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輪廻のそのさき

 その後、彼女は頼朝から与えられた寒川荘に移り住み、以降、寒川(さむかわの)(あま)と呼ばれる。

 当地で邸を構え、在家のまま経を読み、政光の菩提を弔う。

 後家(ごけ)(あま)として暇を持て余しても良いところを、尼は以前と変わらず家人を笑わせ、毎日を賑やかに暮らした。


 やがて尼は近隣の有名人となった。

 どこで聞きつけてくるのか、寒川尼の話は面白い、下手な坊主の説教を聞くより、心が洗われると噂が広まり、迷える女性(にょしょう)たちが尼寺に向かうように彼女の邸へと(つど)った。

 尼もそれを分け隔てなく受け容れる。


 あるとき、女たちの中に一際美しい女性を見かけた。

 臈長けた風情ながら、どこか崩れた印象を与える。

 誰もが声をかけるのをためらったが、寒川の尼は気にせず、

「そこの人、こっちにいらっしゃい」

 女性たちの輪に招き入れた。

 皆で車座になり、尼は自分の生い立ちや宮廷生活、頼朝の乳母だったころの話、政光の妻としての日々などを語り、女性たちを楽しませた。


「今はこうして落ち着いているけれど、命を危険にさらしたこともあったわぁ」

 都からの下向中、山賊に襲われた話を披露する。皆がはらはらして聞き入るなか、

「殿ってば、本当にお強くってね。山賊を全部やっつけちゃって、渓流に跳び込んで私を助けてくれたのよ」

 尼の記憶はほど良く歪められている。


 そして話が一区切りつき談笑となるが、例の女性が重い口を開くようにして尼に訊ねた。

「比丘尼さまの今世のようすはよくわかりました。では前世のことはどうでしょうか? 覚えておいででしょうか?」

「前世? そこまでは・・・・・・」

 尼は困惑する。めったにないことだ。彼女が人を困惑させることがあっても、その逆というのは。

 尼の芳しくない言葉に、女性は肩を落とし、それから気を取り直すようにして問いかける。

「では、輪廻転生というのをどう思いますか」

「人は、その行いによって来世の居場所を決められるということですよね」

「三界六道、人に生まれたり畜生に生まれたり。では物の怪は? 霊獣と云ったものは? いくら調べても分からないのです。どうしても答えが知りたいのに」

 尼は申し訳なさそうに女性を見た。

「私にも、その答えはわかりません。何か、あなたの心が満たされるような答えを持っていれば良かったのですが」

 そう言うと、女性は落胆したようすで一人去って行った。その淋しげな背中がやけに尼の目に残った。


 寒川尼は政光が死んでからも何十年も生きた。

「あんまり、あの人を待たせちゃって悪いかしら。でも、その分お経をたくさん唱えられるからいいわよね。何しろ殿も子どもたちもけっこう人を殺しているから」

 と、独りごちる。 

 

 時折、顔を見せにくる息子たちが言う。

「母上は年を取られませんね」(長男)

「私たちときょうだいに見えますよ」(三男)

「うれしいわぁ。あの世に行っても、殿が見間違える心配がないもの」

「脳天気は年を取らないのさ」(次男)

 政光の悪口は、息子たちの中で次男の宗政に最も色濃く受け継がれたようだ。

「うふふふふ」

「ほめてないって」(次男)

