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14.冒険者の戦いと恐怖

 山河カンショウの国、ササハ村近くの街道。獅子馬が牽く荷馬車の中にロロ、瑞葉、ハクハクハク、そしてディオンの四人の冒険者がいる。彼らはこの付近で目撃されているトウボクサイを討伐する為にここまで来た。今はササハ村へ目撃情報などを集めに行くところだ。

「もうすぐササハ村だ。そこで先に言っておくことがある」

「何だ?」

「……ん」

 瑞葉は荷物を枕代わりにして横になっている。おそらく馬車の揺れで酔っているのだ。話は聞いているようだったのでディオンは構わず続ける。

「ハークハークが丙族であることはなるべく隠すよう行動しよう」

 ハクハクハクはその言葉に何も言わない。ただ少し悲しそうに目を伏せただけだ。

「ササハ村ってさ、その、丙族駄目なのか?」

 曖昧な質問だったが意図は通じている。

「そうだな……。別にあそこは特別ひどいということはないがあまり好意的ではない。不用意に人目に晒す必要はないだろう」

「そっか、わかった」

 ハクハクハクは黙って袖の長い外套を羽織りバンダナを巻いて更にフードを深くかぶった。丙族の特徴たる額の丙の字、胸元の文様、手首の石は上手く隠されている。冒険者には様々な格好の者がいる為ぱっ、と見ただけで彼女を丙族と確信できる者はいないだろう。

「おーい、村が見えたぞ!」

 御者の声に前方を覗くと確かに人の背より高い竹の柵とその向こうに人家が幾つか見える。馬車はそこへ向かってひた走り一分もすれば竹で作られた門の前だ。

「すげー、これってそこらの竹で作ったのかな」

「うむ、前に話を聞いたことがある。三年に一度は新しいものに取り換えるのだそうだ」

 門の前で馬車が止まる。御者の男が門の前に垂れ下がっている紐を揺らすと鐘ががらんがらん、と音を立てた。しばらくすると門の横に小さな戸があったようでそこから村人らしき人が出てきた。

「イチジさんかあ。すぐに門を開けるでよ」

「今日は冒険者の方も一緒だ。トウボクサイの討伐に来てくれたんだと」

「本当かい? 助かるねえ、宿に依頼を出してはいたけどもう来てくれたかい」

 その話を聞いていたディオンが手で外に出ようと合図する。それに従って彼らは外に出て村人の方へ向かった。

「やあやあ、トウボクサイの討伐依頼を請け負った冒険者のディオンと申します」

「ロロです!」

「私は瑞葉と言います。こっちはハクです」

「こ、こんにちわ」

 挨拶する皆を見て村人はおお、と感嘆している。

「おお、こんなに来てくださるとはありがたいなあ。すぐに討伐へ向かわれるので?」

「うむ、依頼主である村長と少し話をしてそれから目撃情報を集める予定である。それが済み次第すぐさま討伐へ向かうつもりだ。よろしければ村長の所へ案内してもらえると助かるのだが……」

「わかりました。早速行きましょうか」

 御者のイチジと別れて一行は村長の元へ。

「ようこそ冒険者の方々よ。もちろん協力は惜しみませんぞ」

「ありがとうございます。まずは依頼内容の確認からお願いします。えっと、近隣に目撃情報のあるトウボクサイの討伐ですよね」

「ええ、ええ。可能であれば討伐の際に一つで良いので角でも持ち帰っていただければ助かるのですが」

「角?」

「確かに討伐されたという証拠になりますからな。それを見れば村人たちも安心しますで」

「成程……、わかりました」

 その他にも幾つかの確認を済ませると目撃情報について調べることとなる。村長の指示で数人の目撃者が集められ話を聞くことに。幸い村人たちは協力的で目撃情報は難なく集まり、村長の家にあった近隣の地図におおよそ書き留められていく。

「今は誰も被害にはあってないけどよお。あの辺は竹細工の材料もあるし、最近目撃されたところなんてこの辺じゃ貴重な食料の木の実があるところの近くなんだ。早いところ討伐してもらえると助かるぜ」

「全くだ、おかげで食料を採りにも行けない。今は村の備蓄で何とかなってるがこの先はどうなるかわからなかったんだ」

「三等星の冒険者が来てくれたんならこっちも大船に乗った気分でいられるぜ。終わったらうちに来てくれよ。祝い事用に取っておいた貪蛇の干し肉があるんだ。鍋にでもして一緒に食べようぜ」

 村人たちは冒険者が来てくれたことに沸き立ち既に脅威が去ったかのような振る舞いだ。それも当然の反応だろう。トウボクサイは危険な魔物だ。巨大な体躯とその頭部から生えた巨大な角は見る者を震えさせ、その突進を喰らえば死ぬことだってあり得る。しかし冒険者にとってみれば然程恐れる相手ではない。その理由は単純でトウボクサイは突進以外には何もしてこないからだ。それが故に四等星になるには最低限トウボクサイを一人で倒せるようにならないと、と考えている者も多いらしい。三等星ともなれば囲まれようと返り討ちにできるだろう。

「まあ見てな。今夜のメニューにトウボクサイの丸焼きも追加してやるぜ」

「でかいこと言うねえ。応援してるぞ」

「うむ、では行くぞ」

 ディオンの号令で彼らは村長の家から外へ出る。家の前には中の話に聞き耳を立てていたらしい人たちが数名。ディオンやロロは彼らに手を振って進み、瑞葉とハクハクハクはその後ろをついて行く。その中で不意に村人の一人が彼らの前に飛び出してきた。

「丙族よ!」

 ビクッ、とハクハクハクが肩を震わす。彼女の心臓が跳ねるように鳴っている。瑞葉はそっとハクハクハクの傍に寄り添い、前にいる二人も何かあればすぐ動けるようにと体勢を整える。しかし目の前に出てきた村人は彼らの想像とは違うことを叫んだ。

「丙族がトウボクサイを連れてきたのよ! 私見たの! あの竹林で妙なものを書いてる丙族がいたのよ!」

「おい、落ち着けって!」

 別の村人が彼女を抑える。しかし猶も彼女は叫び続けた。力の限り、喉から血が出んばかりに、丙族が、丙族がやったのだ、そう叫び続ける。

「すまないね。あの子はちょっと精神的に不安定でねえ。ほら、魔王との戦争の時に息子さんを亡くされてねえ」

「うーむ、丙族を見たと言っていたようだな」

「そうらしいのよ。あの子が一人で竹林に行った時のことでね、その後に男衆が見に行ったんだけどそれらしい人も書いてた妙なものもなかったのよ。ただねえ、その後からトウボクサイが現れたもんだからずっとあんな風にね言ってるのよ」

「そうなのか」

「まあ丙族を憎む気持ちはわかるけど、あの子の場合は度が過ぎて幻覚でも見たんじゃないかってもっぱらの噂よ。魔物さえいなくなればあの子も少しは落ち着くんじゃないかしら」

 その発言にハクハクハクは思わずフードをより深く被り直した。心臓は早鐘を打つし冷や汗が出るのも感じている。この村は丙族にとってあまり居心地がいいとは言えない場所のようだ。


 村人の見送りと共に一行は門を出る。地図を手にとりあえずトウボクサイの目撃情報があった場所へ向かい始める。

「……も、もう見えないかな」

 門を出て数分、ハクハクハクが小さな声で呟く。瑞葉が来た道を振り返るとササハ村の門は既に遠く、誰かいたとしてもこちらの姿など朧気にしか見えないだろう。

「……大丈夫、だよ、ハク。……見えてないよ」

 いざとなったら力になる、なんて言えたらよかったのにと瑞葉の中に慚愧や後悔の念が過る。

「そうだよね、ありがとう」

 瑞葉にはハクハクハクが言う大した意味のないありがとう、そんな感謝の言葉でさえ皮肉に感じられていた。さっきの村人のように丙族に対して憎しみを持っているわけではなくとも、それに対して諫めようともしない自分は果たして彼女の隣にいてもいいのだろうか。そんな疑問がふつふつと湧いてくるのだ。ハクハクハクはバンダナを外して額にある丙の字の痣が見えるようになっている。私は本当に彼女の仲間になれるのだろうか、つまらない自問をいつまで続けるのだろう。

 しばらく進み竹が倒されている地点を発見する。

「ふーむ、これを見よ。倒されてすぐではない、最低でも数日は経っているな」

 倒れた竹の上に地面から伸びた草が出てきている。この辺りは目撃情報が出始めた頃に数人が見かけている場所だ。

「では当初の予定通りに頼もうか、ハークハークよ」

「は、はい」

 ハクハクハクは目を閉じて意識を集中し始める。彼女の膨大な魔力は彼女を中心とした球状に広がっていく。途中で触れた物質や生物は魔力で覆うことでその姿形を遠くにいながらはっきりと感じることができる。

「ふむ、どうだね。この辺りには魔物らしい生き物はいないだろう」

「……そう、みたい、です。その、私がわかる範囲では、見つからなくて……。もっと、もっと遠くまでやりましょうか?」

「その必要はない。元々この辺りにいるとは思っていないからな」

 ディオンはそう言って地図を取り出すと現在地を指さした。

「今がここだな。君たちはトウボクサイがどこにいると思う」

「えー、そうだなあ。この辺とか?」

「ん、んー。わから、ないです」

 ロロとハクハクハクは早々に考えるのを諦めて適当に指をさす。対して瑞葉はまだ諦めていない。この場所の状態、村人の目撃情報、トウボクサイの習性を思い出し何かしら絞る方法はないかと考える。

「一番近くの目撃情報は地図上だとここですね」

 地図を指さしながら瑞葉が言う。

「うむ、そうだな」

 ディオンがそれに頷くと再び彼女は考え込む。目撃情報の点と点を繋げば行動範囲は絞れる。それを元に考えてはみるものの。

「……とりあえずこっちの方に行ってみませんか?」

 やがて断定するには情報が足りないと感じて次なる場所への移動を提案する。異論を出す者はなく、一行は再び歩き出す。

 竹が多く茂ったこの場所は普通の木々が生い茂る場所に比べると歩きやすいと瑞葉は思う。密集していれば邪魔だが、竹自体は真っ直ぐに伸びている為に避けやすい。そうしていくつもの竹を避けている内にふと彼女は思った。

