32.5.伝達
今日は豊穣祭だ。ショウリュウの都で十月の終わりに行われるこの祭りは都に多くの自然の恵みがもたらされたことへの感謝を示す為に行われる。巨大な櫓がこの日の為に建てられその天辺にはホウライの枝が幾つも飾られているのが見えるだろう。その周囲には都で取れた野菜や魚を丸焼きにしたものや、果物を絞って作られたジュースの出店が幾つも並んでいる。
その脇に幾つも置かれているスピーカーより都中に声が響き渡る。
『都に住む皆様。本日は豊穣祭となっております。畑より取れる多くの野菜、果樹園から多くの果実、山に行けば材木となる多くの木々、そして川に住む多くの魚介、ショウリュウの都は多くの自然の恵みを受け取りここまで発展してきました。我々の先祖はこのような恵みをもたらす自然に感謝すべく枝木や植物の蔓を高く積み上げ――』
「相変わらず議会の連中は話が長いな」
呆れ果てたように呟く彼は少し肌寒い季節だというのに半裸で民家の屋根の上に立っている。鍛え上げられた肉体は彼が歴戦の勇士であることを見る者に悟らせるだろう。そしてその肩回りから胸元にかけては渦を巻くような文様があり、彼が丙族であることは誰から見ても一目瞭然であった。そんな彼の後ろには一人の男が立っている。
「相変わらずエゴエゴは議会の人間が嫌いなんだね」
「はっ、表に出ずに上から物を言って来るやつが嫌いなだけだ」
エゴエゴ、彼は丙自治会随一の武闘派である。下の者に接する時は落ち着いたお兄さんのように手助けすることを心掛けているが、本心では自分が前に出て全て解決することを望んでいるような人間だ。議会はショウリュウの都に関することを彼らの内で話し合いその結果を住民たちに公布するのだが、冒険者である彼はその内容によっては問題の解決に奔走することも多く気に食わないらしい。
そんな気分になるのももうじき終わりであることを彼は悟っているが。
「で、ニド。お前がここに来たってことは、仕掛ける時期が決まったのか?」
「そういうこと」
ニドは柔和な微笑みを浮かべたまま話を続ける。
「本来なら幹部全員で顔を合わせて話をしたいところだけど、流石にハロハロを都に潜入させるのは危険だし、もう一人は連れ出せないし」
「俺の方も結構忙しいから外で会うのも難しいしな」
エゴエゴは三等星であり、かつ丙自治会の中でも随一の強さを誇る為に多くの依頼が舞い込んでくる。豊穣祭の前も五等星の面倒を見たり周辺の魔物狩りへ出たりと忙しい日々を過ごしていた。
「それで、いつだ?」
「まあ君なら想像はついてるんじゃないかな?」
エゴエゴは唇を噛み苦々しい表情を見せた。
「そうか、ゴウゴウの旦那と年を越すのは無理か」
「そうだね」
丙自治会では一年の終わりと始まりを祝い毎年会長であるゴウゴウが宴席を用意するのが通例だ。エゴエゴは都における丙族の地位向上及び近隣の丙族の保護に当たっている彼のことを心の底から尊敬し、宴の席では酒に酔ってゴウゴウに絡み熱くその思いの丈を語るのが恒例行事となっている。
ただ、もうその様子を見ることは誰にも出来ないらしい。
「なら俺は予定通りにゴウゴウの旦那と依頼に出よう。そっちの準備は?」
「ハロハロがやってくれてる。僕は各地に散らばってる同志に声をかけてる所だよ」
「……どのぐらい集まりそうだ?」
「それなり、とは言っておくよ。この前の襲撃で結構やられちゃったから想定よりは少ないけどね。中には三等星ぐらいの実力があるのもいたけどあんなに早くザガと竜神さんが来ちゃったらどうにもならないよ。あーあ、勿体無い勿体無い」
「俺はどうにか駆け付けてやるよ」
「ははは、頼むよ」
ニドは大きく息を吐いた。そして目の前にいる男の顔を忘れないように脳裏に焼き付ける。もしかするとこれが今生の別れであるかもしれないと理解していたからだ。
「……決行まではお互いに大人しくしていよう。僕も今まで通り潜伏してるよ」
「そうか」
「次に会う時は……、この都を僕らの手中に収めようじゃないか」
その言葉を残しニドの姿が風景に溶けるようにして消える。残されたエゴエゴは既に誰もいなくなった空間をじっと見つめている。
「都を手中にか……。その為の犠牲は大きいな」
その呟きを夜の闇に溶けて誰の耳にも届くことは無かった。
豊穣祭、都の通りは騒がしく大勢の人々が思い思いに騒ぎ楽しむ。そんな中、人々の影を縫うようにしてニドは歩く。彼はまるで彼自身こそが影であるかのようにその中を堂々としかし誰にも気に留められることなく通り過ぎて行く。
「都は相変わらずだ」
