19.冒険者の変化と帰還
山河カンショウの国、ナナユウの村。星見祭りの本番を終え、人々は昨夜の星の素晴らしさを口々に語る。多少の事件こそあったものの幸いにも村に被害は無く、警備に当たっていた数人が軽い怪我をした程度で話は終わった。既に周辺は平穏を取り戻したとの報告もあり、祭りの今後の予定を眺めて楽しみにしている者も多い。
「牛鬼さん本当に大丈夫なんですか?」
当然、例外はあるが。瑞葉が宿の部屋でそう言って安川に詰め寄る。
「心配するだけ無駄だ。放っとけ」
安川があほらしい、と言わんばかりの態度で返した。しかし瑞葉の表情は曇ったままだ。
「でも怪我で残りの日の警備は出れないって、心配しますよ」
「そうだそうだ! 俺なんかよりずっとひどい怪我ってことだろ? 心配だろ」
瑞葉の言葉にロロも追従し、その横ではハクハクハクも同調するように頷いている。ロロの腕の怪我は多少の痛みこそ残っているが日常生活に支障はなく、そもそも利き手は無事ということで然程問題にはならない。しかし牛鬼は姿すら現さず帰ってしまったという。心配するのも当然だろう。
「あー、うるさいうるさい。俺は実際に会ったが、心配するような怪我じゃない。足をやったから歩き回るのがしんどいってだけだ。先にショウリュウに戻るって言ってたし心配することはねえよ」
「歩き回るのがしんどいのにどうやって帰るんですか?」
「知り合いがいたから連れてってもらうってよ」
「……まあ、それなら」
安川は心底面倒そうに肘をついて頭を掻いた。元々乗り気ではなかった依頼なのにいつの間にか引率の役目を押し付けられていたのが大層不満らしい。
「そういえば私たちって牛鬼さんがいないのに依頼を受けていいんですか? 三等星の方がいなくなってしまいましたけど」
「ん、ああ……。まあ形式としては依頼途中で二手に分かれたとか、そんなところか。どうせもう牙獣は現れんだろうし問題ないだろ」
「ソウガジュウでしたよね、牛鬼さんが倒した魔物。あれがいなくなったからですか?」
昨夜、夜遅くに村に戻って来た牛鬼は牙獣より二回りは大きく巨大な爪と牙を持つトカゲのような魔物を引き摺ってきたという。それこそがソウガジュウである。
「そうだな。ソウガジュウは見た目こそ牙獣に似ても似つかんが、どういう訳か牙獣を従える力がある。原理は解明されていないが魔力を持っているから何らかの魔法だろうとは言われているな。昨夜の牙獣はどこかから迷い込んで来たソウガジュウが従えていたんだろう」
「ソウガジュウか。俺が襲われた時さ、全然何されてるか見えなかったんだよな。なんか急に牛鬼さんが何か弾いてさ、すごかったぜ」
「へぇー、ソウガジュウの魔法ですかね」
「……どうだろうな。俺もあまり戦った覚えのない相手だからな。そもそもあまり出現報告を聞く魔物でもない。ご自慢の爪じゃないかと俺は思うが」
「あ、成程。そう言えば牙獣と違って爪が長くて鋭いんですよね」
ロロと瑞葉がソウガジュウについてあーでもないこーでもないと話し始める。ハクハクハクもその様子を横から楽しそうに見つめている。安川はこれ以上色々と誤魔化すのを面倒に感じて三人をその場に残して外へと逃げ出す。
「あ、安川さん」
しかしドアを開けている途中で呼び止められた。仕方なく彼は足を止めて振り向いた。
「何だ? 俺は外の空気を吸いに行きたい」
「今日の夜さ、O・デイが歌うんだって。一緒に見ようぜ!」
この日の祭りの催しは山河カンショウの国の歌姫、O・デイが中央広場で歌うのだ。ある意味では昨日の星見祭りの本番より注目度が高い日である。外で道行く人に話を聞けばおそらくほとんどの者が今夜のO・デイの歌を楽しみにここにいると言うだろう。
「安川さん音楽好きなんだろ? せっかくだから今日ぐらい一緒に祭りを回ろうぜ」
ロロはいつも祭りを回ることなく宿に戻ってしまう安川に不満、というよりは寂しさのようなものを感じていた。だから今日この日に誘うのは数日前からずっと計画していたことだ。そしてその誘いに対して安川は。