「竹って樹液が出るんですか?」

 トウボクサイは樹液を体に塗りたくりそれを硬化させることで鎧とする習性がある。しかし目の前に多く茂る竹はそれに適しているのだろうか、そんな疑問が彼女の中に生まれたのだ。

「竹の樹液か、甘いのかな。ちょっと削ればいいのか?」

 ロロが剣を抜いて竹の表皮を慎重に削る。しかしそれらしい液体は出てこないようだ。

「ふむ、雨期には出るらしいがここの所は雨が降っておらぬからな。樹液もあまり出ないのだろう」

「そっかー、ちょっと味見したかったんだけどな」

「……そうか、だったら」

 瑞葉は今のことから何やら気付いたらしい。周囲を何度か見て、地図を見て、再び周囲を見る。

「こっちの奥が木の実が取れるところか……」

「ズーハ、とりあえず進むぞ。考えるのはもう一か所を見てからでも遅くはないだろう」

「あ、そうですね。わかりました」

 移動して先ほどとは別の目撃情報があった地点。竹が倒されているのは先ほどと同じのようだ。軽く辺りを調べ始める。

「うむ、どうやらここも数日は前だろう。先の場所とどちらが先にやられたかはわからないな」

 残念がるロロとハクハクハク。その一方で瑞葉は倒された竹よりも周囲の環境が気になっているようだ。そして竹以外の木に注意を払って見ている。

「あった!」

 そして何かに気付き走り出す。竹の中に生えた一本の楢の木。その表皮は傷が付いておりそれを溢れ出た樹液が塞いでいる。

「これってトウボクサイがやったのか?」

「多分ね。竹からは今樹液が出ないんでしょ? だったら樹液の鎧を作る為に他の木を探してるはず。だからトウボクサイは段々と竹林から他の木が多い方へと移動してるに違いないわ」

「えーっと……。なるほど!」

 本当にわかってる? 瑞葉は口に出かかったその言葉を何とか飲み込み続きを話す。

「それで目撃情報とその仮定を突き合わせて考えると、ここ」

 瑞葉が指さしたのは地図上で村人が木の実をよく取りに行くという一帯。

「この辺りは木の実が取れるらしいから竹よりもそれらの木が多いはず。最近目撃されたのもその辺りだって言ってたし」

「ふむ、トウボクサイは木の実を食べることもある。餌場にしている可能性も考えれば行かない手はないだろう」

「そうと決まれば行くぜ!」

「お、おー……」

 向かうは木の実の群生地。ロロを先頭に四人は竹林を足早に進む。そして先へ進むごとに徐々に周りの景色が変わっていくのを感じていた。。

「段々竹の数が減っている気がします」

「そのようだな。ふーむ、間を縫うように他の樹木も増えている」

 その樹木の中には当然樹液が多く出るものも含まれている。そしてそうなれば必然にあるものが発見されることとなる。

「……あ」

 進んでいる途中、思わずハクハクハクの口から小さな声が漏れる。

「ん、どうかしたか?」

 ロロはそれを聞き逃さなかったようで足を止めて振り返る。ハクハクハクの手は立派に育った楢の木に置かれている。そしてその手の少し下の辺り、そこは表皮が削られていた。

「さっき見たのと同じのがあるってことはここもトウボクサイが通ったってことだな」

「え、と、同じじゃない、と、思うよ」

「ん?」

 ロロは首を傾げて再び楢の傷跡を見る。表皮が削られ、そこを樹液が覆っている。ただし少し違う点がある。後ろからやってきた瑞葉が樹液に触れた。指で押すと少し形が変わる。

「さっきのより柔らかい。まだ完全には固まり切ってないみたいね」

「……あー、どういうことだっけ」

「さっきのより後にここに来たってこと。つまり道はあってるし、目的に近付いてるってことよ」

「……成程!」

 とは言うものの樹液の固まり具合からするとここに傷を付けてからは少し日が経っている。一度ハクハクハクに周囲を探ってもらったが、トウボクサイのような巨体の生き物は付近にいないらしい。一行は更に先へ進むこととなる。

「我々はどうやら魔物の元へと確実に近付きつつあるらしい。うむ、ここからは警戒をより密にする必要があるだろうな」

「何か方法があるんですか?」

「とうとう彼の出番というわけだ」

 ディオンが背負っていた機械馬を下ろす。地面に四つ足で立たされたそれにディオンが跨ると、突然命を得たかのように足を力強く伸ばして立ち上がる。

「……こんなところで馬に乗るの危なくないですか?」

「問題ない! たとえ枝葉が私に襲い来るとしてもこの鎧を超えることはかなわず、だ! そして高さを得た私の視界はより広く開けて遠くから突進してくるトウボクサイを発見することも容易いということだな」

「おお、すげえ! 確かに高いと見えやすいよな」

 ロロは素直に感心したようにディオンを見上げ、ハクハクハクは少し首を傾げながらも拍手していた。瑞葉はそんな三人を遠い目で見つめ一緒に来る人を間違えたんだろうかと大きくため息をついていた。

 森の中で足音に混じり機械馬の駆動音が鳴る。ディオンの跨る機械馬にとって多少の悪路は問題にもならず、多少の段差や柔らかい地面、倒れた大量の竹も気にせず進む。歩きづらい藪などはロロたち皆をその背に乗せて突っ切ったりもしていた。

「ふむ、だいぶ近付いたようだな」

 ある地点で見つけた木は表皮が削られて出た樹液がまだ固まっておらず虫たちが集まってきていた。

「しかし虫が集まっているということは傷を付けてすぐというわけでもなさそうだ」

「……この付近はまだ目撃情報が無い場所ですね」

 ここは既に村人が木の実を採集する地点に程近い。そこまで五分も歩けばといったところだろう。この辺りはトウボクサイの目撃情報が出て以降あまり人が立ち入ってないようだ。

「ハク、一度周囲を調べてもらっていい?」

 ハクハクハクはこくり、と頷いて意識を集中し始める。彼女を中心に魔力が広がり出す。魔力で覆われた木々の形、虫の形、地面の形が徐々にはっきりと輪郭を持って感じられていく。瑞葉はそれを見ながら自分の身体に妙な感覚を覚えていた。それが何なのかはまだわかっていないようだが。上から落ちる木の葉が地面に付く程度の時間が経ち、不意にハクハクハクが目を開く。

「いた……、かも」

 彼女はある方向を見つめる。その先には木の実の採集場がある。

「三頭、じっと、止まってる?」

「よし、急いで行くぜ!」

「あ、馬鹿! 一人で行くな!」

 ロロが我先にと走り出し瑞葉がその後を追う。ハクハクハクも当然その後を追おうとしたのだが、不意にディオンが立ち止まり別の方を向いているのに気付いた。

「あ、えっと、何か、ありました?」

 ディオンは何も言わない。機械馬の上の彼はじっとどこかを見つめている。

「あ、あの……」

 おろおろとどうしていいかわからず狼狽えるハクハクハク。もしかして声が聞こえてないのか、何か自分には見えてないものが見えているのか、まさか無視でもされているのかと悪い考えが段々と過熱していく。俯き意味のない内省をし始めるハクハクハク、の横で。

 ダ、ダン!

「ひっ」

 不意に機械馬がその場で強く足踏みをした。思わずハクハクハクは悲鳴を上げる。

「む……、む? ロロと瑞葉は?」

「あ、あの、向こう、に……」

 少しの沈黙の後、ディオンは自分が考え事を優先する余りに立ち止まったせいだと断定する。

「ふーむ。ハークハーク、後ろに乗れ。二人に追い付かねば」

「え。あ」

 ディオンが差し出した手をハクハクハクが掴むと一気に引き上げられ彼の後ろに納まる。機械馬が動き出すとあっという間に景色は置き去りにされていく。ロロたちに追い付くのもあっという間だろう。振り落とされないように必死で背にしがみついていると、先ほどディオンが何をしていたのかなんて疑問はハクハクハクの中から消え去っていた。

 空はまだ明るく西からの日差しが眩しい。冒険者一行はショウリュウの都を出て二日と少しが経った今、ようやく依頼の討伐目標を発見する。

「トウボクサイだ」

 木の影より様子を伺う一行。ロロが顔を出して遠くにいるそれを見つめる。辛うじて動きがわかるほど離れたところで三頭のトウボクサイが地面に落ちた木の実を食べている。

「ここってもう木の実の採集場でしょうか?」

「うーむ、おそらくそうであろう。奥の方に見える木々も幹を見る限り同じものばかり。あれらが群生しているのが見て取れるな」

「だったらなるべく周りの木は傷付けない方がいいですね」

 瑞葉はそう言いながら完全に無傷で済ますのは運任せ以外にはないだろうと感じていた。

「突撃して俺が一刀で切り伏せる、って感じで行くか?」

「三頭いるのに?」

 三頭いる、ということがかなり厄介なのだ。一頭だけならロロの案を採用していただろう。全員である程度距離を詰めて瑞葉の魔法で気を引きロロが仕留める。あとの二人は何か問題が起こった時に備えておく。それだけでよかった。何せ同じ手で以前にもトウボクサイを仕留めた実績があるのだから。しかし今回は。

「一頭だけならそれで済むけど残りはどうするのよ」

「こう、ずばっ、と切って返す手で切れば」

「いけるの?」

「……いや、無理かな」

 ロロは以前にトウボクサイを切った時の感触を思い出す。表面の皮膚はかなり固く集中していなければ切ることが難しい。それを少なくとも連続で三回、それも一頭目を倒した隙に襲ってくるであろう二頭の対処をしつつというのは現実的ではない。

「できれば一頭ずつおびき寄せていきたいところだけど……、あの距離にいるんだから全員来るだろうし」

 三頭は傍まで近づこうとはしないが、一方で決して互いの視線から外れるようなところまでは行こうとしていないように見えた。

「……あの、たぶん、大丈夫じゃないかな」

 そんなトウボクサイの様子を見てハクハクハクが言った。

「どういうこと?」

 そんな瑞葉の問いにハクハクハクは自信なさげな調子で答え始める。

「えっと、あ、あの三頭は、あんまり近付こうとしてなくて、でもトウボクサイの群れは、食べ物を分け合ったりとかもするの。でも、その、違うから……」

「あの三頭は群れってわけじゃない、ってこと?」

 ハクハクハクが頷く。瑞葉は三頭のトウボクサイに目を向ける。互いに離れた位置で食事を続ける三頭。その体の大部分は樹液の鎧に覆われておらず表皮が見えている。彼女は襟元を摘み独り言のようにぶつぶつと喋りながら頭の中を整理し始める。

