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後篇

 川に桶を浸して慎重に水を汲んでいると、何か大きなものが流れてくるのが見えました。

 なんだろうと目を凝らすと、それはどうやら人のようでした。

 浮き沈みしながら、増水した冷たい川を流れてきます。


「大変だ。早く助けなければ」


 レイは慌てて魔法の呪文を唱え、川岸へ引き上げました。

 遠目ではわかりませんでしたが、流されてきたのは若い男でした。首筋に指をあてれば、力強い脈が感じられました。


「ああ、よかった! 生きている。──もし、騎士様! しっかりなさってください」


 身に着けているものからあまり身分の高くない騎士のようでした。長く使い込まれていると一目でわかる皮の鎧は、水を吸って黒くなっています。きっと相当な重さになって彼の体を押さえつけていることでしょう。


「ええと。まず体と服を乾かして。それから家まで運んで、と」


 男はとても大柄でしたので、レイの小さなベッドにはおさまらないのではないかと心配をしました。

 が、ほかに休ませるところもありません。


「窮屈なのは申し訳ないけれど、我慢してもらおう」


 レイは慎重に魔法を繰り出して、騎士を家に運びました。

 こんこんと一昼夜眠った男は、翌日の昼に目を覚ましました。

 レイの献身的な介抱のためか、驚くほどに血色もよく元気そうに見えます。

 はじめは生きていたことが信じられないと驚いていましたが、次第に落ち着いた男はしきりに礼を言いました。

 あまりに感謝されるのでレイはどうしていいかわからず、うろたえてしまいました。

 とりあえず体を温める薬湯を作り、男に差し出しました。


「私は崖から落ちたのだが、落ちるときに眼下に川が見えた。私はその川を流されてきたのだろうか」


 男は薬湯を飲みながら、レイが男を見つけた時のことを尋ねました。


「はい。川に流されていらっしゃるところを見つけました。川から引き揚げた時にはまったく意識もございませんでしたので、失礼とは存じましたがここへお運びしました。このとおりのあばら家ですが、雨風はしのげます」

「そなたひとりで俺を運んだのか!?」


 目をむく男に、レイは自分が魔法使いであることを打ち明けました。そしてここがどこであるかも。


「そうか。そなたが噂の魔法使いであったか」

「噂?」


 今度はレイが目をむく番でした。


「そうとも。幽鬼の森を浄化した奇跡の魔法使い。国のあちこちで人々を助けて回ったのもそなたであろう? 灰色のローブを着た小柄な魔法使い。はちみつ色の髪にハシバミの瞳。噂通りだな」