「……そうだな」
そう呟いて、まるで迷っている風に見える。もし数日前に言われていたなら間違いなく即座に断っていただろう。それはO・デイに興味がないわけではなく、寧ろ彼はO・デイ自体は好きなのだが、ただ単に他人との関わりを増やしたくなかっただけだ。しかし今は少し違う。
「……行く気分になったら行ってやる」
そう言い残してその場を去って行った。残されたロロは不満げな表情をしている。
「今のって要はお断りってことだよな」
絶対行く気分にならなそうじゃん、とむくれて頬を膨らます。その隣で瑞葉は安川が去って行った戸を見つめていた。
「ロロ、今日の休憩時間になったらさ―――」
瑞葉がある提案をするが、それを聞いたロロは。
「えー、絶対怒られるじゃん」
そう言ってあまり乗り気ではなさそうだ。しかしずっと話を聞くだけだったハクハクハクが拳を握りずい、と身を乗り出してロロの前に出る。
「わ、私も、瑞葉ちゃんに、その、賛成」
「……ほんとかよぉ」
まだ不満と不安が入り混じった様子ではあったが二人の様子に押され、結局ロロはその提案を受け入れることとなる。
三人が昼食を終えて部屋に戻ると瑞葉が一人いそいそとリュックに荷を詰めて何やら準備をし始める。
「どこか行くのか?」
「私ちょっと行きたいところあるから」
「どこ行くんだ?」
ロロはそう言いながらついて行こうと自分のリュックを手に取る。しかし瑞葉はそれを制するように掌を前に出す。
「一人で行くから、ついて来ない!」
語気を荒げる瑞葉に目を丸くするロロ。ついでとばかりに驚くびくつくハクハクハク。
「……まあいいけどさ」
そんなやり取りを済ませ瑞葉が出て行くのを二人が見送った。
「どこ行くんだろうな。あんな準備してたから村の外かな」
村の中を歩き回るだけならリュックなど必要ない。彼女は小さな肩掛け鞄を持っておりそれで充分事足りるだろう。また入れた荷物も水筒や雨具など村の中で必要とは思えないものばかりだ。
「ハクハクハクはどこ行くんだと思う?」
「え、えっと……」
ハクハクハクは実のところどこに行くのか想像がついていた。昨夜、瑞葉と二人きりの時にした会話のことを考えると行く場所など一つしかないとさえ思えた。先の準備はおそらく向かう場所を察されない為の偽装なのだ。わざわざこれ見よがしにやる理由などそれぐらいしかない。
「わかんない、かな」
そこまで考えがまとまっているからこそハクハクハクはそう言った。友人が知られたくないと思っていることをわざわざ知らせる必要はないだろう。
「そっか、まあそうだよな」
ロロが納得したように頷くのを見てハクハクハクは胸を撫で下ろす。
部屋にロロとハクハクハクの二人というのは実のところ珍しい組み合わせだ。元々の部屋割りは瑞葉とハクハクハクが同室、ロロと牛鬼が同室、安川が個室という風になっておりこの二人が一緒になることは無い。とはいえ頻繁に互いの部屋を行き来していたのだがその場合は瑞葉も必ずいたので常に三人だったのだ。ハクハクハクは珍しい状況に少しだけ緊張してロロを見つめている。
「そういやさ」
「んみっ!」
奇妙な声を上げるハクハクハクにロロは驚き心配したような目で見た。
「ん、あ、ごめん、だ、大丈夫」
「ああ、急に変な声出すからびっくりしたぜ。でさ、安川さん捕獲作戦の時にさ、ハクハクハクがこう、後押しするみたいにずいっ、と来たじゃん」
ハクハクハクは一瞬何の話か分からず困惑したが、すぐに朝にあった安川をどうやって祭りに引っ張り出すか話し合った時のことだと勘付く。
「えっと、ず、ずいっ、って言うのは?」
「ほら、瑞葉があの提案した時にさ、こう、私も賛成、って言ってたじゃん」
「ん、言った」
確かに彼女は朝にそう言った。それをこの機に蒸し返すのはどうしてだろうかと単純な疑問がハクハクハクの頭を過る。そして彼女は朝にこの提案をされたロロが不安そうにしていたのを思い出した。
