59.翼獣の谷
虎狼ホンソウの国、翼獣の町。町のとある一角で二人の冒険者が話をしている。彼らは山河カンショウの国はショウリュウの都より来る冒険者、瑞葉と安川だ。
「安川さん、頼みがあります」
「……何だよ」
深刻そうな表情をした瑞葉を前に安川は思わず息を呑む。
彼はロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人にある依頼をしていた。それは共に来たソラという冒険者が魔法を偏愛する理由を探り、自身へと付き纏うのを止めるように説得するというものだ。彼は先程までその件でソラと瑞葉の間でひと悶着があったことを理由に少々叱られていたのだが、まあそのことは別の話だ。
ともかく彼はその件で想定外の迷惑を掛けたことを自覚しており、それで今彼女がこんな表情をするほどに追い詰めてしまったのかもしれないと一種の責任を感じていたのだ。
が。
「ちょっと報酬の前借りとかって出来ません?」
「は?」
彼女の頼みはその想像とは一切合切関係ないものであったことをここに記す。
ロロ達は町の外での一件を終えると安川の依頼は一旦置いておき皆で町を回ることになったのである。たまたま知り合った黒滝に案内を依頼し今はその為の準備をしているところだ。一早く身支度を整えた瑞葉は安川を呼び出して先のような頼みをしているのである。
「この後みんなで町を回るじゃないですか」
「そうだな」
「実は手持ちのお金が無くて」
「はあ」
「それで前借りを……」
「阿保か」
ばっさりと切り捨てられ瑞葉は思わず怯む。やはり駄目か、と落ち込む彼女だったが安川がそう言ったのは決して彼女が思っているような理由ではない。
「こういう所では年長者が奢るもんなんだよ。ガキが一々そんな事気にするんじゃねえよ」
安川は照れ臭かったのかそう言ってすぐに踵を返し歩き出す。瑞葉は少しの間ぽかん、としていたがすぐに彼の後を追った。
「安川さんって態度の割に優しいですよね」
「……何だ急に」
「要するに、まあ……。ありがとうございます」
そんな一幕もありつつ、彼らは観光へと向かうのだった。
翼獣の町のおすすめスポットがどこか、そう尋ねられるとこれが返答に困る。そもそもここは観光で名を挙げているような場所では無く、あくまでここに住む人々が日々を変わりなく営む場所でしかない。
ショウリュウの都から来た冒険者一行に観光案内を任された黒滝は今更ながらに後悔していた。
「……どこに行けばいいと言うんだ」
黒滝は幼い頃よりこの町に住む者で、特別大きな町でもないここの事を知り尽くしていると言っても過言ではないだろう。虎狼ホンソウの国においてこの町は楼山の都から比較的近くにあり時折そこから来る者が通り道として一泊する程度の場所でしかないことなど良く知っている。彼らはここに然して見るべき物など無いという事をわかっているからあくまで道中の休憩程度にしか使わないのだ。
段々と胃が痛くなって来た彼は今からでも逃げてしまおうか、などと考える始末。
「そもそも受けたのが間違いだった」
彼がこの頼みを引き受けたのは単に流されるままにしていたらいつの間にかそうなった、というだけに過ぎない。
瑞葉とソラの争いがひとまず終結を迎えた後、ミザロの号令で彼らは翼獣の町へと向かっていた。その道中、彼はそのミザロに話しかけられる。
「黒滝さんでしたね。このような事に巻き込んでしまい申し訳ありません」
「え、あ、いえ、その……。『遊剣』のミザロさんに謝られるような事では……」
彼は心臓の鼓動が早まるのを感じていた。『遊剣』のミザロと言えば雲の上の冒険者、世界的な有名人だ。最年少で二等星への階段を駆け上がったばかりか一線を退いた今でも最も一等星に近いと言われる冒険者。
