はじめに
最強の魔王。かつて人間界と冥界を支配し、あわや天界まで崩壊させかけた男は、今や自らの玉座すら捨てて姿を消した。
彼の玉座を長く狙っていた多くの悪魔たちは、さまざまな魔王同士の凄惨な戦争を引き起こした。そして最終的に、どういうわけか黒い森そのものの新しい魔王となったのは、野蛮人ダンレクだった。
戴冠式から20日後、ダンレクは玉座に座っていた。酒も飲まず、美女も侍らせていない。なぜなら彼は物思いにふけり、何かに悩んでいたからだ。
彼の息子が城から逃げ出し、人間の世界へ行ってしまった。息子はある騎士の家の息子の体に入り込んだらしい。その少年にはまだ引き出されていない力があると考え、息子はそれを強く欲していた。
しかし、ダンレク野蛮人が悩んでいるのは、彼が何十億人も殺してきたことではなかった。彼が考えているのは、自分の息子を狩ろうとしている者への恐れだった。
それはすなわち、暴龍赤紅、すなわち最強の魔王その人だった。
<♤♡◇♧>
彼はもう魔王ではなかった。死の使者でもなかった。世界を破壊する者、暴龍赤紅という名さえも、彼はゴミ箱へ捨て去っていた。
政務に悩むこともなく、内紛を気にすることもなく、戦争も殺戮もない。これ以上に最高のことがあるだろうか?
彼は神々が自分に押しつけた運命から逃れていた。若い頃の姿に戻り、それが彼――あるいは彼という存在――が古い人生を捨てる方法でもあった。朝食にはパンに卵を少し乗せたものを食べる。椅子にもたれかかり、のんびりと、ゆっくり昇ってくる夜明けの光を眺める。かつて彼がこんなふうに、のんびりと眺めたかった美しい光だった。
「アカズハ様。」
一人の少女が彼の部屋に入ってきた。彼に忠実な護衛の一人だったが、今の彼はもう魔王ではないので、二人はただの同居人同然だった。それでも彼女の忠誠心は非常に強かった。
「当ててやろう。デコル・マーカブル公爵からの手紙か?」
少女はうなずいた。
「はい。あなたの旧友からの手紙です。」
21年前、人間の国は勝利を祝った。アカズハとの停戦交渉に成功したからだ。そのため彼らは数千年に一度と言われるほど盛大な宴を開いた。アカズハもその宴にいた。食べ物と酒に惹かれ、夢中で味わっていた。そしてそこでアカズハは、反魔王軍の第五軍団を率いていたデコル・マーカブル公爵と出会ったのだった。
手にした手紙の蝋印が、何かの力でひとりでに開いた。アカズハは手紙を手に取り、一行ずつ読んでいった。
内容はこうだった。彼の息子が悪魔に憑かれているらしい。何千人もの祓魔師や、さらには神父まで呼んだが、体内の悪魔はまったく離れようとしない。それどころか、そこにいた祓魔師たちを殺し、ある時は神父を爆発させ、部屋の四つの壁を血で埋め尽くしたという。
アカズハは椅子にもたれかかり、手紙を手の中で揺らしながら物思いにふけた。どうやら彼には、その悪魔が誰なのか見当がついているようだった。
彼は本来、この件に関わりたくなどなかった。なにしろアカズハは常々、神々がいつか誰かに過酷な人生を与えるのは当然のことだと考えていた。要するに、彼は神々にうんざりしていて、もう彼らの脚本に関わりたくなどなかったのだ。
しかし、これは契約だった。彼はデコル・マーカブルとのカード勝負に負けたのだ。それは彼の唯一の敗北であり、悪魔の掟では、敗者は勝者と契約を結ばねばならない。その期限は一度きりで、自殺を含め、あらゆる内容に制限はない。
「人間というのは本当に哀れだ。絶望すると、ろくでもないことをしてしまう。」
「この老いぼれは、俺が悪魔祓いできると思っているらしい。よほど追い詰められているんだな。」
アカズハが立ち上がると、少女が尋ねた。
「悪魔が誰か、もうおわかりになったのですか?」
「サリー、何度言えばわかるんだ。俺の手紙を読むな。」
「まあ、ともかくその通りよ。俺はあいつが誰か知っている。ダンレクのあの小僧の息子、マッコルだ。」
「では、殺すのですか? あなたは彼の名付け親なのに?」
「もちろんさ、サリー。俺の大事なものに悲しませたんだ。だから俺はあいつの皮を剥ぐ。たとえ俺が名付け親だろうとな。」
「それに、悪魔である我々に母性愛のような概念はない。」
彼は使用人の横を通り過ぎ、扉へ向かった。
「ともかく、すぐに出発する。」
「ご一緒しましょうか?」
「いらない。お前はここに残って、ダンビーに自分の食器を少し洗わせておけ。」
そう言うと、アカズハは空気を掴んだ。見た目はそうだが、実際には空間を掴み、それを引き裂いて、デコル・マーカブルの屋敷へ続く門を作り出した。
彼は門をくぐった。背後では現実の亀裂がひとりでに塞がっていった。
<♤♡◇♧>
雨音が絶え間なく、アカズハの体と服に降り注いでいた。彼はマーカブル邸の前に立っていた。彼の記憶ではここは美しい場所だった。家全体が真っ白な塗装で覆われ、窓ガラスは色とりどりの絵で飾られ、両側にはさまざまな花が咲く庭があり、言葉にできないほど心地よい雰囲気を醸し出していた……しかし今は。
雨のせいで、もともと薄暗いこの場所はさらに陰鬱になっていた。
アカズハは恐れなかった。扉へ歩み寄り、三回ノックした。
コン、コン、コン。
そして彼は待った……待った……待った……?
