17.別れ
魔物の赤い双眸がわたしを映す。
口から涎をボタボタ垂れ流すのは、この王都に潜り込んで何日も餌を口にしていないところに、食い応えはないが、新鮮な肉が前に現れて興奮しているのだろう。
今すぐにも飛びかかりそうな気配に、わたしは急いで防御魔法を張る。
「守れッ!」
半透明のドームがわたしの周辺に出現したと同時に、魔物がドームに牙を突き立ててきた。
花嫁の太陽の魔力は、たとえ基礎魔法でも【四等星】の魔法使い・魔女らと差はない。
それでも、ようやく目の前に現れた餌に食らいつこうとする様は、サファリパークでも絶対に目にしたら子供がギャン泣き間違いなしの怖さだ。
橋の上には、わたし以外誰もいない。
みんな、魔物を恐れて逃げ出し、橋の前で防御魔法を張っている。……わたしを囮にしたセシリアさんもそこにいた。
わたしを食べられる姿を見るために、歪な笑みを浮かべて。
(――は? ふざけんなよ)
お前のせいでこっちは大変な目に遭ってるのに、何傍観者ぶってんだよあのお嬢様。
シリウスの再婚約が上手くいかないのも、花嫁であるわたしへの不敬罪で人生のどん底に落ちたのは、全部お前の自業自得でしょうが。
そもそも、その怒りを全部あのクソ義母にぶつけろよ。わたし、とばっちりじゃん。
なのに……あんな奴が無事で、わたしが畜生に食われる?
そんなの―――絶対にゴメンだッ!!
「貫けッ!!」
怒りのままわたしが放ったのは、貫通魔法。
攻撃魔法の一種で、文字通り貫通に特化した魔法。貫通したい場所を杖の先で狙いを定める。狙うのは――一番近い眉間だ。
紫色の閃光が、一本の戦となって眉間を貫く。頭蓋骨も脳も貫通した閃光は、そのまま宙で消える。【一等星】なら数キロ先まで続くらしいが、今のわたしにはこれが限界だ。
それでも、魔物の命を奪うには充分だった。
ドシン、と重たい音を立てて倒れる。眉間から少し黒が混じった赤い血を流し、ギラついていた赤い双眸に生気が失われていく。
頬に返り血を浴びたわたしは、恐怖と怯えで動けない周囲の視線を無視して、コツコツと靴音を鳴らしながらあのお嬢様――セシリアに近付く。
本当に傍観者気取りだったのか、最前列に立っていたセシリアはひゅっと息を呑んでいる。
今すぐにでも逃げ出したいが、壁のように立つ人混みのせいで上手くいかない。
そうなる前にわたしはセシリアの前に立つ。
「――おい」
わたしの低い声に、セシリアは大袈裟に肩を震わせる。
傍から見たら、わたしはきっと高貴な身分の女性に脅しをかけるヤバい女だろう。
……だが、舐められたままでいることはできない。
「よくもわたしを魔物の餌食にしようとしてくれたな? そんなにお貴族様の命に価値があるのかよ。貴族の義務はどうした? あれはただの飾りか?」
「あ……あ……っ」
「そもそも、アレン・エル・クリストファー・ニュクスと婚約しておきながら、それを白紙にして【一等星】シリウスとの再婚約とか正気じゃないわね。わたしという花嫁がいるのを知っているくせに」
わたしの話を聞いていた周囲が一気に騒めく。
この世界において、【一等星】が花嫁を娶ったことは数日もしないうちに広まる。
いくら貴族でも、花嫁がいる【一等星】に求婚することは不敬罪に当たる行為。下町の子供ですら知っている常識だ。その話を聞いて、セシリアに向けられていた視線が厳しくなる。
「シリウスに再婚約断られたのも、家が大変な目に遭ったのも、全部自分の自業自得じゃない。なのにまるで全部わたしのせいにしてさ……どこまで人をバカにすれば気が済む?」
怒りが止まらない。
この目の前の女が、あまりにもお花畑で、考えなしで、わがままで。
ああ、わたしの嫌いな要素てんこ盛りだ。
「たとえ天地がひっくり返っても、シリウスはアンタを選ばない。……だって、アンタは〝ない〟んだから」
言外に女としても魔女としても魅力も価値もないのだと告げると、セシリアは羞恥と憤怒で顔を赤くする。
激情のまま彼女はわたしの元へ向かってくる。防御魔法は盾の外側の攻撃は防ぐが、内側から出られるようになっている。
それを覚えていたのか、あるいは頭からすっぽ抜けているのか。とにかくわたしに向かってくるセシリアがあの時のようにビンタしようと右手を振りかざした。
「――そこまでだ」
しかし、それは乱入者によって防がれる。
シリウスだった。彼は険しい目つきでセシリアを睨む。
