52.トリデノオヤドと眠る
山河カンショウの国、楼山の都がある岩山を更に登ったとある場所。イワムシが大量発生したその場所にロロ達は討伐依頼を受けて赴いている。
そして今、討伐した多くのイワムシが転がる中で一行は周囲を警戒していた。
「……遠くから妙な音が聞こえるな」
そう言ったのは楼山の冒険者、慈楼だ。彼はこの場における唯一の二等星、最も実力を有する者であり皆がその言葉に耳を澄ませる。
「瑞葉、何か聞こえるか?」
「私は全然、ハクは?」
「わ、私も」
ロロ達はその音を捉えられなかったようで本当に何かあるのだろうかと首を捻る。共に来た木更津も首を横に振りその意を示すが、楼山の冒険者であるコイコイは眉間に皺を寄せていた。
「どうも、不測の事態ですよこれは」
「何かわかるのか?」
「一応ですね、僕は感知系の魔法が得意なんですが、僕らが来た道の途中で何か暴れているような気配があります。……規模から考えてトリデノオヤドかと」
瞬間、皆に緊張が走る。しかし一点わからないことがあった。
「トリデノオヤドが暴れてるってことは誰かそこにいるってことですか? 皆それぞれ違う道へ向かいましたよね? 他の隊とは被らない道を通っているはずなんじゃあ……」
今回の討伐依頼はショウリュウの都と楼山の都で合同で行っている大規模なものだ。その人員は多く、隊を複数に分けてそれぞれ別の場所で討伐を行う予定だ。そしてそれぞれに二等星や熟練の三等星が配置されている。
それが何を意味するかと言えば、彼らに不測の事態などまず起こり得ないということだ。
「彼らがこちらの道にわざわざ来る必要はありませんから……、例えば他の魔物と鉢合わせたとか」
「……旅人とか?」
「まあ、その可能性も考えられます」
そこにいるのが何かはわからない。しかし助けを求めている誰かがいるのかもしれない。ならばロロは。
「じゃあ戻ろうぜ。急がないとな」
彼は迷いなどしない。誰かが助けを求めるならば彼は必ず応じるだろう。かもしれない、という推測に過ぎずともそれは変わらない。
ロロの案に反対する者はいなかった。示された道が正しいと誰もが認めたのだ。慈楼は咳ばらいを一つすると。
「では我輩が先行しよう」
そう言って一足先に来た道を戻り始める。その言葉にロロが、そこから遅れて木更津、瑞葉、コイコイにハクハクハクと続いて走り出す。
来た道を戻っていると彼らの耳に音が聞こえ始める。それはまるで地響きのようだ、腹の底から震わせるようなその響きはこの先に待つ脅威の程を一行に伝えている。それでも誰も速度を緩めることは無い。
そして彼らが地響きを起こす元凶、トリデノオヤドを見つけたのは左右に下りの斜面が広がる細い道だ。人が四人程度は並んで歩けるだろうが、戦うには少々狭い。
特に巨大生物であるトリデノオヤドと戦うには。
「でけえ!」
それを見た瞬間、ロロは思わず叫んでいた。魔物の前で声を上げるなど褒められたものでは無いがその気持ちは察するに余りある。瑞葉やハクハクハクもロロが何も言わなければ自分が声を上げていたかもしれないと思ったほどだ。
彼らは近くに身を隠しつつトリデノオヤドの様子を探る。
イワムシの成体だというそれは確かにイワムシをそのまま巨大化させたような姿だ。ただただ巨大である、ただそれだけの違いにしてそれほどまでに違う。
「……え、あれと戦うんですか?」
瑞葉が思わず尋ねる。自分よりも大きな相手とはこれまでも戦って来た。ショウリュウの都の周辺でもよく見かけたトウボクサイなども大抵は彼女らよりも大きかったのだが、トリデノオヤドはそれに輪をかけて巨大である。一軒家が動くと言っていたのは冗談の類ではなく、その圧倒的な質量に抱くのは畏れだ。
