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志高く剣を取る ~ロロはかっこいい冒険者になると誓った~  作者: 藤乃病


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61.翼獣の町の大戦

 虎狼ホンソウの国、翼獣の町。これから行われる町の命運を懸けた戦いに向けて大勢の冒険者たちが町の入り口に集まっている。

 その中央には全身を鎧で覆う一際大きく目立つ者が立っている。その胸には三等星のバッジが燦然と輝いていた。

「編成の一斑は即座に砦を動かせ! 町の外に防衛線を張る! 東の天衝岩付近だ、急げ!」

「「「「応!」」」」

 その声に多くの冒険者が走り出す。どうやら元々有事の際に備えて決め事があるのだろう。

「二班、三班は先んじて天衝岩へ向かえ! 私と共に周囲の哨戒と砦の設置準備だ」

 残った者達が鎧の冒険者と共に東へ向けて出発する。

 そしてその流れに取り残される者達がいた。

「えっと、どうする?」

 ショウリュウの都から来た冒険者一行だ。当然ながら彼らは翼獣の町における有事の際の決め事など知るはずも無い。砦だの天衝岩だのも何が何やらわからないという訳だ。

 それを察してか一人の冒険者が彼らに声を掛ける。

「砦を運ぶのに人手が欲しい、体力に自信がある者は俺に付いて来てくれ。他の者は嶺玄について先に天衝岩へ」

「分かったぜ!」

 結果、ロロ、ハクハクハク、安川の三人が砦の運搬へ。そして瑞葉とソラは先に天衝岩へと向かうことになったのだった。




 砦運搬チームが向かったのは町にある倉庫。ロロ達がそこへ辿り着いた時には一足先に着いた者が巨大な壁のようなものを中から引っ張り出している所だった。

「おぉ、あれが砦か!」

 虎狼ホンソウの一部の町ではこの可動式の砦がよく用いられている。町全体を囲う壁を作るのは労力や材料の問題で現実的でない場所などでは、大きな危機が迫った際などに砦を動かして防衛線を張るのである。

「山河カンショウの国じゃあ見たこと無いな」

「……向こうは平原が少ないからか? 移動の手間がこっちの比じゃないだろ」

 砦を動かすのは車輪が付いているとはいえその大部分は人力だ、僅かな段差を超える程度ならともかく町や村の多くが森に面しており斜面や段差が多い山河カンショウの国では知っていてもこれを取り入れるという事にはならなかったのだろう。

「よし、お前たちは俺と一緒にこれを運ぶぞ」

「よっしゃ!」

 ロロは意気揚々とその言葉に従い砦を後ろから押そうと構える。ハクハクハクもその隣へ自然と向かっていた。

「……なあ、俺もこっちでないと駄目か?」

「いいから早くしろ!」

 安川は一人嫌そうな表情をしていたが今更というものだ。諦観と共に彼も砦運搬の任に就くのだった。

 巨大な構造物が町の中を走る。家に避難している町民はそれを見て余程の事が起こっているという事を察するだろう。一部の者は気が気でなくていざという時の為に町を捨てて逃げ出す準備でもしているかもしれない。

 町に残っている冒険者はいざという時に皆を避難させる為その経路を町長たちと会議している頃だろう。まだ経験の浅い者は何をすべきなのかもわからずただ落ち着きなく町の外を見ているのだろうか。

 ロロはそんなところまで想像は出来ない。しかしこの町が今、危機を迎えている事だけははっきり理解している。

「俺達、来て良かったな」

「……そう、なの?」

「ここにいるからちょっとでも助けになれるんだぜ?」

 彼には自身が巻き込まれてしまった、そんな考えなど僅かばかりも無い。この偶然は自身に皆を助ける機会を与えてくれた幸運なのだ。

「……そうだね」

 ハクハクハクもロロの言葉に頷く。偶然この機に翼獣の町へ訪れた事は或いは何かの導きなのかもしれない、と。楼山の都へ行き、そこで翼獣の町行きの切符を手に入れて……。

「ん?」

 そこでふと疑問を抱いた。その切符をくれた人は……。




 天衝岩、それは翼獣の町の東方にある天を衝くように高く聳え立った岩だ。目印となる物の少ない虎狼ホンソウの大地の中でそう多くは無い自然物の目印になる。

 瑞葉は他の数人の冒険者と共に周囲を警戒する。目視では何らの異変も確認できないようだが。ソラは一人岩陰に隠れいつものように地図と石でダウジングの魔法を行っている。

「ソラさん、どうですか?」

 二人は今朝方に相争ったばかりではあったが、流石にこの状況下でそれを引き摺るような事はしない。内心がどのようであれ今は共に危機に立ち向かう仲間であるべきだろう。

 ダウジングの結果だが、ソラが持っている石は地図上の現在地より東にて大きな反応を見せている。

「まあ、間違いなくこれがクビナシトラの群れでしょうね」

「ここが現在地で、こっちが翼獣の町ですか?」

「ええ」

 距離的にはどうやら町と群れの中間地点がこの天衝岩らしい。

「さっきより近付いてますか?」

「おそらく」

 放置すればこの群れはいずれ町に衝突するだろう。そうでなくともクビナシトラの群れなど放置していればどれだけの被害を生むかわからない。ここで決戦する覚悟を持たねばならないのだ。

「よしっ、砦設置の準備を始めるぞ!」

「「応」」

 砦設置の準備と言うのは実際そう大したものではない。周囲の環境を見て設置位置を考えその周辺の地面を均す、それだけだ。瑞葉とソラは未だに砦本体を見てはいないがとりあえず他の者に倣って地面を均し始める。

 瑞葉はふと顔を上げた時に自分が広い平原に立っているという事をふと自覚した。この周囲には天衝岩の他に身を隠すような物は無い。獣や魔物との戦いにおいて自分が基本的に裏方であることを彼女は自覚している。前に出ても獣や魔物の動きに付いて行く自信など無く、その為に身体を鍛えようとしていない。

 ……これは身体を鍛えたくもなるかぁ。

 瑞葉は思わずそんなことを思った。隠れる場所さえあるか無いかわからないこの平原では頼れるのは自身の身一つだ。有事の際にせめて逃げられる程度には身体を鍛えておかねばあっさりと死んでしまうのだろう。

 ここに至って瑞葉はようやく虎狼ホンソウと山河カンショウの大きな違いの一つを実感していた。それと共にこれから始まる戦いの中で自身がどれだけ役に立てるのか、そんな疑問が生じてもいるのだった。まあその疑問に関しては砦がどういった物か未だに理解していないが故のいらぬ心配ではあったが。

 恐怖や不安に苛まれるのは瑞葉の常である。特にこういった強大な敵を相手にする、そういう時にはどうしてもそれを拭うことが出来ない。ただ、これまで冒険者としてこなして来た数々の戦いの中でそれでも立ち向かうという心の持ち方を徐々に理解していた。

 それに今日はいつもと違うことが一つある。いざとなれば他の誰よりも頼れる人がいるじゃないか。

「……あれ?」

 そこでふと疑問を抱いた。その誰よりも頼れる人は……。




 ハクハクハクと瑞葉は偶然ではあるが離れた場所で同じ疑問を抱いた。それは共にここまで来たある人物の事。

「「ミザロさんはどこに?」」

 この場にいるはずの唯一の二等星で考えるまでも無く最も強い彼女の姿がどこにも無いのだ。当然彼女もこの戦いに参加する、瑞葉はだからこそ少し安心していた節もあったのだが。

 砦を引っ張り出している町の方にもその設置準備をしている天衝岩の方にも彼女の姿は無い。

 彼女がいるのは……。




 幾つもの頭が地面に向けて流星のように降り注ぐ。その威力は岩のように固い地面すら簡単に砕き割るほどで、もしも当たればただでは済まないだろう。

「後ろだ!」

「分かってる!」

 背後からのクビナシトラの急襲をマイスは上手く躱す。しかし避けられたにも関わらずその頭部はまるで笑みを浮かべているかのようだった。

 偵察に向かい結果として取り残された黒滝とマイスはその中で何とか生き延びていた。しかし彼らは今の状況をはっきりと理解している。砂嵐の中で何とかクビナシトラの攻撃を避け続けてはいるものの彼らは獲物をなぶって楽しんでいるに過ぎないのだ。

