの怒号に、子どもたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。シスター・ケイトは彼らを追わず、ウェンディに駆け寄る。
「ウェンディさん、大丈夫?」
「……はい」
頷きはしたものの、声は情けないほど震えていた。
ウェンディは十五歳だ。しかし、大人になったばかりの子どもでもあるのだ。罵倒されて傷つかないわけがないし、年上に縋るのは当然の判断だった。
「すみません……。頼るようなことになってしまって……」
こらえきれなかった涙を零すウェンディに、シスター・ケイトがその両手を掴む。
「いいのよ。こちらこそ気付かなくてごめんなさいね」
皺が刻まれた両手からぬくもりが伝わる。そうして、ようやく自分が緊張と恐怖に苛まれていたのだと、ウェンディは気付いた。
「服は? 医務室にある?」
「はい」
「じゃあ、帰る頃までそこにいてね。怪我した子がいたら連れてくるから」
「はい。服は、ちゃんと洗って返しますので」
「ありがとう。さ、戻りましょ」
シスター・ケイトに促されて、ウェンディは医務室への道を戻る。
「――なんてことをしたんですかっ!」
戻る途中、医務室の方から別のシスターの叱責が聞こえた。天井が高いから、遠くの声もよく響く。
子どもたちの悪事がばれたのかと、ウェンディはほっと胸を撫で下ろす。
だが、次の瞬間に聞こえてきた言葉に耳を疑った。
「破くなんて……少しは人のことを考えられないのっ!?」
若いシスターの金切り声。それが意味するところを瞬時に理解して、ウェンディとシスター・ケイトは走り出していた。
ウェンディは運動があまり得意ではなかったが、それでも年上のシスター・ケイトに負けるほど体力も衰えていない。
「わたくしはっ、あとから、追いつきます……!」
「はいっ!」
後ろから聞こえるシスター・ケイトの言葉に声だけで返し、ウェンディは廊下を走る。
破かれたのは服か、教本か。教本は値が張るものの、給金で買い直せる。しかしあの服は、寒さで凍えていたウェンディたちが村人から分けてもらったものだ。たとえありきたりなものだとしても、値段以上の価値があの服にはある。
「あ……」
子どもたちを叱っていたシスターが目を見開く。その横を通り過ぎ、医務室のドアを開けた。
冷たい風が吹き込んでくる。その寒さも忘れ、ウェンディは見回す必要のない惨状を目にした。
ハンガーラックに掛けてあった毛糸の服はボロボロに切り裂かれ、床に散乱している。開け放たれた窓から入る風に乗って踊るのは、小さな紙片たち。
風に押されて、机の上にあったものが落ちた。そこに書かれた「治癒術・基礎」の文字を目にして、紙片の正体を知った。
「ハンッ、ざまあみろ」
後ろで誰かが言った。
「よそ者が堂々と居座るからだ」
「マルス、あなたいい加減に――!」
「何もしらねえ奴が知った風な顔でここにいるんじゃねえよ!!」
シスターの叱責すら遮る怒号が、稲妻のようにウェンディの耳を貫いた。
「そんな奴の施しを受けるくらいなら、おれがみんなを守る!」
ゆっくりと、ぎこちない動きでそちらを見る。子どもたちの中でも一等大人びている少年――おそらく彼がマルスだろう――がきつく唇を噛んで前を睨んでいる。
彼の身に何があったのかウェンディは知らない。聞いたところで答えてくれないだろう。けれど、まだ幼いその顔に決意が宿っているのは見て取れた。
だからといって、ウェンディの怒りが収まるわけではない。
「……では、本を破いたのは失敗でしたね」
ぽつりとウェンディは言った。
「あれは治癒術の教本です。水の精霊の加護があったら、使えたかもしれないのに。もったいないことをしました」
口調の変わったウェンディの言葉に、シスターやマルス以外の子どもたちがそっと彼女を見る。独り言のようなそれは、まずいことをしてしまったのではないかと彼らに思わせるくらい、平坦で温度のないものだったからだ。
そしてウェンディの顔を見た彼らは一様に顔色を変え、すぐに視線を外した。
「……ねーよ、んなもん」
ウェンディを見ないまま、マルスが答える。
「そうですか。では、少し時間はかかりますが、薬草を煎じる方法を調べた方がいいでしょうね」
「んな高価なもんがあると思うか?」
「育てればいいじゃないですか。バレたくなかったら、部屋とかに、こっそりと」
「……ここ、年中冬だぞ?」
懐疑的な目をマルスが向ける。ようやく視線が合った。
そこで彼がギョッと目を見開く。
平坦な声に反して、ウェンディは煮えたぎったマグマのようにはっきりとした怒りを浮かべていた。
「寒い場所にしか自生できない植物もあります。あと、お勧めはしませんが、毒草が薬になったりもします」
「ど、毒?」