 にかっと笑った男はレイに向かって大きな右手を差し出しました。

 どうしていいのかわからず戸惑うレイの手を握ると、男は強引に握手をしました。


「俺はアーリックと言う。そなたは?」

「……レイと申します」

「そうか、レイか。いい名だな。──ありがとう、レイ。世話になった」


 アーリックと名乗った男は起きだして、枕元に置かれていた鎧やマント、剣を身に着けようとします。

 まだ目覚めたばかり。体だって本調子ではないはずです。あまりの無謀さにレイは驚きました。


「お待ちください、アーリック様! もう少しお休みになられたほうがよいと思います」

「しかし、きっと俺の部下たちが血眼になって探しているだろう。早く安心させてやりたいのだ」

「ですが、そのお体でこの森を抜けるのは無謀です。せめてあと一晩、お泊りください。大したもてなしはできませんが、美味しい茶ならお出しできます」


 アーリックはレイの誘いに「むっ」と考え込みました。


「今日無理をして出て行くより、明日体調を整えて出立すべきです。あなた様の部下が、もし私と同じ立場であったなら、そうおっしゃるのではないでしょうか」


 この言葉は効果てき面だっただったようです。アーリックは「では、そなたの言葉に甘えて、もう一晩厄介になろう。よろしく頼む」と深々と頭を下げました。

 大した食材はありませんでしたが、レイは腕によりをかけて夕食を作りました。

 出来上がったシチューは質素ですが美味しそうな匂いを部屋中に漂わせました。


「や、これは何とも美味そうな」


 アーリックの腹がぐうと大きな音を立てました。


「大したものではありませんが、どうぞたくさん召し上がってください」

「ありがとう、レイ」


 アーリックは「美味い、美味い」と言いながら、あっという間にひと皿目を平らげて、結局三皿もおかわりをしました。

 またたく間に平らげていくアーリックに驚きながら、レイはとても楽しい気持ちになりました。

 誰かと食事するのは本当に久方ぶりでした。

 作った料理を美味いと言ってもらうのも、久方ぶりでした。

 胸の奥がじんわりと熱くなって、目に涙が滲みました。慌てて拭ったのですが、アーリックには見られてしまっていたようです。


「どうした、レイ。何を泣く?」

「何でもありません。それより、おかわりはいかがですか?」

「何でもないということはなかろう。もしよければ聞かせてくれないか、そなたのことを。誰かに話すことで楽になることもある」


 誰かに話す──それが癒しになることはレイも充分に知っていました。

 しかし、自分の悩みなど微々たるもの。誰かに聞いてもらうようなことではないんじゃないか。そう思うと迷いが生まれました。


「お聞かせできるような面白い話は何もありません」

「俺は面白い話を聞きたいのではない。そなたの話を聞きたいのだ」


 アーリックの言葉に、レイは話す決心をしました。

 そうして時間をかけて、師匠の庵を旅立ってから今日までのことを話しました。

 アーリックはその間、じっと話に聞き入ります。

 長い夜のお供は、茶屋のおかみさんからもらった『とっておき』のお茶でした。驚くほど綺麗なルビー色で、柔らかく甘い香りがします。静かな夜にぴったりのお茶でした。


「強大な力を持つゆえの孤独、か。苦労したな」

「いいえ、アーリック様。私の苦労など取るに足らぬものでございます」

「そのように否定するものではないぞ、レイ。自分の負った苦労はちゃんと認めてやれ。でなければ自分がかわいそうではないか」


 アーリックの言葉は、先日茶屋のおかみが言っていたことと重なって聞こえました。


「悲しければ悲しめ。腹が立ったら怒れ。寂しいなら寂しいと言え。感情を押し殺してはいけない。そなただってひとりの人間だ。そのままではいつかつぶれてしまうぞ」


 アーリックのいうことがレイの胸に突き刺さり、惑わせます。


「私は……本当に悲しんで、怒って、寂しがっていいんでしょうか」

「ああ、もちろんだ。──しかし、お前を怖がった者たちのことはどうか恨まんでやってくれ。虫のいい話で悪い。あれらには守りたい者たちがいるのだ。そなたやそなたの力は彼らにとって脅威だった。人は守りたい者が増えるたびに臆病になっていくものなのだ」

「心得ております。人を恨む気持ちなどこれっぽちもありません」

「ありがとう、心優しき魔法使い殿。そなたが出会ったすべてのものに代わって礼を言う」


 アーリックは深々と頭を下げました。


「なぜあなた様がそのような……」


 レイは首をひねりました。

 アーリックはまっすぐレイの目を見て告げました。


「俺がこの国の王だからだ」


 あまりのことにレイは手元のお茶を盛大にこぼしてしまいました。


「本当に?」

「ああ、そうだ。じきに分かる。無事、部下たちと合流できれば改めて礼に参ろう」


 彼が嘘を言っているようには見えませんでした。

 アーリックが身に着けているものは王様が着るような高貴なものではありませんでしたが、しかし、体から発せられる覇気は常人のものではありません。


「王様とは知らず、数々のご無礼。どうぞお許しください」

「そんな堅苦しい口上を聞くために名乗ったのではないぞ」


 レイは恐る恐る顔をあげました。

 目が合うとアーリックは、にっこりと笑いました。


「俺の初めての友になってはくれまいか?」


 レイは耳を疑いました。


「どうだ?」

「どうと言われましても、その……」

「王というのも孤独でなあ。俺にはたくさんの臣下がいる。大事な民がいる。しかし『友』はひとりもおらぬ。臣下は臣下であり、民は民なのだ。俺は寂しい。そなたと同じだ」


 レイにも『友』と呼べる人はひとりもいません。

 レイはやっと、自分の胸にずっと空いている穴の正体を知りました。悲しみの理由を知りました。──いいえ、初めから知っていたのです。でも認めたくなくて、わからないふりをしていたのです。