 いずれあれらが仕留めると決めた時、二人の命運はあっさりと尽きてしまうだろう。どれほど必死になってもどうにもならないことと言うのは存在するらしい。

 ただこの日、その時が来ることは無い。

 黒滝が視界を塞ぐ砂嵐にどうにか隙間を作りながらマイスが活路を開こうとしているのだが、クビナシトラは上手く連携を取っているようで隙を見せようとはしない。

「……これは、砂嵐を起こしている個体が群れのボスをしているのかもな」

「どいつだよそれ」

「わからん」

 今の彼らには透明になったクビナシトラの身体がどこにあるのか完全には分からない。本来ならただの透明化程度なら魔力視によって大体の位置を把握することが出来るのだが、今の状況で魔力視など使ってしまうと砂嵐に含まれた魔力で視界の全てを覆われてしまうだろう。

「こうなりゃ一か八かで行くしかねえか?」

 マイスの言葉に黒滝は知らず知らずのうちに身体が強張るのを感じた。黒滝は知っている、マイスはどちらかと言えばお気楽なお調子者。そんな彼から一か八かなんて言葉が出るのはつまり、この状況の打開策が全く思いつかないという事に他ならない。

「……やるしかないな」

 やることは一つだ、一点突破で突撃し包囲を抜ける。背後からの攻撃に無防備になろうとそんなことを気にしている場合ではない。

「……一気に砂嵐を切り開く」

「よっしゃ、その後は任せな」

 魔力の籠った砂嵐は多少の隙間を開けてもすぐさまそれを埋めるように大きなうねりを上げて動くことが分かっていた。故に視界が開けた状態を維持するのは難しい、少なくとも大きな隙を生むほどに力を尽くさねばならない。

 それでもやらねば活路は開けない。

「行くぞ!」

「応!」

 決死の覚悟で放った黒滝の魔法が砂嵐を斬り裂く。その向こうには……。

 ところでクビナシトラの扱う透明化の魔法はその名の通り自身を透明にして背後のものも透けて映るようになる。この時で言えば彼らには本来そこにいるはずのクビナシトラの後方に何があるのかがはっきり見えていたわけだ。

 その場にいた剣を抜いたミザロの姿が。

 ザンッ。

 噴き出す血が透明化が解けて行く身体に降り注ぐ。その光景にその場の誰も、いや、ミザロを除いたその場の誰もが一瞬固まった。ミザロは動きを止めた近くのクビナシトラに向けて走る。

「マイス!」

 ようやく状況を理解した黒滝が声を上げる。それとほぼ同時にマイスは黒滝を抱えて地面を蹴った。彼らは一頭が死んだことにより包囲に空いた穴に向けて一目散に走り出す

 クビナシトラもそれに遅れて獲物を逃がすまいと、或いは仲間の仇を殺そうと動き出す。が、それは一足遅い。

 ミザロの剣が仲間の仇を殺そうとようやく動き出した一頭のクビナシトラを既に切り捨てていた。あっという間に二つの死体が出来上がり、その事実に残りのクビナシトラは怒りを燃やしミザロへ我先にと跳びかからんとしていた、が。

「ヴェアアガルルルルゥ!」

 一頭の上げた雄叫びがそれを止める。

 ミザロが雄叫びを上げた一頭に目を向ける。そのクビナシトラも彼女を見つめていた。視線が交錯し今にも戦いが始まる、そう思われたその瞬間、地面を蹴ったミザロは後ろに跳んだ。砂嵐が直前まで彼女がいた場所を覆い隠す。

「遠くから見ると異常性が良く分かりますね」

 あまりにも濃い砂嵐はまるでそこに砂の柱があるかのように目に映る。あんなものが自然に出来るとは全く思えない。

 ミザロはしばらくその砂の柱を遠くから眺めていたのだが、やがてその動きがあまり無い事を確認するとその場を離れた。




 黒滝とマイスが天衝岩に辿り着いた時、そこには既に砦が設置されていた。砦の上から彼らを見つけると翼獣の町の冒険者の数名が駆け寄って行く。

「お前ら、無事だったか!」

「なんとかな」

「ボロボロじゃねえか! まだまだ働いてもらうのによぉ!」

「馬鹿野郎、こんななりでもお前より強ぇっての!」

 ロロ達は喜び合う彼らの様子を砦の上から眺めている。

「黒滝さん達無事だったみたいね」

「そりゃそうだろ! 黒滝さんは凄いしミザロ姉も助けに行ったんだから」

 気楽なものだ、と瑞葉は溜息をつく。

 砦は可動式の壁のようなものだ。四つのそれは人が通れる程度の隙間を空けて地面に杭を打ち半円状に固定されている。冒険者たちはその上からクビナシトラが現れるのを待っているところだ。ソラや安川を始め探知系の魔法を扱える者はその総力を挙げてクビナシトラの位置をはっきりさせようと躍起になっている所である。

 瑞葉は傍にいるソラや安川の動向を常に気にしていた。彼らの発する言葉次第ですぐさま自分たちは迎撃態勢に入らねばならない。ここには大勢の冒険者がいる、しかし彼女はクビナシトラがどれ程の脅威か良く知っている。

「ハク、大丈夫?」

 そう尋ねたのはハクハクハクにとってクビナシトラが因縁のある魔物であるからなのか、それとも会話することで自身の緊張を少しでも解そうとしたのか、瑞葉にはわからなかった。

 ハクハクハクは気負っているのか少し動作が固かったが、それは緊張しいである彼女にはある意味でいつも通りである。

「私、戦えるよ」

 そう言って彼女は杖を強く握り締める。そこからは軽い緊張以上の物は読み取れない。戦うのに困ることは無さそうだ。

「ならいいんだけど」

 ハクハクハクにとってクビナシトラは因縁こそあるが既に乗り越えた過去の話となっているようだ。それと対峙した事を原因に取り乱すような事はもう無い。

 瑞葉は自然と下に目を向けた。黒滝とマイス、それに続いてミザロも戻って来たようでそこに立っている。

「ミザロ姉も戻って来たな」

「そうだね」

 これほど大勢の冒険者と共に魔物と戦うと言うのはロロ達三人にとって初めての事だ。いや、三人だけではない、それほど大規模な戦いなどこの場の半数も経験したことは無いだろう。翼獣の町の冒険者にとっても砦を四つも設置するなど全く記憶に無い事だ。

 彼らの胸の内は様々だ。これだけ多くの冒険者が集っているのだからと安心している者もいるし、これほど大きな事になるなんてと不安に思う者もいる。意思を完全に統一するのは中々に難しい事だろう。

 ただまあ、敵を知れば自然と彼らの思いは統一されることになる。

「あれを見ろ!」

 なにせそれは傍目からわかりやすく脅威だ。

「……何あれ」

「やばい事だけはわかるぜ」

 突如視界に現れた砂の柱は冒険者たちの気を引き締めさせると共に、あれをここで必ず止めねばならないという使命感に燃えさせる。

「策は簡単だ! 奴らを砦に誘き寄せて叩く!」

「「「「応っ!」」」」

 未だ視界の端に映るのみの砂嵐。しかしそれは着実に砦へと向かって来る。おそらく、そこにいる人間の匂いに誘われているのだろう。仲間を殺した人間たちを一匹残らず殺してやると意気込んでいるのかもしれない。

 それこそ彼らにとっては狙い目だが。

 砦の前にはミザロやマイスを始め近接戦を得意とする者が集まっている。そして砦の上やその後方に魔法を扱う者達が集まり魔力を高めているのが見えるだろう。

「よーし、先手を打ってやれ!」

 クビナシトラの姿は未だに見えない。しかし徐々に近付く砂嵐の中にそれがいることは間違いないだろう。それだけわかっていれば十分だ。

 練り上げた魔力から放たれる先制の一撃を喰らわせるには。

「雲を裂き荒天を裂く一筋の光」

「雷鳴は走り溢れ迸る」

「嵐の剣、吹き荒れよ」

 光の刃が、稲妻が、超速の弾丸が、砂嵐に向けられて放たれる。皆がそれを固唾を呑んで見守っていると砂嵐が突如形を変えて大きく広がりそれらを飲み込んだ。

「あれは……」

 瑞葉はその目に見た。砂嵐は大きな魔力を含んでおり飲み込まれる瞬間、三つの魔法の魔力を大きく削り取ったのを。

「あの砂嵐は防御の役割もあるのか」

「そのようですね」

 安川とソラもその事に気が付いたらしい。少なくとも遠距離からの魔法は砂嵐によって阻まれ致命傷を与える事は難しいだろう。

「砂嵐がこっちに来るぞ! 砦の周囲を固めろ!」

 先程までは徐々に広がっていた砂嵐が一気に砦の周囲にまで近付いて来る。それはクビナシトラが動き始めた合図だ。

「……これは」

 瑞葉は実際に砂嵐に入りその想像以上の厄介さに始めて気が付く。黒滝たちに事前の説明は受けていたが入ってみると想像以上に視界が悪く、魔力が籠っているのもあって魔力視も全く役に立たない。そしてそれがどこまで広がっているのかは想像もつかないほどだ。彼女にとって、いや多くの冒険者にとってこれほど広範囲に影響を及ぼす魔法を受けたのは初めての事だった。