 そんな彼らにもすでに孫がおり、立派な老人で隠居してもよい年齢だが、未だ幕府の重職を占めている。この人たちも母に似て頑丈で年を取らない。

 息子たちは言いたいことを言って、鎌倉へ帰っていった。


 尼は九十歳になっていた。我ながら長生きに驚く。

 ――私って本当にしぶといわね。力持ちと関係があるのかしら。

 その力持ちも、このところ少しずつ衰えを見せ始めた。

 ――これって、そろそろお迎えが来るってことよね。

 身の回りのものを整理しつつ、その日を待つ。

 自分が死ぬことなど怖くない。それよりも政光に会えることが楽しみなくらいである。


 女が三途の川を渡るとき、初めての男がその背におぶってくれるというが。

 ――最初に会った日のことを思い出すわぁ。二人ともすっかりおじいちゃんとおばあちゃんになっちゃったけど。

 そして、いよいよという段になった。


 朝方、目が覚めながら体が動かない。

 それでも気配を察し、目だけを横へ向けた。

 美しい女性がかたわらに座って、じっとこちらを見ている。

 その美貌で覚えていた。いつぞや輪廻のことで訊ねられた女性である。もう二十年近く前であろうか。

 ――あら、あなたがお迎え? 殿じゃないのね。まぁ、あなたは若いままだけれど、ずいぶん前に死んだのねぇ。

 声に出なかったが、その思念は相手に伝わったらしい。

「この顔に覚えはない? 三百年前と同じものなのに」

 言っている意味がわからない。尼は目で訴えた。

「本当にわからないの」

 女はがっくりと肩を落とした。


「あんたの息子たちは、いつだって龍神の加護に守られていた。あんたに会ったときも常人(つねびと)にない波長を感じたし、化け物並に長生きだし。てっきり人外のものが転生したのかと・・・・・・」

 独白めく彼女に、尼は、

「よく変わってるって言われるけど、私はちゃんと人間よ」

 言葉が出る。

「そう、みたいね」

 女性、いや狐女は尼の顔をまじまじと見た。

「秀郷の言っていた女ってのは、恋人のことじゃないって気付いてさ」

 子を思う母の強さを知って『乙姫』とは母親の意かと考え直したが、確信はない。

 けれど、

「私、ずいぶんと前に、下野は那須に住んでいたことがあるの。そこに古老の狐がいてね。こんな話を聞いたのよ」


 昔むかし、下野がその名で呼ばれる前のこと。

 当世とは地形も異なり、南は今でいう野木宮あたりまで海が入り込んでいた。人々はまだ田畑を耕すことを知らず、山で獣を狩り、海辺で貝を拾い、魚を釣るなどの暮らしをしていた。


 ある村に一人の若者がいた。

 星明かりの晩、舟をこぎ出した若者は沖のただ中、突然の横波を受け、海へと放り出された。

 浮きあがろうとする若者の体を波が弄び、力尽きた彼は月の光も届かぬ海の底へ沈んだ。


 けれど、若者は海王の慈悲によって一命を救われる。

 

