第十七話目 タケシ、救命す? ~誰にも知られることのない顛末編~
ざわざわ、という声がどこか遠くの方で聞こえている。緊張のあまり、耳が正常に機能してない感じだった。周囲の人の視線が集まってる気がした。
どうしよう。どうしたらいいんだろう、という声が、頭の中でうるさく鳴っている。
ふと思い出した。そういえば、なんだかっていう講習をこないだ受けてきたのだ。人工呼吸とか、心臓マッサージの方法とか。あとAEDの使い方も聞いてきた。あれは、ちょっと講習を受けるだけで、認定書みたいなものをくれる。こんなんでもらってしまっていいんだろうか、と思った記憶がある。今のたった1回の講習で、自分は何を認定されたのだろうかと、勝手に決められても困るなと思ったのだ。
実はその時に、心臓マッサージする役をタケシがやったのだ。今回のように、なぜかこういうのは最前列に並んでしまいたくなるタケシの悪いクセがでてしまい、目立ってしまったためその役に当てられたのだ。
ここまでいってしまって後にはひけないと無駄な男気が沸いてきた。
(こういうときはたしか……)
ごくりと生唾を飲んで、講習の内容を、頭をフル回転させて思い出した。
先ほどまで意識がなかった人が急に取り戻したとも思えなかったが、とにかく夢中で講習の通りにやる。
まずは、肩を叩いて呼びかける。
意識がないことを確認し、気道確保とかの関係で枕にしていた本を避けた。顎を持ち上げて、頭は逆に反らせる。たしかこの角度でよかったはずだ。
タケシにはもう周りは見えてなかった。
あの時の講習の時間にタイムスリップし、それ以外のことは何も考えていなかった。今までかつてないほどの集中力。
気道を確保した状態で、胸の辺りを見るが、膨らんだりへこんだりという呼吸が行われてるようには見えない。まったく動いてなかった。
「誰か鏡持ってますか?」
すばやく誰かが鏡を手元に持ってきてくれたので、鏡で口元が見える角度にし、自分はその鏡が見える角度に顔を動かす。呼吸をしていれば、鏡が曇るはずだ。だが、一向に曇らない。一応自分でも確かめたが、息をしたらしっかりと曇った。
「図書館員さん、AEDありますか? あったら持ってきて下さい。あと、さっちゃんってまさかペースメーカーとか入れてないですよね?」
「わかんないです。入れてるとかは聞いたことないし……」
うろ覚えの知識を総動員し、心臓マッサージを試みる。
(圧迫するところは、乳頭と乳頭の間)
1分で100回くらいの速度で、といっていた気がしたが、その速度が分からない。
(ええっとアレグレットよりも遅いくらいだから……)
なんて言っても分からない。が、見渡すとちょうど時計が壁にかけてあった。秒針がちゃんと一秒ずつ動いてくれるタイプだ。この秒針が1分60だから、これよりもちょっと早めに。
心臓マッサージのやり方では、講習では何度も駄目だしをくらった。腕はまっすぐにして、しっかりと圧迫する。圧迫したあとは、すぐに力を緩める。その腕の角度とか、圧迫の具合とかがよく分からず、何度も何度もお手本を見せてくれて、それを真似してやって、やっとOKをもらったのだ。
(その角度を思い出せオレ!!!!!)
なんとかそれらしき心臓マッサージのあとは、人工呼吸が定説だが、特にやらなくてもいいという話を聞いたので省略する。やらなくてもいいことはなるべくならやらないほうがいい。
「AED持ってきました」
館員さんが来た。
AEDは実はとっても簡単な機械だ。自分で心臓マッサージとかやるより全然いい。なにしろ、やること全部機械が教えてくれるし、やる必要があるかないかも機械が判定して教えてくれるのだ。
ともかく、蓋をあけると、電極を接続するようアナウンスが流れた。接続する場所は、イラストで分かりやすく描いてあるのでその通りの場所に貼る。そういえばさっき、ペースメーカー確認しないで心臓マッサージをしてしまったがよかったのだろうか……、とちょっと焦ったが、胸の辺りにそのような感じはしない。たしか、ちょっと硬くなってるとか講習で言っていた。
タケシはAEDを彼女に装着した。都合上、上半身の服を脱がせてしまったが、この場合は仕方ない。頭の中で謝る。
タケシが今はとても必死だったため、上半身の皮膚とか膨らんでるあたりとかに変な気をとられる余裕がなかったのが彼女にとっては良かった事だと思う事にした(後から)。
すべての電極を貼ったところで、またアナウンスが流れる。解析してるらしい。何度か解析中のアナウンスが流れたあと、除細動が必要だとAEDは判断した。
AED様が必要だとおっしゃってるなら必要に違いない! ということで、除細動をやる。というか、これもAED様がやってくださる。なんだか間抜けな音がAED様から流れた。もう少し高い音だったら、打ち上げ花火が打ち上がってる最中みたいな音だ。たぶん、電気を充電とか帯電?とかよく分からないけど、そんなようなことをやってるのだろう。
まもなくして、AED様に通電ボタンを押すように命じられたので通電ボタンを押す。なんかもう、されるがままな感じだ。すべてを機械に任せている。機械ってすばらしい!
押したあとで、再び解析し始めた。
AED様はまた除細動が必要だとおっしゃった。さっきの打ち上げ花火の音のあとで、通電ボタンを押した。
さらに、解析。
なんと、もう除細動は必要ないとAED様は判断された!!
脈を確認するようにおっしゃったので、脈を確認。今度はちゃんと触れてる!!!