 ……この中にクビナシトラがいる、そう思うと彼女は無意識にきつく自分の襟元を掴んでいた。緊張から呼吸が浅くなり唇が乾く。もしもその接近に気が付けなかった時、自身がどうなるのかを想像すると……。

「かかって来-い! 俺はここだぞー!」

 その想像が少し離れたところから聞こえた声でかき消される。

「ロロ……、今はそんなこと言う状況じゃ無いでしょ……」

 普段と変わらない様子を見てそう言いながらふと肩の力が抜けているのに気が付く。緊張で固くなった状態で上手く動けるはずなどない。瑞葉は少しずつ頭が動き出すのを感じていた。

「ソラさん、安川さん、クビナシトラの位置わかりますか?」

「……ダウジングは効かないみたい。多分砂嵐の魔力が干渉してる」

「音は多少は拾えるが……、ノイズが酷い、正直わからん」

 瑞葉は考える、クビナシトラはどうやって襲って来る? どうやってその位置を特定する? 邪魔なのは砂嵐だ、しかしそれを全て晴らすには大本を断たねばならないだろう。かといって黒滝のように砂嵐に隙間を作りながら戦うには限界がある。そもそも瑞葉の魔力量と魔法の威力では不可能だろう。上にいるハクハクハクや黒滝に頼むべきだろうか? いや、彼らにはクビナシトラの位置を特定した時にそれを仕留め得る威力の魔法を喰らわせるという役目がある。直接敵を倒し得る火力を持たない自分たちでどうにかすべきだろう。

 邪魔なのは、砂嵐。

「……安川さん」

「ん?」

 瑞葉は自身の考えを簡潔に伝える。

「……成程、試してみよう」

 徐々にクビナシトラの足音が近付く中、彼女らはその策に自分たちの命運を預ける。




 砦の上には黒滝、ハクハクハク、それと翼獣の町の冒険者が一人いる。彼らはクビナシトラを仕留めるべく次の一撃の準備をしているのだが。

「……何も見えない」

 砂嵐はどんどんと酷くなる一方だ。そしてその中で次の一撃を放ったところでどれほどの威力が出るのかはわからない。初めはそれぞれ別の砦の上にいたのだが今は三人が集まって次の一手をどうすべきか考えている。

「黒滝、お前も透明化の専門家だろ? 何か無いか?」

「……だからこそこれを突破するのは困難だと言うことぐらいは分かる」

 黒滝以外の二人は思わず黙り込む。

「砂嵐を操り姿を隠すのはかなり良い案だと思う。透明化の弱点は魔力視と物体をぶつけられ色を付けられると位置がばれるという二点が大きい。この魔力を帯びた砂嵐の中では魔力視など意味が無いし、そもそも純粋な視界が奪われたこの状態では何かをぶつけるなんてどうやればいい?」

 クビナシトラとの戦いで黒滝は周辺の砂を巻き上げて透明な身体の位置を把握していたが、この砂嵐の中ではそんなことやりようがない。では砂嵐が不自然に避けている部分を探せばそこにクビナシトラがいるではないか、そう言いたいところだがどんどんと濃く視界を埋めて行くそれの中ではいずれ目を開けている事すら困難になるだろう。

「他の探る手段は?」

「下の連中が合図をして来ない。おそらく砂嵐による妨害で位置が掴めないんだろう」

 黒滝の予想は当たっている。ソラと安川と言う探知を得意とする二人も砂嵐の妨害により敵の位置が掴めない。

「この砂嵐自体を吹き飛ばすのはどうだ?」

「クビナシトラと魔力量で勝負するか? この規模の砂嵐をずっと操っている相手に?」

 尋ねた彼はそれを聞いて無謀だ、そうはっきりと感じた。規模の大きな魔法を使うにはそれだけで大量の魔力が必要だ。逆に言えばそれを相殺しようとすれば同じだけの魔力が必要になる。そんなことをするには命を懸けるつもりでやらねばならない、この砂嵐はそれほどの規模だ。

 ハクハクハクは二人の話し合いを黙って聞きながら自分でもこの状況をどう打開するかを考え続けていた。しかしその中で思うのは様々な後悔ばかり。様々な魔法が使えれば何かその中でこの状況を引っ繰り返せるものがあったかもしれない。それは思考の堂々巡りだ、自分がもっと凄い人物であったらと考えてはそうでない自分に落胆するだけの。

 自分は役立たずだ、もっと早くから魔法の勉強をしなければならなかったんだ、そんな後悔が彼女の思考を塗り潰して行く。

「嬢ちゃん」

 不意にかけられた言葉にハクハクハクはただの反射で顔を上げた。

「嬢ちゃんの魔法の威力だったら一瞬だけでも何とか吹き飛ばせねえか?」

 だから次の行動も言われたから試したというだけのただの反射だ。

 手を正面に掲げ魔力を集める。砂嵐がどの方向に向かって吹いていたところでそれよりも強力な風であれば一瞬、道筋を作ることは出来る。彼女は知らなかったがそれはマイスと二人で戦っていた時に黒滝が実践していたことでもある。

 彼女の掌より風が生まれる。それは膨大な魔力と共に人々の上空を抜けて砂嵐を貫く。先程まで砂嵐に塞がれていた視界に一瞬青空が映った。

 風が通り抜けた後、再び砂嵐がそれを塞いでしまうがその一瞬から得られたものは確かにあった。

「……おぉ」

「……なんて威力だよ」

 黒滝たちの視線がハクハクハクに突き刺さる。彼女は一瞬で塞がれてしまった青空に自分の魔法が大して意味が無かったのだろうと感じ思わず俯いたのだが。

「やるじゃねえか嬢ちゃん! なんだよ今の、すげえじゃねえか!」

 背中を叩き称賛する男に思わずびくつき。

「今の、まだ撃てそうだな。なら行けるぞ」

 真剣に次の手を考え出す黒滝を見て首を傾げる。

 そして徐々に回り出した彼女の頭は今のが役に立ったという事実をようやく認め始めていた。




 砂嵐に覆われた地上では多くの冒険者たちが恐怖に震えている。それもそのはずで、彼らの多くはクビナシトラのような強大な魔物と戦った経験はほとんどなく、あったとしても基本的にはマイスのような三等星の冒険者の援護をしたことがある程度だ。

 敵がどこから襲って来るかもわからない状況下で冷静さを保てるほどの経験は無い。

「すげー砂嵐だな」

 それでも構わずに先頭に出ているのがロロだ。それは勇気と無謀を勘違いしているかのようにさえ思える行為でもある。彼は確かに力を付けて来てはいるがその水準はあくまでも四等星相当のものだ。クビナシトラの一撃を喰らえばただでは済まないだろう。

 まして今は敵がどこにいるのか把握すらできない、不意の一撃を喰らえば大怪我で済めば良い方だ。

「ロロ、少し下がった方が良いわ」

 それを理解しているミザロは彼に声を掛ける。先頭を固めるのは三等星以上の者か余程防御に自信のある者であるべきだと。

「でも後ろにいたらクビナシトラを倒せないぜ」

「……そうだけど」

「俺は前に立って俺達が戦えるんだって所を見せたいんだ」

 ちらりと彼が見たのは後ろで固まり震えている者達。ミザロはそれを聞いて、ロロの想像以上の馬鹿さ加減に笑みを零した。

 彼女は後ろの冒険者たちに期待することを早々にやめていた。それは彼女自身の強さ故の自信と傲慢さから来る部分があっただろう。無理に彼らの力を借りずとも最悪自分が頑張ればどうにかなるだろう、と。

