32.冒険者の悩み事
山河カンショウの国、ショウリュウの都近隣の山。この山ではホウライの木の植樹と伐採が行われている。これは都での立派な産業の一つで、付近の山々では似たようなことを行っている場所が幾つかある。無論、木々の伐採は危険な作業であるし、山の中には獣や魔物が現れることも多々あるので危険な仕事ではある。しかし一度の伐採で多くの金銭が手に入りこの仕事に従事する者はそれなりの小金持ちが多いようだ。
「そんなにお金持ちには見えない格好だな」
頭にタオルを巻きボロボロのつなぎを着た依頼主の木こりがそんな話をするのを聞いてロロが思わずそう言った。
「はっはっは、そりゃお前、こんな仕事するのに良い服なんか着てきたらすぐにボロボロになっちまわぁよ」
彼は笑いながらどんどんと歩いて行く。ロロ、ハクハクハク、サキサキサ、そして丙自治会に所属する三等星エゴエゴがその後を付いて行く。今、彼らはホウライの木の伐採手伝いの依頼を受けているところだった。
都から一時間程度の山、そこをどんどんと登って行く。道はある程度整備されており、それはこれまでこの仕事に携わって来た者たちの努力故だ。そしてしばらくすると真っ直ぐ背の高い木が幾つも見えて来る。
「着いたぞ」
木こりがそう言った時に周囲には同じ木がたくさん見えている。どうやらこの辺りが植樹が行われている場所らしい。
「これ全部そうなのか?」
「そうだ、うちの爺さんが植えたのもあるしうちの親父が植えたやつもある。三代続けて同じことやってっからなあ、わっはっは」
「これ全部切るの?」
サキサキサはこの数を切って行くなら今日は帰れないだろうな、などと考えていた。しかし木こりはまさか、と言って笑う。
「流石にそんな時間はねえぜ。今度の豊穣祭に向けて三本ぐらいかな。まあ使うのは枝の方だがよ」
「枝を?」
一行が上を見上げる。枝はかなり上部にしか付いておらず地上からはそれが日光を遮っていることぐらいしかわからない。
「ちょっと高くて見えねえか? まあ切ってくりゃあわかるさ」
「俺たちは何をすればいいんだ?」
木こりは事前の説明を行ってみりゃあわかる、の一言で済ませた為ここで何をすべきなのか冒険者たちは何もわかっていない。木こりは周囲を見て少し開けた辺りを指差す。
「俺が今から登って枝を落とすからそれをあの辺に集めといてくれ。あと周りに獣とか出たら教えてくれ」
「わかった」
説明はとりあえずそれで終わりのようだ。山男のような見た目をした木こりは手近な木に掴まるとそのままどんどん登って行く。ホウライの木は幹がまっすぐである程度高くまで行かないと枝が無く、何も無しに登るのは難しいはずだが長年の経験が故かすいすいと枝のある所まで辿り着いていた。
「すげえな。もうあんなところまで」
「中々やるわね……。私より早いかもしれないわ」
サキサキサがそう呟いたが、無論、彼女は別に木登りなど得意なわけでもない。というかそもそもやった記憶も無い。少々見栄っ張りなのは彼女の生来の性なのだろう。
そんなことはともかく彼女には少し気になることがあった。
「それよりさ、豊穣祭でホウライの枝って使ってたっけ?」
それは先ほど話していたことだ。枝を飾り付けに使うということだったが、彼女の記憶にそれらしいものが思い当たらない。
「んー、どうだっけ? 何かあったかな」
ロロも同じ思いのようだ。ハクハクハクも考えているがそもそも彼女は豊穣祭の日に出歩くことはあまり無かったので知る由も無いだろう。
「お前たち、ショウリュウの都に住んでるんだから豊穣祭のことぐらい覚えておいたらどうだ?」
そんな三人を見かねてエゴエゴが声を上げる。
「豊穣祭の時に作る櫓があるだろ。あれの屋根に付いてる飾りだ」
「あー! あれか!」
豊穣祭。それはショウリュウの都で十月の終わりに行われる祭りだ。一年を通じて様々な作物が取れる都でその実りに感謝を捧げる祭りで、もう何十年も続いている。言い伝えによると最初は切った枝葉や植物の蔓などを集めて積み上げそこに感謝の祈りを捧げていたのだとか。それが時を経つ毎により高く積み上がって行き、とうとう櫓を組み上げ始めたのだとか。
今では櫓にお供えをしたり、そこに向けて感謝の舞いを舞ったりするのが慣例となっている。
「櫓かあ。言われて見たら天辺に何か付いてるよな」
櫓の屋根にはいつからかホウライの枝を幾つも飾るのが習わしであるが、ロロやサキサキサがそれに気付いていないのも無理はない。いつの間にか随分と高く作られるようになった櫓は毎年祭りの時に作られているにも関わらず、それが存在する間は都で最も高い建物となっているのだから。肉眼で何が付いているのかわかる者は少ない。
「おーい、枝を落とすぞ! 離れてろ!」