誰も扉を開けに来なかった。アカズハもそれを最初から知っていた。
アアアアアッ!!!
なぜなら老デコルは、屋敷にいる使用人や執事をすべて、マッコルに憑かれた息子の部屋へ集めていたのだ。直後、一人のメイドが窓から投げ出された。アカズハは下で彼女を受け止めた。
「大丈夫か?」
メイドは顔を赤らめ、どもりながら答えた。
「は、はい。」
壊れた窓から、老執事も投げ出された。アカズハはすぐに少女を地面に下ろし、老執事を受け止めた。
「大丈夫か?」
執事は顔を赤らめ、どもりながら答えた。
「は、はい、大丈夫です。」
アカズハは執事を下ろし、ほかに投げ出される者がいないか見上げた。しかし返ってきたのは、外へ飛び散る血の水たまりだった。
もちろんアカズハは横へ避けた。新しく買った服を汚したくなかったのだ。濡れるのはまだしも、血はごめんだった。
「血か。まったく、せめて病院に少しは寄付してやるべきだろ。」彼は自分にしか聞こえない声でつぶやいた。
彼は壁に足をかけた。二歩目、三歩目……手がかりのまったくない平らな壁を、ゆっくりと歩いて登っていく。
状況が緊迫していようと、息子の叫び声が屋敷中に響き渡っていようと。
アカズハはのんびりと、壊れた窓へ向かって進んでいった。
中では、デコル・マーカブル男爵の息子がベッドの上でのたうち回っていた。そばでは使用人たちが彼を押さえつけようとしていた。中にはかつて男爵の軍で騎士だった者もいたが、不思議なことに、ベッドに横たわる痩せた少年を押さえつけることができず、一人は彼に心臓と肝臓を残忍にえぐり出されていた。
笑い声と叫び声、さらに血と他の使用人たちの死体が、この部屋に奇妙な超現実的な異様さを漂わせ、外から見た者を吐き気とめまいに襲わせた。
父親であるデコル・マーカブルもまた、愛する息子の頭を押さえつけ、ノートルダム聖堂の神父に息子のための鎮魂の祈りをさせようとしていた。
「地獄へ落ちろ、デトテップ!」
神父は叫び、少年の体に聖水を振りかけ続けた。しかし、内部に宿る魂――ダンレク野蛮人の息子、マッコル・デトテップ――にとって、彼のしていることなどただの冗談に過ぎなかった。
「黙れ!!!」
デトテップは自らの真の眼差しで一瞥しただけで、老神父を苦しみながら死なせた。全身の穴という穴から血が流れ出したのだ。
神父の亡骸が倒れた。それと同時に、男爵の息子はもがき、ただ一つの思念だけでそこにいた全員を遠くへ押しのけた。
「ずいぶん楽しそうに堕落しているな、マッコル。」
その声は部屋中に響き渡った。誰もが聞こえ、誰もが目にすることができた。その声には奇妙な魔力のようなものがあり、マッコルの能力を無効化した。さらには部屋を元の状態へ修復さえした。
マッコルの顔に驚きが浮かんだ。自分の能力が使えないからではない。自分の能力を無効化した者が誰なのか、彼にはわかったからだ。
「あなたですか、バフォメット。」
「アカズハ・サシキと呼ぶべきだな。」
アカズハはマッコルの言葉を訂正した。恐れることなく、のんびりと歩み寄る。マッコルは近づいてくる彼を見た。その顔に恐れはなかった。アカズハは部屋にいた者たちに退出するよう合図した。マッコルと二人きりになりたかったのだ。
部屋にいた人間たちはすぐに逃げ出した。しかし男爵だけは動かなかった。アカズハは邪魔されたくなかったので、彼をそのまま部屋の外へ投げ飛ばした。
「では、少し話そうか。」
彼はマッコルが横たわるベッドのそばの椅子に座った。椅子にもたれかかり、両脚をベッドの上で組む。
「へへへ、見ろよ、なんて哀れな姿だ。俺は本当に、お前のような奴を恐れていたのか?」
マッコルはアカズハを嘲った。なにしろ彼はもう魔王ではない。悪魔にとって、自分たちを導く者として想像できる概念は魔王だけだ。もし強力な悪魔がその称号を持っていない、あるいは失ったなら、悪魔たちは彼をゴミ同然にしか見ない。
「古い概念だな。へへ、奴らはその古い概念から一度も抜け出せない。そうだろう、マッコル。」
「お前、権力に酔っているのか? こんなことを言うべきではないが、名付け親として、殺す前に最後の言葉を許してやる。皮を剥いで、お前の父親に届けてやるからな。」
