72.5 虎狼ホンソウの僻地にて
虎狼ホンソウの国、かの国には人の手の及んでいない未開拓の土地が数多あり、その内の一つ。危険な獣や魔物が闊歩する北部の土地をある丙族の女が一人闊歩している。
「雑魚ばっかりだな」
返り討ちにした獣の血に塗れた彼女の名はハロハロ。以前にショウリュウ事変と呼ばれる大事件を引き起こした首謀者の一人であり、人の悪意を増幅させる魔法を使うとされる危険人物、山河カンショウの国から逃げ出し虎狼ホンソウの国に潜伏している指名手配犯である。
そんな彼女は未開拓の土地を渡り歩いているのだがその理由の一つは追手から逃れる為である。そしてもう一つ。
「この辺りにもいない、か」
あるものを探している。それは彼女が自らの復讐を遂げる為に必要なもの。都や国をも相手取る為に必要な力。
「本当に生き残ってるのかしら、始祖の魔獣は……」
始祖の魔獣、それは魔物の中でも特に大きな力を持っていたとされる最強の魔物達だ。全部で六体いたとされ、これまでに五体ほどの討伐が記録されているが一体だけ取り逃がしたまま消息不明となっている。彼女が探しているのはその始祖の魔獣唯一の生き残りとされる魔物、三つ首の狼王ドゥアロだ。
ドゥアロに関して残っている記録は魔王大戦よりも前、およそ五十年以上も前のものであり現役の冒険者の中に当時の事を覚えている者はほぼいない。今ではその存在すら眉唾となっている存在ではあるが、それでも彼女に心当たりのある中で最も人々の脅威となり得る存在だ。
「必ず見つけ出してみせる」
復讐心を薪に換えて心に憎しみの炎を燃やす彼女の決意は消えない。
もしそれが消えるとすれば、それは。
暗闇を一つの巨大な影が走る。その影は一つでありながらまるで幾つもの生き物が寄り集まっているかのようにも見える不気味な形をしている。例えるなら様々な獣や魔物の肉体を溶接してくっつけたかのようだ。
そのような形にも関わらずその動きは素早く、並の人間では反応する事すら出来ないだろう。そして、熟練の冒険者であっても。
音に気が付きハロハロは振り返る。影に飲み込まれる、彼女は目の前で起こった出来事をそう形容した。一瞬で周囲の光が消え彼女に降りかかる闇、そしてその奥から聞こえてくるのは空気の通る音、唸り声、更に奥から何かが消化されて行く音。
それを理解した時、彼女の胴は噛み千切られて二つになっていた。
ハロハロはとある町で差別に遭った丙族だ。彼女とその家族は町の有力者の丙族を貶めんとする陰謀に巻き込まれ、結果としてハロハロ以外の者は皆処刑されることとなった。その時に植え付けられた人への恐怖、恨み、憎しみは彼女の中で強く燃え盛り続ける事となる。それは決して消える事は無かった。
彼女の命が尽きた今この時まで。
ミザロとザガ十一次元鳳凰の面々が虎狼ホンソウの国へと降り立つ。今、彼女らが立つその場所は虎狼ホンソウの国における都、虎の都だ。その要件は観光旅行などであるはずも無い、彼女らほどの実力者が集団で動く時、それは必ず何か事件が起こった時だ。
「しかし俺達全員に加えてミザロまで呼ばなきゃならんほどかね?」
ザガは溜息交じりにそんなことを述べる。虎狼ホンソウの国は彼らほどの冒険者とて流石に遠い場所だ。馬車などよりも余程素早く動ける彼らであっても移動だけで何日もかかる。退屈を嫌うザガにとっては辛い時間であったろう。
「噂ですが、向こうは翼の民が動くとか」
「翼の民? 本当か?」
翼の民とは虎の都に居を構える冒険者集団であり、虎狼ホンソウの国における最大戦力との呼び声も高き集団だ。二等星の冒険者が複数在籍しているとされ、彼らが向かった土地には向こう数年は獣も魔物も寄り付かぬと噂されている。
「あいつらが動くならそれこそ俺達必要ないだろ」
「それだけ大事だってことだ。黙ってろ馬鹿」
竜神の苛立ち交じりの言葉にザガも流石に黙り込む。流石に余所の都に来てまで喧嘩をする気は無いらしい。しばらく誰もが黙り込んでいたが、不意にツバサがぽつりと漏らす。
「名前が被ってるからあまり一緒に行動したくないな」
その台詞に場が白けたのか温まったのかはご想像にお任せする。