上方からの声、それを聞いて皆が少し離れる。すると上から降ってくる枝の影、それは徐々に大きくなりついに地面に音を立てて落ちる。その大きさは切断面が人の腕よりも太く、そこから先に行くにつれて枝分かれし少し赤みを帯びた葉と丸く派手な色をした玉のような実が付いている。
「へえ、ホウライって実があるのか。食べたことないな」
「絶対に食うなよ」
思わずロロは手を伸ばして表面を撫でたがエゴエゴが鋭い声で止める。
「毒があるからな」
「そうなのか?」
ロロはまじまじと青と黄が入り混じった色の木の実を見つめるが、当然それだけで毒が入っているかどうかなどわかりはしない。
「確か頭痛と幻覚作用だよね?」
「そうだ、よく覚えてたな。死にはしないがお前を負ぶって帰るのは御免だぞ」
「流石に毒と知ってたら食わないって」
そんな話をしていると次の枝が落ちてくる。上ではどんどんと枝を切っているようでそろそろ下にいる彼らも己の仕事をすべき時だ。ロロもそう思い立ち上がろうとしたがその時に偶然、落ちた時の衝撃でだろう、割れた木の実が彼の目の前に転がって来る。断面から見える果肉は瑞々しく、例えるなら上等な桃の実のようであった。
「旨そうだな」
ぼそっ、と呟いた声を聞きエゴエゴがロロを睨み付ける。ロは慌てて涎を拭き枝を持ち上げた。
「いや、毒だってわかってるんだから食べない食べない」
「ならいいが」
ロロが枝を持ち上げて予め指示されていた置き場所へと向かう。その様子を見ながらサキサキサが溜息をついた。
「全く、ロロってちょっと子供っぽいよね。いくら美味しそうだからって毒とわかってるものに……」
そこまで言ったところで口の動きが止まる。視線は隣にいるハクハクハクへ向いている。そしてそのハクハクハクの視線は。
「ねえ、ハクちゃん、それ毒だからね?」
「え、あ、うん、そうだよ、ね!」
彼女の視線もまた、彼女の足元にある木の実に向けられていたのだった。
木こりは次々と枝を落とし冒険者たちも落ちてきた枝を次々と運んでいく。二十分ほどでその木は一通り切り終えたのかするすると下へ降りて来た。
「だいぶ空が見えるようになったな」
枝の落ちたホウライの木は真っ直ぐ天へと延びて行き、その先からは青空が覗いている。周囲にはまだたくさんの木と枝が日光を遮っているが、今この場だけは日の光の温もりが直接に感じられるのだ。
「よぉし、木の枝は落とした。次はこれを切り倒すぞ」
木こりが言いながら真っ直ぐに伸びている幹を蹴ったのだが、木はびくともせずその力強さが感じられた。
「どうやって切るんだ?」
「鋸で切るのさ。あんたらはこの綱を引いてくれ」
渡された綱は木の上部に巻き付けられているようだ。木こりは周囲を見渡し木々に隙間がある方を指差す。
「俺は向こうにこの木を倒す、あんたらは変な方へ行きそうになったらこの綱を引いて方向を上手いこと変えてくれ」
「それって難しくないの?」
当然だが冒険者たちは誰もそんなことやったことが無い。サキサキサが不安気な表情を見せるのも当然だ。しかし。
「引っ張るだけだ、誰にでもできらぁよ。頼んだぞ」
木こりはそれだけ言うとさっさと木に鋸を入れ始めた。一行は苦い表情を浮かべたがこれ以上聞いても何の返答も得られないことは簡単に想像でき諦めたように彼の仕事を見学する。
凄まじい速度で鋸が押し引きされている。それに合わせて木屑が舞い上がるのが見えるだろうか、あれこそ木が確実に切られている証拠だ。冒険者たちは鋸の鳴らす音にじっと耳を澄ます。
「いつ倒れるんだ?」
「まだ先だろう」
「あれはこっちに倒れるように切り込みを入れてる所。この後逆側に回って切り込みを入れて行くんだよ。最後は押すだけで倒れるから」
サキサキサは今回の仕事に来るに当たって木の伐採に関して簡単な知識を書物から学んでから来ていた。故にやったことは無くともなんとなく何をしているのかは理解している。
「へえ、サキ先輩物知りだな」
ロロは勉強などしておらず素直に感心している。彼女は鼻高々に自慢げな笑みを見せる。
「まあね! 私って頭良いんだから」
「サキちゃん、イザクラさん、の、勉強会も、行ったもんね」
「そういうこと!」
サキサキサは数か月前に行われていたイザクラ考古学団と丙自治会の合同勉強会に参加している。丙自治会から参加する者は考古学への興味関心も当然だが、それと共に知識や頭の良さに関してもゴウゴウが太鼓判を押した者に限られていた。少々見栄っ張りだったりする点はあるがサキサキサは秀才の類であると言えよう。
鋸の音が止むと皆から見える場所に三角の切り込みが入っていた。木こりは反対に回りまた鋸を動かし始める。
「そろそろ俺たちも準備しておくぞ」
巻き付けられた綱は左右二本垂れており皆はとりあえずで二手に分かれる。