「……も、もしかして、その、め、迷惑だった? ご、ごめんなさ、い」
そうに違いないと決め付け交じりに謝罪の言葉を口にする。
「いや、違う違う。違うって」
しかしロロはあっさり否定し彼女の考えを一蹴する。
「結構ほら、ハクハクハクってどんな風に考えてるか言ってくれないじゃん。それが今日は言ってくれただろ? あれが嬉しくてさあ。そういうの言ってくれるぐらい仲良くなれたんだと思ってさあ」
ロロはそう言って無邪気に笑いかける。
三人が出会ってからまだ二か月も経っていない。色々な話をして来たつもりだったが、実際はその大部分が冒険者という仕事に関わるような話だ。ハクハクハクはロロが瑞葉と幼馴染で、親と農場に住んでいて、親の手伝いをすることがあると言うことを知っている。その他にも毛獣の肉が好きで、酸っぱいものが苦手で、あとかっこいい冒険者に憧れていることも知っている。ただそれらは表面的な知識として知っているだけだ。
ハクハクハクは彼が自分と仲良くなれたら嬉しいと思っていることを知らなかった。
「う、あう……」
思わず顔を背ける。少し熱いな、と彼女は思った。
瑞葉は一人村の中を行く。背にリュックを背負った姿はこの場にそぐわないもので、その上無駄に重たく若干の後悔を抱えていたがそれも致し方ないと彼女は自分を慰める。本来ならば荷物など必要なく手に一枚の小さな紙だけを持って行けば良かったがそれを彼女自身が許さなかったのだ。
「もし見られたら恥ずかしすぎる……」
幸いにも周囲に人気は無く、そんな独り言を呟きながら若干早足で歩き続ける。向かう先には中央広場があった。
昼間の中央広場は何やら大勢の人が時に大荷物を抱えて出入りしており、どうやら今夜の準備をしているようだ。瑞葉は目的を果たせるかどうか少々心配になりながら様子を覗うと祭りの運営らしき男が声をかける。
「どうかしたかな? 今は準備で忙しいからここは立ち入り禁止なんだけど」
「あ、えっと」
彼女は少し気恥ずかしそうにもじもじしながらポケットに忍ばせていた一枚の紙、短冊を取り出す。
「か、飾りたいと思って」
それを見た運営の彼は一瞬ぽかん、とした顔をしたがすぐに笑顔になった。
「ははは、なるほどね。声をかけてよかったよ」
「え?」
彼は中央広場の正に中央に位置する巨大な笹を指差す。
「実はあの笹に短冊を吊るすのは僕の仕事なんだ」
人が飛ぶ光景を実際に見るとなんだか現実味が無くて不思議だった、というのが下から短冊を吊るす様子を見た瑞葉の感想だ。そのまま重力を無視するように地面に降りて来ると男は瑞葉に向けて親指を立てる。
「確かに君の短冊は吊るしたよ」
「ありがとうございます」
礼を言ったところでふと、瑞葉は一つ疑問を覚えた。
「あの……、何が書いてあったか見ました?」
「吊るす時にどうしても目に入ってしまう部分はあるね」
どうやらそう言ったことを聞かれるのは珍しいことでもないのだろう、男の受け答えは流暢で迷いがなかった。故に少し気恥ずかしそうに首元をさする瑞葉を見て耳元で小声で囁く。
「あれはお友達の名前かな?」
「っ、……まあ、そんなところです」
「そうかそうか。まあ安心しなよ。僕は長年この仕事をやってるんだ。村長は厳しいから人の願いについて口外するようなやつなら今頃村から放り出されてるさ。それと、君の願いはきっと叶うよ」
「……その根拠は?」
「そんなの求めるなんて可愛げがないなあ」
「すみませんね」
少しむくれて言う瑞葉を宥めると男は咳ばらいをして言う。
「君がこうして願いを込めて短冊を吊るしに来たのは、別に神頼み星頼みするだけの為じゃないでしょ?」
「本当にそう思います?」
「僕が受け取った短冊の数がどのぐらいかわかる?」
瑞葉は上を、笹を見上げる。そこには既に笹の葉さえ見えなくなりそうなほど無数の短冊が見える。ここにあるだけでもどのぐらいか見当がつかないのに彼は先に長年ここで短冊を吊るしているのだと言った。
