穏やかな朝④
「クルト?」
呼びかけたら、ワンテンポ遅れて、クルトはあたしに視線を戻した。
「今ですね、兄上から伝達が届いて。それに返事していました」
恥ずかしそうに頬を指でかきながら答えてくれた。
まて。伝達ってなんだ? 返事って?
訝し気に見つめていたら、クルトが「あ」と声を上げて小さく頭を下げた。
「ああああ、ごめんなさい。説明していませんでしたね! 伝達とはサトリ同士の頭の中で行う会話です。声を相手の脳に直接届ける、精神感応というものです」
意味が分からん。
クルトの顔がちょっと泣きそうになる。説明できなくて悲しくなってしまったようだ。
「まぁ。とりあえず会話できるってことだな」
(こんな感じです)
「わぁ!?」
頭の中で声が響いたので思わず立ち上がる。
(これを僕たちは伝達と呼んでいます。特定の相手を思い浮かべて言葉を飛ばす。互いを認識していれば言葉のやり取りができます。とはいえ、どのくらい正確に飛ばせるかはサトリの能力に左右されますが)
「これ一回聞いたことあるぞ! あいつの声が頭に響いて……ついにあたしの頭がおかしくなったと思ったやつだ!」
「え……兄上可哀そう」
「これか。これが伝達ってやつか。へぇ……これだと相手に聞かれないように会話できるのか」
凄いような、怖いような。
そんな事を考えつつ、あたしは席に座り直した。
クルトは「でも」と補足を付け加える。
「ミロノさんのサトリ能力は低いので、僕に返事を出すことはできません。なので僕がミロノさんの思考を読み、返事を出す、ということになります」
「そうなると、あたしは相手の話を一方的に聞くだけ、思考を読まれるだけか?」
「そうですね。だから母上が防御を徹底して教えてくれると思います。本当に危ないので。極秘情報がこんなに筒抜けになっているなんて恐怖を覚えます」
うぐ……。そんなこと言ってもなぁ……。修行に入ってなかったんだからしらねぇよ。
まぁ兄上が全力で防御していたはずです。と付け加えるのでさらにメンタルにダメージがくる。
リヒトがどこまで知っているのかすっごく気になるが、絶対に聞きたくない。
「大丈夫です。不必要な情報は読みません。知ったとしても全力で忘れます。それがマナーです」
「だが、いざという時のためにこの弱みや失態は覚えておこうと思うんだろう?」
クルトがにっこりと笑った。長殿にそっくりな笑い方だな。
仕草だけで答えが出ている。言わないだけで切り札や弱点を覚えているんだ。
まぁそれがサトリの戦い方なんだろうけど、うすら寒く感じる。
「では話を戻して、先ほど兄上から伝達がきました。ミロノさん宛てです」
ろくなこといわねぇだろうな。
「そのまま伝えますので少々口が悪くなります。『起きたかバカ女。寝すぎだ』と言っていました」
「やっぱろくなこと言わねぇな。クソが……」
チッと舌打ちすると、クルトが苦笑しながら「お返事しますか?」と聞いてきた。
本音としては言い返したいが、やめよう。直接本人に『謝罪の言葉はないのかこの冷徹野郎』って言えばいい。
「悪口の応酬になる。クルトを挟んで言って良い言葉じゃない」
するとクルトが「クス」と笑った。だがすぐにハッとして口に手を添えて首を横に振った。
「ごめんなさい! 兄上の機嫌が直ったみたいでつい笑ってしまって! あと『謝罪するわけねぇだろバカ女』って言ってます」
「はあ!? あいつ、あたしの思考読んだのか!? まじ腹立つ! 謝罪させる!」
「ミロノさんの感情強いですから余裕かと。ええと『謝罪するなんて時間の無駄だ。俺は修行しているから用があるなら来い』だそうです」
「療養期間とれたらみてろよ、マジで殴りに行くからな!」
クルトが「兄上楽しそう」とほっこりした表情になった。
と、思った次の瞬間
「いててててててててて!」
頭を抱えて飛び上がると、両手で押さえながら机に突っ伏した。
突然の出来事にあたしは驚きすぎて固まる。
「おい……大丈夫か? クルト?」
頭をなでてやると、「兄上に叱られました」と蚊の泣くような声でボソリと言った。
おそらく精神攻撃をしたのだろう。何か癇に障ったのか分からないが容赦ねぇ。