「どうすりゃいいんだろうな」
「ん、わ、わかんない」
ロロとハクハクハクは若干の不安がありながら高くそびえる木を見つめている。先が見えない程に高いそれは倒れて来ることなど想像したことも無い大きさで、もし潰されたらどうなるのだろうと怖くなるようなこともつい考えてしまう。思わず綱を握る手に力が入るのは無理もないことだ。
「落ち着けよ。いざとなったら俺があの木を受け止めてやるぜ」
「え、あ」
知らず知らず綱を引き千切るつもりなのかと問われそうなほど力を入れていたハクハクハクはロロの言葉に少し赤面する。それから改めてホウライの木を見上げその重さを想像した。
「う、受け止めるの?」
「ああ、その時は手伝ってくれよな」
「え、あ、に、逃げようよ」
「ははは、それもそうか」
彼女はロロに合わせて苦笑するが、それと同時に少し気が楽になったのを感じていた。緊張をほぐそうとして受け止めるなどと言ったのかはわからない、しかしきっと何か起こった時には守ろうとしてくれることぐらいは分かっていたのだ。
「よーし、こっちは準備できたぞ! 倒すからなあ!」
木こりの声が響くと冒険者たちに緊張が走る。魔物などを相手にするのとは違った緊張感で、慣れない仕事に三等星のエゴエゴでさえ思わずその手に力が入る。皆の注目が集まる中で木こりがホウライの木を押し始めた。木はゆっくりと傾きそのまま音を立てて倒れ始める。
「おお、すげえ」
「ぼーっとすんなよ!」
倒れて行く木の様子に見入っていたロロにエゴエゴの檄が飛ぶ。我に返ったロロは木の倒れそうな方を見た。
「これは、俺たちが引くか?」
「う、うん」
若干予定の方向とずれがあるようだったのでロロたちが綱を引くと思ったよりは簡単に倒れる方向がずれる。ただ予想より簡単だったが故に今度は行き過ぎて逆側にずれた。
「あ、ごめーん、そっちに」
「わかってるって」
サキサキサとエゴエゴも綱を引くが何分こんなことをやるのは初めてで微調整は上手くいかない。両方向に何度か引いていると木はどんどんと倒れて行き、ついには大きな音と振動を伴い地面へと倒れ込んで行った。
「あー、まあ大体予定通り?」
幸いほぼ先に何もない辺りに倒れたのでホウライの木もその他の木々も特別傷などはない。
「よーしよし、とりあえずそれはそこに置いとけ。次の木に行くからよ」
「はーい」
その調子で二本目、三本目とホウライの木が切られて行く。
「結構あっさりだったな」
とりあえずの終わりに一心地付く。彼らの前には立派な幹を持つホウライの木が倒れており、その価値を知る者ならば垂涎ものだろう。どうやって運ぶかは考え物だが。
木こりはそんな長く大きな倒木の前に立つと。
「これからが本番だ」
と神妙な面持ちで言った。そして彼の手に鋸が人数分握られている。
鋸と木が擦れる音、それが幾つも響いている。木こりが、ロロが、ハクハクハクが、サキサキサが、エゴエゴが、それぞれ手に持った鋸を無心で引いては押し引いては押し。木屑が舞うのも構わず引いては押し引いては押し。
「そっちどうだぁ、そろそろ切れるか?」
「まだ半分!」
「ならもっと早くやれぇい!」
「うおおらぁ!」
必死になって鋸を動かすのは切り倒したホウライの木を幾つかに切り分ける為だ。流石にそのままで運ぶのは難しいので使いやすい程度の長さに切り揃えて奥の山小屋でしばらく乾燥させるのだが、切り分けるのは人力らしい。
「半分ぐらいから全然進まねえ!」
ロロは鋸を使ったのは初めてでいまいち上手く切れていない様子。もっとも木こりに比べれば誰も彼もどんぐりの背比べではあるが。
「一旦角度付けて切れ。貸してみろ、こうやってな」
木こりの助言もありなんとか切り進めて行く。三本あったホウライの木を切り分けて運び終えた時にはもう日が暮れようとしていた。
「ようし、後は枝持って帰るぞ。それぞれ枝を持てよ!」
「は、はぁい」
「ふぅ、わかったぜ」
その頃にはロロたちは疲れ切って肩で息をしているような様子だ。重たい重たい丸太を幾つも運んだ後で仕方のないことではある。平気な顔をしているのは三等星のエゴエゴぐらいだ。
「エゴエゴさんは疲れてないのか?」
「あのぐらいならな。俺はゴウゴウの旦那より強いんだぜ。当然だろ?」
「ゴウゴウさんより?」
ロロはゴウゴウの戦いを見たことは無いが、三等星であり尚且つ丙自治会をまとめ上げる彼の実力を疑ったことなどない。
「本人が認めてるのさ。旦那の得意な魔法を知ってるか?」
「雷! 魔法の使い方を習った時に言ってたぜ!」
「そうだな」
エゴエゴが両手を前に出すとその間にばち、バチ、と音を立てて電気が発生する。そして徐々に横で見ていた者が思わず後ずさりするほど音と光が激しさを増していく。激しい光が明滅し、雷の閃光が森の中を通り抜けて行くのが遠くからでもわかるだろう。