まだウェンディに気圧されているマルスが、なんとか聞き返す。声のトーンと表情が合っていない。そのアンバランスな恐怖がじわじわと彼らを侵食していった。
「毒は強すぎるから毒なんです。薄めたり、弱める効果のある素材と混ぜれば、立派な薬になります。まだまだ勉強途中ですが、そういった植物があるのは知っています。シスター、この街に図書館はありますか?」
質問の矛先を若いシスターに訊ねると、彼女はぴゃっと飛び上がった。
「え、あ、ある、あります!」
毒草の話を聞いて引いてるのかもしれない。怒ると敬語になるし声のトーンも変わるのは自覚していたが、ここまで怖がられるとは思っていなかった。
知らない方がいいことも世の中にはある。
「じゃあ明日、案内してくれますか? もしかしたら、ここで育てるのに適したものがあるかもしれません。上手く行ったら教会の臨時収入にもなりますよね」
しかも病院はすぐ隣にある。薬草の中には鮮度が命のものもあるから、それが育てられれば双方にとって利益になる。
「それなら、リュミス女史に許可をもらわないといけないわね」
ようやく追いついたシスター・ケイトが、息を整えて言った。
「リュミスさん?」
ウェンディは訊き返した。なぜここで彼女の名が出るのか。シスター・ケイトは表情と声のトーンがちぐはぐのウェンディに臆せず答えた。
「この街一番の図書館は、領主さまの屋敷にある図書室なのよ。市民にも一般開放されているけれど、盗難防止のために事前に許可がいるの。本来なら領主さまの許可がいるけど、不在の場合はリュミス女史が代理をしているのよ」
「なるほど」
「ちょうどいいから、今夜にでも話をしてみてくださらない?」
「はい」
ウェンディは頷いた。思わぬトラブルになったが、いい方向に転がっていきそうでよかった。
「まあ、それはそれとして」
シスター・ケイトが咳払いする。
「人様の荷物をダメにするとは、いったいどういうことですか?」
思わず、シスターやウェンディも一歩下がるほどの気迫。なんなら収まりそうにないと思ったウェンディの怒りが逃亡を図った。ウェンディの怒りが遅効性の毒なら、シスター・ケイトのそれはまさに雷。予見できても、当たるときは当たる強烈な一撃。
逃げられない子どもたちは思わず互いに抱き着く。
「御心への理解がまだ足りないようですね」
外は晴れているはずなのに、特大の雷鳴が轟いた気がした。
「……なるほど。そういうことでしたらいいですよ」
夕方。屋敷に戻ったウェンディが図書室の利用について訊ねると、リュミスはあっさりと許可を出した。
「すぐに夕食ですので、着替えてきてもらってもいいですか?」
「はい」
ウェンディは頷いて、すぐにあてがわれた部屋でシスター服から新しい服に着替える。
いくつか予備を貰ってはいたものの、持っていたものを壊されるというのは良い気分ではない。
夕食の席では、メイド長を中心に情報の共有がおこなわれた。それが少しだけ静かに感じたのは、領主であるディムが不在だからだろう。
その横でオズワルドが一人やたらとおかわりしていた。土木作業に従事することになったから、体が欲しているのかもしれない。料理長は嫌な顔一つせず、むしろ彼の食べっぷりを見て気持ちよさそうだった。
ウェンディは穏やかに進む時間の中で、そっと視線を巡らせる。昨日と一昨日はそこまで気が回らなかったが、今日はいくらか余裕がある。
そして気付いた。
番号札がいない。
生まれながらの奴隷階級である彼らが一人もいない。領主の屋敷だから十人規模で存在すると思ったのだが、誰も首筋にその証がない。
寒すぎてすぐに死んでしまうから効率が悪いのか、それとも単に買うだけのお金がないのか。いやそれだったら使用人を雇うより番号札を買った方が安上がりだ。彼らに給金は必要ないのだから。
あれこれ思考は巡るものの、ウェンディが考えても詮無いことであった。
それに、そのことについて突っ込めるほどウェンディもここの暮らしに馴染んでいない。あくまでも自分たちはお客さんなのだ。
だから、このことは自分の胸にしまって、はやく忘れることにした。
ふと、思い出した。
「あの、リュミスさん」
「はい」
「図書館に、治癒術に関する本ってありますか?」
孤児院の子どもたちに修復不可能になるまで破かれてしまった教本。あれの代わりとまでは言わないが、関連する本があればいいと思った。
「調べてみますね」
リュミスはそう答えた。
「ありがとうございます」
望みが繋がったウェンディはほっと息を吐く。
多少扱えるが、治癒術もまだ勉強中なのだ。少しでも知識が増えるに越したことはない。良い本があればいいなと思いながら、ウェンディは焼き立てのパンを頬張った。
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