「群れじゃないならあの三頭があそこにいるのはこの辺りで一番の餌場があそこだから? お互いに心地よい距離を保っているんじゃなくて監視してる? 樹液の鎧がほとんどないのは監視されてそうする隙が無いから? あの場所を自分の縄張りにしようと目論んでいるのかも? それに――」

 長々と小声で呟いていくがやがてはそれも一段落を迎える。

「つまり?」

 それを待ってロロがそう尋ねた。瑞葉は言葉を選ぶようにじっと考え、それから発言する。

「……例えばあの中の一頭だけを攻撃すれば他の二頭から離れるかもしれない」

「何でだ?」

「縄張り争いをする間柄ならば敵に弱みは見せられまい、ということか」

 仮定が合っているとすれば傷を負ったことを知られればその一頭は他の二頭から攻撃され最初に蹴落とされるだろう。それを避けるにはその場から離れる他ない。冒険者一行が狙うのはその隙だ。

「じゃあ、えっと、とりあえず攻撃?」

「……いや、まずは音で気を引いて様子見の方がいいかな」

 瑞葉の立てた作戦はこうだ。まずあの三頭が群れでないことを確認する為にハクハクハクの魔法で大きな音を立てて気を引く。この際にもしも群れならば三頭は固まってその場を離れるか、或いは音のした方へ向かうだろう。しかしそうでないならば、いつ敵になるとも知れない者を引き連れて音の方へ向かいはしない。だからと言ってその場を逃げ出すような真似もし辛い。おそらく三頭は膠着状態に陥るはず。それを見届けてから作戦の第二段階、一頭だけをおびき寄せることになる。瑞葉の魔法で遠距離から攻撃を仕掛け、ロロが一瞬だけ姿を晒す。それに気付いて寄ってきてくれればそれでよし、近付いてこなかったり三頭で一斉に来た場合は作戦の立て直しだ。

「じゃあとりあえずハクには逆サイドに回ってもらおうかな」

「……ん」

 ハクハクハクの表情にははっきりと不安が現れていた。ここに来るまではずっと皆が一緒だった。しかしこの作戦の初めはそうもいかない。ハクハクハクと皆が同じ場所にいるのに魔法を使って三頭が一斉に突進などしてこようものなら作戦が崩壊する。彼女の役目はあくまで囮なのだから本隊とは離れていなければならない。

「いい? まず索敵して周囲の安全を確かめる。それでなるべく素早く、でも気付かれないよう慎重に移動してあそこ、一際高い木の所まで行くの。私たちはこの木の上から双眼鏡で見てるから、辿り着いたら確認、で合図ね。それで私たちが合図したら十五秒後にドカン」

「……ん」

「終わったらトウボクサイの動きを確認しつつ待機。そのまま作戦の第二段階に行けそうなら合図するからそれを見てもう一回ドカン、ね」

「ん、ドカン」

「その後は私たちも忙しくなると思うからある程度は臨機応変にやることになるかも。とりあえず退避の合図だけは絶対に覚えておいてね」

「……ん」

 ハクハクハクは緊張からか拳をぎゅっと強く握り、落ち着かないように視線を瑞葉の顔と自分の拳の間で行ったり来たりさせている。

「……行って来る」

「気を付けろよー」

 本当に大丈夫かと瑞葉が不安に思うのを余所にハクハクハクが出発した。ここから先はもうなるようにしかならない。

「ハク、大丈夫かな」

 そうは言っても不安が消えるわけではない。瑞葉は思わずそう口にしてしまう。それが同意を求めたものなのか、それとも大丈夫だと安心させてほしかったのかもわからぬまま漏れ出たのだ。彼女はこんなことを口にして何になるんだと自分を責める。

「馬鹿だなあ」

 その独り言を耳聡く拾ったのはロロだ。

「ハクハクハクを送り出したのは俺たちなんだから完璧にこなすって信じるしかないだろ? まあ見てろよ、しばらくしたらドカン、だぜ」

 この男の瞳には曇りなど無い。ハクハクハクは、そして自分たちも作戦を完遂すると信じて疑っていないのだ。瑞葉に言わせれば成功を盲信して次善の策を考えないのは単なる阿呆なのだが、一方でこういった単純さは時に周囲の不安を吹き飛ばす。瑞葉は開き直るなんて単なる考えの放棄に過ぎないと一笑に付しながらも、少しだけその単純さを羨ましく思っていた。

「私は上にいるから、ちゃんと指示を聞いてよ」

 瑞葉はそう言って目の前の木を登り始める。ロロはぐっ、と拳を掲げてそれを見送った。

 樹上から瑞葉は周囲を観察する。トウボクサイはまだそこら中に落ちている木の実を食べているようで目立った動きはない。ロロとディオンは自分の真下辺りにいる。ハクハクハクはまだ移動中のはずだがどこにいるのかまではわからない。その他に何か気になるものはないか、トウボクサイとハクハクハクの動向に気を付けつつ探ってみるが特にはないようだ。

「ハク、頼むわよ」

 瑞葉がそんなことをしている時、ハクハクハクは一人で森の中を駆け抜けていた。彼女の魔力は溢れんばかりに多く周囲のことさえ気にしなければ身体強化によってロロよりも速く走ることができる。今回は木々の間を縫って移動する都合上そこまでの速度ではないが、あっという間に元の位置からトウボクサイを挟んで逆側にまで来ていた。

「背の高い木、たぶんこの辺り、だよね」

 森の中で一本の木を探すのは難しいが特徴の大きな木ならば別だ。見つけるのに大した時間はかからず、周囲に危険が無いことを確認するとさっさと登っていく。樹上からの景色は一等背が高いだけあって見通しが良く、ともすればトウボクサイからも見つかりそうな不安さえある。ハクハクハクは枝葉に身を隠しながら地上で食料を探す魔物を、そして遠くの木で自分を待っているはずの仲間を探した。

「……あの辺、あの辺だよね? ……いた」

 多少枝葉に身を隠そうがそこにいるはずと思って見れば見つけるのは難しくない。瑞葉が双眼鏡を覗いてじっとこちらを見ている。

「発見したら合図、それから瑞葉ちゃんの合図を確認。それから十五秒したらドカン」

 これからすべきことを指折り数えて順々に口に出して確認する。彼女はそうしながら一か月の特訓のある日のことを思い出していた。

 特訓期間の中頃、主にハクハクハクの魔力の制御に関して試行錯誤していた時のこと。

「ハクの魔力の制御に関してだけど」

「ん」

「お、何かいい案でも見つかったのか」

 この時、彼女の魔力制御に関してはあまり良い結果が出ているとは言えなかった。全く魔法が使えないわけではない。周囲に彼女の集中を乱すものがなく自ら定めた掛け声と動作を淀み無く行えば一定の威力の魔法を撃つことができる。しかし危険な依頼の最中にそのような状況がどれだけあるのかは疑問だ。瑞葉はゴウゴウから色々な方法を聞いてみたり自分の持っている魔法の教本を改めて読んで彼女に魔法制御のコツを伝えようとした。それらは今のところ失敗に終わっている。

「いい案なんて簡単に見つからないわよ」

「あー、まあ難しいよな」

 ハクハクハクは少しだけ残念だと思っていた、と思っている。実際には彼女は自身が思うよりもかなり大きく落胆していた。自身の為に色々と考え、学び、教えてくれた彼女ならばきっと何か良い方法を見つけてくれるのだと期待していたのだ。

「だからさ、一旦別の方策も考えておこうと思って」

「別の方策? 何だそれ」

 ロロとハクハクハクは首を傾げて瑞葉を見つめる。こほん、と咳ばらいを一つして瑞葉は話し始める。

「これから一緒に依頼をするとして、ハクのあの威力の魔法ってすごく魅力的というか、絶対に使えるようにはしておきたいの」

「まあな。この前のあれ本当に凄かったもんな。今でも鮮明に思い出せるぜ」

「……んう」

 ハクハクハクとしては下手をすればロロを殺しかけたというあまり思い出したくもない記憶だ。しかし不思議とこの二人にとっては良いものを見たぐらいの思い出になっており、偶にこうして話題に出た時に彼女はどういう顔をすればいいのか分からず妙な声を上げてしまう。

「あれは私らも巻き込みそうだから遠慮したいけど。実際に撃つのは単純なやつ、風弾とか風の槍で十分よ。ハクが撃てば私と違ってあんなのでもかなりの殺傷力があるし」

 風弾という魔法がある。孤城の流派における最も単純な風の魔法で掌から高速で風の弾を発射するだけの魔法だ。魔力の多寡や使い手の技量で威力に差が生まれやすく、魔法の使い手としての強さを見る際に比較としてよく用いられる。瑞葉はこれで枝を揺らして実を落とせると喜んだが、ハクハクハクの場合は木ごと圧し折ってしまう程の威力になる。

「それでその場合って私たちが一緒にいない方がいい場合もあるんだよ」

「どういうことだ?」

「ハクの魔法って凄い威力だから一発でも撃てば警戒されるでしょ? だから一発で確実に当てたい。だからハクには安全な場所に隠れてもらう。それから私たちが囮になってハクのいる場所から狙える位置におびき寄せる。あとは必殺の一撃で終わり」

「おお! それって最強じゃん!」

「そ、だからハクには一人で行動できるようになってもらわないといけない」

 二人がハクハクハクに視線を向けると、それを受けて彼女は視線を斜め下に逸らした。

「ハク、正直に答えて欲しいんだけど……。さっき私が言ったような状況で一人で色々と判断できる自信ってある?」

 ハクハクハクは考える。彼女が冒険者になったのは彼女なりに強い決意に基づくものだ。それから大きな失敗をして、何もできず日々が過ぎて、ある日にロロに手を引かれて、再び失敗をして、今ここに立っている。そんな自分が一人で様々な判断を下すことなど簡単……。

「……む、り、かな」

 そう、簡単な訳がない。いや、できるはずがない。

「わ、私……、わた、しは……」

 ハクハクハクは何か伝えようとしていた。しかしそれ以上彼女の口から意味のある言葉は出てこない。自分の思いを伝えたい、その一方でその思いを口にすることへの躊躇いがある。今にも泣きそうな彼女を見てロロは隣に行き肩を組む。