「君はきっと自分の願いを叶える為に一歩を踏み出せるよ」
本当にそうだろうか、瑞葉はそう自分に問いかける。彼女は自身が卑屈で気弱で優柔不断なやつだと感じている。それを表には出さぬように気を張ってこそいるが、いつだって一歩を踏み出すのが恐ろしいのだ。ここに一人で来たのはロロやハクハクハクに短冊の内容を見られたらと思うと恥ずかしいから、というのを隠れ蓑に単にもし何も為せなかったとしても誰も知らないからと自分に言い訳する為ではないか、彼女はここに来て初めてそう思う。
ただ、彼女は目の前の男の顔を見た。名前も知らない、今後会うかどうかもわからない、たまたま出会った見ず知らずの人間だ。ただし、そんな関係性の相手の背を押してくれる程度には優しい。
「……ありがとうございます」
瑞葉は深く礼をすると踵を返して歩き出す。その足取りは早いが今度は気恥ずかしさからではない。押された背の分だけは早く彼女はその足を踏み出す。
巡回、ロロと安川、瑞葉とハクハクハクに分かれていつものルートを歩き出す。そしてそれは滞りなく終わった。安川が言ったように既に周辺には獣や魔物の気配は無い。単なる夜の山歩きと変わらないだろう。多少の危険は伴うが道順を守り最低限の注意を怠らなければ森を抜ける夜風の涼しさが気持ちよく感じられる。
そして休憩時間。村へ戻ると安川がいつものように宿へと戻ろうとする。
「あ、安川さん」
それをロロが腕を掴んで制した。
「O・デイ見に行こうぜ!」
「お、おい」
そのまま安川を引き連れて中央広場の方へ歩いて行く。瑞葉の提案、安川と祭りを楽しむ為の秘策とは休憩時間が始まったら強引に引っ張って会場へ向かうというただそれだけのことだった。ロロは当然すぐに振り払われて終わると思っていたのだが。
「あのなあ……」
不満げにそう呟くだけで素直に引っ張られるがままだ。ちらりと安川の表情を覗くと仕方ないというような表情をしていたが、時折ふと笑みが零れる。ロロにその心の内は想像もつかなかったが、零れる笑みを見た時に後で二人に感謝しとかないとなと思うのだった。
道中、焼きそばを買いながらいつの間にか中央広場の特設舞台の前に辿り着く。
「もう人でいっぱいだな」
周辺は既に大勢の人が殺到している。数日前の力自慢大会の時のように運営が臨時の席へと案内している。しかしそれでもまだ多くの人が周辺にたむろしており、今日の注目度の高さが窺える。
「座れるかなあ」
「どうだかな。俺は焼きそばを食ってるから頑張って席探してくれ」
心配するロロを余所に安川は近くに腰を下ろして焼きそばを食べ始める。ロロはそれを見ながら何か食べているところを初めて見たかもしれないと思う。
しばらくして瑞葉とハクハクハクがやってきたが残念ながら席は見つかっていなかった。それもロロたちだけではなく他にも大勢の人が席を取れなかったようで、周辺にはあぶれた人たちが口々に何か言っていて騒がしい。
「凄い人の数ですね」
周囲の様子を見て瑞葉が困惑したように言う。
「O・デイだけ見に来た奴らも大勢いるんだろ。ったく、迷惑な連中だ」
安川が周りの人々を忌々し気に見つめながらそう吐き捨てた。
「別に迷惑ってことは無いだろ。俺だってO・デイはちょっと見てみたいし好きな人だったら来るのはわかるぜ」
「……まあ、そうだな」
ロロが宥めると安川は自分でも少し言い過ぎだったと思ったのだろう反省したように大人しくなった。その様子を眺めていた瑞葉は少し違和感を覚える。安川は冒険者の仕事に関わる部分には結構口出ししていたがそれ以外に関してはあまり口を開くことは無かった。それなのに今回は自分から周囲に辛辣に当たるような意見を発したのが気にかかったのだ。
「……もしかして、安川さんO・デイのこと好きなんですか?」
安川は無言で目を逸らす。それはほとんど答えているのと同じだ。
「えぇー、意外ですね。もっとかっこいい感じの……、狩り桜とかが好きそうだと思ってました」