「この通り俺も雷使いだ。そして旦那は俺の雷の方が威力が上だとはっきり言った」
エゴエゴが掌を天に掲げるとその先から稲妻が空に向かって迸る。一瞬の煌めきと共に稲妻は消えて行ったが天に昇ったその光は見る者に畏怖の念を抱かせるには十分だ。
「すごい……」
空を見上げるハクハクハクの口からただ一言それだけが零れる。彼女の頭の中では少し前、模擬戦の折に魔法の制御が課題だと言われたことを思い出していた。今の雷は周囲に被害が及ばぬよう木々を避け空が開けた部分を狙って放たれたものだが、だからと言って威力が弱いわけでもない。この先目指すべきはこういう世界だと思い知らされる。そこへ行く術を身に付けるのはまだまだ先になりそうだ、彼女はそう思い唇を噛んだ。
「地面から上がる雷なんて初めて見たぜ」
「そうだろう。まあ俺は丙自治会一の実力者だからな」
「まあいずれは私がその座を奪うわけだけどね」
「……はっ、先は長そうだな」
何をー、とサキサキサが食って掛かるがエゴエゴはははと笑うだけで相手にもしない。大人と子供、いや大人と赤子、それほどの差が彼らにはあるのだ。
「おーい、そろそろ行くぞー!」
「はーい」
木こりの号令にそれぞれがホウライの枝を持ち山を下り始める。魔物や獣が現れるかもと警戒していたのが馬鹿らしくなるほどには何事もなく、日が沈んで間もない頃にショウリュウの都へと辿り着いていた。木こりの仕事場まで枝を持って行くと依頼はそれで終了である。
「いやあ助かった助かった。祭りが近いってのにうちの若いのが風邪ひきやがってなあ、人手が足んなかったんだよ。ここまでやってもらやあ後はどうにかならあな」
「人を助けるのが冒険者だからな。何かあったらいつでも頼ってくれよな」
「そうかそうか、頼りにしてるぜ。……そうだ」
木こりはぽん、と手を叩いたかと思うとどこからか剪定鋏を取り出しホウライの枝先をぱちっ、ぱちっ、と幾つか切って行く。そして落とした枝を冒険者たちの手に押し付けた。
「まあ礼代わりだ。ホウライの枝は部屋に置いておけば空気が澄んで魔力の流れが落ち着いて健康になる……、って噂だ。まあ実際に効果があるのかは知んねえが縁起物と思って置いとけ。いらなきゃ捨てるなり燃やすなり好きにしな」
「良いんですか?」
サキサキサは目を輝かせて手の中にある小さなホウライの枝を見つめる。元々後で貰えるか尋ねようと思っていたようで渡りに船の気分なのだろう。寧ろ渡した木こりの方がそんな彼女の様子に目を丸くしている。
「へえ、そんなもんでそこまで嬉しいもんかい?」
「だって綺麗ですよ。この色合いに形に……、どうやって飾ろうかな」
「ははは、そんな喜んでもらえりゃ嬉しい限りだ。祭りが終わったらこれ丸ごと一本くれてやろうか?」
「え、本当ですか?」
「おうおう、俺は嘘はつかねえって決めてんだ。どこに届けりゃいい? 自治会の集会所でいいか?」
「はい、ぜひお願いします。ありがとうございます」
気前のいい木こりに礼を告げて別れる。サキサキサは宿へ向かう道中も手の中にあるホウライの枝を見つめていた。逆さにしてみたり、光に透かしたり、道端の植木鉢を見てそこにこの枝を刺した時の様子を想像してみたり。
「こんな枝がそこまで良いもんかね」
エゴエゴが思わずそんなことを呟くとサキサキサは彼を睨み付ける。
「こんなに綺麗でしょ! いらないなら頂戴」
ばっ、と差し出された手にエゴエゴは気圧されながら枝を置く。どうやら彼にはいまいちその良さは分からなかったらしい。
「ロロももしかしてこの良さがわからない?」
「んー、まあ見た目は正直あんまり?」
再び手が差し出されるがロロはその手を押し返す。
「なんか置いておくだけで何かしら効果があるらしいし俺は持って帰る」
「なら仕方ないか」
サキサキサは納得したようで大人しく引き下がった。その後で舌打ちが聞こえた気もしたがロロは木のせいだと思うことにしたらしい。その後ろでハクハクハクは自分の方にも手が差し出されないかと期待していたようだが、宿についても彼女の手の中にはホウライの枝はあるままだった。
「みんなお帰り。あ、もしかしてホウライの枝? 貰えたんだね」
「いい人でお礼にってくれたわ」
宿で出迎える崎藤は良かったねえと言いながらサキサキサの持つホウライの枝をじっと見つめる。何事かと思っていると。
「二つ持ってるけどもしかして一つは僕の?」
期待をその表情に滲み出しながらそう言った。サキサキサは笑顔を浮かべる。
「もちろん……、両方私の!」
その日は宿の主人がへこんだ様子で項垂れていたのを多くの者が目撃したらしい。
「またいつでも呼んでね!」