「……あーっと、まあ、大丈夫だろ。なあ?」

 ロロは何か気の利いたことでも行って励まそうとしていたのだろうがそんな言葉は何一つ思いつかなかったらしい。急に同意を求められた瑞葉は蔑みと憐れみの混じった視線を向ける。

「何も考えてないなら変なことしない方がいいんじゃない?」

「いや、だってなあ……」

 困ったように苦笑いを浮かべるロロの表情をハクハクハクは見つめている。それから彼女は肩に回された手を軽く抱いて目を閉じた。

「……うん、大丈夫、だよ。ね?」

 ロロはそれを聞いてぱーっ、と笑みを浮かべて肩に回した手をぐわんぐわんと振るう。それにつられてハクハクハクがおぅ、おぉ、と声を挙げながら揺れる。

「ロロ、ストップ。それ以上はハクが可哀想だからやめて」

「ん? あ、ごめん、大丈夫か?」

「ん、んう。だい、じょーぶ、だよ」

 指で掲げたブイの字はふらふらと力なく揺れていた。

 ハクハクハクが落ち着くと脱線していた話が元の場所に戻っていく。

「さて、それでまあとにかく、ハクに一人で動いてもらうことも必要になってくる。だから一人でも落ち着いて行動をできるようになるっていう特訓に切り替えようと思って」

「具体的に何するんだ?」

 ハクハクハクも何よりそこが気になっているようでロロの問いにうんうん、と隣で頷いている。

「とりあえず第一段階は作戦を立ててそれをきっちりこなす。ここからかな」

「それって当たり前じゃん」

 ロロのそんな言葉に対して反射的に出かけた言葉を瑞葉はなんとか留める。本人が目の前にいるのに当たり前ができるか怪しいと思っている、などと言えようはずもない。

「えーっと、ね。ハクはちょっとパニックになりやすい性質だから、それをあまりそうならないようにできたらなって思ってるの」

 実際のところこれはハクハクハクだけでなく瑞葉自身にも向けた言葉だ。想定外のことが起きた時に思考停止して反射や本能に従った行動をしてしまう自身に向けた自省。

「だからまず簡単な方策としてだけど、事前になるべく予測を立ててどう行動するのかを決めておく。あとはそれを頭にしっかり叩き込む」

「そ、それって、どうすれば、いいの?」

「口に出して繰り返すのがとりあえずでできることかな。何をすべきか何度も繰り返し口に出す。私たちはこれから三人で魔法の訓練を行います。具体的にはヨトゥク式の魔法制御に関しての説明と実践を一時間半程度行います。その頃にはここの貸し切り時間が終わるので一旦訓練を打ち切って昼食へと向かいます。こんな風に」

「え、っと。私たちは、三人で魔法の訓練をします。ヨトゥク式の魔法の訓練で、えっと……」

「今のは別に覚えなくてもいいよ。ただ今みたいにこれからやるべきことを何度も口にして出せばとりあえず迷わずに済むでしょ?」

 瑞葉の微笑みにハクハクハクは目を閉じ頷いた。内心、なんだか子供扱いされている気もしていたがそれ以上に色々と考えてくれる瑞葉の存在は素直にありがたいようだ。

 だからハクハクハクは何度も何度もすべきことを口に出して確認する。そして自身がすべきことさえわかっていれば彼女の魔法は必ず期待に応える成果を上げてくれるだろう。ハクハクハクが手を上に伸ばす。合図だ。

「ロロ、合図来たわよ」

「おう」

 冒険者一行の間に緊張が走る。呼吸を落ち着けてそれぞれが秒数を数える。ハクハクハクが左手の指を全て広げ、閉じて、再び広げ、十五秒。ばっ、と勢いよく彼女の右手が掲げられ。

「大気も震う破壊者の咆哮よ」

 言葉と共に彼女の掌から魔力が放たれる。目に見えぬそれはゆっくりと空へと昇り、ある地点まで行くと弾けて大きな音を鳴らす。

 ドオオオオォン。

 地響きと間違う程の轟音。しかしそれは明らかに空より聞こえた音。周囲の全ての者が思わずそちらに視線を向けてしまうような異変に満ちた音だ。

「知らなかったら私らもパニックだったね」

 瑞葉は双眼鏡を覗きながら轟音の衝撃波で揺れている木々の様子を見ていた。

「そうだな、それでハクハクハクはどうしてる?」

「耳塞いで木の上にまだいるわ」

「トウボクサイは?」

 瑞葉は少しの不安を抱きながら先ほどまでトウボクサイがいた辺りを覗く。

「……三頭ともその場から動いてない、けど音のした方は見てる」

「おっ、じゃあ上手く行くかもな」

 しばらく瑞葉は様子を観察していたが三頭とも食事を取るのも忘れて音のした方を見ている。しかしそちらへ向かおうはしていないし、三頭の距離が縮まることはない。音に対する警戒はしているがこの三頭が協力してそちらへ向かうことはなさそうだ。

「ロロ、第二段階に移行するよ」

「なら出番だな」

 ロロは剣を抜いて刀身を見つめる。そこに映る彼の顔に迷いはない。

「気を付けてよ」

「心配すんなって、お前の方こそ緊張して失敗すんなよ」

「そんなの」

 するわけないでしょ、瑞葉はその言葉が口をついて出る前に声が震えているのに気付いた。ロロにさえ隠し切れないほどに緊張している。彼女はハクがこの場にいなくてよかったと思った。勝手に三人の参謀役をしているのにこんな姿を見せるのは恥ずかしすぎる、と。

「ディオンさんはどうするんだ?」

 ロロは瑞葉のそんな様子を知ってか知らずかそれ以上は何も言わず、一緒にいるディオンに声をかけている。

「一緒に来てくれるなら心強いけど」

「うむ、私はとりあえず様子見させてもらおう。無論、何か問題が起これば必ず手助けすると誓うがな」

 ディオンはあくまで魔物の討伐自体には手を貸すつもりはないらしい。先ほどから口数少なく後ろに控えているのだが、それは三人に経験を積ませる為でもあるし何か問題があれば即座に対応できるだけの力を持っているからでもある。

「そうか。だったら見ててくれよ。俺があっさりトウボクサイを討伐してくるからさ」

 ロロが移動するのを確認すると瑞葉はハクハクハクに合図を出す。作戦の第二段階開始の合図だ。

「第二段階……、えっと、私は合図を受けて、また大きな音を出す。そしたら二人がトウボクサイを一頭だけおびき寄せて討伐。私はその間は待機、だよね」

 そうしてこれからの動きを確認すると彼女は早速その手を再び上に掲げる。

 ドオオオオォン。

 再びの轟音。少し落ち着きを取り戻しつつあったトウボクサイたちは二度目の轟音に警戒を顕わにする。明らかに何かが起こっているのを察しているが、しかし、やはりその場からは動かない。姿をわざと見せる為に近くまで来ていたロロは木の影から様子を伺うのだが、三頭は明らかに互いを気にして動いているのが見て取れた。音のした方を見ているようで別の一頭が一歩踏み出せばそちらへ顔を向ける。まるで牽制しているかのようだ。

「さーて、頼むぜ瑞葉」

 作戦の相方である瑞葉は相変わらず樹上にいるのだが、先ほどまでよりもトウボクサイに寄った位置にいる。魔法での攻撃を狙っている為、視線が通り、かつある程度近くに行かねばならない。とはいえ近づきすぎも当然にまずく、結局彼女は自分の魔法が届くぎりぎりの距離よりも少し内側に陣取った。

「最低でも三回かあ……。今の私なら全然問題ないね」

 元々たった三回使う程度なら問題ないだけの魔力量はあるが、今の彼女は一月前に比べれば相当多くの魔力を持っているだろう。トウボクサイの討伐が終わるまでロロの援護をするだけの余力はあると感じていた。

 トウボクサイは先に音がした方を向いていて彼女からは背が見えている。狙うは最も近くにいる一頭、の後ろ脚だ。呼吸を整え、自らの内にある魔力の流れを感じ、それをトウボクサイの所まで。

「渦巻け」

 小さな声と共に魔力が鋭い風となり渦を巻く。その規模は小さく威力もそう大したことはない。ただ今回はそれで充分なようで狙い通りトウボクサイの後ろ脚に発生し僅かにその表皮を傷付けた。そして攻撃を受けた魔物がそれに気付かないはずもない。

「こっちを向いたな」

 攻撃を受けたそれは首だけを動かし後方を確認する。その眼が後ろで剣を構えているロロを捉える。対するロロもその動きをはっきりと見ているのだが、相手が気付いているのかわからずまだ様子見を続けている。

「ロロ、一旦引こう」

「ん、もういいのか?」

「来なかったらもう一度やればいいよ」

「了解」

 瑞葉の指示でロロは一旦その場から少し離れる。ただしあまり遠くまでは行かない。もしあの一頭が追いかけてきたならばそれをもっと遠くまで連れ出さねばならないからだ。

「さて、こっちに来るかな」

 瑞葉はその場で双眼鏡を覗き監視を続ける。トウボクサイの右の後ろ脚は表皮に切り傷ができて僅かに血が滲んでいるように見えた。

「ちょっと威力が低かったかな」

 彼女は敢えて威力を低めにした魔法を撃った。それは他の二頭にはまだ気付かれたくなかったためだが、それでわざわざ追うほどの脅威ですらないと判断されたならそれはそれで問題だ。ロロを呼び戻そうかと考えるが、しかしその心配は必要なくなる。

「お」

 その一頭がゆっくりと身を翻し一歩一歩その場を去ってロロがいた地点へと向かい始めたのだ。他の二頭はその様子に何度か視線を送ってはいたが、最終的には何もせずただ見送っただけに終わる。

「よしよし」

 安堵と共に策が上手く行ったことで喜色に満ちた声が上がる。彼女はロロに合図を送り枝葉に深く潜って身を隠す。

 トウボクサイはズン、ズン、と地面を踏みしめながらロロのいる方へと向かう。先に受けた攻撃自体には大した脅威を感じていなかったのだが、僅かとはいえ血が滲んだことであの場にはいられなくなったのだ。もしその血が溢れ出れば他の二頭は血の匂いに気が付くだろう。そうなれば弱っていると判断され集中して攻撃される恐れがある。瑞葉たちの想像の通りこの三頭は縄張りを争う相手なのだから。