そんな相手がいるから各隊に二等星や熟練の三等星が配備されているわけだ。
「流石にあれを相手に四等星を前線に出すわけが無かろう。我輩がやる」
慈楼は全身を軽く伸ばして戦う準備を始める。木更津も武器を取り出し援護する構えだ。残る四名は岩陰に隠れて経過を見守ることになるのだが、その前にふとコイコイが気付く。
「何やら興奮してますね」
トリデノオヤドは何度も地面を踏み鳴らしその場を行ったり来たりしている。かの魔物の習性を知っている者ならばわかることだが、普通彼らはそんなことをしない。
「まあどうあれ倒してしまえば関係ない」
慈楼が拳を打ち鳴らす。それは戦闘開始の合図だ。
真正面から駆けて来る冒険者の姿をトリデノオヤドは見た。その傲岸不遜な姿にそれは怒りを抱きその脚を数本振り上げる。三世代の家族が苦も無く暮らせるほどの家と同等の大きさを持つ甲殻を支える脚はその一本一本が巨大であり、その質量は人間など苦も無く蹴散らせるほどの凶器となる。目一杯に隙間なく、正面の冒険者に向けてその脚が振り下ろされた。
ズガァン!
今までよりも一段大きな地響きは巨大な脚が地面を構成する岩を打ち砕いた音だ。戦いの様子を見守っていた者はその威力に思わず息を呑むが、その一撃を目前にしていた者はそこに何らの感情も抱いていないようだ。ただ、予定通りトリデノオヤドの背後に着地する。
「え、あれ? 慈楼さんは?」
そして何が起こったのかわからぬ者を尻目に彼は手に持った楔を遠くの岩を目掛けて投げる。楔には紐が付いており、その紐はいつの間にかトリデノオヤドの脚の一本に結わえてあった。
破裂音と破砕音の中間のような音と共に脚が宙を横切る。それは凄まじい速度で楔に引っ張られ飛んで行った。
「え? 今の何?」
トリデノオヤドは脚の一本を失ったところで残る多くの脚でその身を支えることができる。しかし、何が起こったのかわかっていないのは彼も同じだった。
ただ、下手人は分かっている。背後にいるそれ、自らよりも小さく、しかしあまりに強大な何かだ。瞬間、トリデノオヤドの頭に幾つかの選択肢が浮かぶ。最大の武器である質量に任せて突撃する、殻にこもり相手が諦めるまでじっと身を守る、負けを認め逃走する。
そしてもう一つ、彼らが魔物であるが故に取ることの出来る選択肢。
「……魔法か」
巨大な脚を一本、高く掲げた。
魔物とは魔力を持つ獣の総称、魔力を持つ者は魔法を使うことが出来る。トリデノオヤドは大地に干渉することができた。
掲げられた脚が振り下ろされ、地中に深く埋まった。
「あっ……」
直後、それに対応するようにほぼ同じ質量分の岩が隆起する。それは慈楼の足元から彼を串刺しにするように放たれた、のだが。
「避、け、てる?」
慈楼はその一撃をまるで来ることが分かっていたかのように僅かに身を躱して避けていた。続けて二度、三度と同じ攻撃が来たのだがそのいずれも同じ結果を生むだけだ。
「……あ、魔力視ですか?」
「ああ、魔力視で足元の魔力を視て先読みしている。ぎりぎりで躱せるのは奴の実力だ」
攻撃を全てぎりぎりで躱し続ける慈楼に怒りと苛立ちを覚えたのだろう、トリデノオヤドはその脚を一斉に上げる。あれが全て地面に突き刺さった時、避けようも無いほどに大量の岩柱が慈楼を襲うだろう。ただ、慈楼はそれを待っていたのだが。
風を切る音が鳴った。