サキサキサは早々に帰って行った。ホウライの枝に飾り付けをして集会所に飾りたいらしく、帰りながら色々と考えていた案を早くまとめたいのだとか。エゴエゴもそれについて帰り、残ったのはロロとハクハクハクだ。今はラウンジで幾つかの料理を注文し、それが来るのを待っている。
「ハクハクハクはこの枝どうする?」
「え、っと……、ベッドの傍に飾る? あ、花瓶、とか」
「あ、花瓶に差せばいいのか。確かに丁度いいよな」
ロロが唸りながら悩んでいるのをハクハクハクは見つめている。その心中は実の所あまり穏やかではない。依頼が無事に終わったのは良い。ここで食事を取るのもいつも通りだ。ただサキサキサが帰ってしまったのが少々想定外だったのだ。誘いはしたのだがどうしても飾り付けの案をまとめたいと断られてしまってはそれ以上引き留めることもできない。
ハクハクハクは思う、もしここにサキちゃんがいたならばきっとロロを退屈させずに済んだだろう。
「なあ、花瓶ってどこで売ってるんだ?」
「え?」
そんなことを考えていたもので急に話しかけられた時に彼女はぽかんとしてしまう。
「いや、花瓶。俺買ったことなくてさ」
改めて言われてようやく彼女は我に返る。
「え、あ、ど、どこだろ……。あ、雑貨屋さん?」
「雑貨屋かあ、まあそれっぽい所を探せばいいか。誰かに聞けば教えてくれるだろうし」
「そ、うだね」
話が途切れたところで彼女は大きく息を吐いた。緊張している、彼女ははっきりとそう感じていた。ロロは先日無理に話さずとも大丈夫だと言ってくれた、しかし彼女はそれじゃ駄目だと自身に強く言い聞かせている。色々と話をしたい、もっとあなたの事を知りたい、もっと私の事を知って欲しい、ずっとそう思っているのだから。
「ぁう、ぁ」
しかし彼女の強張る身体が、ぐちゃぐちゃになる頭の中がそれを許してくれない。ずっと考えていた話したいことの一欠片は混ぜ合わされた砂の中の特定の一粒を拾うように困難で、しかも彼女の喉は自ら声を上げようとすると何十年も風雨に晒され錆び付いた機械のように動こうとしない。
ハクハクハクは思う、私はロロ君と瑞葉ちゃんの二人に感謝している。二人は自分を再び冒険者として活動できるように手を引いてくれた恩人だ。
ならばなぜ、彼と一緒にいる時にだけこんなに緊張しているのだろう、と。
彼女がふと我に返るととロロがじーっ、と見つめている。
「え、あ。ど、どうかした、の?」
「いや、なんか顔赤いな、と思って。もしかして体調でも悪いのか?」
「え?」
ロロの言葉にハクハクハクは思わず自分の頬を触る。それは少し熱くて、きっとほのかに顔が赤くなっている。しかしその理由はよくわからず、彼女の頭の中は更に思考がかき乱され今にも爆発しそうだ。
「あ、わかった!」
「わ、かった?」
何が? ハクハクハクの心中でその言葉が木霊する。何がわかったのかわからないのが怖い、恐ろしい、不安を覚える、後はそう……、何やら気恥ずかしい。
「知恵熱ってやつだろ。ハクハクハクの事だからまた何か話をしようと思って色々考えてるんじゃないか? それで考え過ぎで熱くなって顔が赤いんだろ」
「ちえ、ねつ」
その言葉に彼女は全身の力が抜ける。思わず机に両手をついて体を支えてしまうほどに。確かにずっと色々なことを考えていた。知恵熱というのは聞いたことがあったし、有り得ない話ではないだろう。ただ、彼女はもっと何か自身の心の深い部分を探り当てられたのではないかと思っていたのだ。例えば、彼女自身すら気付いていないような何かを。しかしどうやらそんなことは無かったらしい。知恵熱、そうだこれは知恵熱だったのだ。自信をそう納得させると先程までの熱が少しだけ引いて行く気がした。
「そうだ、ちょっと」
そう言いながらロロが手招きするので、疑問符を浮かべながらも彼女は料理を少し避けてテーブルの上に身を乗り出した。するとロロは。
「ぴっ」
これはハクハクハクの鳴き声だ。ロロは彼女の頬に自分の手を当てた。
「冷たくて気持ち良いだろ。俺の手って実は冷たいんだよな。昔は冬場に瑞葉の首に手を当ててはやめろって怒鳴られてさあ」
笑いながら昔話をするロロに対してハクハクハクにはあまり余裕が無い。ロロに触れられた頬が冷たくて気持ちいい、そんな風に確かに思っている。しかしそれ以上に人前で同世代の男の子に頬を触られているという状況に照れ臭いような恥ずかしさがあって顔が熱くなっていくのを感じている。
「ハクハクハクの顔は熱いな。知恵熱もあるだろうけど元々体温も高いとか?」
崎藤やヤヤ、そして他の冒険者や観光客。彼らの視線がこちらを向いているんじゃないかとハクハクハクは気が気でなくて、ロロの話など耳に入っていない。
「おーい、ハクハクハク?」
呼びかけにはっ、となってハクハクハクは我に返る。そしてとにかくこの状態から脱しなければと決意した。
