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 冷静に考えてみれば、おかしなことだらけだった。

 クィエルにも教育機関はあるから、わざわざ王都に出張らなくても教育の機会はいくらでもあった。

 真夏でも制服の下にタートルネックの長袖長ズボンを着用していて、暑さで倒れそうになったことも一度や二度ではない。

 魔法の授業もさっさと課題をクリアし、その優秀さから教師たちに推薦状を書かせてくれと言われていたのに、それを蹴って姿を消してしまった。

 卒業パーティの数日後、各地で番号札ナンバーズがいくつか姿を消したと言って大騒ぎになっていた。どこかに匿っているのではと、ウェンディの勤務先であった病院にも軍が押しかけてきて大変だった。

 あれの首謀者は、ひょっとして――


 目を開けると、石造りの天井が目に入った。

 周囲に目を向ければ、ウェンディが借りている客間の景色が映る。

「あれ……?」

 起き上がって、首をかしげる。

 たしか、ディムとオズワルドの模擬戦を観ていたはずだ。そこで急に気分が悪くなって――

「っ!」

 思い出して、思わず口に手を当てる。

 見せられた首筋。そこに刻まれた英数字。

 番号札。ディムは自分のことを確かにそう言った。

 ただ搾取されるだけの彼が、一体どうして領主の地位を得たのか。

 いや、それ以前に。

 人間のフリをして社会に溶け込んでいた。

 そんな彼に少しでもほの甘い感情を彼に抱いていた、自分が気持ち悪い。

「ふー……ふぅー……」

 右手で口を押え、左手でその腕を強く掴む。深呼吸をして、どうにか吐くのだけはこらえた。

 だけど。

(どうしよう……)

 どれくらい時間が経ったのかわからないが、これから王都へ向かう。さすがに別々の馬車に乗るだろうが、クィエルから王都まで一週間の道のりだ。その間、少なくとも食事の時は一緒になってしまう。

 今まで通り接するなんて、ウェンディには不可能だった。

 コンコン、とノックがする。

「ウェンディさん、入りますね」

 そう言って入ってきたのはリュミスだった。

「ああ、起きられたんですね」

 ほっとした表情を浮かべながら、リュミスはサイドテーブルにたらいとタオルを置く。

「気分はどうですか? お腹が空いているようでしたら、料理長に何か作ってきてもらいますけど」

「いえ……」

 いらない、と言おうとしたウェンディを遮って、お腹の方から切ない音が聞こえてきた。

「…………」

 顔を赤くするウェンディに、リュミスは困ったような笑みを浮かべる。

「リゾットとか、体に優しいものを頼んできますね。こちら、ご自由にどうぞ」

 そう言って立ち去るリュミスを見送って、ウェンディはたらいを見る。

 正直、食欲はない。だが何かを胃に入れておかないと、この雪国では動けなくなってしまう。

 たらいは洗顔や洗髪用だろう。手を浸けてみると、人肌より少し温かった。クィエルでは井戸を掘っても水が凍ってしまうため、水道が敷けない。そこで雨水を溜めたり、雪を保管して水全般をまかなっているのだ。

 この水も雨水を煮沸したり、雪を溶かして作ったのだろう。

 クィエルの人々にとってはきっと当たり前の行為が、今のウェンディにはこの上なく憎らしかった。

 いっそ氷のように冷たかったら、少しは気が晴れたのかもしれないのに。

 水面に映った自分の顔が醜く映り、ウェンディは乱暴にその水を顔に叩きつけた。


 料理長にウェンディの食事を頼んだリュミスは、その足でディムのいる執務室に向かった。

「領主さま、リュミスです」

「入れ」

 重厚な扉を開けて入れば、ディムはフレノールと話し合っている最中だった。下がろうとするリュミスやフレノールを制し、リュミスに報告を促す。

「ウェンディさんが目を覚まされました」

 リュミスの報告に、ディムはわずかに表情を緩めた。

「そうか。どんな様子だった?」

「まだ気分は優れないようです。お腹が空いていたようですので、料理長に食事を頼みました」「そうか」

 ディムは短く答えると、机の脇に置いてある一枚の封筒を見やる。

 真っ白な封筒に赤い封蝋がされているそれは、蝋に王家の紋章が刻まれていた。

「食事を終えたら、応接室に連れてきてくれ。オズワルドも一緒にだ」

「かしこまりました」

 礼を取ったリュミスは、しかしすぐにその場を去らなかった。

「……あの」

 顔を上げながら、リュミスは躊躇いがちに訊ねる。

「よろしかったのですか?」

 ディムが視線を上げると、リュミスは自分の首筋を軽く撫でた。

「…………どうだろうな」

 その仕草の意味を汲み取ったディムはそう答える。そうとしか答えられなかった。

「決めるのはあの二人だ。もっとも、進んでも戻っても、彼らにとっては地獄だけど」

 そう言って、ディムはリュミスに下がるよう合図をする。リュミスはきゅっと唇を噛み、礼をして執務室を後にした。

 扉を閉め、曲がり角に入って壁にもたれる。

「…………」

 詰襟の上からもう一度手で触れる。

 倒れる前、ありえない、とウェンディは言った。ベッドの上で彼女は吐き気をこらえるように口を押えていた。この二つを、リュミスはディムに伝えていない。これ以上の苦労をかけさせたくなかった。

 く、と手に力を入れる。

 詰襟の型が少し崩れる。

 それだけだった。


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