脚が上がったその時、地面と脚の間から本体を狙える僅かな隙間が出来る。無論人がそこへ入ればトリデノオヤドに潰されるだけだろうが、遠距離から狙い打つならば別だ。慈楼の投げた楔がその隙間を縫って本体の急所に向けて一直線に空を走る。
「……止まった?」
それは慈楼だから感じられた違和感。急所目掛けて放たれた楔、そこから連なる紐を通して伝わる感覚が明らかにおかしい。威力は十分以上に込めたはずが表面の甲殻を貫通出来ず半端に刺さって止まったのだ。
「撤退しろ! 何かおかしいぞ!」
慈楼の判断は早かった。それを受けた木更津の判断も同じだ。困惑する他の者を尻目に木更津は撤退の経路を確認し、そして目が合った。
「お前は……」
怒り、憎しみ、恨み、哀しみ、あらゆる負の感情を湛えた笑みがそこにある。彼女は木更津だけを見据えてただ一言だけを呟いた。
「お前はここで死ぬんだ」
彼女の手が光る。炎が太陽へ向けて走った。木更津は動けなかった。そこにいる女性を見て、それに付随する感情の蠢きによって、彼はもはや動くことなど出来なかったのだ。
太陽へと走る炎はその途上にある岩壁に阻まれその一生を終える。しかしその炎はただ消えるのではない、その意志を、輝きを、託すのだ。
そこに仕掛けられていた大量の火薬へ。
それは彼らがそれまでに聞いたどんな音よりも強大で、威圧的で、正に暴君のようだった。起こった事態を完璧に把握していたのは火薬を仕掛けた張本人だけだ。
最も早く動いたのは慈楼だ。彼はその類稀な実力と経験を以て何が起こったのかはわからないが即座に対応せねばならない危難を把握する。それ即ち岩山の崩落だ。火薬の仕掛けられた岩壁が崩れ巨大な大岩が数え切れないほどに降って来ているのだ。放置すれば全滅の危険すらある。彼はトリデノオヤドの討伐を即座に諦めると落下してくる岩に向けて複数の楔を投げる。
木更津は未だに呆けて動けなかった。彼はあまりに巨大な爆発音ですら正気に戻ることが適わず、爆風の中でただただ立ち尽くしている。
コイコイと瑞葉は突然の出来事に対応できなかった。突如現れた女性に驚く間もなく、直後に起こった爆風にはその身を耐えることもできず地面に倒れ伏して混乱する頭の中をどうにか整理しようと手一杯らしい。
ハクハクハクは何が起こっているのかは理解していなかったし爆音のせいでろくに耳も聞こえず方向感覚も麻痺しかけている。しかし爆風の中で杖を頼りになんとか耐えている。直後、上を見上げて恐怖に固まってしまったが。
この事態の下手人である女性は自ら巻き起こした爆風の中、木更津の元へと向かっていた。その手には怪しい光を放つ刃物が握られている。
あまりに唐突な、あまりに想定外な、そんな事態の中で動けるのは余程の経験を積んで来た者、或いは。
ロロはこの事態の中でいつになく冷静だった。それは彼自身の性格故だろう。難しいことは考えない、彼は自分が然程頭が良くないということを理解している。だから考えるのは他人に任せればいい。
彼は慈楼が上空から落下してくる岩に対して行動したのを見た、だからそちらへの対処はしないと決めた。二等星が対処していることに対して自分が力になれるとは思わなかったからだ。次に他の者が何をしているのかを見た。すぐ傍で瑞葉とコイコイが地に伏せている、ハクハクハクが上を見て固まっている。ロロは彼女の方を叩いた。
「二人を頼むぞ」
そう言ってロロは木更津と、そこへ向かう女性の元へ走り出す。
崩れ落ちた岩壁と巻き起こる砂煙が周囲を覆い隠す。上空を飛ぶ一匹の巨鳥は何事かとしばらくそこを見つめていたが、やがて興味無さげに飛び去って行った。