「シ、シリウス……さま……」
「通報されて来たが、どうやら一歩遅かったようだな」
怯えた様子の彼女を見てすぐ手首を離すと、そばに倒れている魔獣に近寄るとそのまま跪く。
そして、貫かれた眉間を見て、シリウスの視線はわたしに向けられる。
「マユミ、これはお前が?」
「そうだよ」
「日頃の特訓の成果だな。初めてだったというのに、よくやった」
遅れてやってきた王宮魔法使いの一団が、魔獣を大きな布に被せている。
市街地で討伐された魔物は、これ以上の混乱を防ぐために布で覆い隠して、外で骨もほぼ残らないほど焼却してから土の中に埋める。
魔物は血肉だけでなく骨にも微量な魔力があり、それを他の魔物が食べると力を増してしまう。そうならないように、同じく微量な魔力を含んでいる土に埋めてしまえば認識を誤魔化すことができるのだ。
「……さて、セシリア嬢。先ほどのマユミの話は本当か?」
「は、話……?」
「ああ。あなたが彼女を囮にし、逃げたことだ」
冷たい眼差しで見てくるシリウスに、セシリアはひゅっと息を呑む。
顔色が青を通り越して白くさせる彼女は、まるでこれまで溜め込んでいた感情を爆発させた。
「だって……だって当然でしょう!? わたくしは貴族で、この女は平民! 命の価値はわたくしの方が上! なのにっ……どうして囮にしただけで責められなくてはならないの!? こんなのそこらへんの奴らもやってることよ! わたくしが悪者みたいに扱って……いいえ、それ以前にたったあれだけであんな重い処罰を受けることすら信じられない! わたくは悪くない! 悪くない! 悪くない! 貴族として当然のことをしただけよッ!!」
優雅さすら投げ捨てて、己の心情を吐露する姿はあまりにも醜い。
現に、駆けつけた王宮魔法使いや野次馬達は「うわぁ……」とドン引きした顔をしている。
そんな彼女を見て、シリウスは何の感情も宿していない目で見下ろす。
「……もういい。貴様の傲慢な言い分はうんざりだ」
わたしやセシリアだけでなく、他の人達ですら怯えるほどの低い声がシリウスの喉から出る。
彼はそのままわたしの肩を抱き、踵を返す。
「私がお前のような女を娶ることはない。花嫁よりも優先するべき存在などどこにもいない。……たとえ天地がひっくり返ろうが、お前を選ぶことはない」
それが、最終通告となった。
セシリアはがくりと膝から石畳に崩れ落ち、そのまま「どうして? なんで? わたくしの幸せは……」と茫然自失のままぶつぶつ呟く。
完全に力が抜けてしまったのか、彼女は王宮魔法使い達によって支えられるように連れて行かれる。
……わたしは、この世界の貴族社会をよく知らない。
中世ヨーロッパのような爵位が物を言うらしいが、それでも魔法があるこの世界では魔法の強さや魔法使いの血を残す方が爵位よりも優先される。
だから、彼女の家が社交界で輝く日は、恐らく来ない。それだけはなんとなく理解できた。
「……シリウス。あの、魔物は……」
「たった今、調教師らしき男が見つかり、捕縛された。直に黒幕もお縄につくだろう」
「黒幕って……?」
この事件を起こした黒幕がいる? そんな話は初めて聞いた。
シリウスなら答えてくれるかもしれないと訊ねたが、彼の顔を見てやめる。
怒りと悲しみ、そして罪悪感が混ざった複雑な顔。
シリウスがそんな顔をする相手なんて、〝彼ら〟しかいない。
出会って日は浅いわたしは、〝彼ら〟の嫌なところしか知らない。
けれど、シリウスにとっては血のつながりはなくても〝家族〟だった。
それでも、〝彼ら〟の関係はもう保っているのが不思議なくらい脆い。
わたしの家族はすでに壊れていたけれど、何かきっかけがあれば修復できる可能性はあった。
でも……それも、この件で永遠に不可能となる。
それから数時間後、セシリア・サーディス公爵令嬢と先代【一等星】シリウスの妻、コーデリア・エル・ヴィクトリア・ニュクスが逮捕された。
セシリアの罪状は、【一等星】シリウスの花嫁への不敬罪と殺害未遂。
コーデリア様の罪状は、調教師の手引きと魔獣被害幇助。
この罪状によって下されたセシリアの処罰は北の地の修道院で一生幽閉。
サーディス公爵家も今回の件により、公爵の地位剥奪と資産没収。遠い地で貧しい暮らしを余儀なくされる。
コーデリア様の処罰は、先代【一等星】シリウスとの結婚以降の記憶抹消と改竄。
そして――王都の永久追放だった。