 ロロは向かってくるトウボクサイに対して木々の隙間から時折姿を見せつつ徐々に後方へ移動する。それを追うトウボクサイに焦る様子はなくゆっくりとその後を追う。更にその後方、瑞葉が木から降りて後を追っていた。実はこの三者の思いは共通している。決して他の二頭に気付かれてはならない、故に勝負の時は争いの音が聞こえぬ程に離れた瞬間なのだと。

 故にその動きはほとんど同時だった。

 トウボクサイがその一歩を強く踏み込み前に出る。ロロが剣を手にトウボクサイへ向かう一歩を踏み出す。

「あっ!」

 両者の激突を予感し瑞葉は思わず声が漏れる。対してロロはそのような状況にあっても落ち着いていた。目の前に見えるトウボクサイの巨体。仮に角を避けたとしても人の何倍もある重量を考えれば正面からぶつかることは自殺行為だ。重要なのはいつ避けるか、その適切な瞬間を逃さないこと。ロロの頭の中に冒険者研修で行った戦闘訓練が思い出される。

「ミザロ姉に比べれば楽勝だな」

 トウボクサイが突進の向きを変えるのに間に合わないその瞬間にロロは擦れ違うように突進を躱す。そうしながらその体のどこに刃を突き立てるべきかを考えていた。この個体はあまり樹液の鎧が付いておらず刃が通らないことはないだろう。最初に瑞葉が狙った後ろ脚が理想的なのだが流石に擦れ違いながら切り付けるほどの余裕はロロには無い。どうにか背後に回る方法を考えていた。

「ロロ、こっち来たところで上から狙うから合わせて」

 彼がそう考えていたところで上から瑞葉の声が聞こえた。トウボクサイが走り出したその後に上に登っていたらしい。ロロはその声に親指を立てて答えると再び剣を構えてトウボクサイに相対する。

「かかって来いよ、びびってんのか?」

 残念ながらトウボクサイは人の言葉を理解する魔物ではない。故にそんな挑発は意味が無いのだが、そんなものは関係なくできることなど一つしかないのだ。その巨体による突進こそがトウボクサイの唯一にして最大の武器なのだから。しかし単純であるが故に避けるだけならそこまで難しくもない。

「遅えぜ!」

 軽く身を躱してロロが叫ぶ。トウボクサイは憎らし気にロロを睨み付けるがそんなことで怯むような性格でもない。それにそんな悠長なことをしている時間は過ぎたのだ。

「風よ、螺旋を描き貫け」

 樹上より声が響く。それと同時に風が槍状に渦巻き放たれる。その向かう先はトウボクサイの右目だ。目の前にいるロロに意識を向けていたそれにとっては完全な意識外からの攻撃であり避けれようはずもない。

「ヴォォオオ!」

 表皮がいくら頑丈であろうと眼球はそうはいかない。トウボクサイの右目は潰れ痛みと怒りから咆哮を上げ上方を見るが、それこそ思う壺だ。

「せーっ、の」

 右側は目が潰れて死角となった、意識は瑞葉に向いている。その状態ならば誰でも右後ろ脚に近付くことができる。表皮が傷付いたその太い脚をロロの剣が丸ごと切り裂く。

「ヴォ」

 不意に脚を一本失ったことでバランスを失った巨体が倒れる。

「オオオォォウ! ヴォオオウ!」

 しかしまだ生きている、暴れている。脚を我武者羅に動かし首をバタつかせる。悪足掻きとはいえ近付けば痛い目を見ることだろう。放っておけば出血多量で死ぬだろうが。

「静かに、しろ!」

 ロロがトウボクサイの首元を貫く。それは即座に止めを刺すには至らなかったが気管を裂いたのか吼え声が弱まり脚の動きも徐々に弱弱しくなっていく。そしてそれが止まるまでそう長い時間はかからなかった。

「よし、まずは一体!」

 ロロは死んでいるかどうか慎重に確認すると首元の剣を抜く。持ち手にまで魔物の血で濡れたそれからは強烈な臭いがする。

「すげえ臭いだな……。帰ったらしっかり洗わないと臭いが染みつきそうだ」

 そんな心配をしていると樹上から瑞葉が降りて来る。

「この調子で行けば残りの二頭もどうにかなりそうね」

「そうだな。あれぐらいなら俺一人でもどうにかなったけどな」

「調子に乗らない。……ていうか酷い臭いねそれ」

「あー、まあ血がべったりだからな。前の時はそこまで気にしてなかったけど、結構凄いよなこの臭い」

 ロロはそう言いながら布で剣に付いた血を拭う。赤く染まった布を見てもう捨てた方がいいかなどと言っている。

「……あ」

 そんな様子を見ていた瑞葉が不意に声を上げた。

「どうした?」

「いや、この臭い……もしかしてまずいかも」

「つまり?」

「さっきの場所まで戻ったら血の臭いでばれるんじゃない?」

「……あー。え、どうするんだそれ?」

 黙り込む瑞葉。彼女らは実際に魔物の討伐をした経験など少なくそこまで考えが至っていなかったようだ。案外近付いても大丈夫なのか、別の良い作戦があるだろうか、いっそ二体をまとめて相手取るか、幾つかの案を考え検討し始める。

「ディオンさ、ん、はどこへ?」

「トウボクサイの様子とハクハクハクが無事か見てくるって向こうに行ったぜ」

 先達に意見を聞こうとしたが時すでに遅し。今から追えば追い付くかもしれないが残りの二頭に近付けば気付かれる恐れがあり悩ましい。

「……どのみち血の臭いに敏感だとしたらすぐに気付くか」

 このまま待機していたところで事態は好転しない。待っているだけでは何も変わらないのだ。

「戻ろう。いやその前にハクに戻ってきてもらった方がいいのかな」

「まあもう一回同じことできないかもしれないもんな」

「ちょっと上に行こうか」

 二人は連れ立って樹上へ。枝葉を超えて顔を覗かせれば遠くにハクハクハクがいるはずの木が見える。瑞葉は双眼鏡を覗き込んで確認する。

「どうだ見えるか?」

「……んー、んー?」

「どうした?」

「……いない」

「え?」

 瑞葉が双眼鏡をロロに渡す。そしてロロもたっぷりと時間をかけて見るのだがハクハクハクの姿は見えない。

「ハクハクハクが自分の役目を放棄して帰ると思うか?」

「……うちのお母さんなら丙族だし逃げたんでしょって言うかもしれないね」

「お前なあ」

 ロロが双眼鏡から視線を外して非難するような視線を向けると瑞葉は冗談だよ、と呟く。その視線はハクハクハクがいた木の方をずっと見続けている。

「……私は、ハクのことを信じてるよ。あの子は口下手で臆病で頼りない子だけどこの一か月一緒にやってきたもの。そういうことをする子じゃない、と私は思う」

「だよな」

「つまりこれは、何か緊急の事態が起こったってこと」

「急いで戻ろう!」

「もちろん」

 ロロはその返事を受けて瑞葉を抱えそのまま地面に向かって飛び降りる。途中で枝が顔にぶつかるのもお構いなしだ。

 ダンッ

 地面に大きな音を立てて降りると瑞葉を下ろす。下ろされた彼女はロロを恨みがましい目で睨んでいた。その顔に枝で引っ搔いた跡がある。

「飛び降りる前にそう言って」

「でも急いでるだろ?」

「あー……。ロロは真っ直ぐ行って。私は少し逸れてから行く。トウボクサイが見える位置まで来たら一旦待機ね」

「わかった、急ぐぜ!」

 ロロはそう言うと勢いよく駆け出した。の、だが。

「止まれ!」

「ディオンさん!?」

 前方より戻ってきたディオンに制止される。

「何かあったんですか?」

「うむ、話は彼女から」

 後ろの藪の中から機械馬とそれに乗ったハクハクハクが姿を現す。

「ハクハクハク! 無事だったんだな」

「ん、ん? うん、無事、だよ」

 機械馬から降りるハクハクハクを瑞葉は隈なく観察する。どこも怪我をしている様子はなく、何かに襲われて逃げてきたという風には見えない。

「……何か知らせることがあってこっちに向かってた?」

「あ、うん、そうなの」

「知らせること? 何だ?」

「あの、あのね」

 そう言いながらハクハクハクは木の実の採集場の奥の方を指さす。

「……あっちに、人、だと思うんだけど、がいるの。多分、子供、かな」

 それをハクハクハクが知れたのは偶然だ。彼女はロロたちがトウボクサイをおびき寄せている最中にあまりやることがなかった。それでまだ見つけていない個体がいないかを調べようと周囲を索敵していたのだが。

「その時に奥の方で子供らしい生き物を見つけたと」

「うん。でも、その、もしかしたら何か、獣とか、魔物とか、の子供とかかも」

 ハクハクハクの索敵は魔力で覆ったものの形を感じ取れるのだが、距離が遠くなるとその精度は段々と低くなる。今回は動いていることはわかったしその大きさはなんとなくわかるのだが細かいところまでわかる距離ではなかったらしい。

「ふむ、そう言えば村の蓄えはかなり減っているという話はあったな。あまり食事を取れていない家もあったらしい」

「そんな話もしてましたね。お腹が空かせた子供が木の実を採りに来たという可能性もありそうかな」

「……ど、どうするの?」

 ハクハクハクが不安気に尋ねる。ディオンは兜の奥から二人を試すように見つめている。この冒険者という職業、想定外なことなどいくらでも起きうる。ディオンに取ってみれば今回程度の話はいつもの出来事に過ぎないがそれに対してどう動くのか。

「じゃあ子供のことはディオンさんに任せるか」

「そうね。それが一番安全じゃないかしら」

 しかしこの二人、当然のようにあっさりとそう言い放った。そこに迷いは微塵も感じられない。

「ハクはディオンさんの案内をよろしく。トウボクサイは私たちでどうにかするから」

「よーし、やってやるぜ」

 気合を入れる二人に対してディオンとハクハクハクはいまいちその調子について行けないようだ。片やぽかん、と口を開けて呆然とし、片やその心の内でも覗こうとしているかの如く二人をじっと見つめている。

「ん、どうしたんだ? 早く行かないと子供に何かあったら大変だろ?」

「……ローロ、ズーハ。君たちは決断が早いな」

「え、だって子供に何かあったら大変じゃん。俺たちが行くよりディオンさんが行く方が早く着くだろ?」

 瑞葉も同じ思いのようで隣でうんうんと頷いている。ディオンは宿での噂話を思い出していた。新人の二人の話を崎藤やカクラギ、竜神などが話していたのだ。

「あの二人? そうだねえ。いい子たちだよ、夢見がちな子供だと思われがちだけどねえ。かっこいい冒険者って馬鹿みたいに言ってるけど本人たちは大真面目になろうとしてるんだから」