「私は……孤独だったのですね。ああ、やっと認めることができました。アーリック様、本当に私のような者でいいのでしょうか?」

「何を言う。そなただから俺は友になりたいと思ったのだ」


 レイの目に涙が滲みました。

 せっかくの友の姿まで滲んでしまいます。ローブの袖でレイは強引に目元をぬぐいました。


「ありがとうございます、アーリック様。私の初めての友だち」


 昼間、アーリックがしたのと同じように、今度はレイが右手を差し出しました。


「友というからにはその敬語はやめてもらいたいものだな」


 ためらうことなく手を握り返したアーリックは、そんな冗談を言いました。





 

 むかし、むかしのことです。

 緑のあふれる豊かな国に、とても賢く強い王様がいました。南の森には心優しき魔法使いがいました。

 ふたりは親友同士で、王様は暇ができればすぐに南の森に遊びに行ってしまいます。

 王様が困っていると聞きつけると、魔法使いは仕事を放りだして城へ馳せ参じます。

 ふたりは時々、怪物退治に出かけたり、お忍びで出かけては人々を困らせる悪者を懲らしめたりしました。

 勇敢な王様と心優しき魔法使いの伝説は、今でも語り継がれているそうです。

 


最後までお付き合いありがとうございました。

ちょっとしたおまけの話を載せておきますので、よかったらご覧ください。



【おまけその1:名前】


「レイ。レイと言うのは愛称だろう? 本当の名前は何というのだ?」


 アーリックがふと思いついたように尋ねました。


「妥当なところだと『レイモンド』あたりか?」

「レイチェルです」


 こともなげにレイが答えます。


「どうしました、アーリック様?」


 アーリックは目を向いたまま固まっています。レイの問いかけにも反応しません。


「アーリック様?」


 重ねて名前を呼んでも動きません。

 仕方ないので、レイは『とっておき』のお茶をもう一杯いれて、彼の前へ差し出しました。

 新鮮で甘いにおいが立ち上ります。

 それでようやく我に返ったようです。右手をゆるゆると上げて、レイを指差しました。


「そ、そ、そ、そなた……」

「はい?」

「女だったのかああああああああああ!!!!!」


 野太い絶叫が、早春の静かな森にこだましました。







【おまけその2:理由】


「ところで、アーリック様。ひとつお伺いしてよろしいでしょうか?」

「話せ」


 レイが女だと知った衝撃からようやく立ち直ったアーリックは鷹揚にうなずきました。


「なぜ、崖などから落ちたのでございますか? この川の上流は峻険な山脈でございます。雪解けのこの時期は特に危のうございます。間違っても一国の王が足をお運びになるところではありません」


 伴は少数、みすぼらしい身なりと言えば、きっとお忍びでやって来たに違いありません。王様がわざわざお忍びで足を運ばねばならないなんて、きっとよほどの大事でしょう。

 レイは顔を引き締めました。


「む。それは……聞くな」


 その言葉だけを聞けば、レイなど下々の者が知ってはならぬ国家の大事なのだと思うでしょう。

 しかし、アーリックはうっすらと頬を染め、唇を尖らせてそっぽを向いています。


「アーリック様?」

「いや、この先の山にな、珍しい獣が出たと聞いたので見に参った。そなたとも会ってみたかったしな」


 まるですねたような口ぶりでした。

 が、レイはとても嬉しくなりました。自分に会いたいと思ってくれる人がいたなんて!

 本当なら、こんな無謀なことをする王様はいさめるべきです。

 けれど明日、伴と合流すれば、きっと彼らにこってり絞られることでしょうから、レイは小言は言わないことにしました。

 そのかわり──


「もう一杯いかがですか?」


 とっておきのお茶をすすめました。


 ──終わり──


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