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シリウスの花嫁  作者: 橙猫
第三章
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16.魔物

 千鳥(ちどり)さんでのレッスンを終えたわたしは、王都でウィンドウショッピングを楽しんでいた。

 いつもならセイリオスにすぐ帰るのだが、たまには羽を伸ばすようにと千鳥さんに言われ、ミーナと一緒に行くことがあるのだが、今日は用事があるためすぐに帰ってしまった。

 王都は流行の発祥ということもあり、ショーウィンドウに飾られている洋服やアクセサリーなどが月一で変わっている。


 その中で、わたしがよく行くのは魔法道具専門店。

 王都の魔法道具専門店は、いわゆる『一見さんお断り』なので本来入店することはできないが、シリウスの花嫁であるわたしはVIP扱いとして入店することが許されている。

 店内に入ると、ヨーロッパ調の世界観をしている魔法界に相応しいシャンデリアや電話などがある中で、人間界の家電量販店でよく見たドラム式洗濯機やエアコンもある。


 最初訪れた時、これを見てあまりのミスマッチさに二度見したものだ。お金はあまり持っていないため買うことはできない。でも、この専門店で魔法道具師である店主はわたしが花嫁であると知ると人間界にあった道具について詳しく訊いてくるようになった。

 この魔法界では人間界にあった技術を取り入れて入るものの、過疎地域などでは前時代的な生活をしているところもある。そういった場所でも使える魔法道具を開発するには、人間界で暮らしていた花嫁の知識が必要らしい。


 もちろん設計とかなどの知識ではない。人間界にはどんな家電があったのか、どんな機能がついていたのか自分が分かる範囲のものだ。

 たったそれだけでもアイデアとして流用できるため、店主はわたしが訪れるとお礼として美味しい紅茶とお菓子を用意してくれるようになった。

 今日も軽くお茶をして、新しい魔法道具が完成した折にはシリウスと一緒に来ることを約束して店を後にする。


 そうして外に出て、今日は列車でのんびり帰ろうと思い、駅に向かう。

 駅と中心街の間には小さい橋が架かっており、そこを通り過ぎようとした時だ。


「……セシリアさん?」


 わたしの目の前に、セシリアが現れた。

 前に会った時には数種類の薔薇の香りを漂わせ、サファイアブルーのドレスを着ていた。

 でも、今の彼女は簡素なベージュのドレスを着ている。髪も何日も櫛を通していないのかボサボサで、足は何も履いてないせいで土に汚れている。まるで貴族令嬢らしいものを全て取られたような姿だ。


「…………」


 彼女は無言でわたしを見つめる。ぎょろりと眼球を動かし、濁った瞳には二つの感情が宿っている。

 ……ああ、知っている。あの目は、早苗(さなえ)さんがわたしに向けていたものと同じ。

 あの目は、嫉妬と憎悪に支配された女の目だ。


「……ああ、見つけたわ」


 彼女の手には、一本の杖。

 彼女の髪の色と同じ金色に輝くそれは、手入れを怠ったせいなのか黒くくすんでいる。

 それは、彼女が魔女として腕を磨かなかったことに対する証明だ。


 シリウスは毎晩、リビングルームの暖炉の前で杖の手入れをするのが日課だ。

 わたしも真似て杖の手入れをしていたけど、沈黙の時間が長くてつい訊いてしまった。

 どうして毎日、杖を手入れしているの? って。


 彼は言った。

 杖というのは、魔法界で魔法を使う者達にとっては大切な相棒だと。

 魔法を使うと、杖は使った魔力の分だけ色を失う。杖の色を失うということは、杖に魔力を伝導させる力がなくなる。シリウスのような濃色系の杖は白く、淡色系は黒くくすんでしまうらしい。


 だからこそ、特殊な手入れ油と布巾を使って、丁寧に手入れしなければならない。

 魔法の腕を磨いてくすんだなら、それは研鑽を築いた証拠。

 けれど、魔法の腕を磨かず放置してくすんだのなら、それは魔道を歩むことを諦めた『敗者』の証。


 その時の杖のくすみ具合も一目見れば分かる。

 前者ならば螺旋模様を描くようにくすみ、後者ならばインクが染みた羊皮紙のようにくすむ。

 セシリアさんの杖は、まさに後者のくすみだった。しかも杖の先だけでなく持ち手にもくすみがあるのだから、今魔法を放ったところでまともに効果は発揮しないだろう。


「あなたの……あなたのせいで、わたくしは……」

「…………もしかして、シリウスの件のこと?」


 わたしも右手で杖を手にしながら問うと、彼女はギリッと歯を鳴らしながら睨みつける。


「ええ、そうよ! わたくしがシリウス様の正妻になると言ったら、お祖母(ばあ)様はわたくしを部屋に閉じ込めた! お父様とお母様は何度頼んでも助けてくださらなかった! わたくしがあなたを侮辱した……不敬罪と同等のことをしたと訳の分からないことを言って!」