そして見目麗しい美人である。
彼はどぎまぎして唇が渇き手の中が汗でじっとりと湿っているのを感じていた。
「……黒滝さんはこの翼獣の町の生まれでしょうか?」
「え? あ。はい、そうですが」
そんな状態であった彼は尋ねられるとつい本当の事を言ってしまう。彼の内に向いた思考は本来は常に疑り深く裏の裏まで読もうとするような思慮深さがあるのだが、まあこういった人付き合いに関してはあまりにぽんこつだ。
流されるままに話を進め流されるままに意思決定する。
「これも何かの縁という事で案内をお願い出来ないでしょうか。ここに来たのは初めてではありませんが私も詳しいという訳ではありません。もちろん相応のお礼は致しますので」
「おー! それ良いな! 黒滝さん、頼むぜ!」
ミザロの提案、それは人付き合いの苦手な彼にとっては飲むはずもない提案だ。しかしあの有名人のミザロが、思わず目を惹くような美人さんが、ついでにきらきらと目を輝かせたロロが彼に期待するような視線を向けている。
「あの」
隣を歩いていた瑞葉が小声で話しかける。
「無理に受けなくても良いですよ」
子供ながらに気を遣うような事を言った。それを言われた彼はふと思った。今は子供だがこの子も将来は結構な美人に、いや、美人と可愛いの合いの子だろうか、と。
「……まあ」
故に彼は。
「自分に出来る程度で良ければ」
気が付けばそんなことを言っていた。流されるままに生きる彼は、ついでに女性にも弱いのだった。
皆が集まり観光が始まる。
「あー、と、皆さんはどのような場所へ行きたいなどの、その、希望はございますでしょうか?」
緊張からか妙な言葉遣いをした黒滝の問い。それに対し皆は。
「俺冒険者の拠点に行ってみたい!」
「名物の料理とかあれば食べてみたいです」
「折角来たんだ、この町の歴史とかを聞いてみたいな」
「あ、う、あの、綺麗な、景色、とか?」
「……何でもいいですが身体を鍛えてるような人があまりいないところが良いですね」
「私は一応来たことがありますし皆の意見を適当に採用してしてあげてください」
と各々が好き勝手に希望を述べる。
「なるほど、そのような希望があるのですね。で、でしたら、その、まずは冒険者の拠点の方から案内を致しましょうか」
そう言って彼は歩き出す。傍から見ていてぎこちなく歩く彼は緊張しているのが丸わかりでその様子は可笑しみすら感じてしまいそうだ。まあそれ以上に彼に対して案内を頼んだことに不安を覚えてしまうわけだが。
「黒滝さん、何でそんな緊張してるんだ?」
こんな時にすぐに口に出すのはロロだ。彼は小走りで黒滝の隣に行くとただただ不思議そうに首を傾げてそう尋ねたのだ。それは美徳でもあるが単に後の事を考えていない浅慮なだけでもあった。
黒滝はそれに対して声を潜めて答える。
「……緊張もするだろ。あの『遊剣』のミザロだぞ? 雲の上の冒険者だ、会うだけでも凄い事なのにまさか観光案内を頼まれるなんて想像したこともねえよ」
この町へ名の知れた冒険者が訪れる事は無くも無い。が、彼らはここで多少の補給をして通り過ぎるのが常であり一冒険者が話をする機会などありはしないのだ。ロロにとっては小さな頃から馴染みある近所のお姉さんであっても、黒滝にとっては幼い頃から活躍を聞いていた憧れの人そのものなのである。
尤も、彼がこうも緊張しているのはそれに加えて女性陣が多めで、その誰もが綺麗どころであることにも起因していたが。
「そっか。俺はミザロ姉に小さい頃から良くしてもらってるからよくわからないけど」
一瞬、黒滝は姉弟か? などと思ったが口振りからすぐに違うことを理解する。というか一々そんなことの為に少し考えなければならないほど今の彼は頭が回っていない。