「えっと、だ、大丈夫、だよ。その、ありがとう。でも、そ、そろそろご飯、食べよ?」
「ん、そうだな。冷めると悪いもんな」
慌てて言葉も荒ぶるその様子に少し面食らいながらもロロは素直にその提案を聞き入れ頬から手を離す。ハクハクハクは安堵の溜息をつくと食事に気を逸らそうと皿の一つを自分の前に持ってきたが、その時にロロがまだこちらを見ているのに気が付いた。
「な、何かあった?」
「ん、いや。ハクハクハクのほっぺって柔らかいなと思って」
さらっと発せられた言葉。
「そっ」
ハクハクハクはその言葉に動揺して息が詰まるのを感じた。ただ思ったことをなんとなく口にしただけなのかもしれないのに、そこに何か裏の意味があるのではないかと考えてしまうからだ。彼女は深呼吸を挟み様々な考えの果てに再び口を開く。
「そうなん、だ」
数秒の沈黙。この何ら意味のない言葉が発されてもロロはじーっ、と彼女を見つめる。おそらくはちゃんと話を聞いてはいないのだろう。ハクハクハクは彼の様子をちらちらと窺うと何度も目が合い、その度に顔が熱くなっていくのを感じていた。
沈黙に耐え切れなくなったのか彼女は突然手を挙げた。
「……食べる!」
「ん、おお!」
何もかもを誤魔化すようにハクハクハクは目の前の料理に集中し始めた。がつがつともの凄い勢いで食べ始め、一気に皿を空にしていく。その様子は先程までとは違った意味の注目を集めていたが彼女がそれに気付くことは無かった。
食事を終え少し話をすると二人は別れて家路に就く。ロロは一人賑わう街を歩きながら今日一日の事を、いや瑞葉が居らずハクハクハクと二人の時間を思い返していた。
「なんかすごい緊張してたな」
思い浮かぶのはやたらと頑張って話をしようと意気込む彼女の姿。そうやって頑張ろうとしてくれたのは嬉しくて、だからこそ緊張をほぐせるようにと色んなことをしてみたものだ。褒めそやしてみたり頬を触って見たり、親しみやすさのようなものを狙って普段よりも積極的に思っていたことを言ったりやったり。結果として返って来たのは彼女が照れと恥ずかしさで赤面すると言うものだったが。
「緊張した時はどうすればいいんだっけ、昔に瑞葉が言ってたんだけどな」
残念ながら、尋ねようにもその瑞葉はここにはいない。家を訪ね聞くのも看病で忙しい今は止めた方が良いだろう。ロロはまとまらない頭を抱えながらも瑞葉に何かしら差し入れを買わないといけないとは思っていたので適当な店に入る。
「こんにちはー」
そこは農場の野菜を運んでいる馴染みの店だ。ここならば差し入れにおすすめの物を教えてくれるだろうという打算がありここに入ったと言っても過言ではない。
「おー、いらっしゃ……」
店主がロロを見て口を止める。訝し気な様子でロロの事をじっと見ている。
「どうかした?」
何か顔にでも付いているのかと尋ねると、店主はロロの顔を指差しながら答える。
「……顔真っ赤だけど熱でもあるの?」
「え?」
ロロは思わず自分の顔を触る。自身の冷たい手がひんやりと気持ちよく感じられ、それと共に自分が顔を熱くしていたのを自覚し何やら恥ずかしさで顔を覆う。
「あー、これは、さっき走ってたからかな」
ロロは宿を出てから途中までハクハクハクと歩き、一人になってからは考え事をしながら歩いていた。走ってなどいない。
「……ふうん、まあそれならいいけどね」
今の彼には店主の声はどこか遠く聞こえていた。そうなのだ、緊張していたのはハクハクハクだけではない。彼もまた二人で話をしながら時折見せる微笑みに、赤面し顔を隠す手から覗く表情に、美味しそうに料理を平らげながらたまに視線だけをこちらに送る姿に、何やらどぎまぎして時に心臓が早鐘を打つこともあったほどだ。
顔の赤さを勢いで誤魔化し瑞葉への差し入れだけ買うと早々に店を後にする。
「……あー、顔が熱い」
彼はハクハクハクが赤面していた時はこんな風だったのかと歩きながら思う。擦れ違う人の一人一人が顔を赤くしている自分を見ていると思うと気が気では無いとも。今までこんなことを思ったことは無くとにかく落ち着こうと大きく深呼吸をし始める。
「依頼の間は良かったな」
彼は今日の昼間の事を思い出す。依頼をこなしている間はハクハクハクと二人でやり取りすることはあまりなかった。依頼主の木こりが、サキサキサが、エゴエゴがいて二人きりで話をする時間などなかったのだから当然だろう。
彼らがいなくなり二人きりになると変に力が入ってしまうのは、ハクハクハクにかっこ悪い所を見せたくないからだろうか。しかしそんなことは今更なのではないかとも考えてしまう。今までの自分はかっこよかったのか? かっこいい冒険者を目指してはいるがそこへ自分が辿り着けている実感は無い。だとすればハクハクハクが見ている自分の姿はどうなのだろう、ロロは歩きながらそんなことばかり考え、ある時ふと思う。