O・デイは可愛らしい声が人気で明るく楽し気な曲を多く発表している。各地を精力的に回り持ち前の明るさで大勢の人を元気づけてきたアイドル的な存在だ。狩り桜のようなロックバンドとは雰囲気が真逆とも言える。
「……俺は宿に戻る」
「あ、待って待って、冗談ですって」
「そうそう、もうすぐ始まるぜ。ここでも声ぐらいは聞こえるんじゃないか?」
揶揄われて恥ずかしくなったのか安川が宿へ戻ろうとするのを瑞葉とロロが必死で止める。安川も冗談だったようですぐに止まって再び地面に腰を下ろす。
「しかし遅いな、そろそろ始まる頃だろう」
「そうだっけ?」
「な、なんか、走り回ってる? よ」
ハクハクハクが指差した先には運営らしき人が三人ほど走って行く姿が見える。焦ったように走りゆく姿を見て一行は顔を見合わせるとその後を追った。
しばらくして辿り着いたのは村の倉庫だった。そこには現在祭りの備品が多く詰め込まれている。その中に入っていく運営の三人。ロロたちはしばらく外から様子を覗っていたが、やがて三人が曇った表情だけを携えて出て来る。それを見てロロが駆け寄っていく。
「こんにちは、何かあったの……。何かあったんですか? 困ってるみたいだ……、ですけど」
急に現れた子供に三人は困惑した様子で、何と答えるべきか迷っているようだった。それで後ろから見ていた安川たちも間に入っていく。
「あー、俺たちは警備の仕事で来ている志吹の宿の冒険者だ。あんたらが焦ってる風に走ってったのが見えたもんだから気になってな。もし荒事や人手が必要な困り事なら力になれると思うが」
そう言いながら安川は冒険者バッジを見せる。それを見て三人は納得したように頷くと事情を説明し始める。
「申し出はとてもありがたいですがそう言った話ではないんですよ。実は観光客の方が想定よりもかなり多く来ていまして。会場の方は見ましたか? 大勢外に溢れていたと思います」
「そうだな。俺たちも中には入れそうにないと思って外で待っていたところだ」
「それを見てO・デイさんが外にいる方にもせめて歌を聞いてほしいと、外にスピーカーを増設することを提案されまして」
それを聞いてロロが瑞葉に小声で尋ねる。
「スピーカーって音が大きくなるやつだっけ」
「そんな感じだったと思う」
安川はそれを聞きながら訝しむように三人を見る。
「……あんまり数が無いんじゃないか? あれは結構値が張る。それに運ぶのも一苦労だ、いくらO・デイと言えどそうそう持ってこれないだろう」
「その通りです。村にあった古いものとO・デイさんがお持ちになった分は既に舞台に設置してあるんですよ。ここには念の為に確認に来たんです。なにせO・デイさんの頼みですから。後から実はありました、じゃ申し訳が立ちません」
しかし三人が手ぶらで出てきたということは残念ながらと言うべきかやはりと言うべきかスピーカーは無いと言うことだ。事情を把握した一行は手伝えることは無さそうだと諦めて会場へ戻ろうとする。その時、瑞葉はじっとハクハクハクの様子を見ていた。話を聞いている際に何も言おうとしなかったが時折安川の方に視線を向けていたのが妙に気になった。
「ハク、何かあった?」
「え?」
周囲の視線がハクハクハクに集まる。彼女にとって視線が集まると言うのは恐怖を覚えるものだ。丙族が注目される時はいつも謗りや罵りが付いて回るのだ。今はそんな場面でないとわかっていても緊張でのどが渇き、震えが出そうになる。
「大丈夫だよ」
瑞葉がその手を握る。
「思い付いたことがあるなら言ってみて。的外れでも元々どうにもならなそうなことなんだから誰も気にしないよ」
彼女はそう言った理由でで悩んでたわけじゃなかった、しかしその手を握り返すと不思議と少し落ち着くように思えた。
「あ、えっと……。スピーカー、その、音が大きくなればいいなら、できるかな、って」
ハクハクハクの視線は安川に向いている。
「あぁ、確かに」