 セシリアさんの言葉に、わたしは以前遊びに来たプロキオンの話を思い出す。

 花嫁は、魔法界では貴重な『太陽の魔力』を宿した女性のこと。彼女らの存在は『月の魔力』で魔法を使う魔法界の者にとって、己の魔力を増幅させる花嫁の存在は蔑ろにできない。

 千鳥さんのように伴侶である【一等星】との間に【一等星】の子を産んだことから、花嫁は魔法界にとって替えの効かない母体でもある。


 そんな花嫁を害することは魔法界にとっては重罪に当たる。現に元王宮魔法使いジェルマ・クォーツネルは、私の血で人工魔石を作ったことで監獄行きになった。

 つまり――花嫁を侮辱する発言をしただけで、不敬罪と同等の罪となってしまう。

 それはあまりにもやりすぎだと顔に出ていたのか、プロキオンはクッキーを食べながら言った。


『花嫁を得た魔法使いって、危害を加えられたって話を聞いただけで結構苛烈な報復をする傾向にあるんだ。シリウスの場合はまだ理性的なほうで……過去にその報復のせいで無関係な民を多く巻き込んだ魔法使いもいる。そうならないために王族は花嫁を守るための法律を作ったんだ。……たとえ横暴だと思っても、それが花嫁(君ら)を守る盾なんだよ』


 被害を最小限に抑えるためには、たとえ横暴でも法律。

 たとえ誰かの人生を壊すことになっても、直接的被害を抑えるためならばやむを得ないのだろう。

 ……最も、彼女はそれを全然理解していないけれど。


「あなたのせいでわたくしの幸せが消えた! 全部全部、あなたのせいよ!」


 少なくとも、こんな風に子供みたいに喚く女に負ける意味などない。


「……はぁ。あなたって、本当にバカなのね」

「なんですって?」

「あなたと似た人を、わたしはよく知っているわ。その人も己の恋を貫くために好きな男を酒で溺れさせて既成事実を作ったの。男に結婚の約束をした女と腹にいた子供を捨てさせて、自分は生まれた子供と一緒に幸せになろうとした」

「…………」

「……でも、罰が当たったのよ。別れさせた女が子供を残して死んで、男はその女と顔が似た子供を引き取った。己の体面のためにね。結局、なんやかんやあってその人は最後に男にも自分の娘にも捨てられて、一生会えないことになってしまった」


 思い出す。あの義母(ひと)のことを。

 醜い嫉妬と焦がれるような恋情の先で、彼女が辿った喪失の末路を。



「……今のあなたは、その人と同じことをしているの。でも、それでもいいの。だってあなたは――わたしにとって、どうでもいい存在だから」


 わたしは聖人君子ではないから、いつ思い出してもこう思うのだ。

 ざまぁみろ、と。

 それは、たとえセシリア・サーディスという姿も名前も違う女でも変わらない。


「お、お前―――!」


 わたしの言動にひどく癇が障ったらしいセシリアさんが、杖を向けてくる。

 ただならぬ雰囲気に、ほぼ野次馬になっていた通行人の何人から悲鳴を上げ、騎士団を呼ぶために駆けだす者もいる。

 わたしも杖を彼女に向け、習った魔法を使おうとした瞬間だった。


 ミシリ、と音がした。

 振り返ると、ごわごわな毛に覆われた大きな手が欄干を掴んでよじ登る。

 それを見た瞬間、わたし達は息を呑んだ。


 黒い体毛と赤い瞳。それはまぎれもない、魔物の特徴。

 猿と言うか見た目はゴリラに近い魔物は、空気を震わせるほどの咆哮を上げる。

 通行人達は魔物の存在を見た瞬間、悲鳴を上げて走ったり、持っていた箒で飛んで一目散に逃げる。


 いくら魔法が使えるからと言って、ほとんどは実戦経験がない。

 わたしもシリウスに魔法を学んでいるとはいえ、自己防衛程度のものしか使えない。

 とりあえず防御魔法を使おうとした瞬間、セシリアさんの杖から赤い閃光が飛んできた。


 それはわたしの体に直撃し、そのまま倒れてしまう。

 まともに受け身が取れない体はびくびくと震え、撃たれたのは麻痺魔法だと知る。

 動けないわたしを見下ろしながら、セシリアさんは魔物に向かって叫ぶ。


「ほら! そこにちょうどいいエサがあるわ! そいつから食べなさい!」


 絶叫するセシリアさんの声に従うように、魔物はわたしに目を向ける。

 血のように赤い目が、確実にわたしを喰らおうと狙いを定めた。

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