それはマッコルへの脅しだった。マッコルが憑依している体はスリヴァン、より正確に言えば、それは彼の息子の前世だった。アカズハや他の悪魔たちは、自分の子供や配下を所有物としか見ていない。もし他の者が自分の配下や悪魔の子供に手を出そうものなら、彼らは激怒する。
「俺の皮を剥ぐだと?」
「ははは、冗談はやめろ、アカズハ、あるいは何と呼ぼうが。」
「お前は自分の立場がどこにあるかわかっているのか?」
「お前はもう王ですらないんだぞ!」
「お前は……ただのクソだ。そう、お前はその程度の存在だ。」
「お前はもう王ではない、アカズハ・サシキ。ここにお前の権力など何もない。賢く振る舞って、俺の力の封印をすべて解け!」
アカズハは黙っていた……
「フッ……」
やがて喉の奥から小さな息が漏れた。マッコルは邪悪な笑みを浮かべた。ようやくアカズハを恐れさせ、譲歩させられたと思ったのだ。解放されたら、アカズハに糞を食わせ、靴を舐めさせ、最も屈辱的なことをさせてやろう。彼はアカズハの傲慢で残虐な態度が大嫌いだったからだ。
しかし違った。アカズハは不快どころか、その逆だった。
「フフ……はは……ははははははは! ああ、愛しいマッコルよ、お前は本当に俺がいつも愛してやまない道化だ。お前は残酷で、無邪気で、矛盾していて、弱くて、怠け者で、そしてどこまでも傲慢だ。蟻が王になれないことを決して理解しないのだな。」
「ああ、愚かなマッコルよ。俺はお前と、その狭い知識が大好きだ。お前はあのボロボロの玉座が、俺という人間と俺の権力を形づくっていると思っているのか? 違う違う、愛しいマッコルよ。俺を形づくってきたのは力と、目の前にあるものに対して好き放題できるという事実なのだ!」
マッコルは黙り込んだ。理解できなかった。悪魔は煽られやすい。常に軽蔑され、侮辱され、辱められることに執着しているからだ。しかし目の前の男は怒らなかった。ただ笑い声が部屋中に響き、嘲りと絶対的な傲慢が混じっていた。
「お、お前、俺を侮辱するのか?」
「このクソ野郎が?」
マッコルは怒りに任せて体内の魔力を沸き立たせ、アカズハの支配から抜け出し、能力を使えるようにした。
「お前、この哀れなクソ野郎。」
彼の怒りにより、部屋の物々は完全に異形へと変じた。木々はねじ曲がり、陶器の花瓶は歪み、奇怪な死に方をした死体たちが、あたかも地獄の魂がまだ人間界の肉体と繋がっているかのように叫び始めた。
「俺はお前を地獄で拷問してやる。百回死んで生き返る苦痛を味わわせてやる。皮を剥いでやる!」
「その遺書を書くには短すぎると思うぞ。」
「その遺書こそお前にふさわしい!」
部屋の物品がアカズハへ向かって飛んでいった。彼は避けもしなかった。近づいた瞬間、それらはひとりでに砂塵へと崩れ去ったからだ。
「そんな、ありえない!!」
どこからかアカズハは斧を取り出し、マッコルの両脚を切り落とした。実際には息子の体だったが、彼はあまり気にしていないようだった。
「待て、待て!」
マッコルは恐怖を感じていた。いくらなんでもこれはアカズハの息子の体だと思ったのだ。しかし明らかに彼は理解していなかった。アカズハにとって息子などただの所有物であり、飽きたら捨てるだけなのだ。
マッコルは苦痛に叫んだ。体の一部を失うと力の制御を失うらしく、すぐにマッコルは地面にうつ伏せに倒れ、周囲の死体や物品も黙り込んだ。
マッコルは無残な体を引きずり、アカズハから遠ざかった。血縁が通用しないこと、そして恐怖をアカズハや他の魔王たちが決して感じないことを悟り、彼は恐れ始めた……本当に恐れた。
「やめろ! あなたは私の名付け親だ。何度もあなたを殺せたのに殺さなかった。私はあなたを生かしてやったんだ。私は……私は23の大陸をあなたにやる。父を殺して玉座をあなたに譲る、それでいいだろ? 好きにしていい、そこにいる者を殺しても構わない! 私は……私は……ドロシー。あなたは母を取り戻したいのか? 変身術使いに彼女のふりをさせる。言ってくれさえすればいい! あなたのソーセージをしゃぶってもいい! 頼む! 何でもする! 糞を食えと言うなら食う! あなたの糞を食う! ここで生放送で食って、地獄中に見せてやる!!」
