迷路から見上げた月
I'ld say I had eyes again
「カリスマ性」。
ヴォーカリストへの賛辞について回る言葉。
大変美しい、あまりに綺麗なヴォーカリスト。
サブ職業は「写真家」だろうか。
大変アーティスティックな音楽家様。
すっかり日は落ちた。空気を入れ替えながら、電子香炉でお気に入りの沈香を焚いている。
どこかスパイシーで緩やかな香り。
見上げた空は泣き出しそうな曇天。
ヴォーカリストを最も現す曲。
あたかも彼のメインテーマな空模様。
魅せたい「avatar」だけを演じ続けた人。
何故、彼はこれほどまでに魅力的なのか。
歪で歪んだヴォーカリスト。
だが、彼はあまりに「美しい」。
Yours in the ranks of death.
誰もが魅了され、あなたのために死ねると言ってしまう。
彼は人なのだ。「太陽」や「星」ではない。
なのに、誰もが求めて止まない。何故?
なあ、どう思う?
確かに綺麗だとは思ったが、飛び抜けたほどの容姿ではない。実際に小柄だし、ビスクドールには程遠い。
歌そのものは間違いなく上手い。ほぼ上限貼り付けなMAXレベルだとは思うけど、歌が上手いだけなら他にもいる。
ギター演奏力も素晴らしい。だけど、これは2人目のギタリストどころか、ギタリストにも勝てない。
ソロになってから特に後期に作られた楽曲は、非常に難解。一般受けとは言い難い。このよくわからないプロファイル。化粧を落としたら、どんな「顔」なんだろう?
とりあえず適当に買った惣菜食べて、風呂に入った。
髪を洗いながら思い出したのは「死神」の言葉。
「美学」
生き様、そのもの。そこにあるだけで、美しい「芸術」。
「作品」は「本人」。誰かが作り上げた「彼」。
もし、これがその正体なら、それは「痩せ我慢」だ。魅せたい「avatar」を作り上げ、実体がどれだけ悲鳴をあげようと自分自身を騙し続ける。何故なら彼は「作品」だから。
本人の気持ち、人としての「感情」は何処へいく?
「My anger is welling up」
英語においても日本語においても「気持ち」はまるで「不定形な液体」であるかのように取り扱われる。
だが、英語と日本語では決定的に異なるのは「器の形」。
そう、英語では「気持ち」という液体を入れるのは「自分の外側にある」。
日本語では「怒りが腹に溜まった」などが示すように「人が容器」となる。
ヴォーカリストは「カリスマ」だった。
そして人としての「気持ち」を、外に、その「avatar」に置いた。
「作品」として。
彼が気持ちを表現するのは、人生も中盤を過ぎてから。
それだって多くはない。
どこまでも「主人公」だった。綺麗なまま。だから、壊れた。彼は日本語で考える日本語話者。要は日本人だったから。
自分の中に溢れる感情を現す手段を、自ら封じてしまった。
自己表現をする職業を選びながら、感情表現を自己の外に置いた。
人は考える葦。人の本質は「考えること」「感じること」。
すなわち「気持ち」が「魂」の発露だとするのだとしたら、それを「avatar」に置いた彼は、さぞかし「美しかっただろう」。魂が込められた「作られた」ヴォーカリスト。
「カリスマ」。
それはきっと「天賦」の才能と作り上げた「美学」。
引き換えたものは「彼自身」。
だから、彼は動けなくなっている。
壊せない。その「感情の器」としての「avatar」を。
だから、向き合えない。
ウザいしダサいぐらいに感情的に振る舞うギタリストと。
辛味を感じる香りは、降り始めた雨の匂いと混ざって、色彩を変える。
「悲劇」
いや、
An interlude!
「茶番劇」だな。