だからロロの次の言葉を聞いても彼は少しの間反応すら出来なかった。
「さっきの黒滝さんの言葉遣い、何かちょっと気持ち悪いぜ」
というか普通に想定外過ぎて誰でも反応できなかったかもしれない。
「そんな急に敬語みたいなのにされても、こう、なんか、変だろ?」
「馬鹿言え、そんなのできるわけないだろ」
「別に気にしないだろ、ミザロ姉?」
ミザロは少し考える素振りを見せる。
「ミザロ姉?」
「ロロ、敬語と言うのは最低限相手の事を尊重しているというのを態度で示すという事になるわ」
「……うん」
「あなた依頼で出向いた先でもそんな言葉遣いをしてるの?」
ロロは無言で視線を逸らした。
「瑞葉」
「あ、はい。一応気を付けている時もありますけど、結構すぐに忘れてるみたいな、感じで」
「……なんというか、気付いたら、つい」
ばつが悪そうにするロロにミザロは溜息をつく。
「黒滝さん」
「は、はい!」
「あまり気負わずとも構いません。この子たちが迷惑を掛けましたからね。観光案内とは言いましたがあなたの好きな所へ行ってもらっても構いませんよ。お金の事なら私が持ちますので」
「え、あ、ありがとう、ございます」
ミザロのその言葉を聞き動いたのは安川だ。彼はうきうきで黒滝の傍に行き耳打ちする。
「折角だから普段は高過ぎて近寄れもしないような所に行ってくれよ。二等星なんて金を余らせてるんだから使わせてやろうぜ」
「は、はあ……」
安川の魂胆は至って単純だ。瑞葉に年長者が奢るもの、などと格好つけたのは良いが彼も然程手持ちの金があるわけでも無い。誰かが、まして二等星のミザロが自ら金の世話をすると言うのなら是非ともそれに乗っかって贅沢をしたいわけである。
「さあ行くぞ、楽しい観光だ!」
「楽しい観光だー!」
ようやく翼獣の町の観光が始まる。
まず彼らが向かったのは翼獣の町の冒険者の拠点。
「どいつもこいつも鍛えた肉体をひけらかして……」
瑞葉と争ったせいかここに来てソラはもはや不快感を隠そうともしない。瑞葉や安川は周囲の視線が気になりさっさと離れたいと願うばかりだ。
「ここは食堂なんだな。楼山と一緒だ」
「提供してるのは軽食だけでそこまで利用者はいないぞ」
ここの拠点はあくまでも冒険者が依頼を受ける場としての性質が強い。食事を出来るのは冒険者に限りあまり長居させないように提供される物もさっと作れすぐに食べられる軽食の類に限られている。依頼前に軽く腹ごしらえしながら方針を共有する者がもっぱらで本格的に食事を楽しみたい者は大抵が他の食事処へ向かうだろう。
「黒滝じゃねえか」
不意に食事をしていた冒険者の一人が声を掛ける。彼の仕上がった肉体は見ているだけで思わず感嘆の息が漏れるようだ、ソラは当然のように目を向けようともしないが。
「後ろのは……、見ねえ顔だな。お前の知り合いか?」
「あー、ショウリュウの都からの観光客だ」
「ショウリュウの? おいおい結構遠いだろ、よくこんなところまで……。しかし観光ならもっと他の町が良かったんじゃねえか?」
「全く、ねえ」
黒滝は彼の意見に同意する。実際、黒滝がまずここへ来たのは希望が出ていたからと言うのもあるが、それ以上に知っている者がいればこの後どこへ行くか意見を募っておきたいという事もあってだ。早速出されたのは残念な意見であったが。
「マイスならどこへ連れてく?」
「……そうだなあ。やっぱ翼獣の谷じゃねえか? 町の名付けに関わってるわけだしな」
「ああ、まあ、確かに」
「他だと……、ああショウリュウから来たんなら練兵場はどうだ? 俺達の肉体がどうやって作られているか知らしめてやろうじゃないか」