「新人の二人か。あれは、まあ……。私はミザロ殿と牛鬼殿の二人と共に試験の監督をしたが中々有望だとは思うな。彼らなりにどのような冒険者になりたいのかをいつも考えて行動しているようだ。え? ああ、まあ確かにあの二人は馬鹿だとは思うがね」

「馬鹿だよあいつらは。それは間違いないね。でもまあ、あの性格はいずれ大成するかもな。まだまだ経験は積まなきゃいけないだろうが……。まあでも馬鹿は馬鹿だけどな」

 改めて思い返すと誰も彼も馬鹿だ馬鹿だと言っている。しかし二人共が躊躇いなく誰かを助ける為に決断できる。

「ふむ、確かにいずれ大成するやもしれんか」

「ん、ディオンさん何か言ったか?」

「ああ……。ハークハーク!」

「ひゅ、ひゃい」

「子供がどちらの方角にいたのだ」

「え、えっと……。こっち、に真っ直ぐ。あ、あの、高い木の上から、だと、黄色がかった、み、緑の葉っぱが、見え、見えました」

「黄緑の葉か……。ふむ、十分だろう」

 そう言うとディオンは一人で機械馬に跨る。

「私もある程度の索敵はできる。子供のことは私一人で十分だ」

「え、でも」

「よいか、命あっての物種だ。無理はするなよ」

 そう言い残すと機械馬が嘶くように前脚を高く揚げ、次の瞬間には凄まじい勢いで走り去っていく。

「おお、速い」

 密集した藪を超えたにも関わらずほとんど音もなく、あっという間に視界から消えた彼らに最早追いつくことはできないだろう。それを察したロロは気合を入れるように拳を掌に叩きつける。

「よし、悩んでてもしょうがない。俺たちは俺たちであそこのトウボクサイを早く討伐しようぜ」

「……そうね」

「えっと、じゃあ、私はさっきの、あの木に戻る?」

 ハクハクハクはさっきまでいた木の方角を指さしてそう言ったが瑞葉は首を横に振った。

「いや、どのみちハクは呼び戻そうと思ってたからこっちに来てくれて丁度いいかな」

「そういやそうだっけ」

「ハクがいればできることがかなり増えるからね。まあどうにかなると思うよ」

 瑞葉はそう言って二人に策を話し始める。

「え、っと、難しい、かも」

「まあいいのいいの。失敗したらロロを矢面に立たせて私たちは隙を狙って一発入れてやればいいだけだから」

「そうそう、俺のことなら心配ないぜ。本気を出せばトウボクサイが何体いてもこう、すぱっ、とな」

「すぱー」

「そう、すぱー、っとやってやるからよ」

「そういうのいいから準備準備、私はトウボクサイの様子を見てるから。あいつらがどこか行きそうになったら大きな音を立てて知らせるから。その時はハクは木の上に身を隠して、ロロは急いでこっち来てね」

「任せろ!」

 そしてロロとハクハクハクは策の準備を、瑞葉は一人でトウボクサイの元へと向かう。一人魔物の元へ向かう彼女の心中は穏やかなものではなかったが、恐怖も不安も乗り越えるのが冒険者なのだとその足を動かし続ける。

「さっきはこの辺りから見えたはず」

 彼女は木の陰に身を隠しつつ様子を覗う。先ほどまでいた場所には既にいないようだ。

「移動した? まずいなあ」

 彼女は索敵の為にハクハクハクを呼ぶか悩んだが、一旦木の上に登って視界を広く取る。そして双眼鏡を覗いたりしながら多少の移動を繰り返していると。

「あ、いたいた」

 まずは一頭を発見。そしてそこからそう離れていない場所にもう一頭もいた。相変わらず地面に落ちた木の実を食べているようだ。

「様子に変わったところはない、かな」

 一頭がいなくなったことには流石に気付いているだろうがそれよりは食事の方が優先されているようだ。或いは敵が減った程度にしか思っていないのかもしれない。このままもうしばらくここに居座っていてくれればいいのだけど、そう思いながら瑞葉は二人の準備が終わるのを待ち続ける。

 五分ほどが経った。トウボクサイはまだ食事を続けている。或いは二頭が互いに睨みをきかせていいるだけで食事はついでなのかもしれない。とはいえそれがいつまで続くかもわからないので瑞葉は一人焦りながらそれでも何もできず樹上でもどかしく唇を噛んでいる。そう早く準備が終わるものではないと思いながらもまだか、まだか、と何度も振り返って見えもしない二人の様子を確認してしまう。そんなことを繰り返していると不意にトウボクサイの動きが変わる。食事を急に止めて鼻先を上に向ける。まるで周囲を探っているような。

「……私がいるのがばれた?」

 トウボクサイがこちらに向かい突進すれば彼女が登っているこの木は名前の通りに倒木にされてしまうだろう。そうなればあの巨体に踏み潰されるのを待つのみだ。彼女はそれまでよりも強い緊張と不安、そして恐怖を感じている。冷や汗が頬を伝うのを感じ、思わず身震いする。そして思うのだ、これに飲まれてはいけない、と。彼女は双眼鏡から一旦目を離し、襟元を摘む。

「すうぅうう、ふうぅぅぅ」

 それから大きく深呼吸をした。不安や恐怖を消し去ることはできない。そんな中で彼女は特訓の日々を思い返しいつでも魔法を使えるよう魔力を練り始める。

「ハクに偉そうなこと言ったんだから、私だって自分の役目は果たさないとね」

 そして少しの落ち着きを取り戻すと再び双眼鏡を覗き込……、まない。彼女はその直前に足元の気配に気が付いた。

「おーい、このくらいの声で聞こえる?」

 ロロが小声で呼びかけている姿が見える。準備が終わったらしいことを察した彼女はそこでふと気付く。さっきトウボクサイの動きが変わったのはロロが近くに来たからではないかと。急ぎ双眼鏡を覗いて様子を見ると二頭のトウボクサイは明らかにこちらを見ている。その視線は樹上ではなく地上に向いていた。

「おーい」

「ロロ! 気付かれてる!」

 瑞葉の声を聞くとロロはそれまでと様子を一変させていつでもその場から逃げられる体勢になる。そして彼女の声はトウボクサイの耳にも届いていた。

「来るよ!」

 二頭のトウボクサイは互いに微妙な距離を保ちながらゆっくりと二人に近付きだす。瑞葉はそれを見ると急ぎ枝を伝ってその場を離れ始めた。彼女がどんどんと樹上を移動するのを見届けるとロロは足元に落ちている枝を拾い上げた。

「さーて、やってやりますか」

 ロロは機を見て二頭の前に姿を現す。目の前に突然姿を現した人間、僅かにトウボクサイの血の臭いを纏う人間だ。しかしそれを目にしても二頭は迂闊に動こうとはしない。目の前の人間だけが敵ではないから動けないのだ。ロロは牽制し合って動かない魔物の一頭に向けて手に持った枝を。

「くらえ、っと」

 投げつける。緩い放物線を描いたそれはロロから見て左手にいるトウボクサイの頭に当たった。当然それは大した威力などなく、皮膚に擦り傷さえも作ることはない。しかし投げられた側はそれが自分目掛けて投げられたものだとわかる。

「へいへーい、どうしたどうした? もう一回投げちゃうぞー?」

 そして投げた側がふざけた動きをしていれば、たとえ種族が違おうとおちょくっているのだとわかるのだ。

「ヴォォウ、ヴォオオオ!」

 一頭がロロに向かって走り出す。もう一頭は一瞬逡巡するように目の前の人と魔物を交互に見たがやがて追随するように走り出した。ロロはそれを迎え撃つ、ような真似はしない。二頭が動くのを見るやすぐさま踵を返して逃げていく。

 トウボクサイの突進は一度勢いに乗ってしまえば止まることはない。道中の木々もなぎ倒し目的に向かって一直線に走る抜ける。しかしそれは曲がることが難しいことの裏返しでもある。ロロはジグザグに走ることでトウボクサイが勢い任せに突進できないよう移動し続ける。とはいえそれも一時しのぎには過ぎない。追う二頭がもしも協力してロロを追い詰めようとすればこの均衡はすぐに崩れる。ただしそうなるまでにはまだ猶予があるし、それより先にロロは目的地に着きそうだ。

「お、着いたな」

 ロロの目の前に低木が藪のように密集した地帯が現れる。それは彼らがさっきまでいた場所の辺りだ。トウボクサイが追ってきているのを確認するとロロは藪の上方に向かって飛び跳ね、丈夫な枝を掴みそのまま枝から枝へと次々に飛び移る。そして藪を超えた少し向こうで地面へと飛び降り、その場で振り返って立ち止まる。

 バキッ、ペキッ、ベキベキッ。

 藪の方から枝が折れる音が響き続ける。トウボクサイが藪に構うことなく突き進んでいる証拠だろう。徐々に音が近付き、藪より大きなその体が徐々に迫るのが見える。ロロはいつでも逃げられるように身構えつつも待ち続ける。丁度真正面にその体が見えた時には少しほっとしていたようだ。

「来た!」

 藪を超えて姿を現したトウボクサイはその場で立ち止まっているロロを憎らし気に睨み付け、突進を仕掛ける、つもりだった。しかし踏みしめた足元からバキィ、と竹の割れる音。視界が一気に下へ向く。いや、視界だけではない。全身が地面に吸い込まれるように落ちていくのだ。つまり、瑞葉の考えた策とは。

「決まったぜ、落とし穴!」

 ごく単純な落とし穴だったようだ。


 瑞葉がトウボクサイの監視へと向かうとハクハクハクとロロは落とし穴の制作を始めた。普通に穴を掘るならその巨体が特徴にもあるトウボクサイが入るほどの落とし穴を作るには時間がかかる。しかしハクハクハクがいれば話は変わる。

「じゃ、じゃあ、行くよ? ……風よ、螺旋を描き貫け」

 ハクハクハクの手より槍状に渦巻いた風が地面へと放たれる。その威力たるや凄まじいもので激しい土埃と共に地面が大きく抉れていた。それを見て彼女は安心したように胸を撫で下ろす。