「俺ってこんな奴だったのか」
今まで彼はそんなことを気にしたことは無かった。瑞葉は幼い頃からずっと一緒でお互いのことをよくよく知っており、わざわざ特別に隠すようなことはない。というよりもお互いに隠そうにもなんとなく察せられるところがあるのだ。学校に通っていた間はどうだろう。何人か友人は出来たがこんな風にかっこつけたことは無い。
「……やめやめ。早く帰ろ」
ロロは考えていると段々頭が痛くなってきたので走り出した。今日は帰る前に寄る場所もある、わからないことを考えるのは後にしよう、そう思い足を動かす。
ことこと、と鍋の中から音が聞こえる。火加減を見ながら瑞葉は少しだけ落ち着いた時間を過ごしていた。
この数日、彼女は母、樹々の看病と家事をする為に忙しなく走り回っている。毎年の事で慣れてはいるが、毎年のことになっているのが良くない状態だとも思っていた。
「……どうにかしたいけど、……どうにかしていいのかな」
この時期に樹々が体を壊すのは無理な働き方をするせいだ。ならばそれを止めることが出来れば簡単に現状を変えることが出来る。しかし一方でそれは亡くなった実父、千両の事で母が悲しみに暮れる日々を否定し彼のことを忘れるように仕向けるということになるだろう。それが正しいことなのかどうか、瑞葉には判断が付かない。
「何もかも丸く収まる方法なんて無いのかな」
たとえ傍から見れば小さな一つの家族の事でしかなくとも彼女にとっては自らの世界の殆どで、そこが平和であることを願っている。しかしそれは人が想像する何倍も難しいことに彼女は既に気付いていた。溜息が鍋から噴き出る湯気と共に天井へ、そろそろいい頃合いだと彼女は火を消した。
「粥を作るのにも慣れちゃったな」
瑞葉は粥を軽く混ぜ丁度いいとろみが付いているのを確認する。もうこれを何度作ったことだろうか、病人にはこれが一番だと宿で聞きそれ以来彼女はこの時期になると毎年母の為に作るのだ。米はイザクラの都から仕入れたもので少々値段は張るが、幸いにも今年からは自らの稼ぎで賄えたので家計への心配も必要なくなった。きっと来年も同じようにしているのだろうと彼女は目を閉じ思う。
瑞葉が粥をよそう器を探していると少し控え目に入り口の戸を叩く音が聞こえた。
「ロロ?」
彼女の家を訪ねる者は多くない、そして今の時期に樹々が寝込んでいるのを知っておりわざわざ戸を叩く力を調整する者など一人しかいない。故に彼女は文句の一つでも言ってやろうと入り口へ向かう。
「ロロ、うつるから来るなって」
「あーあー、わかってるって」
瑞葉はロロにこの時期は家に来るなと言い含めている。風邪がうつるといけないからというのが彼女の言だ。そしてそれを聞いたロロは当然その言葉を、それなりに無視して差し入れを持って行くのだった。故にこのやり取りはもはや恒例行事とも言える。
「……で、何?」
詰問するような強い口調と共に睨み付ける瑞葉にロロは思わず両手を上げて余計なことはしませんと表明し、手に持っていた包みを差し出す。
「差し入れ」
「ありがとう」
中身が風邪に効くと言われているような何らかの食材であることは容易に想像がついていた。なにせ毎年のことであるし、長い時を共に過ごした幼馴染だ。
「それとこれ」
しかしもう一つの方は想定外の物だ。差し出された木の枝に瑞葉は困ったように眉を顰める。
「何、これ?」
「ホウライの枝だって。ほらあれ、お守りとかに使うやつ」
「ああ……」
「今日の依頼で貰ったんだよ。なんか空気が綺麗になるとかなんとか言ってたから丁度いいかなと思って」
瑞葉は以前に読んだ本のことを思い出す。曰く、冒険者が身に付けているお守りの効果に関しては様々な主張があるのだが、きちんと魔力の籠った素材を使えば身に付けた人々に僅かではあるが魔力を与え体調を整える効果があるのはほぼ間違いないらしい。その一方で部屋に置けば空気が綺麗になり病魔を寄せ付けず思考が明晰になり開運の兆しがどうのこうのと、それらの主張に関しては眉唾であり現実的に有り得ないとの事だった。
無論、ロロがそんなことを知っているとは思っていないし、ましてこの場でそのことを説明する意味などないと彼女は分かっている。
「それに噂じゃこれがあると願いが叶うんだって、さっきすれ違った人が言ってたんだよ」
訂正しよう、いくら気持ちが嬉しいと言っても馬鹿な話を信じ込んでしまうほどではきっちり説明してやる他ない。
「……ロロ、これはあくまでちょっと魔力が籠ってるだけの木の枝だよ」
もうちょっと賢ければなあ、などと彼女は思うが一方で鬱屈としていた思考がたとえ一時的であってもどこかへ吹っ飛んでいったように感じていた。