瑞葉がその意味に気付いて声を上げる。安川も向けられた視線の意味を理解し頭を抱えている。ロロや運営の三人はまだわかっていない。
「……いやいや、無茶を言うなよ」
「でもスピーカーみたいなことしてましたよね」
瑞葉は昨夜のこと、牙獣に襲われた際に安川が棍で木を叩き大きな音を出したのを思い出している。その音は明らかに普通に出る音ではなく、十中八九安川の魔法によるものだ。であればそれと同じように歌声もより遠くへ届くようにできるのではないか、と。
「そうなんですか?」
運営の三人が期待に満ちた目で安川を見る。しかし彼は目を逸らし歯切れ悪い様子だ。
「……いや、確かに俺は音の魔法が使える、使えるが……。そもそも長時間使ったことは無いし、普段も一瞬大きな音を出す程度しか……」
その言葉は自信の無さの表れだ。彼は確かに音を大きくすることが出来る。しかしこれまでにやったことがあるのは精々短い単語程度の長さの音を大きくした程度だ。歌を一曲丸々などやったことは無いし、それができると彼自身が思えないのだ。
「そうですか……。残念です」
諦めたように運営の三人は頭を下げる。本人が望んでいる風でもなく、自信も無いのであれば交渉する意味もない。今度こそ話は終わりと思えたが。
「やってみればいいじゃん」
ロロの声が響く。
「今ここでさ。試してみようぜ」
その言葉は気楽で、気軽で、無責任にさえ思える。しかし安川は知っていた、彼は決して無責任な言葉を投げたわけではない。ロロは単に前を向いているだけだ。
「それで駄目そうなら諦めて、できそうならやってみればいいじゃん」
これだって言葉通りの意味でしかない。言葉の裏なんてこいつ相手に探っても意味がないんだ、そう思って安川はロロと正面から向き合う。
「……上手くできたら、凄いことだな?」
「もちろん、すごいだろ?」
安川は過去の自分ならこんな言葉一蹴してただろうと自嘲するように笑う。今は少しだけロロの気持ちが理解できたような気がしていた。
「試してみるか」
安川はそう言って倉庫の方へ向かうとその戸を一定のリズムで叩き始めた。周囲の者に聞こえるかどうかの小さな音が鳴る。安川の手は一定の間隔、一定の強さで戸を叩き続ける。
トン、トン、トン、トン、トン。
十数回叩いた頃、周囲の者は異変に気付く。明らかに音が大きくなっている。見たところ安川の手は相変わらず一定の強さで戸を叩き続けているのに、だ。
「これは……」
運営の一人が口を押えて驚きを顕わにしている。音は更に大きくなり、戸を叩いた直後の音だけでなく次に叩くまで余韻のように響く音までが周囲に聞こえ出した。
「……凄い」
唖然としてそんな呟きが漏れ出た頃、徐々に音が小さくなっていく。その音が初めの頃と変わらなく
なった時に、安川は戸を叩くのをやめた。汗を拭い大きく息を吐く彼に拍手の音が向けられる。
「凄いじゃないですか! こんな魔法があるなんて」
「ぜひ一緒に来ていただけませんか!? もちろんお礼は致します!」
鼻息荒く勧誘する彼らに向けられた安川の表情からは疲れが窺える。
「……一応言っておくが今のが実際どの程度の範囲まで聞かせられるかはわからんぞ。それにどのぐらいの時間できるかも俺にもわからん」
今実際に試した感覚としておそらくそう長い時間はできないと感じたのだろう。予防線のような言葉が出て来る。
「問題ありませんよ。我々としては十分と判断してます」
「そうですよ、やれるだけやってみましょう!」
「とりあえず向こうでO・デイさんも交えて話して細かい部分は決めればいいんです!」
そんな風に三人に押しに押されて安川はとうとう彼らの頼みを了承した。それが決まると善は急げだと三人が走り出す。安川もそれに続いて走り出したが、一度止まってロロの方を見た。少しの間どんな表情をすべきか迷っていたようだが、やがてふっ、と笑って。
「行って来る」
それだけ言うとまた走り出した。
「頑張って!」
その声が発せられた時には既に安川の姿は見えなかった。しかし彼がその声を聞き逃すはずはないと三人は知っている。