 対してロロは違う。それは彼が弱いから、ではない。ロロはただ恐怖を感じる彼らを見過ごせなかっただけだ。そしてその恐怖を少しでも晴らす為に自分に出来ることを考えた、それが前に立ちクビナシトラと戦う姿を見せる事だっただけだろう。

 直後、上空を一筋の風が走る。それはハクハクハクが放った魔法だ。それは地上付近まで影響を及ぼし周辺の砂嵐が本当に僅かな間だが薄くなる。

「何だ今の?」

「ハクの魔法ね」

 地上の冒険者は視界が晴れたその時に誰もが目を凝らしたがクビナシトラを発見するには至らない。目立つ頭が見られれば儲け物であったが正面方向にそれは見られなかった。

「マイスさんここを頼みます」

「ああ」

 それを見てミザロは後方に下がる。

「ミザロ姉、どこ行くんだ?」

「確認よ」

 彼女はそれだけ言うと走り出し大きく跳び上がる。砦の上へと。

「クビナシトラが来たらどうするんだ?」

「来た時に備えて構えとけよ。油断してると襲われるぞ」

「それもそうだな」

 ロロは素直にクビナシトラの攻撃を受け止めるべく全身に力を入れて構える。




 砦の上では黒滝が次の一手を考えながら他の二人がそれに備えて魔力を練っていた。

「うおっ!」

 そこへ下よりミザロが跳び上がって来る。

「ミザロ、さん? どうかしたの?」

「さっきの一撃で頭は見えましたか?」

 ミザロの唐突な問いに二人は少し混乱していたが黒滝は即座にその意図を理解する。

「……頭も隠してるのか?」

「可能性はありますね」

 先にハクハクハクが砂嵐を晴らした際にクビナシトラの頭は見えなかった。自身が強大であることを自覚している彼らはいらぬ争いを避ける為に存在を誇示すべく頭を見せている、そう考えられておりそれは実際に戦闘になった際も変わらないものだが。

「……やはり変種が混ざると厄介だな」

 今回は砂嵐を巻き起こすような通常の個体とは違う変種が混ざっている。その点に置いても普段の常識が通じないという事なのだろう。

「ハク、さっきと同じ事を何度できますか?」

「え? あ、えと……」

 その問いに対して思わず彼女は指折り数え始めるのだが全ての指を折って間を置くことも無く伸ばし始めたのを見てミザロも黒滝も回数を数えるのを止めた。

「ある程度位置が絞れれば問題なく行けそうだな」

「透明化を解除或いは位置を誰の目にも分かるようにする方法は?」

「色付けをすればいいだけなら俺ができる。元々そのつもりもあった」

「では任せます」

 ミザロと黒滝の間では既に共通認識が出来上がっているようだ。そしてそれにおける残された問題は大まかでも位置を絞る方法。

 そう思っていたその時、砦の上で三つの炎が揺らめくのを彼らは見た。

「何だ? クビナシトラの攻撃じゃ無さそうだが……」

「炎の方向に敵がいます!」

 黒滝の疑問に答えるように下から声が響く。それは瑞葉の声だ。

「……だ、そうです」

「どうやったか知らんが助かったな」




 砂嵐の中、ダウジングは効果を発揮できず、音の魔法はノイズだらけで使い物にならない。その中で瑞葉たちが敵の位置を探り当てた方法とは。

「……聞こえる、足音の方角は分かるぞ」

 今、安川はソラが地面に作り上げた穴の中にいる。彼女は小規模ではあるが地形を操る魔法を使える為、地面に穴を掘り砂嵐の干渉が無いよう上部に囲を作ったのだ。どれほど砂嵐が吹き荒れようとそれが土砂の塊を貫くことは無く穴の中にまで砂嵐が入ることは無い。

 そして地面の下もまた砂嵐の影響の外にある。安川は地下を通じてクビナシトラの足音を拾っているのだ。

「上に伝えますね」

 そしてその方角を砦の上に炎を灯すことで瑞葉が常時伝える。こうして砂嵐と透明化を組み合わせて完璧に自身の位置を隠していたはずの彼らの大まかな位置を把握することが出来たのだ。

「……凄いものね」

「何か言いました?」

「いえ」

 思わず零れたソラの呟きは瑞葉を褒める為のものだったのだろうか。




 風が砂嵐を斬り裂く。その先には一見何も無いように見えたが直後、一筋の光が走ったかと思うとそこにいたクビナシトラの姿が黒く炙り出されるように現れる。

「あれは!?」

「黒滝の魔法だ! 行くぞ!」

 黒い墨でもかけられたかのようなその塊は向かって来る冒険者に向けて爪を振り上げる。先頭を行くマイスは自身に振り下ろされる爪をその身体で受け止めた。

「やれ!」

「ああ!」

 彼の後ろを走っていたロロが剣を振り抜きマイスが止めている足を斬り裂いた。鮮血が走りクビナシトラの方向が響き渡る。

「頭が来るぞ!」

 しかし足の一本を失ったところでクビナシトラは止まらない。その巨大な頭部をロロに向けて振り下ろすが。

「分かってるぜ!」

 彼はそれを察知していたのだろう、足を斬り裂いたからと言って立ち止まらず降って来る頭部を上手く躱した。

「そのまま離れろ!」

 その声の直後、ロロは頭上を何かが走るのを見た。それは一本の矢、目の端で捉えるのがやっとの速度で飛んで行ったそれはクビナシトラへ一直線に向かいその身体に突き刺さる。

「撃てぇ!」

 そして再び先の声が響く。直後、砦の上より炎の矢が放たれた。それは先の矢の軌道をなぞるように飛んで行き、そしてクビナシトラに突き刺さった矢へと触れ。

 ドオオオオォオン!!!

 大きな爆発音を上げた。

「うおおぉ! なんだあれ?」

「安心しろ、味方の援護だ」

「おお、凄えぜ!」

 細かな説明を省くと今のは翼獣の町にいる冒険者の魔法だ。弓使いと砦の上の魔法使いは二人で協力することで今のような爆発を起こすことが出来るのである。それは今回のような巨大な魔物を相手にするに十分な威力を持っている。

「クビナシトラが倒れるぞ!」

 爆発を受けたクビナシトラはその場に崩れ落ちもはや動く気配は無い。

「よっしゃ! 敵はまだいるぞ! 武器を掲げ手柄を上げろ!」

「「「「……応!」」」」

 後ろで震えていた冒険者たちがマイスのかけ声に応じる様に声を上げた。それは無論、強大な敵を倒したことにより士気が上がっているのもあるのだが。

「助かったぜ、ちっさいのにやるじゃねえか」

「何がだ?」

 自分たちよりも一回りも小さな子供であるロロがクビナシトラに手傷を与えたことも大きかっただろう。確かに敵は強大だが自分たちの立派に鍛えられた身体に比してまだまだ若く発展途上な彼が真っ先に飛び出して見事な活躍を見せたのだ。

 彼らが冒険者になった理由は様々だ。誰かの力になりたい願った者、一攫千金を夢見た者、単に他の選択肢が嫌だった者、友人に誘われた者等々……。しかし彼らにも共通する思いはある、ここに立っているのは故郷を守り家族を守り友人を守る、その一心だ。

 たまたま今日いるだけの観光客に負けるわけにはいかないだろう。

「次の相手はどこだ!」

「やってやるぞやってやるぞお!」

 魔物の数は分からず未だ姿の見えない敵は多くいる。しかし彼らの張り上げる声からは恐怖は消えていた。その声は砂嵐の中で獲物を狙っていたクビナシトラ達に生来の慎重さを強く思い出させるに足るものだろう。

 そして彼らの先程までと一変したその様子は砦から降りたミザロを困惑させるにも足るものなのだった。




 砂嵐の中で一頭の仲間が殺された。その事実はクビナシトラの群れにとって大きな衝撃を与えた。先にミザロにやられた時は自分たちが獲物をいたぶって楽しんでいたせいでもあり、余計な楽しみに夢中になっていたことに反省こそすれそれほど大きな問題とは思っていなかった。

 それに対して今回の件は巨大な砂嵐で冒険者共を包み込み完璧に姿を消した状態で慎重に接近を試みた。彼らの目には姿も見えず、その耳で足音を掴むこともできず、気付いた時にはすぐ傍にいる魔物の爪や牙、一方的な蹂躙が始まるはずだったのだ。

 彼らは恐怖を覚えた、生来の慎重さとは言い換えれば臆病さでもある。こんな危険な連中を襲うことは無い、ここは逃げてしまえば死ぬことは無い。やられた奴は運が悪かったのだ。

 仲間を殺された怒りよりも自らの死への恐怖が勝る。元々群れる性質すら無いのだ、それが当然だろう?