そう言って彼は自慢の筋肉を見せつけるように二の腕にこぶを作る。黒滝は愛想笑いを浮かべたが後ろから射殺すような目を向けるソラに冷や汗が背中を伝うのを感じていた。
「ありがとう、参考になった」
「おう、今度また依頼に誘うからその時は頼むぜ」
それから彼は後ろに控えるショウリュウの冒険者たちを見る。
「まあここはそんなに大きな町じゃないが俺達はずっと暮らす自慢の町だ。ゆっくり見て行ってくれ」
彼のその言葉には流石のソラも仏頂面で受けるのはまずいと思ったのだろう、ぎこちないながらも笑顔で感謝を述べる姿が見えた。
一行は外へ出ると先の意見を参考に翼獣の谷へ向かう事に。流石にソラがいるのに練兵場へ行こうと言う者はいなかったようだ。
「翼獣の谷ってどんなとこなんだ?」
「翼獣は分かるか?」
その問いにロロは即座に瑞葉の方を見た。要するにわからないのだろう。
「なんか、こう、羽があって、細い感じの……?」
そして瑞葉もあまりよくは知らない。
「まあ知らないならそれでも問題ない。見た方が早いし……。町の歴史上ここが翼獣の町と呼ばれるようになったのはその翼獣の谷が近くにあったから、に、なる」
黒滝が知る歴史によればこの地に町を築いた人物は周辺を探索する中で地面を裂いた亀裂の中に住まう翼獣の群れを見つけた。彼は翼獣たちを自分たちの食料とすべく狩ることも出来たのだが、寧ろ先んじてそこに住んでいたその翼獣たちに敬意を払い一頭の砂虎を狩ると翼獣の巣の近くに置いて帰ったらしい。
「ここからは眉唾物の話になる、が」
彼は月に一度は必ず翼獣の巣を訪れ獲物を置いて行ったという。そんな日々が続くある日、町に一頭の翼獣が訪れた。その翼獣が東を向いてあまりにも騒ぐものだから彼は不思議に思い町の東方面の様子を見に行った。
そこには町の方角へ向かう砂虎の群れがあったという。
彼は急ぎ町の人々にそのことを伝え迎え撃つ準備を整え、結果として町は軽微な被害でその群れを追い返すことに成功したのだった。あの騒いでいた翼獣はいつの間にか姿を消していたが彼はきっとこの危機を伝える為に来てくれたのだと思い、後日砂虎の肉を普段よりも多く巣へ持って行ったとか。
「と、まあ、そんな伝説も残っている」
「獅子馬や背角獣なんかは家畜にもなってますし、翼獣が人と心を通わせることも無くは無い、のでは?」
「どうだかな。一応狩った肉の一部を翼獣の巣に備える習慣は未だに残ってる。それでも俺達は翼獣と仲良くしてる奴なんて見たこと無い」
翼獣が自身で狩りを行う為に巣から出て来ることはそう珍しくない。彼らは大体十頭程度の群れで行動し群れから逸れた砂虎や自身よりも小さな獣を集団で狩るのだ。そしてその肉をそれぞれが口に掴み棲み処である谷まで運ぶと、その上から飛び降り滑空して内部へ持ち込む。
そうした様子を人々は目にしたことこそあるが互いに不可侵の条約でも結んでいるかのように気にすることなく横を通り過ぎるのが通例だ。翼獣は虎狼ホンソウの多くの場所で食用として用いられているが、翼獣の町においての彼らはその辺で偶に見かけるだけの存在となっている。
「まあこれまでに翼獣に襲われたってやつも聞いたことは無いから俺達の事は認識しているんだろうが、向こうがどう思ってるのかはよくわからない、というのが町の伝説を信じていない奴らの総意だ。警戒はするが襲って来ないなら放置する、だな」
「どうせならその伝説が本当の方が面白いな」
「上の世代の奴は信じてるみたいだが、この町が出来たのは百年ぐらい前の事だ。当時を生きてた奴なんて一人もいないんだよ」
狩りを日常的に行うこの町においては世代交代が激しく、特に町が出来たばかりの頃においては猶更だ。先程上の世代と言っていたがその世代もほとんどが精々五十代、六十代の者ですら数える程しかいないのが現状だ。