彼らがしばらく駄弁っているとその場に数人の集団がやって来る。その集団はその居住まいからして確かな実力者であるとミザロ達は勘付いていた。先頭の者は胸元に二等星のバッジを付けており恰幅の良い肉体を揺らしながら手の中の酒瓶を指で弾く。その音がまるで空間に染み渡るようにして響き渡り周囲の雑音があっという間に消えていくのが感じられた。
「ようこそ、我らが虎の都へ。聞けよ叫べよ、我が名はブルヘッド! 音に聞こえし翼の民を束ねし者だ!」
周囲には大勢の人が行き交っている。ザガ十一次元鳳凰に翼の民まで合わせれば二十人近い集団だ、それが道端にいるとあっては何の集会かと視線を向ける者も少なくない。
しかし彼の声を聞けたのはこの集団の者のみ。通りすがりの人々は大勢集まっているのに妙に静かな集団だと横を通り抜けていく。
「音の魔法か? 安川が使っているのとはまた違った物らしい」
「固有魔法の類じゃないか?」
「どうだろうな、多少勉強したが私には音の理屈はいまいち飲み込めなくてなぁ」
竜神やツバサと言った魔法に造詣のある者は自然とその仕組みを明かそうと話し始め、それに興味の無い者も周囲の反応を面白がり、ザガのような好戦的な者は相手の実力を値踏みしている。結果、ブルヘッドの名乗りを全員が無視している。
「……おい、俺様が名乗っただろ」
怒りに震える呟きはそれぞれの理由で届かない。
「……おーい、き、聞こえてる? あ、あの~」
そして彼は見た目ほど気の大きな人間でも無いらしい。徐々に声は弱弱しくなっていき次第に瞳の端には涙さえ浮かんでくるほどに。
「……や、やっぱり俺なんかにこんな大役は無理だったんだ……。ザガ十一次元鳳凰なんて大物僕ら程度じゃ相手にもされないんだ……」
彼の扱う音の魔法は自分の決めた空間の音を周囲に聞こえなくする作用がある。それは元々彼の気の小ささ故に自分の出す音が周囲に漏れぬようにと生み出したものだ。恰幅の良い見た目も身体を大きくすれば舐められることも無くなるだろうと敢えて大食いをしているからに過ぎない。
まるで集団のまとめ役らしからぬ男なのである。
ミザロ達は彼が泣き出したのを見て流石にそろそろ無視も限界かと居住まいを正す。誰が代表して話すのかを視線で探り、ザガが口を開こうとした瞬間周囲の全員がそれを押しとどめ竜神が一歩前に出る。
「翼の民の面々とは初めましてだな。私は竜神、一応このチームのサブリーダーなんてものに就いている。頭が少々馬鹿なんでここは私が代表して話をさせてもらうよ。どうぞよろしく」
「え、あ、ど、どうも」
竜神の差し出した手にブルヘッドも応じる。
「ほ、本当に竜神さんですか? いやぁ~、凄いなぁ。新聞で活躍は拝見してます!」
「……そりゃどうも」
事実、竜神の活躍は時に虎狼ホンソウの国でも報じられる事がある。彼女は山河カンショウの国は勿論、時に国を跨いで活動することもあるほどの有名人だ。しかしそれは翼の民の面々にも言える事であり、ショウリュウの都で発行される新聞でその活躍が報じられた事は一度や二度ではない。
写真の印象とはまるで違う人物だ、竜神の彼に対する第一印象はそこに集約される。写真の向こうから聞こえてきそうなほど雄々しく雄叫びを上げていた人物、それがまさかここまで気弱でおどおどしたような人物とは思わない。
しかし握られた手から感じる相手の実力は確かだ。もしもこの場で戦ったなら、冒険者同士で敵になることは無いと信じたいものだが、そう考えてしまうのは日々魔物や悪人との戦いに明け暮れる彼らの職業病だろう。
そして思考はその先へ、珍しく彼女は思う。勝敗は――、やって見なければわからないだろう、と。
「あ、えと、皆さんお店を予約してるので、良ければそちらでお話しを」
「ああ、丙族もいるが大丈夫か?」
「ご安心ください。我々にも一人いますしね」
竜神は自然とブルヘッドの後ろに控える者達を見た。そこにいるのは老若男女統一感の無い者達ではあったが、唯一彼らには共通することがある。竜神は思う、自分と同格以上の人物がここには大勢いる。これほど大きな仕事とは一体何なのだろうか、と。
一行が向かったのは翼の民が懇意にしている料亭だ。この店の最も優れている所は味ではなくそこで話した事が一切外に漏れないという信頼だ。個室と個室の間は遠く離れ防音設備が完備、また監視の目もある上に一度料理を運んだ後は店員でさえ近付くのに中の者の了承が必要という徹底ぶりである。