 さあ帰ろう、こんな危険な場所に残る必要など無いのだから。

 しかしこの日ばかりはそれが適わない。

 なぜ群れる性質の無い彼らが今日は群れているのか、それは簡単だ。より恐ろしいものに対して付き従わざるを得ないからだ。

 砂嵐が彼らに語り掛ける、逃げることは許さない、と。多くの仲間が討たれたのだ仇を討て、と。我らの怒りを思い知らせよ、と。

 尤も、そんなのは方便で砂嵐の主は怒りなど少しも感じていないのだが。




 風が砂嵐を裂きその中にいるクビナシトラの姿が次々と炙り出されていく。

「うおおお! あれは俺の獲物だ!」

「馬鹿言え、あれは俺のだ!」

 それを見て先程まで後ろで震えていた者達が声を上げて突撃していく。士気の高い彼らに姿を炙り出されたクビナシトラは思わず怯みそうになったが、それでも退く事は出来ない。前脚を振り上げ地面を砕かんばかりの勢いで叩き潰すのみ。

 四等星の彼らとクビナシトラの戦いは一見拮抗していた。本来は討伐の為には三等星以上の力を借りることが推奨されているのだが、翼獣の町の冒険者には鍛え上げられた肉体がある。

「遅えっ!」

 山河カンショウの国の平均的な四等星の冒険者に比べ彼らの肉体は鍛え上げられ力強さも瞬発力も大きく違う。元々姿さえ見えてしまえば他に魔法などを使うことの無いクビナシトラの攻撃は彼らに致命傷を与えるのは難しい。

 そしてその事実は彼らの高い士気を維持させ次々と戦闘に参加する者が増えて行き、とうとう彼らはその手で一頭のクビナシトラを討ち取った。

「よっしゃあ! 今のは俺の一撃で倒したんだ!」

「いいや、俺のだ!」

 自らの手柄を主張し武器を高々と掲げる者は砂嵐の中に笑い声を響かせる。

「一発貰っちまったぜ」

「大丈夫か?」

「へっ、このぐらいで寝てられるかよ」

 多少負傷した者はまだまだ戦えると気合を入れ直す。

 そんな状況下でマイスやミザロなどの経験豊富な冒険者たちはあくまで冷静に戦況を観察していた。

「あと何頭いるか分かるか!」

 マイスが砦側に声を掛ける。

「少なくとも三頭! ただ足音を拾うだけだと確実な数は分からないって!」

 それに対しての返事はすぐに帰って来た。そしてその直後に次の一頭を炙り出そうと風が砂嵐を裂く。地上の冒険者たちは次の手柄は俺の物だと声を上げた、が。

 ガアアアァン!

 突如、砦の方から凄まじい音が響く。

「しまった!」

 砦への急襲だ。

 幸い、それは黒滝たちが乗っていた砦では無かったが周囲への衝撃は凄まじく、思わずハクハクハクの魔法が止まる。

「ちっ!」

 黒滝は舌打ちしながらも砂嵐が元に戻る前に遠くの一頭に色付けをすることは出来たのだが、冒険者たちは砂嵐に塞がれた視界の中でそれを見つけなければならないようだ。

「てめえ! いきなり来てんじゃねえぞ!」

 対して砦の傍にいる一頭はまだどこへいるかわからない、にもかかわらずマイスがその一頭へ突撃を仕掛ける。どこにいるかはわからないがそれを理由に黙っているわけにも行かなかった。砦を落とされるのはそれほどに致命的だ。

 砦から響いた轟音に地上の者達は多少の差はあれど焦りと共に救援へ向かっていたが、その中でミザロは一切の動きを見せなかった。それはただのクビナシトラが相手であれば自分が動かずとも問題は無いという判断でもあったが、それ以上に彼女はなぜ今砦への急襲が成功したのかと考えていたのだ。

 瑞葉、ソラ、安川の三人が何らかの手段で以てこの砂嵐の中クビナシトラのおおよその位置を特定していることを彼女は把握している。そしてその手段に関しても彼女は聞かずとも想像が付いていた。

 砂嵐による魔力への干渉は激しくその中では魔力を周囲に広げることは余程の経験と才能が無ければ難しい。ソラと安川は優れた魔法を使うがそこまでの領域に達してはいない、瑞葉ならば砦の上に炎を発生させたように砂嵐の中でも魔法を使うことが可能だが彼女は探知系の魔法を未だ身に付けてはいない。

 結果、消去法で最も可能性が高いのは地下を通る音を頼りに位置を特定しているというものだ。地面を踏みしめる音は幾らクビナシトラがそれを消すことに長けていたとしてもその巨体故に完全に消し去ることは出来ない。

 ここで最初の疑問だ。なぜ砦への急襲は成功したのか? 言い換えるならば、なぜ彼らはその足音に気付かなかったのか?

 その答えは。

「上空ね」

 ミザロは人知れずその場を離れる。




 砦への急襲に対し冒険者たちの対応は後手に回ったが、それだけで勝敗が決まるほど彼らは弱くはない。多少手傷を負った者もいるがどうにかその一頭を仕留める。

「よお、まだ戦えるか?」

「当たり前だろ!」

 そして手傷を負った者の代表がマイスとロロだ。

 透明状態のクビナシトラに突撃を仕掛けたマイスは上手く攻撃を防ぐことが出来ずほぼ無防備に一撃を受けた。そしてその一撃を見ておおよその位置を把握したロロは即座に攻撃を仕掛けたのだが、かすり傷を付けるに留まり反撃を受けたのである。その直後には黒滝たちにより色付けがされ遅れて来た地上の冒険者たちの総攻撃で仕留めるに至ったのだが、その代償は決して小さくはない。

 マイスはその強靭な肉体故に先の一撃を喰らっても致命傷とは行かない。しかし決して小さな怪我で済むような攻撃でも無かった。おそらくは肋骨が折れ今後の先頭への参加はかなりの危険を伴うだろう。しかし彼はその事を表に出さず戦いを続行するはずだ。それは三等星という肩書故の使命感か、或いは元々彼の持つ性情なのかは議論する必要は無い。

 対してロロの方は隠し切れない怪我を抱えている。攻撃を受けたのは左腕、それが結果的に他の部位を守ってくれたわけだがその分左腕の損傷は大きい。血が流れ肉が見える部分もあり、もはや動かすことも出来ないのか腕はだらんと垂れ下がっている。確実に骨は折れているだろう。彼は右腕一本でも戦う覚悟のようだが、これ以上の戦闘への参加は厳しい。

 その姿を見てマイスは冷静に状況を見つめ始める。

 自分がこのような状況ではここから冒険者たちの損耗は激しくなるばかりだろう。クビナシトラの群れを相手に犠牲も無く勝利を得ようと言うのは無謀だが、ここまで来ると勝利を得る事すら危うくなってくる。最大の問題は砦への急襲だ、さっきはたまたま砦自体への攻撃に収まっていたが、あの一撃が砦の上にいる黒滝たちに向いていたなら? 彼らはこの戦いに置いて要と言っていい役割を果たしている。どうやってあの急襲を果たしたのか探り当てなければ守ることは困難だ。

 どうすればいい?

「マイスさん、次はどうすればいいかな?」

 奇しくも自分が考えた末に辿り着いたどうにもならない疑問をロロが尋ねる。故に彼は表情を苦々しくすることしか出来ない。

「分かった、じゃあとりあえず出て来た敵を倒せば良いな!」

「お前……」

 その腕で無謀だ、なんてことは幾らロロでも百も承知というものだろう。彼は馬鹿ではあるが、それでも自分の怪我が軽いものではないことなど両手で剣を握ることもできないその腕と真っ直ぐ歩くのも困難な身体が証明している。

 ではなぜ戦うのか?