百年前のことなど既に歴史の波に飲まれてしまっている。
「まあでもさ、折角なら砂虎っての? 狩ってから行こうぜ。その方がこの町に来たって感じがあるし」
黒滝は少しだけ面倒そうな表情を浮かべたが、他の者も意外に乗り気なものが多く頭を抱えたのであった。
ロロの希望もあって一行はまず砂虎狩りへ向かう。
「なるべく群れから逸れたやつを見つけたいが、そうそう見つからないものなんだ」
依頼でも無いのに獣の群れを相手にしたくはない、と言うのが黒滝の考えらしい。純粋に囲まれると面倒と言うのもあるし、無闇に狩ることはあまり推奨されてもいないのもあるだろう。しかしそうなると探すのが大変、かと思われたが。
「では私が」
ここにはソラがいる。彼女は探し物に関して他の多くの冒険者よりも圧倒的に早く探し出すことが出来る。それは例えば群れを逸れた砂虎というものであってもだ。
彼女は一枚の紙を取り出すとその上で細い鎖が付いた三角錐の石を揺らし始める。紙にはいつの間に作っていたのか簡易な周辺の地図が描かれているようだ。
「何だ?」
「まあ待ってろ」
黒滝は彼女の魔法を知らない故に何が起ころうとしているのかさっぱり分からなかったが、変化はすぐに起こった。石がある一点の上を通った時、どこからか奇妙な力が加わったように明らかに奇妙な挙動をするのだ。
「どうやらこの辺りにいるようです。現在地からすると……、向こうですか」
「そのようですね。行きましょう」
ミザロはソラの言葉を信用しているようで彼女の指し示す方向へ歩き出す。他の者もぞろぞろと後に続くが黒滝は訝し気な表情を浮かべるばかり。隣にいる安川に思わず尋ねる。
「あれは?」
「原理は知らん、あれで探し物の場所が分かるんだと」
安川もそれだけ言うとさっさと歩き出す。黒滝はどうも信じられないという気持ちが強かったのだが、あの『遊剣』のミザロを含め誰も何も言わないというのはそれだけ信用が置かれているという事に他ならない。
結局彼は黙って皆の後を着いて行かざるを得ないわけだ。
あっさりと仕留められた砂虎を前に皆がしゃがみ込んでその姿を観察している。彼らの向かった先にはソラの言った通り、群れから逸れ岩陰で休んでいた砂虎が一頭いた。そしてそれを見つけるや否やミザロが一刀の元に切り伏せた、という訳である。
「これが砂虎か、強そうな見た目だな」
その見た目は正しく虎であるが体毛は砂のような色をしており渋い味わいを醸し出している。
「後ろ足の形が少し変わっているだろう。砂をかき出して穴を掘るのに特化しているんじゃないかと言われている」
少し面の広がった後ろ足は砂をかき出すのに使われ、その掘った穴に身を潜め獲物を狩るのが砂虎の特徴だ。群れを成して狩りをする砂虎は逃げ惑う獲物を隠れている仲間の元へ誘導し仕留めると言う。
しかし今はそのような蘊蓄を語っている時間ではない。
「さっさと血抜きしよう。肉が悪くなる」
「血抜きだな! どうやるんだっけ?」
「私に聞かないでよ。……ハクハクハクはやり方わかる?」
「い、いや……」
狩りをすれば後処理が必要になる。これこそが黒滝が狩りをするのを面倒に思っていた理由なのだが。
「……まさか」
とはいえこれだけ人数がいる、誰かに任せればいいと思っていた節もあった。彼はミザロに、ソラに、安川に視線を向けるが彼らの態度が、表情が、その答えを何よりも雄弁に物語る。
「誰もやったことが無いのか? ミザロさんも?」
「一応自分で狩った獣の肉を食べたことぐらいはありますが、あの時は自分以外に食べる者もいなかったので自己流でやっていますね。正しいやり方は知りません」
「私はやったことありませんね」
「俺も同じく」