そんな場所に案内されてどんな話が始まるのかと竜神をはじめザガ十一次元鳳凰の面々は気が重くなるのを感じていた。
「まあ何があるか知らねえが大船に乗った気でいろよ、俺様がいるからな!」
「ショウリュウの都でもこういった施設には需要がありそうね」
ザガとミザロだけは違ったようだが。片や下手すれば自惚れとすらとられかねないほどに自分に自信を持ち、片や自分たちが何の為に呼び出されたのかなど欠片も気にしていない。
「ああなりたいものですねぇ」
「馬鹿言え。私たちまで常識を失ったらお終いだ」
竜神の言に周囲は深く頷くのみである。
そして料理が全て運ばれた後、ブルヘッドが立ち上がり此度、ショウリュウの都より応援を募った理由を明かす。
「え~、結論からまず。……三つ首の狼王ドゥアロらしき魔物が発見されました」
その言葉を聞き皆の間に緊張が走る。それもそうだろう、彼らにとってその名はお伽噺のようなものだ、かつて存在していたと言われているが見た事のある者など居はしない。
「一応確認だが、始祖の魔獣と言われてるあの、でいいんだよな?」
「ええ。少なくとも、目撃者の証言によればそうと考えられています」
ブルヘッドはそこから数日前の事を話し始める。
「虎狼ホンソウの国では定期的に冒険者を募って未開拓の地の調査を命じています。これは冒険者たちへに経験を積ませると共に脅威を未然に防ぐ為のものです。今回、その中には剣と盾という三人組が折りました。三等星の太刀風を擁する実力派ですね」
他国の情報をも収集している者にとっては太刀風の名は聞いた記憶のある名だった。幾らかの大きな魔物討伐の場にも姿を現し、個人でもかなりの武勇を誇る使い手だ。
「彼らが向かったのは北の未開拓地です。そしてそこで」
「見つけたのか!?」
「それらしき個体を発見したとのことです。……敢えて、彼の、太刀風の言葉をそのままに伝えましょう」
あれは……、あれは、化け物だ。三つ首の、山のように巨大な化け物……、最初に見た時は巨大な岩だと思ったのだ。しかしあれは、あれは……、神話に出てくるような、人の身ではどうすることも出来ない。そんな化け物なんじゃないのか……?
そうであってくれれば……、少しは罪悪感も薄まるのだろうな。
「と」
「……そうか」
剣と盾、この三人組は三等星で実力も高い太刀風が先頭に立ち後の二人を引っ張って行く形でやっていた。彼は如何なる危機にも恐れる事無くその身を危険に晒し勝利をもぎ取って来たのだ。
しかし、数日前、彼は一人で虎の都へと帰って来た。彼が冒険者として再び依頼を受ける日は来ないのかもしれない。
「彼の話を全面的に真実として話をするなら、狼王ドゥアロは山のように巨大な体躯を誇る魔物であるとのことです。これは絵描きに頼んで彼の証言より描いた想像図です」
そう言って皆の手に配られた絵は米粒のような人とその何十倍もある三つ首の狼の姿がある。これが事実だとすれば。
「私らが呼ばれるわけだ」
虎狼ホンソウの国だけでそれを討伐というのは困難な話だ。不可能では無いかもしれないが、その為にあらゆる資源を注ぎ込むことになりかねない。そしてその先に待つのは破滅の道だ。また、山河カンショウの国にとってこれは他人事という訳にもいかない。もしも討伐に失敗すればそのまま山河カンショウの国方面へやってこないとも限らないのだから。
「凍湖シンシンの国へも協力要請は出したのだが、まあおそらく応援は来ないかと」
「あちらにとっては遠い国の話ですからね」
一つの巨大な大陸を三分割するようにして成り立つ三大国、虎狼ホンソウ、山河カンショウ、そして凍湖シンシン。虎狼ホンソウの北部で発見されたこの魔物が大陸南部に居を置く凍湖シンシンの国まで来ると言うのは、他の二か国が討伐に失敗した際のみであろう。
彼らにとっては他人事のようなものだ。
「ではここにいる面々で討伐を?」
「可能なら、そうなります。まずは敵の位置や実際の強さを確定させてからですが。その後、応援が必要であれば両国へ要請し決戦へ、と」
「なぁに、俺様が全部吹っ飛ばしてやるよ」
山のような巨躯を持つ三つ首の狼王ドゥアロ、それを発見し決戦が始まるまでそう時はかからないだろう。彼らの誰もがそう考えていたのだが。
実際にそれが始まるのはここから何か月か後の事となる。