彼が都に戻って来たのは随分と久しぶりの事だ。およそ二十年ぶり、魔王大戦において怪我を負い冒険者を引退して以来のことだ。
「僕のことなど誰も見ていない」
彼の目に浮かぶのは悲嘆と怒りの色。豊穣祭の喧騒が彼には二十年前の光景と重なって映る。
あれは魔王大戦が終わった時の事だ。魔物を従え人々を脅かす敵、魔王。それは突如として現れ強大な力で以て人々に殺戮の限りを尽くした。ニドは当時三等星の冒険者として、何より一人の人としてその暴虐を静観することなど出来ず志を同じくする仲間と共に戦いへと赴いた。
魔物の中核を成す本隊への作戦は既に国が保有する軍隊や一等星や二等星を中心とした冒険者による部隊が編成されており、彼らはそこから外れ主に都から離れた場所にある町村への救援や避難の呼びかけを行っていた。
「よーし、次はこの森の奥にある村に行くぞ!」
「おいおいまだ疲れも取れてねえよ」
「一泊して行こうよ。私たちがやられたらどうにもならないよ?」
「急がないとだろ? 魔物の群れが近付いてるんだからさ」
皆を引っ張って先頭を行くダリル、すぐに文句を言うがいざ戦いとなれば人々を守る為に前に出るカタリ、いつも建設的な意見を唱えながら皆を支える加我。ニドの中には彼らと共に人々を助け続けたもはや戻らぬ日々の記憶がある。
「今度魔王との直接の決戦があるらしい」
そしてその日々は唐突に終わりを迎える。
「戦況はかなり良くなったらしい。魔王が作り上げた巣に攻撃を仕掛けるそうだ」
「軍が丙族が固めた要塞を攻撃、そのまま周辺の魔物を引き付けて一等星級全員で魔王の首を獲りに行くって。議会の人が息巻いてたのを聞いたよ」
「何にせよこの戦いが終わるならいいことだな」
彼らは多くの顔見知りの姿が消えたのを覚えている。同じ時期に冒険者として活動を始めた軌道星雲の一団、面倒見の良い先輩だった神楽やエニシ、自分たちに憧れて冒険者になったと言っていたキザクラ。冒険者だけではない、近くの山から多くの木の実を採っていた丸婆、初めて剣を買った店の親方である雁木、街道の整備を担当していたヨーク。
皆が魔物や魔王に付いた丙族によって殺された。その多くは死に目にも会えず後で人伝に聞いただけだ。
「大勢死んだね」
思わずニドの口からそんな言葉が出た。彼は大勢の人々を守って来たと頭でははっきりと理解している。彼らが行ってきたことはこの争いの趨勢を左右するものではない、しかしその行動に多くの者が助けられてきたのだ。山奥などの小さな村に住む力無き人々を比較的大きな街や都まで護衛し、辺鄙な場所に現れた魔物の群れを殲滅する。
しかし彼らが何をしても徒労であると言わんばかり、都に帰れば聞こえてくるのは数々の嫌な知らせだった。失ったものを数えればきりが無い。だがそれもとうとう終わりが見えたのだ。
「なら最後にもう一働きだな」
ニドたちは魔王の巣へと向かう一団には同行せずいつものように山奥の村付近に現れたという魔物を倒しに向かった。
「おいおい、なんでこんないっぱいいるんだ?」
そこにいたのは想定の倍以上の数の魔物。彼らは身を隠しながらその詳細を確認する。
「イトマシラにムツアシグマか?」
「どうする? 一旦引いた方が良いと思うけど」
当然ながら数が倍ともなれば彼らに及ぶ危険は倍に留まらない。元の想定では奇襲を仕掛ければ魔物の大部分を倒せる予定であったが同じ策は使えない。生き残りに囲まれれば彼らとて生きて帰ることが出来るかはわからない。故に一旦引いて体勢を整えるのが賢明であったが。
「ま、そうしたいところだけどな」
魔物達が進む方向には村があった。それを見て全員が覚悟を決める。
「一気に行くぞ。ニド、頼む」
「……全く、わかったよ」
それからのことを彼はあまり覚えていない。ただ武器を振るい、魔法を使い、魔物を倒し続け、消耗し、とうとう不意を打たれ気絶する。
どれだけの時が過ぎたのか、ニド自身にもわからなかった。気が付いた時、幸運にも自分が生きていることを知り、戦いが終わっていることに気が付いた。周囲には魔物の死骸が散乱しており、その中心に地面に倒れたムツアシグマの心臓を剣で貫き立っているダリルの姿がある。ニドは腹部と右足の痛みに耐えながら這って彼の下へ向かう。
「……ダリル、どうなった?」
ニドの声に反応し彼はゆっくりと振り返った。しかし彼の視線は明後日の方を向いている。
「目が……」
「ああ……。まあ、大したことじゃない。それより魔物はどうなった?」
「ちょっと待ってくれ」
ニドは周辺に生きた魔物がいないか魔力で探る。