虎狼ホンソウの国は食料のほとんどを狩りに依存して生活している。一応畑もあるのだが地域によっては乾期が長くあまり上手く育たなかったり土壌があまり良くないというのもあり大きく発展してはいない。まして現在では山河カンショウの国との交易によって肉と引き換えに多くの野菜を手に入れることが出来るのもあり、幼い頃から狩りの技術を習得するのが彼らの習わしだ。
一方山河カンショウの国では森の中の小さな町や村ならまだしも、ショウリュウの都のような都においては狩人はそれを仕事として生計を立てるものであり誰もがその技術を学んでいるわけでは無い。
黒滝はその違いに気付くことなくここまで来てしまったのだ。
結局、彼は簡単な説明を加えながら肉の処理をして行く。それはあまり筋力の無い彼には重労働の上、皆に見られているという緊張もあり終わった頃にはくたくたで息も絶え絶えであったとか。
翼獣の谷、そこは大地に突然現れる巨大な亀裂のようだ。その近くまで来ると見える翼獣への注意喚起を促す看板を通り過ぎ少し行くとそれが見えるのである。谷底を見通すことは出来ないが近くまで行き下を覗けば途中に横が大きく抉れて平らな部分が幾つかありそこに翼獣が暮らしているのを見ることが出来るだろう。
「うおおぉ、高いな」
ロロがその様子を見て翼獣の姿を見れた喜びよりも本能的に感じる恐怖の方を叫ぶ。翼獣の暮らしが見えはする、が、そこもかなりの高さがあり人の身で落ちようものならただでは済まない。
「確かに翼獣に取っちゃあここは良い棲み処だろうな」
「そうなのか?」
「翼獣は滑空できるからあそこまで行けるけど他の獣や魔物があそこに行けるかどうか、って事ですよね?」
「ああ……。しかしあいつらはどうやってここまで来るんだ?」
安川の疑問は尤もだ。当然だが翼獣は自分たちで狩りをすることもある。彼らもどうにかして食料を得なければ飢えて死ぬだけだ。翼獣の町の者が肉を置いて行くのにまさか上から彼らの暮らす場所まで投げるわけにもいくまい。しかしこの谷には見たところ僅かな凹凸しかなくこの距離を上がるのは無謀な行いだろう。
人間にとっては。
「あいつらは翼でバランスを取りながら僅かな凹凸を渡り歩いて上まで行くんだ」
「凹凸って……、あれに? 落ちないのか?」
「落ちても滑空して元の場所まで行ける」
「あ」
そう、彼らにとって道中で落ちてもそれほどの危険は無い。すぐさま滑空すれば彼らの棲み処へ戻るのは容易なのだ。
「どうせなら上に登ってるのも見てみたいな」
「人がいる時には滅多なことじゃ上がって来ない。俺達が襲うことは無いとわかっていてもわざわざその時には来ないさ」
「じゃあ誰が見たんです?」
「俺達はあいつらが登ってる途中かどうかは分からない。だからその途中にたまたまここへ来た奴が見る」
「あ、そっか」
「ちぇー、じゃあ俺達は運が悪かったのか」
名残惜しそうにロロは下を見続けるがやがて諦めた様で立ち上がる。
「ところでこの肉はどこに置けばいいんだ?」
黒滝が処理をした肉は革袋に入れられてロロの背に負われている。中々の重量ではあったが本人は特訓になると喜んでいた。ソラはあまり良い顔をしていなかったが。
「ああ、それは、あっちに」
黒滝がある方を指差すとミザロがそちらへ向けて歩き出し、皆がそれに付いて行く。
先頭を行く者の背を見ながら誰もが頭の中に疑問を浮かべていた。それを代表するように、或いはただ単に彼を信用し切っていないだけなのか、瑞葉がもの言いたげな目で睨み口を開く。
「……あの、黒滝さん、いつまでそうしてるので?」
お前はいつまでミザロに背負われ続けているつもりなのかと。
「……いや、それはまあ」
恥ずかしくないのか、瑞葉の視線が言外にそう問うている。