アカズハは何も言わなかった。それは恐ろしいほど静かな沈黙だった。
「母だと、玉座だと、金と名声だと? フフフ……俺にはそんな操り人形は必要ない。」
屋敷全体が静まり返った。部屋の外にいた者たちは扉に耳を押しつけ、中で何が起きたのか知ろうとしていた。しかし直後、長い叫び声に吹き飛ばされた……
「アアアアッ!!!」
それはマッコルの叫びだった。しかしそこに狂気はなく、純粋な恐怖と苦痛だった。叫びは長く続き、長く……そして途切れた。
デコル伯爵は心配になり始めた。両目を見開き、扉を開けようとした。他の使用人たちがすぐに彼を止めた。
彼は自分がなぜこんなにも愚かだったのかと自問し始めた。一つには息子が危険にさらされているのではないかという心配。もう一つにはアカズハの心配だった。自分が友人と思っている少年が、あんな残虐な死に方をしてほしくない。それは彼に戦友たちを思い出させた。死んだ魂たちはきっと地獄で責め苦を受けているに違いない。
彼はもがき、扉へ向かって走ろうとした。しかしすぐに扉が開き、アカズハが部屋から出てきた。彼の黒いスーツは奇妙な液体で汚れていた。彼の後ろには、殺されたはずの使用人たちが続いていた――今は元通りで、まるで死など経験していないかのようだった。
「アカズハ君、私の使用人たちは……」
「地獄はもう満杯すぎる。だから彼らにも生き続ける機会を与えてやることにした。愚かな息子の代わりに謝っていると思ってくれ。」
アカズハの背後から一人の青年が現れた。痩せ細っていた体は今や、背の高い屈強な若者へと変わっていた。肌は白く血色がよく、長い髪の奥の美しい顔からやつれた様子は消え、整いすぎているほど美しい顔立ちが残っていた。
「父さん。」
「スリヴァン!」
デコルは駆け寄り、息子を抱きしめた。涙が、多くの皺が刻まれた顔を伝って流れ落ちた。息子はただ彼を抱き返し、涙は流さなかった。しかしその穏やかで幸福な顔は、苦痛に苛まれた日々から解放されたことを喜んでいる証だった。
アカズハは抱き合う父子を見ず、ただポケットの中にある金色の絹糸を整えた。それは彼の息子の切り落とされた両脚を繋ぎ直すために使われたものだった。そして人間の皮らしきものをさらにポケットの奥へ押し込んだ。
それから彼は振り返って去ろうとした。しかしデコルがすぐに彼を呼び止めた。
「アカズハ君、家族を助けてくれて感謝したい。」
長々と話そうとした瞬間、アカズハはすぐに手を上げて遮った。
「第一に、俺が助けたのはカード勝負でお前に負けた借りを返すためだ。次はない、わかったな?」
「はい。」
デコルは静かにうなずいた。
アカズハは奇妙な人間だと、デコルは思った。彼はいつも高尚で理解しがたいことを言う。それに彼が何者なのか、悪魔なのか、それとも神なのかさえわからない。自分の常識では、アカズハが次に何を言うかを常に先回りされているため、会話についていくことなど決してできないのだ。
しかし、去っていく背中を見て、彼はただ一言、感謝を伝えたかった。だが、この青年は決してその感謝を受け取らないだろう。
<♤♡◇♧>
一方、魔界ではダンレクが玉座に座っていなかった。彼は地面に跪き、手に悪魔の皮のようなものを握りしめていた。
ダンレクの顔には青い血管が浮き上がり、非常に恐ろしい様相を呈していた。彼は息子がアカズハに狩られることを恐れていた。しかし、事態がこれほど残虐だとは信じられなかった。
「このクソ野郎、バフォメット、必ず代償を払わせてやる!!!」
彼はアカズハの旧名を何度も何度も怒りに任せて呪い続けた。その怒りは城さえも揺るがした。
彼の背後で、一人のメイドが彼の心の内を聞いていた。彼女は自らの体を闇に溶け込ませ、アカズハの首を取りに向かう途中だった。
第0章 終
もしかすると、これは冒頭の章としてはあまりふさわしくないのかもしれない。だが、私にはむしろ、かなりしっくりくるように思える。