「や……った……」
口から思わず声が漏れた。
「さっちゃん!!?」
「どうなったの!?」
周りのどよめきが耳に大きく響いた。今までは無音だったのかそれすらも分からないままに、声の渦に飲み込まれた。
その直後、タケシはふと我に返った。
(あれ? オレって……。えっと……)
自分のやったことを振り返る。講習で一度聞いたきりの、拙い心臓マッサージ。これって肋骨折れる場合とかあるらしいという、余計な知識が頭をよぎる。
AEDとか1回もやったことないのに触ってしまったという事実により、達成感ではなく、やってしまった感で全身が粟立った。
瞬間、
「AEDしまっといてください!!」
と言って、タケシは野次馬を今度はさっきとは逆に突っ切って、図書館をでた。本は返さないで持ったままだったが、そんなことはどうでもよかった。
とにかくこの場から逃げたかった。
救急車の音が近くなり、音程が変わり、どんどん大きく近づいてきた。図書館の近くでサイレンを止めて、玄関につけようとする救急車とすれ違うようにして自転車で走った。
もう何も見たくなかった。
なぜか、恐怖で頭がいっぱいだった。
もしかしたらAEDの装着とか間違ったために除細動が必要だとAEDが思ってしまったのかもしれないとか色々考える。ペースメーカーはほんとに入ってなかったのだろうか? 入ってる状態で心臓マッサージをしてもよかったのか、もし入ってる場所に電極をつけたら、ペースメーカーが誤作動起こすとかあるのだろうか。自分は何かの罪に問われるのだろうか。
とにかく怖かった。
走って走って、家に向かわずに、とにかく体力が続く限り延々と走り続けた。何も考えたくなかった。ちょっと講習受けたからといって、自分がしゃしゃりでてもよかったのか。
チキンな自分が嫌になるが、でも怖いものは怖い。自分は、人の命を……どうしたのだろうか。助けたのだろうか? それとも……。
「うおおおおおおお!!!!!!!」
横をすれ違ったおばちゃんがこっちを怪訝そうな目で見るが、そんなものはどうでもいい。罪人になるくらいなら、変人になったほうがずっとマシだ。
陽も落ちていい感じに疲れたころ、タケシは家に戻った。
リビングに本を置いて、
「ちょっと! タケシ、どこ行ってたの? 図書館行かなかったの!?」
という言葉を尻目に、「もう疲れたから寝る。夕飯いらない」という言葉を残して階段を上って自分の部屋に戻る。
ベッドの中に入って寝ようとしたが、さっきのことが頭から離れない。
仕方ないので、隠してあったエッチな本を読んだ。そういえばさっきのさっちゃんの身体ってどんなんだったっけ。などと考えながら、少し興奮したあとで眠りについた。
夢の中で、自分は罪人になっていた。起きたら汗でびっしょりだった。
次の日、タケシは一歩も部屋から出なかった。
部屋から出たら、新聞とかテレビとかが見えてしまうかもしれない。昨日の事が、事件としてとりあげられてたらと思うと怖くてたまらなかった。もしかしたら一人の女性を救ったという事件かもしれないが、そういう記事だったらきっと小さすぎて記事にもならないだろう。問題は、一人の女性を死に追いやったという事件だった場合の話だ。これはもしかしたらサツジン事件とかでとりあげられるかもしれない。それが怖かったのだ。
本当にこれで殺してしまうとか、彼女の病状を悪化させるとかあったら自分はなんの罪に問われるのだろう。牢獄とかに入ってしまうのだろうか。警察とかやってきて、「ちょっとお話聞きたいんですが」とか言ってきたら窓から逃げたほうがいいのだろうか。いや、そんなことしたら間違いなく捕まえられる。挟み撃ちとかされるんだ。そして、「どうして逃げたんだ?」とか聞かれるに違いない。
じゃあ警察が来ても、逃げなければいいのか? だとしても、誰か写メとかとってて、「これはあなたですね」とか言われて……。やっぱりそのルートも牢獄行きだ!!
そういえば、あの時自分が必死で心臓マッサージとかAEDとかやってたけど、実はそれのことを知ってる人がいて、「ああいうやり方じゃ駄目なんだけどな。まぁいいか」とか馬鹿にされてたりして! いや、その場合はきっと、駄目なんだけど別に害にはならないからほっとかれたんだろう。こっぱずかしいけど、捕まるよりはいい。
捕まったら薬剤師免許は剥奪されるのだろうか。いやいや、剥奪されなくても、前科のある人は雇ってもらえないに決まってる。今のところだってクビになるのだ。
タケシの妄想は留まることを知らないかのようにいいだけ膨らみ、エンドレスで繰り返された。
その日タケシの母が図書館に行って、一人の女性を救った青年にお礼を言いたいとその女性が言っているという話を偶然耳にして、それを食卓の雑談の一つとしてタケシを含む家族みんなに披露するまで、タケシは布団の中で恐怖と戦っていた。
食卓でその話を聞き、タケシは心底安堵し、持っていた箸と味噌汁を落としてしまった。めっちゃ熱かったけど、どうでもいい。
「それ、オレのことなんだけど!!」
と、一転して昨日の雄姿を嬉々として語ろうとした時、
「嘘言いなさい。あんた昨日図書館行かなかったじゃない」
という冷静なる母親の言葉で頭を抑えられた。
もちろん、他の家族も誰も信じてくれなかった。
結局、昨日の自分の雄姿は誰にも語られる事がないまま、休みは終わってしまい、また再びいつもの仕事が始まった。
いつもの自分に戻った途端、この間のあんな出来事はなかったかのような気になってきた。遠い昔に見た、ただの夢だったかのように。
でもこれだけは自信を持って言える。
AED様ってすげえええ!!!!