肉の処理を終えた彼は疲弊して少し休んでいたのだが、ロロが背負って行くから早く行こうと言い出したのだ。その時にミザロがそれならばロロには肉を任せるので黒滝は自分が背負って行く、と。
それからここに至るまで彼はそれを甘受している。女性と触れ合う経験の少ない彼にとってこのような状況にどう対応していいのかわからず、またこんな形であってもその貴重な機会を早く終わらせたくないと思っていた事もあるようだ。
「……降ります」
ただまあ、流石に事ここに至ってはそのままと言うのも気まずく彼はようやくミザロの背から降りる。そうしてからも瑞葉の視線は彼に突き刺さるように向けられていたが。
谷の周囲を歩きある場所まで行くと黒滝がしゃがみ込んで中を覗き込む。
「ここに穴がある」
上から子供が手を伸ばしたら届くほどの場所に小さな穴がある。丁度指ぐらいの大きさで中々に深いように見える。
「ここに棒を差し込む」
彼は腰に差していたらしい鉄の棒を取り出すとそこに突き刺す。
「後はここに革袋に入れた肉を引っ掛けておけばいい」
「下まで届けなくていいのか?」
「後は翼獣たちが気付いた時に取りに来る。俺達はあくまで肉を勝手に置いているだけで彼らの生活に干渉するつもりは無いからな」
彼らにとって肉を置いて行くのはほとんど習慣であり、そこに翼獣たちと良好な関係を築こうとする意志は無い。ロロは黒滝の指示に従って棒に切り分けた肉を入れた袋を引っ掛ける。
「この後は何かするのか?」
「いや、肉を置いたらさっさと帰るのが鉄則だ」
「何でですか?」
「俺達がいたら翼獣が肉を取りに来れないだろ」
「ああ、なるほど」
翼獣たちもこれをやっている人間に悪意がない事ぐらいは理解しているだろう。だからと言って無防備に人がいる状況で上へ登ってくることは無い。であれば事を為したらさっさと家へ帰るのが彼らのすべきことなのだ。
「でしたら町に戻りましょうか」
「そうだな」
こうして一行は翼獣の谷を後にする。虎狼ホンソウの大地は危険に満ちている。翼獣の谷は町からそう遠くは無い場所にあるが、その距離を行く間にも獣や魔物が襲ってくる危険はあるのだ。故に彼らの意識は周囲の警戒に向けられ翼獣の事は早々に忘れられていた。
もうすぐ谷が見えなくなる頃に誰かが振り返っていたならばそこから登って来る影に気が付いていたかもしれない。
町まで戻った一行は砂虎の肉を解体加工する店に持って行き、それから食事へと向かった。虎狼ホンソウの料理の多くは肉を主としており、例えばこの日彼らが食べたのは砂虎の丸焼きと付け合わせの貪蛇のハムや少量の野菜が入ったスープだ。脂ののった肉は確かに美味しいが瑞葉などは少々胸やけを起こしてしまったらしい。
とはいえショウリュウの都から来た彼らにとって異国の食文化に触れる時間は様々な刺激を得られるものである。馴染みの無い香草の香りは帰りのお土産にいいかもしれないと思ってみたり、ハムの味が同じなのは実はこちらで作られた物が広まったからかもしれないと想像をしたり、脂ぎった肉と脂の浮かぶスープを平気な顔で食べる黒滝の姿に恐れ慄いてみたり。
総じて彼らは間違いなく楽しい時間を過ごした、という事だ。
町の外、警備を行っていたある者がふと遠くに見える影に気が付く。
「おい、あれ何だ?」
「んー? 人じゃないな」
近付くにつれてその姿が徐々にはっきりと見えて行く。顔は長く大きな口と無数に並んだ牙、細く流線型の身体と羽根のように広がる尾、大きな翼と一体化している手、ああ、あれは正しく。
「翼獣?」
一頭の翼獣が町へ、大きな鳴き声を発しながら町へと向かっている。あれはそう、まるで、若者たちは誰も信じていない町の歴史と同じようだ。