「少なくとも僕にわかる範囲にはいない」
「そうか、だったら大丈夫かな」
「ダリル!」
ダリルがふっ、と糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
「もう立ってるのも辛くてな。……なあ、カタリと加我はいるか?」
「ああ、近くにいる。少し待っててくれ」
先に魔物がいないかを探った時に二人がいる場所は分かっていた。ニドは近くに落ちていた木の棒を頼りに立ち上がると重たい足を引き摺ってそちらへ向かう。
「カタリ、加我、大丈夫か?」
加我が木にもたれかかり、その手前に彼女を守るようにしてカタリが陣取っていた。ニドの声を聞き二人は重たい瞼をゆっくりと開いた。
「……何とかね。ダリルのやつ、無茶し過ぎなのよ」
「全くだ、な。だから俺は嫌だったんだ」
「は、はは。憎まれ口を叩けるなら、上等だね」
みんな生きている。その事実にニドの身体は力が溢れて来るように感じた。全身傷だらけでどうも右足の骨と肋骨が折れているようだが、そんなことは気にもならなかった。
「待っててくれ。助けを呼んで来る」
三人共自分よりもずっと怪我の度合いが酷く動くこともままならない。彼は急ぎ助けを呼ばなければならなかった。向かったのは今いる場所から最も近い村。そこはお世辞にも設備が整っていたり優秀な医者がいるわけでもなかったが、そこまで行ければ都へと報せを出してもらえる。そうすればまだ間に合うはずだ。
そう信じて彼は痛みも忘れて駆けた。その先に待っていたのは。
「……誰も、いない?」
無人の村、人の気配一つ無い空っぽの村だ。魔物に襲われ生きている人が誰もいないということではない。誰もいないのだ。
「な、何が……?」
しかし彼に謎を解明する時間など無かった。
「ま、まだだ。都まで行けば……」
都までの道のりなど急げば半日もかからない、普段ならばの話だが。今の彼は負傷が酷く、辿り着けるかどうかも危うい。
しかしそれは諦める理由にはならなかった。
「三人共、死なせはしない」
ニドは山道を駆けた、彼の通った後には血が点々と落ち、身体はとうに限界を迎えていたはずだ。それでも山を下り都へ、都へ。
「待て、止まれ!」
遠くから声が、続いて馬の嘶きが聞こえた。近付いて来る足音にニドは顔を上げようとしたが動かない。彼は自分が道の傍らで倒れていることにも気付いていなかった。
「どうした、何があったんだ!?」
ニドはその後どうなったのか記憶にない。再び気が付いた時には都の病院で横になっていた。
「先生、ニドさんの意識が戻りました!」
彼は起きてしばらく痛みと眠気で意識が曖昧で医者の話もあまり耳に入ってこなかった。しかし不意に医者が村の名前を口にしたことで全てを思い出す。
「ダリルは、カタリは、加我は?」
医者は唇を噛んで視線を逸らした。それが全ての答えだった。
後に彼は知る。あの時、都では魔王討伐が果たされたことを知り宴が催されることになっていたことを。あの時、村に誰もいなかったのはその宴に参加する為に都へ向かっていたからだということを。あの時、魔王討伐に浮かれた人々はその横で細々と依頼をこなしていた冒険者のことなど忘れてしまっていたということを。
「不幸な偶然だった」
それは彼らの境遇に対して誰かが言った言葉だろうか。それともニドが自身の境遇を納得させる為に呟いた言葉だろうか。確かなのはそのことを切っ掛けに彼が都を去った、それだけだ。
ショウリュウの都東門、ニドは衛兵の横を当然のように素通りし外へ向かう。そして周囲に人気が無くなった辺りでコートを羽織った丙族の女が彼の前に現れた。
「ハロハロ、ここはもう大丈夫だ。決行の日まで僕らは近付かない方が良いだろうね」
彼女はその言葉に素直に頷く。
「とりあえず僕らがやるべきことは戦力分散だ。まずはゴウゴウを誘い出す準備かな」
「そっちは準備できてるわ」
「流石、抜かり無いね」
「エゴエゴは何か言ってた?」
「作戦の時にはどうにか駆け付けるって」
「本当に来てくれたら助かるわね。来れると思う?」
その質問は期待していないからこそ尋ねたかのようだった。ニドは大きく溜息をつく。
「さあね。どっちみち今回以上の機会は無いし作戦は必ず決行する。それだけは変わらないよ」
ニドの脳裏に浮かぶのは死に瀕した三人の仲間の姿、そして彼の心の内を支配するのは憎しみだ。
「見ててくれ、僕は必ずあの都を……、この国を滅ぼそう」
ニドがそう呟き決意を固める。ハロハロと呼ばれた丙族の女がその姿を見てほくそ笑んでいたことは誰も知らない。