 簡単だ、今の彼にはそれしか出来ない。

「……そうだな、目の前の敵を全部倒せば俺達の勝ちだ」

 マイスは考えるのを止めた。確かに彼は経験豊富な冒険者であるが頭脳労働が特別得意なわけでは無い。そういうのは、得意な人間に任せればいい。

「俺が砦を守る! お前らは見つけた敵をぶち殺して来い!」

 その声が砂嵐の中でも全ての冒険者、全ての魔物に響き渡った。




 砦下部、瑞葉たちはクビナシトラの位置を特定しながらも混乱に見舞われていた。

「さっきのはどうにか倒しました!」

「足音は把握できていたのでは?」

「分からん、俺の感覚では急に現れたぞ」

 それは砦に急襲を仕掛けて来た一頭がどこから来たのか全く分からなかったからだ。得意気に位置を特定して役に立っていると思い込んでいたところに突然のこの事態。場合によってはこれまでの足音の位置すら全て勘違いなのではとさえ思われてしまう。

「……今分かっている敵の位置は?」

「遠巻きにこちらの様子を覗っている、攻めっ気があるようには思えない」

 その事実と先の急襲をどうにか結び付けることは出来ないだろうか、そう瑞葉は考える。結論ありきの仮説であろうとこの状況の説明をどうにか付けなければいつまでも後手に回ることになりかねない。

 彼女は安川の把握している足音による位置の特定は正しい、と仮定した。少なくとも先程は確かに彼が示した位置にクビナシトラがいたのだ。そうであればそこをとりあえず疑う必要は無い。では砦への急襲はなぜ起こったのか? 近付いて来る際の足音を捉えられなかったのは?

「……そもそも足音が無かった?」

 今、安川が感じ取っている音は魔物の足音に絞られている。吹き荒れる砂嵐を避けて掘られた穴の中でわざわざ地面に耳を当ててまで他の音に邪魔されぬようそれだけを聞き取っているのだ。しかしもしも足音を立てずに近付く方法があるとすれば?

「空を飛ぶ?」

 冗談みたいな回答だ。あれほどの巨体が空を飛べるものか、有り得ない。そう思いたくなるのも事実だが、少なくともそうだとすれば今回の事態に説明は付く。

 ただ。

「仮にそうだとしてどう対処すれば……」

 空から降りて来るクビナシトラを想像するとその対処など何も思い浮かばない。撃ち落とそうにもこの砂嵐の中ではどこを飛んでいるかもわからないし、遠距離からの魔法はそのほとんどが砂嵐の干渉を受けて威力が無くなってしまう。

「次は砦正面方向だ、徐々に近付いてるぞ!」

「あ、はい!」

 そこまで考えたところで安川の声に瑞葉の思考は途切れる。彼女はただ反射的に上にいる者へ敵の位置を知らせるべく炎を灯すのみだ。




 砦上部、ハクハクハクは新たに灯った炎を見つめ砂嵐を吹き飛ばすべく風を放つ準備を始める。彼女の頭の中では確かな不安があった。先程の砦への急襲、攻撃を受けたのは隣の砦だったとはいえ上にいたハクハクハク達はその轟音と衝撃に恐れを抱いたものだ。それが再び起こるかもしれないという疑念を振り払うことは不可能だろう。

 しかし決して彼女は逃げようとはしない。

「最悪退避の準備もしておくべきだな」

 そう覚悟を決めていた隣で黒滝がぼそりとそう呟いた。

「……え?」

 思わず彼女がそう言ってしまうのも無理は無いだろう。寧ろ気合を入れ直していたぐらいである隣で自分よりも経験豊富な三等星の冒険者がそんな事を言うのだから。

「で、でも、私たちがいなかったら」

「皆は敵の位置が分からない。とりあえず一発撃ってくれ」

「え、あ、はい」

 ハクハクハクが魔法を放つと凄まじい風が砂嵐を断ち切る。黒滝は間を置かずその先にいるクビナシトラを黒く色付けした。

「あそこだ、行くぞ!」

「応!」

 数人の地上の冒険者がそれを見て突撃を仕掛ける。黒滝は落ち着いた様子でそれを見ていた。

「陵生、援護は最低限にしろ。いざという時はお前が俺達を守れ」

「はい!」

 こうして道を開けている間に次々と援護射撃をここから行うべきであるとハクハクハクは考えているようだが黒滝はそれと相反する指示を出す。そしてもう一人の翼獣の町の冒険者も指示に従って魔力を練り上げても攻撃に使おうとはしない。

「このままじゃ、下の人たちが」

「そう簡単にやられはしない」

「……でも」

「俺達がやられれば砂嵐をどける術も無くなる。そうなったらどうなる?」

 今、地上の冒険者たちが優勢に戦えているように見えるのはあくまで敵の位置が把握でき数の優位を押し付けているからに過ぎない。そしてそれは位置を特定する瑞葉たちとそれを皆に伝える黒滝たちがいるから成し得ていることだ。

 クビナシトラの死体を幾つ作ろうとこの砂嵐が続く限り彼らの優位は薄氷の上にあるに過ぎない。

「砂嵐を作っている親玉は恐らくどこかに隠れている。どうにかしてそれを見つけ出さない事には俺達は迂闊に動けないんだ」

 ハクハクハクは己の力の無さを恨んだ。ここに立って自分の役割を得られた事は嬉しかった。自分の魔法があれば黒滝がクビナシトラの位置に魔法を撃ってその姿を顕わにすることが出来る。これは生まれ持った魔力量が役に立った証だ、まだまだ出来ることが少なくとも役に立つことが出来た。

 しかし現実にはそれだけではまだ足りない。未だ敵は砂嵐の中で蠢いている。残りの数も分からず肝心の砂嵐を作り出す個体はどこにいるかもわからない。

 ハクハクハクは英雄になりたかった。こんな状況でも自らの働き一つで全てを引っ繰り返すことが出来るような英雄に。しかし現実の彼女は砂嵐を僅かな時間押し退ける事しか出来ていない。魔物と対峙することも無く後方の砦に立っている。

 彼女はもっと、もっと、もっと、強く、強くなりたいのだ。

 その方法は彼女にはわからなかったが。

「負傷者は砦の後方に下がれ!」

 マイスの声が響く。更に一頭のクビナシトラを討ち取ったものの地上では徐々に負傷者が増えている。幾人かはこれ以上の戦闘の継続が困難なほどの重傷者もいるようだ。

 ハクハクハクは腹の底から湧き上がって来る恐怖を感じていた。それは自分もまたあの中の一人になるかもしれないと言う恐怖だろうか?

 違う、彼女が恐れているのはそれではない。彼女が恐れているのはこのまま何を為すことも出来ず自分一人のうのうと生き残ってしまうことだ。彼女は英雄になりたいのだ、人々を助ける英雄、自身の父母のような。

 何かしなければならない、でもどうすればいいかわからない。魔力を放つのを止めて砂嵐に覆われた視界は正に彼女のそんな思いを代弁しているかのようであった。

「次の指示が来たぞ」

 砦付近に灯された炎がクビナシトラがいる方角を指し示す。たとえ恐怖や迷いを内に抱えていようと目の前の現実は待ってはくれない。ハクハクハクは自身の思いをどうにか飲み込んで魔力を練り上げる。

 瞬間、数人が異変に気付いた。それは微かな異音であったり、視界の隅に映った不自然な砂嵐の切れ目だったかもしれない。ただ彼らはそれが何を指し示しているのか即座に気付き声を上げる。

「上だ! 飛んで来るぞ!」

 一早く動いたのは黒滝だ。彼はその場にいるのが危険と判断しハクハクハクを抱え飛び降りる。彼の後ろにいた翼獣の町の冒険者も何が何だかわからないがその後に続いた。砦の後ろでは安川の声に従い皆が砦から距離を取って伏せる。砦正面にいたマイスはロロの前に立ち衝撃に備えた。

 直後。

 ズガアアアァン!