 目覚めれば、瑠璃玻璃にきらめく宮殿の中で、美しい姫君に介抱されていた。

 夢から醒めた夢のように。

 何かもかもが典麗絶佳の世界。

 壮気を取り戻した若者は、宮殿の主たる海王に歓待され、しばしの間、留まることとなった。

 かたわらには姫君が寄りそい異界の明媚を案内するが、若者の目にはこの世界で最も美しい姫の他、何も映らなかった。


 二人はやがて恋仲となった。そして姫と離れがたくなった若者は、海王の許しを得、妻を(おか)の世界に連れて帰った。

 妻の侍女や珍しい宝も伴い、若者は故郷で裕福に暮らした。

 愛し合う二人には(じき)に子が授けられた。

 幸せのただ中にあった若者。

 だが、これを妬む輩がいた。


 いざ出産となった際、姫君はくれぐれも産所を覗かぬよう若者に念を押した。これを聞きつけた輩は、彼に疑念を吹き込んだ。

 姫君はどうもただの人間ではない。怪しいぞ。そっと産所を覗いてみろ。

 男の囁きを真に受けた若者は、言われるまま産所を覗いた。

 すると、そこには、見慣れた妻の姿はなく、八丈ほどもある青龍がお産の苦しみにのたうち回っていた。

 若者は恐怖の余りその場に凍り付く。


 お産のあと、妻は夫に別れを告げた。

 (まこと)の姿を見られたからには、もうおそばにいることはできません。この子を私の形見と思って大切に育ててください。

 我が子を遠くから見守ると約束し、姫君は侍女を引き連れ、海の世界へと帰っていった。

 若者は己れの過ちを悔い、悲しみに暮れたが、失った愛を再び取り戻すことはできなかった。

 しかし、龍女の加護があったのだろう。子どもは健やかに育ち、成人しては家を盛り立て、一族は末々(すえずえ)まで繁栄したという。


「――この物語にどこまで真実が含まれているか、わからないわ。何しろ、私に教えてくれたおじいちゃん狐も、そのまたおじいちゃんに聞いた話というから」

 でもね、と狐女が言う。

「秀郷の先祖が下野に落ち着いたとき、土地の豪族の娘と結ばれた。その流れに、龍女の血が入っていたとしたら、全て納得いくのよ」

 人の伝える物語では、秀郷と龍女がねんごろになったように云われているが、始まりはもっと前に遡るのだ。


 秀郷がかつて桔梗に語った龍宮という言葉。

 果たして彼がどこまで真実を知っていたかはわからない。けれど、彼は己れと龍女の血の関わりを自覚していたのだ。

 ――秀郷、あんたどこまで知っていたのよ。龍宮城って何の例えよ。

 その彼の話を中断させたのは狐女である。男は女の話を聞かないというが、女だって男の話を聞かない。  

 ――けっこう核心近くまで打ち明けそうだったのに、惜しいことをしたわ。それに、こんな大切なことを打ち明けてくれるってことは、秀郷、私に相当本気だったってことよね。でも、あのころは将門さまもいたし――

 狐女はあらぬことを考え、慌てて打ち消す。


「残念だわ。あんたに聞けば何かわかると思ったのに」

 ため息をつく狐女に、尼は、

「……あなたは人間じゃないのね」

「そうよ。やっと気付いたの?」

 狐女は泣きたいのを堪えるようにして笑い顔を作ってみせた。

「私は輪廻の輪から滑り落ちてしまったみたい。死んで、愛する人と後生をともにするってこともできないらしいわ」

 

 ならば生まれ変わりでも待とうと思ったが、いったいどれほど待てばいいのかわからない。

 将門、重衡、吾子……誰か一人でもいいのに。

「それにどうしてかしら。仲間の狐たちとも会えなくなったのは」

 那須の和見にいたころ、周辺の狐はいつの間にか姿を消し、京へ戻った後、御所狐は最初から姿を見せなかった。

「人の世に居すぎたせい? それとも秀郷の一族を呪ったせい? なんて呪った相手の家族に相談してもねぇ」

 狐女は尼をじっと見つめた。

「あなたは私たちに呪いをかけたのね」

 尼は一つわかった、という目で狐女を見た。

「そうよ。わるい? 自分が不幸だと思う者はね、他人を不幸にしたくなるって。わかる? いえ、絶対わからないでしょうね」


 女の挑むような目つきに、

「そうね。わからないわね。だって、私は、水が上から下に流れるようにものごとを自然にまかせて生きてきたから。苦しむことはなかったから」

 尼の言葉は狐女の心を逆なでした。

「それが口惜しくって仕方がないわ。あんたみたいな女が何の苦労もせず幸せを手に入れて」

 狐女は怒りにまかせて胸の中にあるものを吐き出した。

「私は苦しいことばかり、悲しいことばかり、ねぇ、何でなの?」

 尼は狐女の目を見た。

「あなたはかわいそうな人。何もわかっていない。あなたは自分で自分を不幸にしたのよ」

 狐女は尼を見返した。

 ――この女、何を言おうとしてるのよ。

「人を呪わば穴二つっていうでしょう。……ちょっと違う? でもね、これだけは言えるわ。あなたは誰かを呪ったときに、自分を厄神に落としたのよ。呪いそのものになってしまったのよ。あなたのお仲間は、きっとそれを知っているからあなたに近寄らなくなったのよ」