「俺たちも行こうぜ」
「そうね。どうやら席を探す必要はなくなったみたいだし。ハクと安川さんのおかげね」
「え、あ、わ、私は」
「謙遜するなよー、ハクハクハクが言ってくれなかったら俺たち誰も気付かなかったんだからさ」
「……う、うん。えっと……」
ハクハクハクは頬を赤く染めて無言で歩き出す。ロロと瑞葉もその後をついて歩き出す。
中央広場周辺では大勢の人がいる。しかし彼らの誰もが声を潜めてじっとしている。遠くから声が聞こえる。その声は段々と大きくなっていく。
「あ、あー。……たぶんこの音量ならいけるかな?」
一瞬周囲がざわめくがすぐに静寂に戻る。そしてその静寂を一人の歌手の声が切り裂く。
「会場の外のみんなー! 聞こえるかなー?」
「うおおおおおおおおぉ!」
「O・デイちゃあぁぁん!」
O・デイの声に応えるように皆が声を張り上げる。
「O・デーイさーん!」
「聞こえるぞー!」
「お、おおぉぉ」
ロロ、瑞葉、ハクハクハクもそれぞれ声を上げる。
「今日は私の為に集まってくれてありがとー! 素敵な仲間のおかげで会場に入れなかったみんなにも声を届けることが出来て私も幸せだよ! ただあまり長く届けることが出来ないかもしれないんだ。だから早速歌わせてもらうね! 最初の曲はもちろん私のデビュー曲、『星を照らすO・デイ』!」
音楽が鳴り始める。それと共に始まるO・デイコール。会場の中も外も凄まじい盛り上がりだ。
「安川さん、頑張ってるんだろうな」
「きっとそうね」
「が、頑張れー」
外にまではっきりと音が聞こえたのはたったの三十分ほどだった。しかしその三十分の盛り上がりは筆舌に尽くしがたく、その時間には確かな価値があったと言えるだろう。
「O・デイちゃんの粋な計らいってやつだな」
彼女の歌が終わり会場を出た後にそんな風に語る人々が村には大勢いたという。酒を飲みながら夜を徹してO・デイについて語り合う者たちもいたとか。村を包む熱気は日を跨いでも衰えを見せなかったのだ。ただ、その裏で犠牲になった者の存在を彼らは知らない。
「……安川さん、大丈夫ですか?」
会場の裏手、本来は運営側の人間しか入れないそこにロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人がいる。そして彼らの目の前には床に突っ伏して倒れている安川の姿があった。
「……大丈夫、なら、こんな姿にはなってない」
「医者とか呼んだ方がいいのか?」
「いや……、そこまではいい。しばらく休めば、治る。……魔力の使い、過ぎで、体が疲弊してるだけだ」
安川はおよそ三十分に渡りスピーカーとしての役目を果たしたのだが、広範囲に聞こえるよう音量を調節、更にそれを長時間というのは想像以上に消耗が激しかったらしい。最後の十分ほどはほとんど意地で持ちこたえており、いつ音が途絶えてもおかしくなかったとは彼の談だ。
「凄かったですよ。外にいたんですけどO・デイさんの声が聞こえた時の盛り上がりと言ったらもう」
「みんなで声上げて楽しかったぜ」
ハクハクハクも大きく頷き二人に追随する。安川はその精魂尽き果てた顔を三人に向けると。
「それならいい」
微笑みを携えてそう呟いた。
翌朝、ロロはドアが叩かれる音で目覚める。瑞葉だろうかと思いながらドアに近付くと。
「おい! 早く開けろ!」
「安川さん?」
想像だにしていなかった客に驚きつつドアを開ける。すると安川は開いた瞬間にその隙間から中に入り、部屋全体を見て押し入れを開けて中に入った。
「え? 安川さん?」
「いいか、しばらく匿え。誰か来たら俺のことは見てないと言え」
「はあ?」
全く事情が呑み込めず困惑するロロの元に更なる来訪者を告げる音が響く。
「はーい」
ロロがドアを開けるとそこにあったのは見覚えのある顔。
「あ、昨日の」
「おはようございます」
丁寧にお辞儀をして挨拶するのは昨夜にスピーカーを探しに行っていた運営の内の二人だ。