「流石に一発じゃ足りないか。もう二、三発いっとこうぜ」

「うん。あ、でも、音は大丈夫、かな?」

 ハクハクハクの魔法の威力は凄まじいもので流石に相当に大きな音が出ていた。不安に思うのも当然だろう。

「まあでもさっさと作った方がいいだろ。何かあれば瑞葉が教えてくれるだろうし俺は竹を拾ってくるから穴の方は頼むぜ」

 ロロはそう言って近くの竹が倒されていた辺りへと向かう。残されたハクハクハクは少し悩んだがやがて先と同じように魔法を放ち穴をより大きくしていった。ロロは何往復かして竹を集め、ハクハクハクは広がった穴の上にそれをかぶせていく。やがてできたのは不自然に竹が敷き詰められた落とし穴。一見するだけで何かあるのはわかりそうだが。

「俺はこっちの藪の方から出て来るから……」

 藪を出てすぐの場所にある為、そちらから出てきたならそれに気付く前に踏んでしまうことはあるだろう。

「俺は上の木伝いに行けば何とか跳び越せるだろうし、まあ何とかなるだろ」

「もう行くの?」

「急いだ方がいいだろ。もしあいつらがどっか行っちゃったらまずいし」

「あ、そっか」

「ハクハクハクは上で待っててくれよ。トウボクサイが落ちたら頼むぜ」

 彼女はこくこく、と頷く。

「よし、じゃあ離れてろよ」

 そう言うとロロは後ろに下がる。落とし穴の位置と木々の太い枝の位置をしかと見極める。

「よおぉぉおっし!」

 そう叫んで走り出し落とし穴の少し前で大きく跳んだ。そして藪の上方にある太い枝を掴んでそのまま進む。

「結構ぎりぎりだったけど何とかなりそうだな!」

 手応えを感じたロロはそのまま藪を超え、地上へ降りると瑞葉の元へと走っていった。


 そして現在、トウボクサイは見事に穴の中にいる。ただし、一頭だけだが。もう一頭は少し離れたところからロロを追っていた為に藪を抜ける前に異変に気付いて止まったようだ。

「ハクハクハク、頼むぜ!」

 ロロが叫ぶ。もう一頭まで穴に落とすのは難しいと判断したようだ。幸いハクハクハクはいつでも魔法を放てるように準備していたらしい。彼女が手に持った木の枝には既に凄まじい魔力が込められている。

「疾風よ、我が剣を仇の元へ放て」

 風が吹き彼女が手に持った木の枝が宙を浮く。そして次の瞬間、落とし穴に落ちたトウボクサイ目掛けて周囲に吹く突風と共に射出された。

 ゴウッ。

「うおっ」

「ヴォフッ、ヴォヴォオゥ、ヴォゥゥ……」

 風が砂埃を巻き上げてロロが思わず腕で顔を覆う。その間に聞こえたトウボクサイの叫びは徐々に弱くなっていた。ロロは風が収まるとすぐに落とし穴の中を確認した。

「おお……」

 そこには腹部から多量の出血をしているトウボクサイの姿がある。ロロからは見えなかったが、ハクハクハクの放った木の枝葉腹部から入り偶然にも心臓を打ち抜いて地面深くに埋まっている。まだ息はあるようだがもはや穴から抜け出すこともできないだろう。

「流石の威力だなあ」

 そんなことを知ってか知らずかロロはのんきなことを言っている、が、まだこの戦闘は終わっていない。藪の方から枝を折って移動する音が響く。それもロロたちから遠ざかって行くように。

「やべ、逃げる気か!」

 逃がさないようにと色々と考えて動いてきたのにここで逃がしては本末転倒。ロロは一瞬迷った後に藪の中へ入り込む。幸いにもトウボクサイの通った道は既に邪魔な低木が避けられておりロロはさっさと走り抜けることができる。しかしトウボクサイの背はまだ遠く追いつけるかはわからない。一人しかいないのならば。

「風よ、螺旋を描き貫け」

「ヴォッ!」

 不意にトウボクサイが大きく嘶いてその動きを止める。

「やっぱ落とし穴で二頭共ってわけにはいかないか」

 いつの間にか追い付いていた瑞葉が樹上から魔法を放ったのだ。不意を突いて放たれたそれはトウボクサイの目の前に降ってきてその足を止めた。

「あとは頼んだよ」

 そして足が止まれば後は簡単だ。

「行くぜ!」

 ロロが地面を蹴って一気に距離を詰める。それに気付き逃げようとしたところでもう遅い、次の瞬間には既に脚の一本が切り落とされていた。そして脚を一本失って逃げることはもはや不可能だ。勝負は既に決したのだ。

 ロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人が集まる。付近にはトウボクサイの死体が三つあり、それは依頼を完遂したことを意味している。もっとも三人はまだ他にも残っているかもしれないと警戒を続けていたが。

「ハク、まだ魔力は大丈夫?」

「うん。えっと、大丈夫だよ」

「流石ね。私はちょっと疲れた」

 瑞葉は何度かの攻撃だけでなく樹上の移動の際に自身の肉体の強化や折れないよう枝を強化したりしていた為に想定よりも魔力を消費してしまったらしい。ハクハクハクも当然似たようなことをしていたはずだし、更に索敵の為にもかなり魔力を使っていたはずだがあまり問題ないようだ。ただの人と丙族の差が出ているのかもしれない。

「ロロは?」

「まだ大丈夫だな。今のところ無傷だし」

「そう。一番危ない役目だから無理はしないでね。えっと、じゃあ一度索敵して周囲の安全を確かめてからディオンさんと合流しよう」

「ん、わかった」

 ハクハクハクが周囲の索敵を行い何ら怪しい気配がないことを確認すると彼らはおそらくディオンがいるであろう、子供の気配があった方へと歩き出す。

 ディオンとの合流には大して時間はかからなかった。ある程度近付けばハクハクハクの索敵で居場所がわかるからだ。再び外套やバンダナを身に着けたハクハクハクを先頭にあっさりとディオンと子供を発見した。

「ふーむ、どうやら三人共怪我はないようだな。良いことだ」

 ディオンは三人の様子を観察してからそう言ってはっはっは、と笑った。そんな彼の後ろには手に持った籠に山盛りの木の実を入れた女の子がいる。人見知りなのか三人を警戒するようにディオンの背に隠れている。

「その子がさっきハクが見つけた?」

「うむ、そうだ。この三人はさっき話した私の仲間だ。魔物を退治してくれたのだよ」

「ん、あぅ」

 ディオンが三人を紹介するも女の子はどうしていいのかわからないのか更に身を隠そうとする。その様子に瑞葉とハクハクハクは同じようにどうしたらいいのかと悩むのだが。

「なあなあ、木の実、採りに来たのか?」

 ロロは自然な動きで女の子の前にしゃがみ込んで尋ねる。

「ん、うん」

 頷く女の子に対して感心するようにおー、と声を上げている。

「何で採りに来たんだ? お母さんお父さんの為とか?」

「……あの、お母さん、あまりご飯食べてなくて」

「そっか。それでいっぱい食べさせてあげたかったのか」

 女の子が頷く。それを見てロロは微笑んで女の子の頭を撫でる。

「優しいなあ。籠いっぱいに集まってるし村に早く戻っていっぱい食べさせてやろうぜ」

「……うん!」

 和やかな雰囲気に包まれる。

「なんであんなに子供の相手が得意なのかしら。……中身が子供だから?」

「聞こえてるぞ」

 そうして一行は村へと戻ることに……。

「ところでトウボクサイの角は? 誰も持っていないようだが」

「……あ!」

 ならなかった。依頼を遂行した証拠品としてトウボクサイの角を持ち帰ることになっていたのだが見事に全員忘れていたようだ。どうやら村へ戻る前に余計な寄り道が増えてしまったらしい。


 日が傾き夕暮れの景色となった頃、村の門へ辿り着く。声をかけると門が開かれ一行は村の中へ。そこでディオンがトウボクサイの角を見せるよう促す。そしてそれを掲げたロロを見て門番は歓喜の声を上げた。

「冒険者の方が魔物を倒して帰ってきたぞ!」

 喜色に満ちた門番の声が村内に響き渡る。するとそれを聞いた村人が少しずつ集まってくるのが見えた。

「ありがとうございます。これで心配事が無くなります」

「あれがトウボクサイの角?」

「なんじゃないか? 俺も見たことないけどでかいよな」

「すごいなあ、あんなでかいやつを倒しちゃうなんて」

「あ、ハイヤじゃないか。どこに行ってたんだ。ライラが心配してるぞ」

「でも、いっぱい採ってきたもん」

「そうだなあ。見ろよこの量、それに無事なんだからいいだろ。イチジさんが持ってきてくれた肉や野菜もあるし今日は宴だな」

 安堵した表情、沸き起こる歓声、活気を帯びた村。ロロと瑞葉はそれらをじっと見つめている。一時も目を逸らさず脳裏に焼き付けるように見つめている。

「こういうことなんだな」

「何が?」

「わかってるだろ」

「……まあね」

 宝石の輝きよりも眩いものを彼らは見つめている。冒険者になった喜びを今嚙み締めているのだ。対照的なのはハクハクハクだろうか。彼女は自身の力がこの村の平穏に一役買ったのだと、胸を張って言えるほどの自信がなかった。目の前の光景に喜ぶべきなのにそのことに対して罪悪感のようなものを感じている。私がそんな感情を持つべきではないんだ、そう自らを戒める。

「あんたらも参加してくれよ。どうせもう暗くなる、すぐには馬車も出ないだろう?」

 不意に村人がそう言った。今夜行われる宴への招待だ。

「ディオンさん、どうします?」

「うむ、もちろん参加すべきだろう。もう暗くなるのは事実であるし今日はここで一泊し明日の朝に発つとしようではないか」

「そうしたらいい。村の中央に集会所があるんだ。今から村中に知らせて。……そうだな、一時間半もすれば準備もできるだろ。その頃には来てくれよ」

 そう言って村人たちが去っていく。その足取りは軽く希望に満ち溢れているようだ。

 ロロと瑞葉は少し休んで疲れを取り村を軽く見て回った。竹で組まれた家屋を見て隙間風が吹かないかと心配し、細く裂いた竹を編んで作られたランタンから漏れ出る光に見惚れ、食料を持って急ぎ足で行く人を見送る。