クルトが顔をゆっくりと上げると涙目になっていた。
結構痛かったんだな。もう少し撫でてやるか。
大人しく頭を撫でさせてくれるからよっぽど痛かったんだな。
うん可愛い可愛い。小さい子はどんな顔も可愛い。
クルトの表情に明るさが戻ったので撫でるのを止める。
「すいません。時間を取り過ぎました。ミロノさんの体調を考慮して、今日は授業の説明だけにします」
「配分は任せる」
クルトは自分の机に置いている分厚い本を渡してきた。読むように言われたので目次から一枚ずつ目を通してみる。紋の書物だ。
文字は読める。図形の形はわかる。
だが全く理解出来ない。仕組みを解読できない。早々に投げ捨てたくなった。
全く分からないと不安を口にすると、クルトは静かに「大丈夫です」と頷く。
「分からなくて当然です。ここに書かれている紋は誰でも扱えるモノです。しかし構成するとなると話は違ってきます。無から有を生み出し発動する鍵を創る工程は、簡単に理解できません」
「ううう……作れる気がしない」
苦手意識が芽生えてきそうだ。
「安心してください。学べば扱えるようになります!」
「そんな気がしないんだが……」
クルトは「いいえできます!」と力強く答えた。
「武術として考えてみましょう。奥義の伝承を読んでいるとします。文字に書いてあるので読めば理解できますが、読んだからといってすぐに技が扱えますか? 違いますよね? 鍛錬して動きを覚え、闘気の練り方を学んで初めて扱えるでしょう? それと同じことです」
おおおおお。そう言われると苦手意識が消えていく。
形は違うが、手順を学べば扱えるようになる可能性が上がるってことだな。クルトが勧めてくれるなら、アニマドゥクスがなくても使えるってことかもしれない。
「はい! これは精霊を操れない人達でも作れる技術です! だから僕が一番得意としているんです!」
……ん? なんだって?
あたしが視線を投げかけると、クルトは眉を下げた。
「お気づきかと思いますが、僕はアニマドゥクスとして中の下で強くありません。だから紋で補っています」
「いや気づいていない。そうだったのか?」
クルトは視線を下に向けて口をもごもごさせる。まるで恥じているかのような仕草だ。
「歴代の中ではそこまで弱くはないと、父上がおっしゃるんですが。父上も兄上も規格外なアニマドゥクスであり多彩な技の持ち主です。僕はどうしても二人と比較してしまって」
これは身近に乗り越えられない壁があるパターンだ。届かないもどかしさで悩み、苛立ち、悲しくなり、劣等感に苛まれる。
「だから、紋だけは負けたくないんです。優秀な使い手になって二人と肩を並べたいんです」
クルトは顔をあげて真剣な眼差しを向ける。
力強く、射貫くように見つめてくる瞳をみて、あたしは感動で胸が震えた。
武道のルーフジール家も歴代全てが強いわけではない。事情により弱い者が当主になることもある。彼らは自分だけの強みを握り締めて、気高く、後世へと技を繋げた。
クルトも同じだ。弱い事を知っているからこそ自分を磨いているんだ。
まだ幼いというのに素晴らしい考え方だ。
あたしは両手でクルトの手を握って、心持、身体を前に傾けた。
「そのような立派な志を持っているとは、感服した!」
「え、あ、はい……」
クルトが驚いたように目を白黒させている。
しまった。少し近づき過ぎたかも。
すぐにクルトの手を離して、
「あんたから教わるなんてあたしはとても運が良い。よろしく頼む!」
今度は握手を求めるため手を差し出す。
クルトは一瞬だけ目が点になったが、すぐにぱぁっと満面の笑顔になった。
「はい! こちらこそよろしくお願いします! 基礎からしっかりやりましょうね!」
授業は至ってシンプルだ。
本を開いて文字を辿り、クルトの説明を聞きながら一つ一つ意味を理解する。その繰り返し。
時間は限られている。あたしは真剣に取り組み、頭に叩き込むのであった。
読んでいただき有難うございました!
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