「何かあったのか?」
祭りの運営がわざわざ冒険者を訪ねて来ると言うのは何か問題が起こったということだろうか、ロロはそんな想像をして緊張と共に尋ねた。しかし相手は手を振ってそれを否定する。
「いえいえ、問題は何も起こってませんよ。あなた方の尽力もあって万事順調です」
「それならいいんだけど。あ……、いいのですけど? えっと、どういったご用件でしょうか?」
「実は安川さんを探してるんですよ。先ほど部屋を訪ねたのですが留守だったもので、一緒に来られた志吹の宿の方ならどこにいるかご存じではないかとここに来たわけです」
ロロは思わず一瞬押し入れの方を見たのだが幸い相手はそれに気付かなかったようだ。安川に話が通されていないにも関わらずここに逃げて来たということは、おそらく外で彼らが話しているのを聞いたのだろう。安川ならその程度のことは容易にできる。
「え、っと。安川さん何か、えっと、やってしまったのですか?」
「ん、ああいえ。別に安川さんが問題を起こしたわけでもありません。……実は昨日の件でO・デイさんが彼のことをいたく気に入ったようでして」
「気に入って?」
「今後も時間がある時などにお願いできたら嬉しいと仰ってるんですよね」
「えぇー!」
思わず大声を上げるロロ。その反応に運営は納得するように頷く。
「そうなんですよ。凄いことですよこれは」
「だよな、すごい!」
「それでO・デイさんが一度話をしたいと仰られて、我々はとりあえず彼を探しに来たんですよ」
「話はよくわかった」
ロロはそう言うと押し入れの方に歩いて行き躊躇いなくそれを開けた。中にいた安川が眩しさに一瞬目を細め、それから呆けた様にロロを見上げる。
「行こうぜ、安川さん!」
「……おい、お前人の話聞いてたのか?」
しかし今更逃げ出すこともできず彼は運営に連れられてO・デイの下へ向かった。
「良いことをすると気持ちがいいな」
部屋に一人残ったロロはそう言って一人頷く。
「……ロロ、何かあったの? 安川さんが何か連れられて行ったけど」
先ほどの大声に反応してか廊下には瑞葉とハクハクハクがいた。心配と困惑が混じったような表情をしている。
「ああ、実はさ……」
その後、安川とO・デイの交渉がどうなったのかをロロたちは知らない。安川に尋ねても教えてくれなかったし、O・デイには会わせても貰えなかったからだ。しかし安川が戻って来た時、その表情は前までとどこか大きく違って見えた。
祭りの日々が過ぎて行く。日中は村の中や近くを散策し、夜になれば警備の仕事と祭りを楽しむ。そして最後の夜が過ぎると祭りも彼らの依頼も終わりだ。
「どうだったかな星見祭り星見祭りは」
一行が帰る前に村長がそう尋ねた。
「最高だったぜ! 星も綺麗だったし色々やってて楽しかった!」
「二週間もあるのに毎日楽しくて、また機を見て来ようと思います」
「と、とっても、良かった、です」
即座に三人が答える。村長は満足気に頷いて最後の一人を見る。視線を向けられた安川は目を閉じ考え込む素振りを見せたが、やがて口を開いた。
「……七夕なんて馬鹿みたいだと思ってたが、案外悪くなかった」
「タナバタ?」
「気にするな、行くぞ」
踵を返して歩き出す安川に村長が声をかける。
「来年も来年も祭りはある、また来てくれ」
安川が後ろ向きに手を振る。三人も村長に手を振ると安川を追って駆け出した。冒険者は帰途を行く。その歩みは行きしに比べ軽い。二週間という長いような短いような時間の中で彼らは少しだけ変わった、その現れだ。山道を上り下りを繰り返し繰り返し、やがては山を抜けるだろう。
「……ぜえ、はあ」
しかしそれより早く肩で息をする者あり。
「安川さん、この辺りで少し休みます?」
その姿を見て瑞葉がそう提案する。
「……そうさせてもらえると助かるな」
残念ながら肉体は心ほど急激には変われない。冒険者たちが志吹の宿へ帰還するまではもう少しかかりそうだ。