「あの人らの行く先が集会所かな」

「多分ね」

「手伝いに行くか?」

「んー、まあ、いいかも?」

「じゃあ行こうぜ」

 そうして二人は一足早く集会所へ向かう。村人たちからは客人に手伝わせるわけにもいかないと言われたようだがいつの間にか一緒になって野菜を切り、肉を焼いていたようだ。

 あとの二人、ハクハクハクとディオンは村人の厚意で借りている宿の一室にいた。

「二人について行かず良かったのか?」

「……うん。私、丙族だし、あんまり外に、出ない方がいい、かなって」

「……そうか。私は少々出掛ける。保護した少女の様子を見てそのまま集会所に向かおう」

「ん、わかり、ました」

 ディオンは立ち上がりそのまま部屋を出る。そして戸を閉める直前。

「宴には必ず来るのだぞ」

 それだけ言うと返事も聞かずディオンは去っていく。ハクハクハクは一人その場に残される。彼女は少しだけその空間に安らぎを感じていた。バンダナをほどき外套を脱いで彼女は用意されていた寝床へ倒れ込む。依頼を終えた達成感よりも彼女には疲労感が色濃く感じられている。

「何だか、疲れたな」

 目を閉じればそのまま眠りに落ちてしまいそうなほどの疲れを感じているにも関わらず、一方で彼女の頭は休もうとはしない。ぐるぐると様々な感情が頭の中で渦巻いて絡まっているようだ。一人になった今、彼女はそれをゆっくりと解こうと試みる。

 トウボクサイの討伐という依頼は成功した。その中で彼女が果たした役割は魔物の索敵、討伐、陽動、落とし穴の作成あたりだろうか。客観的に見てその功績は小さいものではない。魔法の制御を誤ることもなく、同行したディオンはもちろんロロや瑞葉にも大きな怪我はない。途中で見つけた子供も無事に保護することができたことも考えれば、何もかも上手くいったと言えるだろう。ならばなぜ彼女は一人で悩んでいるのだろうか。なぜ村の平穏に罪悪感など感じているのだろうか。

「丙族がやったのよ! 丙族が魔物を連れてきたのよ!」

 彼女にはそんな声が聞こえている。それは目撃情報を集めている時に村人の一人が叫んでいた言葉。部屋の中はもちろん、部屋の外にも誰も居はしない。しかし彼女の耳には今もその言葉がこびりついて離れない。

「私は丙族なんだ。だから……」

 彼女は彼女なりの強い決意を持って冒険者になった。その決意を彼女は今もずっと心に秘めている。


「急げ急げ」

「う、ん」

 手伝いを終えたロロがハクハクハクの手を引いて集会所へ走る。そしてその扉を潜ると既に宴は始まっていた。そこにはササハ村の名物料理が幾つも並び、人々が思い思いに食べて飲んで騒いでいる。

「うわっ、もう始まってる」

 入り口で息を切らせているロロを見て共に宴の準備をしていた村人が近付いてくる。

「悪いねえ、瑞葉ちゃんが先に始めようって言うからねえ。待とうとは言ったんだけど、ほらロロ君も遅かったら先に始めていいって言ったからさあ」

「そんなに遅くなかったじゃん。俺超頑張って走ったのに」

「まあまあ、まだまだ食べ物も飲み物もいっぱいあるからさあ。どんどん食べちゃってね」

 村人はそのまま喧騒の中へ去っていく。

「あの、ごめん、なさい。私のせい、だよね」

 ハクハクハクが喧騒にかき消されそうな小さな声でそう呟く。

「何が?」

 幸い、彼女の呟きはロロの耳には届いていたようだ。

「だって、遅れちゃって……」

「いいだろ別に。それよりハクハクハクがここにいない方が変だろ?」

「変?」

「そうそう。だって見てみろよ」

 そこにあるのは宴を楽しむ人々の姿。奥の方では竹で作られているらしい笛や管楽器での演奏が行われている。共に来た御者も三味線のようなものをかき鳴らす。見物している者は手に割った竹を持って拍子を取っているようだ。中央の囲炉裏で青竹の中に鶏串を突っ込んで蒸し焼きにしている。ここの名物料理だそうだ。瑞葉もそこにいて肉でなく芋や葱を串に刺して竹に入れているのが見えるだろう。村人は鶏肉もどうかと薦めているようだが彼女は首を横に振ってこれがいいのだと胸を張って言う。隅の方では静かに酒を飲んでいる集団があり、そこにディオンも混ざっているようだ。火鉢の上で酒を注いだ竹筒を温めており、待つ間は皿に山盛りの枝豆と揚げ物をつまんで世間話をしている。

「みんな楽しそうだろ? 俺たちみんなでこの時間を作ったんだからさ、やっぱりハクハクハクもここにいないとな」

 俺たちも何か食べようぜ、と誘うロロの言葉がハクハクハクにはどこか遠く聞こえた。それは目の前の光景が未だに自身の手によってもたらされた実感がないから、というわけではない。そんな思いは確かに彼女の中にある。しかしそれ以上に、彼女はただ目の前で笑みを浮かべている人々の姿から目を離せなかっただけだ。大したことのない世間話、青竹が焼ける音、料理に舌鼓を打つ人、演奏と観客の歓声、今の彼女は誰よりも深くそれらを全身で感じようとしている。それを見ている間は宿で一人思い悩んでいたことなど忘れていた。

 ハクハクハクは不意に後ろから声が聞こえるまでの十数秒間、入り口でじっと立ち尽くしていた。

「あ! お母さん、この人もさっきの騎士の人のお友達だよ!」

 彼女がその声に振り向くと依頼中に保護した子供とその母親らしき人がいる。

「冒険者の方ですね。本当にご迷惑をお掛けしまして、娘を助けて頂きありがとうございます」

 杖をついている母親はハクハクハクに深々と頭を下げる。

「あ、いや、私が保護した、わけじゃない、し」

「おいおい、感謝は素直に受け取るものだぜ」

 少し困惑していたハクハクハクの後ろからロロがやってくる。

「あ、お兄ちゃん。このお兄ちゃんもそうなの」

「これはこれは。重ねてお礼とお詫びを」

「あー、まあ、気にしないでください。それより今は宴なんだから楽しも……、楽しみましょう!」

 ロロは慣れない敬語を使おうとぎこちない喋り方になって頭を掻いている。それから二言、三言ちょっとした話をした後に、瑞葉を呼んで子供を囲炉裏の方へと連れて行ってもらう。

「……ところで」

 二人が囲炉裏の方へ向かうのを見送るとロロは母親に小声で尋ねる。

「体調が悪いって聞きましたけど、大丈夫なん……でしょうか?」

「あら、そんなこと……、ハイヤから聞いたのかしら。確かにあまり良くはないけれどここに来るぐらいは平気よ」

「そうですか。でもあまり無理はしない方が……。そうだ、椅子取って来よう。座ってる方が楽じゃん」

 ロロは言うが早いか奥の方へ椅子を取りに走る。残されたハクハクハクは居心地が悪そうにしながら横で杖をついている子供の母親をちらちらと見ている。

「あなたも何か食べに行ったらどう? 魔物を討伐した立役者がこんなところでお腹を空かせちゃ駄目よ」

「えう、あ、はい……」

「おすすめは青竹串ね。あっちの囲炉裏の所で焼いてるのが見えるかしら? 串にお肉や野菜を刺したものを竹の中で蒸し焼きにするのよ。竹の香りがとてもいいからぜひ食べてみて」

「えっと、はい……」

 そう返事をしたもののハクハクハクは中々動こうとしない。不審に思った子供の母親はじっとその表情を見つめる。

「何か食べたくない理由でもあるの?」

「ん……、食べたくない、わけじゃ、なくて」

「これは村からあなたたちへのお礼でもあるから食べてもらえる方が皆嬉しいのだけれど……」

 憂いを帯びた声にとうとうハクハクハクは自身が動けない理由を白状する。

「あの、私。……食べだすと、その、止まらなくて、みんなの分まで、なくなっちゃう、かな、って……」

「へ?」

 その返事に拍子抜けしたのか間の抜けた声が響く。ハクハクハクは恥ずかしさから顔を赤くして伏せていた。

「ふふ、ふふふふ、そ、そんな心配しなくても平気よ。あなた一人でどれだけ食べるつもりなの?」

「椅子貰って来たぜ。あれ、何か楽しそうだな」

「ありがとう。ついでに向こうまで連れて行ってもらおうかしら。この子の食べっぷりを横で見てみたいわ」

「……うう」

 宴はまだまだ続く。その中で最も語られた話題は一人で百本を超える串焼きを食べた少女のことだったらしい。


 翌朝、荷馬車が出発すると言うので冒険者一行もそれに同乗して離れることに。

「また来てくれよ。今度は春に来るといい、旨い筍を御馳走するよ」

「筍! 実は食べたことないんだよな。絶対また来るぜ!」

「お兄ちゃんまたねー」

「おう、もう一人で森に入っちゃ駄目だぞ」

 そんな別れを終えて馬車が走り出す。

「昨日は大変でしたけどあとはのんびりしてれば帰れますね」

「む、ズーハよ。その考えは危険だ。依頼は宿に帰るまでは終わりじゃない。休むのは大事だが最低限の緊張感は持っておくべきだろう」

「なるほど、それもそうですね」

 そんな会話もあったが帰り道は何事も起こらず順調そのものだった。乗せてくれた礼として御者に食事を奢り別れ船に乗り込む。船旅でも問題など起こらない。ショウリュウの都とイザクラの都という巨大な都市間を結ぶ水路であるここは管理が行き届いており何も起ころうはずがなかった。

「……ねえ、まだ?」

「うむ、あと十分ほどはかかるだろう。もうしばらくの辛抱だ」

「十分……、それぐらいなら、何とか……、うっぷ」

 強いて言えば瑞葉が船酔いになったぐらいだろう。幸いにも船を降りるまで耐えきったようで敢えて話すほどのことはない。

 そして一行はショウリュウの都へ帰ってきた。通り慣れた道を歩き志吹の宿へ向かう。そしてその戸を開き中へ。

「お、無事に帰って来たみたいだね」

 宿の主人の声は依頼を終えた合図だ。一行はこれから崎藤に依頼の報告を行うだろう。それから軽い食事をしたり買い物をするかもしれない。各々違いはあるだろうが一つだけ共通していることがある。依頼を終えた冒険者たちにしばしの休息を。




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