 巨大な音と共に砦が大きく歪む。幸い完全に崩れることは無く、後方に避難した者達は無事のようだ。しかし既に乗り越えるのは容易く放置すれば危険であることは火を見るより明らかだ。

 動き出しが早いのは三等星のマイスと黒滝、それにロロぐらいだろう。他の者は突然の事に対応できず中にはひしゃげ潰れた砦を見て恐怖に駆られ戦意を喪失する者さえいた。

 黒滝は即座に自身の目の前に風の道を作り出すとその先にいるクビナシトラに色を付ける。マイスとロロはそれを見て即座に攻撃を仕掛けようとするが、無論クビナシトラの方もただ立ち止まっているなどあり得ない。

 事ここに至ればどれほど慎重な魔物であろうと自らの巨体を用いて暴れ回ることこそが最も有効な策であることなど考えるまでも無いのだ。

「退避!」

 黒滝の声、それとほぼ同時に彼の元へ前脚が振り下ろされる。その一撃は間一髪瑞葉が横から彼に飛び付いて回避された。しかしその一撃で終わるはずも無い。しかしその頃にはようやく他の冒険者たちも動き出す。

「俺が相手だあああ!」

 声を張り上げ突撃する者、彼が気を引いている隙に瑞葉と黒滝を助けに向かう者、彼らは自らが怪我人であることも忘れ立ち向かう。

 安川はそれを援護すべく穴から出て来て上空に向けて魔力を放った。しかしそれは予定の場所へ着く前に砂嵐に削られて消えて行く。この砂嵐の中では自らの肉体を鍛えた冒険者たちでなければ効果的な攻撃は難しい、それを実感した安川は後方で動けなくなっている連中を避難させに向かう。

 比較的怪我の軽い者は砦前方、少し離れた場所にいた為救援には時間がかかる。マイスを含めた重傷者のみでの勝利は不可能ではないだろうが、その為の犠牲は如何ほどになるかわからない。

 ハクハクハクはそんな状況で固まって動けなかった。

 何かしなければならないと強迫的に願えば願う程、彼女の身体は固まり動かなくなる。強大な魔法を撃つことにも慣れた、かつては周囲の人を巻き込んでしまうかもしれないと恐れていた力を自らの物にしたのだ。今更何を恐れる必要がある。

 そんな風に言い聞かせても彼女は動けない。

 今の彼女は恐怖に負けているのではない。敢えて言うならば彼女は、自らが強くなったという自負が打ち砕かれた事によりまるでさっきまで立っていた地面を打ち砕かれたような気分になっているのだ。

 精神的な傷を克服し、より高みを目指して突き進むのはさぞ気分が良かっただろう。しかし現実はこの通り彼女は英雄に程遠く目の前にで恐るべき魔物が共に戦う人々を危機に追いやっている。自分に何が出来たのだろうか、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。

 彼女は砂嵐に飲み込まれこのまま沈み込むように消えて行くのだろうか。

「構えて!」

 不意に、彼女の背を誰かが支える。

「一瞬、砂嵐を退ける! 後は頼むわ!」

 ソラだ。彼女は自身の魔法が通じない事は分かっていた。しかしそれでも猶この場に残ったのは。

「魔法が、どれだけ凄いか、見せてやって!」

 彼女自身の利己心、我が儘、或いは彼女だけの願いを叶える為だ。

 その姿はハクハクハクにとってどこか羨ましいと感じさせる。なぜならそれはある種の強さだ。どこまでも自らを肯定し、逆境にあろうとその為だけに前へ突き進む。時に傍迷惑であろうとソラは自身の為にひた走るのだろう。

「行くわよ!」

「……うん」

 彼女は自らの背を支える手からほんの少しの勇気をもらった。ソラは自らの為に自分の力を利用しようとしているのだろう。だがそれは、それだけの力を持っていると信じているという事だ。

 それならば。

 風が砂嵐を掻き分ける。それは広大で強大な砂嵐に比してあまりに弱弱しいものだったが、ほんの僅かな間だけ二人にクビナシトラの姿をはっきりと捉えさせた。

「嵐の剣、吹き荒れよ」

 ハクハクハクは落ち着いた様子でそう唱えた。瞬間、彼女が手に持っていた拳大の石が凄まじい勢いの風に乗り放たれる。砂嵐に空いた隙間を駆け抜けるそれは通り抜けた余波で更にその穴を大きく広げながら一直線にクビナシトラへと向かって行く。

 突如砂嵐に空いた穴は多くの者の目を惹き付けた。

「凄い……」

 誰よりもその光景に夢中だったのは他でもないソラだ。自分には持ち得ない圧倒的な威力のそれは、多少の魔法制御の甘さなど意にも介さず突き進む。

 そしてクビナシトラの首を当然のように吹き飛ばした。

 瞬間、誰もが言葉を失う。

 が。

「うおおお!」

「何だ今の!」

「あの嬢ちゃんだ!」

「やるじゃねえか!」

 直後、歓声が沸き起こる。皆の注目を浴びて思わず小さくなるハクハクハクだったが、それを後ろにいるソラが許さない。

「見たか! これが魔法の力よ!」

「あ、え、あぅ……」

 彼女がハクハクハクを抱え上げると再び歓声が沸き起こる。まだこの戦いに勝利したわけでも無いのに彼らのそれは天を衝かんばかりだ。

「全員派手に喜んでるぜ」

 マイスがその様子を少し離れたところから見つめる。

「士気が高いのは良い事だ」

 その足元には黒滝が気絶している瑞葉を抱えて座り込んでいる。先の攻防の中、瑞葉は黒滝を助けたのだがその際に地面の砕けた破片を受けて気絶したらしい。

「この厳しい状況下であれだけの士気を保つのは難しいだろ」

「まあな。でもそろそろ終わるかもしれんだろ?」

「……だと良いが」

 二人はそう言ってこの場にいない一人の人物の事を思う。今現在、翼獣の町において間違いなく最強の冒険者の事を。




 一頭のクビナシトラが地上を見下ろす。そこはこの戦いにおける特等席だ。じわじわと数を減らす仲間を見つめながらも意に介することは無く、寧ろ次はどれを犠牲にしようかなどと考えている。このクビナシトラにとって仲間とは駒だ。

 なぜならば自身が特別な存在だとはっきり理解しているのだから。

「やはりここですか」

 その特等席に一人の冒険者が降り立つ。彼女もまた人間の中の特別。

「さっさと終わらせましょうか」

 二等星『遊剣』のミザロ。

 一人と一頭が立つのは巨大な天衝岩の頂上。戦場を見下ろすことが出来る唯一の場所。戦いが始まった直後からこのクビナシトラは颯爽とここへ登り全てを俯瞰して眺めていたのだ。砦への急襲を見たミザロは敵の居場所に関して幾つかの仮説を立てその中から直感的にここを選び天衝岩を駆けあがったのだった。

 透明なクビナシトラの姿はミザロの目に見えてはいない。しかし彼女にはそこにいることがはっきりと理解できている。どれほど息を殺し気配を消そうとも彼女には分かっているのだ。

 それ故かクビナシトラは自身の頭の透明化を解除しその位置を顕わにする。その表情は明確な怒りに満ちていた。

 この場所は狭い、一人と一頭が立つのでやっとだ。クビナシトラは前脚を高く掲げると力任せにミザロへと振り下ろす。

 その一撃はここは我の座す場所であると宣い憚らないかのようだった。

 当然目には見えない、そして見えていたとしてもこの狭い空間では避けようも無い、その一撃は容易に敵を撃ち滅ぼすだろう。

 相手がただの冒険者であれば、だが。

 ミザロは近付くその一撃を当然のように後方に跳んで回避した。それは一瞬の驚きをクビナシトラにもたらしたが、ただ避けただけだ。よく見よ、彼女は空中に飛び出したのだ、地面へ落下するのを眺めていればいいだけではないか。

 呆気に取られるクビナシトラを前にミザロは空中を蹴る。

 剣閃が走る。

 透明な毛皮に血が赤く滲んだ。

 天衝岩の頂上、僅かな隙間にその下手人は降り立つ。

「思ったより硬いですね」

 そしてつまらなそうにそう言った。

 クビナシトラは即座に思考を切り替えた。目の前の小さな人間を脅威と認めたのだ。故にもはや遊びは無い。

 砂嵐がうねりを上げてそこに立っている彼女に襲い掛かる。すぐ目の前にいるはずのクビナシトラからすら見えなくなる程密度の濃い砂嵐が家々すら吹き飛ばす暴風を伴って彼女を飲み込んだ。それはどこか遠くへと彼女を吹き飛ばす為のものだったのだが。