ロロが去り、瑞葉は樹々の元へ食事を持って行く。部屋に入ると穏やかな寝息を立て眠っている母の姿。瑞葉は食事を机に置くと眠っているその姿を見守る。
「……千両さん、逃げ……」
徐々に母の顔が曇って行く様を彼女はじっと見つめていたかと思うと、瑞葉は立ち上がり母の肩を軽く揺すった。
「ん、ん、んう。……瑞葉?」
「お母さん。ご飯の時間」
「ああ、そうなの。もうそんな時間なのね」
「食べられそう?」
「ちょっと待ってね」
樹々がゆっくりと身体を起こす。瑞葉はひどく弱弱しい母の背を支えていた。
「お粥かしら?」
「うん。自分で持てる?」
「……いえ、食べさせてくれる?」
瑞葉は粥を匙で掬い少し冷ましてから母の口へ流し入れる。
「……ちょっと熱いわね」
「そう? じゃあもうちょっと冷ますね」
樹々は器に半分ほどよそわれていたの粥を食べ終えるまで三十分はかかっただろう。瑞葉は文句一つ言わず、いや、思うことも無くただ黙々と彼女の口に粥を運び続けていた。
そしてじっと考える。私たちとロロたちは何が違ったのだろう、と。同じように家族の一人を失っているにも関わらずなぜここまで違う育ち方をしたのだろう、と。
ロロの母、ルーシアの死後その夫であるナバスは憎しみや悲しみに囚われることなくそれまでと変わらぬ日々を過ごした。そしてその様子を見て育ったロロもまた、同じように憎しみや悲しみを持つことは無かった。無論、内心では幾らかあったのだろうがそれが表に出て来ることは無く、一見して彼らが大切な家族を失っているなどと想像する者はいなかっただろう。
「ロロは悲しくないの?」
ある日、瑞葉はそう尋ねたことがある。彼女はルーシアによく面倒を見てもらっていたし、その強く優しい姿には一種の憧れを抱いていたほどだ。そんな彼女が死んだと聞いて瑞葉はとてつもない喪失感とどうしようもない悲しみに暮れていた。数日は外で遊ぶ気にもならずベッドで涙を流し、ようやく外に出られたのもロロが引っ張り出したからである。
当時の瑞葉はぼんやりとした違和感を覚えていただけだが、今ならわかる。当時の自分はなぜロロよりも自分の方が悲しそうにしているのだろうと不思議だったのだ。
外に連れ出されロロと一緒に様々な場所を巡ったが、瑞葉の脳内に過るのはルーシアとの記憶ばかりだった。彼女は面倒見も良く家の近くであれば様々な場所を案内してくれたので彼らが行けるような場所はどこでもルーシアとの思い出があったのだ。
故に涙が溢れ出し先ほどの問いをロロにぶつけてしまったのである。多少は成長した今だからこそわかるが、家族を失った者へすべき質問ではなかったと後悔と反省の味が彼女の中に広がる。しかしその思いとは裏腹に当時のロロはさっぱりとした様子でその問いに答えた。
「悲しいからって止まってられないんだ」
ロロは太陽に手をかざし空を見つめる。
「父さんは母さんは立派だったって言ってた。だからその姿に恥じないようにするって。だったら俺も同じようにするんだ」
ナバスは三日ほど農場の仕事に休みをもらったが、それはあくまでルーシアの弔いを済ませる時間とロロと二人の生活をどうしていくかを考え環境を整える為に必要な時間であった。既に職場に復帰した彼はそれまでと変わらぬ働きを見せている。それは偏に冒険者として命を懸けて人を守った彼女を尊敬しているからなのだろう。自らの行動が彼女の名誉を傷つけるようなことが決してあってはならないと、心の底から信じているのだ。
そしてそんな父の背中を見てロロは育ってきた。そして今、彼はそれと同じように後ろを振り向くのではなく前だけを見て生きて行こうとしている。
死を悼み続ける者と死を踏み越え前に進む者、それこそが二つの家族の大きな違いだ。どちらが正しいということでは無いのだが、どうせなら強くありたかったと瑞葉は思わずにはいられない。
ただ、ふと記憶を探っていた中で一つだけ疑問が生まれた。彼女は太陽に手をかざすロロの姿を、その背中を見ていた記憶はある。しかし。
「あの時、ロロは泣いていたっけ?」
彼の表情を見た記憶はなく、あの時にロロが何を考えていたのかは想像もつかなかった。
小さな一人の人間の悩みなど時間の前には些細なことだ。どんなことに悩んでいようと一日は終わり明日が来る。そしてその中で誰か一人が立ち止まっていたところで周りの時間は動き続け、気が付けば大きな波の中に飲まれてしまうこともあるだろう。
ロロ、瑞葉、ハクハクハク。彼らはまだ成長途上で悩み多き若者、いや、子供だ。だからと言って誰も何も待ってはくれない。
夜の闇を歩き影を見たことはあるだろうか? まだ誰も気付いてはいないだろう。
ショウリュウの都をも飲み込む波を起こそうと一人の男が街を見下ろしている。