 狐女の目がつり上がる。

「私が厄神ですって? 私のせいで愛する人が死んだっていうの?」

「さぁ、本当のことはわからないわ」

「わからないなら勝手なことを言わないで! 自分は福神だと自慢したいの?」

 怒り声を上げる狐女に、尼は戸惑いながらも答えを出そうとした。


「そうではなくて、思うにまかせて言ってしまった言葉が形となることはあるでしょう? あなた、言わなければ良かったことを口にしてしまったのよ。もう今さらだけど」

 尼の瞼が重たげに閉じられる。

「あぁ、いよいよね」

「ちょっと待ってよ。言いたいことだけ言って、逃げる気?」

 狐女はすがり付く。

「ちょっと、あんたっ。話の途中で、私を置いてかないでよ」

「……人生の最後の瞬間が、こんなにやかましいものだとは思ってもなかったわ」

「ねぇ、これから私、どうすればいいのか教えてよ!」

 尼の体を揺さぶった。

「えーっと」

 そのとき、尼の目がぱっと開かれた。

「そうだ、あなたが福の神になればいいのよ」

「えっ?」

「この家の護法神になって自分のかけた呪いをはね除けてよ。我が家を見守って、子どもたちの幸せに尽くしてよ。そうすれば、あなたは厄神であることから解き放たれるわ!」

 名案ね、と会心の笑みをその顔に(たた)えると、尼の目はすっと閉じられた。


「寒川尼、死んだの?」

 狐女は息を確かめようと頬を寄せた。

「ぐう」

 尼は寝息を立てる。

「何よっ、眠っただけじゃないの!」

 悪い冗談は止めてよと、立ち上がって尼を見下ろした。

 いや、もっとたちの悪い冗談を言われたのだ。

「私が秀郷の子の護法神に?」

 ――ふざけるな!


 腹がたって、そのまま邸を飛び出す。

 狐女は天空へと駆け上がり、暁の光の中に溶け入った。

 

 もう、自分とて誰かを呪いたくない。

 秀郷への執着も、祟りなど与えるには遥かな年月に風化した。

 けれど、

 ――だからって、はいそうですかと立場を変えられると思う?

 狐女とて、かつては龍神の加護の隙を狙って、秀郷の子孫をけっこう殺しているのです。

 狐女の体の中には怒りと当惑が渦巻いていた。

 それを振り切るように、体を上昇させる。

 どこまでも、どこまでも。


 見下ろせば、日本(ひのもと)大八(おおや)(しま)が横たわる。

 ほんの五十年前、この国を三つに分かち、西に桓武平氏、東に清和源氏、北に秀郷流藤原氏が君臨していた。思えば皆将門を討った者たちの子孫である。

 彼らは何かの宿命のように互いに命を削り合った。

 だが、三者が為そうとしたことは全て同じだった。

 福原で、鎌倉で、平泉で。

 将門が切実に求めながら、たどり着けなかった答え。

 既成政権からの束縛を断ち切り、己れらの独立を果すこと。

 まるで自分たちの倒した男の想いを引き継ぐかのように。

 最後は、これも宿命のように、将門が生を賭した関東の地で、源氏の末裔が勝利を得るのだ。


 ――先祖の経基っていえば、あの三人の中で一番の腰抜けだったのが気に入らないけどさ。でも、子孫はしっかりしてたってことよね。

 その源氏も醜い同族争いの末に嫡流を失い、実際に権力を握ったのは、将門の従兄、貞盛の子孫である北条氏だ。系譜上、彼らは重衡とも先祖を同じくする。


 ――もう誰を恨むの呪うのなんて、意味ないかしら。


『水が上から下に流れるように、自然に身を任せて』

 寒川の尼の言葉が思い出される。


 ――身を任せてみようか。

 今すぐになんて無理だろうけれど。

 時間(とき)の流れが、きっと自分を正しい方向へと導いてくれる。

 そんな気がした。


―了―

 

 最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。 

 この物語で、狐女の悲しい恋の遍歴は終了します。


 狐女と秀郷の末裔のからみは次回作で描きたいと思いますが、そちらもご覧いただければ、幸いです。


 さて、この物語のヒロイン、なの葉こと、思の方こと、寒川尼――彼女は歴史上の人物ですが、本作では創作意欲がわきすぎて、かなりのドジッ娘にしてしまいました。本当はもっと良妻賢母な人で、まっすぐすぎる夫、政光をしっかり支えていました。


 太田(小山)政光――歴史小説の世界ではマイナーな人ですが、関東を中心とした歴史学のなかでは重要人物です。彼の歯に衣着せぬ物言いが史料に残されているので、その性格も含め、研究者の方々からも愛されています。筆者も描きがいのある魅力的な人物でした。


 政光の悪口癖は次男の宗政に受け継がれていますが、(これも史料にあり)宗政を含めた小山三兄弟の活躍は、過去作の『Brotherhood』に描きました。そちらもご覧いただければ、幸いです。

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