「流石に巨大な砂嵐を操るだけはありますね」

 砂嵐が晴れた時、岩に剣を突き刺した彼女の姿が当然のようにそこにあった。成程、剣を支えにして耐えたのか、などと甘い考えが浮かぶことは無い。彼女の姿はたった今砂嵐に見舞われたようにはとても見えなかったのだ。その衣服には僅かな乱れしかなく、余人が見れば彼女はそこらを歩いている時に少し強い風に吹かれでもしたのだろうと思う事だろう。

 正に、有り得ないことだ。

 クビナシトラは理解した、脅威などと言うのはあまりに甘い評価であったと。人間たちとの戦の趨勢はこの女を殺せるかどうかにかかっているのだと。

「ああ、降りますか」

 それ故に地面を蹴り天衝岩から降りて行った。決して恐怖に駆られての事ではない。自身の力を最も活かせる場所へ、より広い場所を求めての事だ。ミザロはそれを知りながら当然のように後を追った。

 そこは砦から見て天衝岩の影に当たる場所。余人の邪魔の入らぬその場で一人と一頭が相対する。否、降りると同時にミザロはクビナシトラの元へ駆けて行った。戦いを一瞬で終わらせるつもりだ。

 しかしそれを許すほど敵も間抜けではない。ミザロの駆け抜ける先で透明な前脚が振り下ろされ地面が砕かれる。それは足場を破壊すると共に自身の使う弾丸を用意する為のものだ。

 砕かれ破片となった地面は風に乗り浮かび上がる。そしてそのままミザロに向けて一直線に飛び出した。彼女はそれを予期していたかのように躱したがその弾丸はそれで止まることは無く、大きく弧を描き再びミザロの元へと向かって行く。

 砂嵐の中を無数の弾丸が彼女を狙って飛び続ける。クビナシトラの魔力が続く限りそれは止むことは無い。多少腕に覚えがある者ならば弾丸を防ぎ砕くのかもしれないが、多少小さくなろうが風に乗り加速するそれの殺傷力が衰えることは無く逆に避け辛くなるばかりだ。そうでなくとも弾は地面を砕くだけでいくらでも用意できる。

 次々と増えて行く弾丸は徐々に避ける事が困難になって行く、本来はそのはずだ。向かって来る無数のそれを前にミザロは臆することは無く当然のように歩み出る。そして躱せる物はぎりぎりで身を躱し、そうでない物は自分に当たる直前に手で軽く押して軌道を逸らす。その全ては当たり前の出来事であるかのように行われ、彼女の瞳には恐れも憂いも映らない。前後左右どこから来る弾丸であっても関係なく、彼女は前だけを見つめその足を動かし時折手や剣の腹で弾丸の軌道を逸らす。

 彼女の姿はまるで遊んでいるかのようだ。死地にあって猶、襲い来る攻撃の数々で遊んでいるのだ。

 その歩みは決して緩むことなど無く寧ろ徐々に速さを増していく。

 クビナシトラはその姿を見つめて僅かな時間、その動きを止める。

 その瞳に映る感情は恐怖だ。それは生れ落ちて初めて恐怖という感情を知った。同種の仲間を顎で使い人間や他の獣をいたぶり遊んで来たその魔物は死を初めて意識していたのだ。強さに裏打ちされた絶対の自信、それが徐々に剥がれ落ちて行く。

 しかし恐怖や焦りは時に思わぬ力を発揮する。

「……ああ、やっとですか」

 広大な範囲に広がっていた砂嵐が徐々に収束していく。それはつまり、砂嵐に込められていた膨大な魔力がその主の元へ戻るという事でもあった。そしてミザロただ一人だけがもはや目を開ける事すら不可能なほどの砂嵐の中に取り残される。

 そのクビナシトラはふと気が付いた時には風を操ることが出来た。そしてそれを自らが持つ透明化の魔法と組み合わせ砂嵐を扱うことを選んだ。しかし風で出来ることはそれだけでは無い。例えば道端に転がる石を豪速で飛ばし敵を攻撃することも出来る、自身の背を押し上げれば本来登るのが困難な垂直に近い壁を登ることも出来る、仲間を吹き飛ばし砦へぶつけることだって出来る。

 目の前にいる砂嵐に飲み込まれた女に止めを刺すことも。

 クビナシトラが高らかに吼える。本来、彼らは透明化の利点を消すことの無いよう声を上げることは無い。しかし今、それは敢えて高らかに吼えた。自らの強さを誇示し目の前にいる生まれて初めて自身に恐怖を与えた冒険者を叩き潰すことを宣言したのだ。

 砂嵐が大きく形を変える。それが含んだ砂塵は風のよって集められ鋭い牙へと変わって行く。砂嵐そのものが牙を剥き敵を滅ぼすまで止まることは無い、一度その中に入ったなら回避不可能な攻撃だ。今までそんなことを考えたことは無かった、しかし初めて与えられた恐怖はその個体を今までよりも一つ上の存在に進化させたのだ。

 牙を剥いた砂嵐が砂嵐の中にいるミザロを食い散らす、その肉体を残すことなく。

 と、クビナシトラは思った。

 ザンッ!

 その一撃は背後からの一撃だった。傷は深く後ろ脚の一本はもはや使い物にならないという確信を得、更に流れる血は命の危険すら感じさせる。油断して他の冒険者の接近を許したのか、始めそれはそう思っていた。

 が。

「やはり硬いですね。剣が痛みそうで嫌になります」

 聞き覚えのある声と共に再びの剣戟が身体に突き刺さる。

 一瞬で両方の後ろ脚を失ったクビナシトラはそれでも風で距離を取り何とか命を繋ぐ。恐怖と共に頭の中に芽生えたのは一つの疑問だ。

 なぜそこにいる?

 砂嵐は視界を塞ぎ遠距離からの攻撃を防ぐ、それに加えて敵の位置を探る役目もあった。広範囲に広げたそれでは大まかにしか把握することは出来ないが先程ミザロを包んでいた砂嵐は確かに彼女の姿がそこにあることを伝えていたのだ。

 それがなぜ?

 その答えを得ることは叶わない。

 クビナシトラは砂嵐で再びミザロを包み込もうとする、が、彼女の周囲で砂嵐が左右に避けて行く。何が起こっているのかは分からなかった。そしてそれを考える間もなく剣がその首を。

 斬り裂く。

 ズウウゥウン。

 クビナシトラの首が地面に落ちる。その大きな地響きはその強大さを物語っているのだろう。

「……終わりましたか」

 ミザロは剣を納める。そのまま背を向けて去ろうとした、その時だ。

 彼女の頭上からクビナシトラの頭が降って来る。

 このクビナシトラは変種だ。生まれつき頭を二つ持ち、それ故に他のクビナシトラよりも強く賢く多くの事が出来た。そして一つの頭を切り落とされたところで死ぬことは無く残った頭は怒りに燃え目の前の敵を、仇を叩き潰さんとしているのだ。

 ずっと透明化の中にあり誰も知らなかったその秘密。ミザロもそんなことは考えもしなかった。彼女は振り向く事もしなかった。

 ただ迫り来るそれを当然のように躱した。

「……頭が二つ?」

 そして砕ける地面の上を当然のように駆け剣を振るう。

 クビナシトラは断末魔の声を上げることも出来なかった。ミザロは剣に付いた血を拭うと砂嵐が晴れて良く見えるようになった空を見上げる。

「もう暗くなりますね」

 それだけ呟くと彼女は残りのクビナシトラを狩るべく駆け出す。

 ミザロの二つ名『遊剣』は彼女がどれ程の攻撃を仕掛けてもまるで遊んでいるかのようにいなしてしまう所から付けられた名とされている。それは概ね間違いでは無いのだが、初めてその名で呼んだ者は少しだけ違う事を言っていた。

 曰く、どれほどの強敵も彼女が戦うといつの間にか子供をあやしているかのように見えてしまう。彼女にとっては戦いなど子供と遊んであげているだけに過ぎないのだろう。

 故に『遊剣』と。




 砂嵐が晴れると残されたクビナシトラにもはや戦意は無かった。たまたま近くにいた一頭へ仕掛けると残った者は一目散に逃げて行ったのだ。そしてその一頭ももはや敵ではなく、地面へと崩れ落ちて行く。

 戦いは終わった。怪我を負った者は少なくない。しかし誰一人として欠けることなく戦いを終えたのだ。

 歓声が上がり、彼らは肩を貸し合って村へと戻る。

 冒険者は勝利し翼獣の町には新たな歴史が刻まれることになるだろう。



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