穏やかな朝②
ゆっくり食べすすめて胃が大分落ち着くと、周囲の状況を見てみる。母殿たちは薬草について熱い討論を語り合い、親父殿は……。
あれ、長殿の顔に打撲痕がある。腫れは引いてるが頬に真っ青な色が広がっている。
親父殿も目を凝らしてよく見れば顔がボコボコだ。
「親父殿、その傷……。長殿も」
「ああ。これか?」
親父殿は眉間を指で示した。赤みは消えて腫れも引いている。よく見なければ分からないが、打撲痕がある。十中八九、母殿だ。
「怒られた」
親父殿の一言に、長殿も頷いた。
夜に話した時に母殿は半ギレしていたから、あの後かその前か分からないが、殴ったんだろうな。
長殿も殴られたみたいだが傷が小さい気がする。母殿に殴られたら里のモノノフでも滅茶苦茶顔が腫れてしまうのに、とても頑丈なんだ。意外。
「当然だ」
「当然です」
うおおおお。両隣からドスの聞いた声が!
親父殿と長殿の顔色がちょっと悪くなって苦笑いしている。母殿たちの顔を確認したくない。無視しよう。
朝食を食べ終わる頃になると、親父殿たちの顔色が戻った。
こっそり母殿をみると、よし、普通の顔だ。立ったままパンをかじっているからリラックスしているはず。聞くなら今だ。
「母殿。あたしが書斎庫で倒れたあと、何があったか教えてほしい」
母殿は視線を向けてきたが、「そうね。えーと」と答えてくれたのはネフェ殿だった。
倒れた後のおさらいその二。
リヒトの精神攻撃で倒れたあと、ネフェ殿が回復してくれたので事なきを得たようだ。
しかし毒を摂取した影響に拍車がかかってしまい衰弱してしまった。
丁度その日に親父殿と母殿が到着。親父殿が毒について口を滑らせたため、長殿の関与も判明。母殿とネフェ殿が激怒し乱闘になった。
その後は母殿とネフェ殿が交代で介護してくれて、今に至ると……。
ネフェ殿は特に怒っていないようだ。
不思議だったので聞いてみると、あたしでは親父殿や長殿の頼みを断れないと分かっていたようで、「もっとよく注意すればよかったわ。ごめんなさいね」と、逆に謝られてしまった。
こっちこそ驚かせてしまって申し訳ないのに、謝られてしまうと……辛い。
母殿が無言で、あたしが使っていた食器を片付けて運んでいく。すぐに戻ってくると、次はネフェ殿が席を立った。彼女もすぐに戻って……ティーセットを持って戻って来た。カップが目の前に置かれると、お茶が……いや、独特のにおいがする薬湯が注がれる。
「これ飲みながら聞いてね」
「水分足りてないんだから、ゆっくり飲めよ。はいこれゼリー」
更に母殿がそっと小皿を置く。ぷるるん、と白と黄色の二層ハートゼリーが揺れた。
なんとなく見つめていると、ネフェ殿が話し始める。あたしは小さなスプーンでゼリーを突っつきながら、ちびちび口へ運んだ。
甘くねぇ。豆腐と薬草の味がする。不味くはないが騙された気分だ。
気を取り直して、話に耳を傾けよう。
次はリヒトについてだ。
あれからネフェ殿がお説教したらしい。
そしてあの日以来、全く長殿と話をしていないばかりか、顔も見ないようにズラして行動している。
ネフェ殿とクルトに対しては普通に接しており食事もきっちりとっているが、殆ど一キロ離れた別宅にいるそうだ。そこは親父殿たちが宿として使っているが、我関せずで過ごしているらしい。
うん、逆じゃね? あたしが別宅に行くべきでは?
とりあえず課題は真面目にやっているから大丈夫と長殿が口を挟んだ。そしてネフェ殿に睨まれていた。
取り付く島もなさそうだと眺めていたら、母殿がツンツンとあたしのほっぺを指で突っつく。
「ミロノ、良い事教えてあげよっか」
めっちゃニヤニヤしているから、碌なこと言わないだろうな。
「あんたの体調を気にしてリヒトが何度か部屋に来たけどさ。私が居たらすぐに逃げたわ」
余計な情報だった。
そしてリヒトの気持ちは分かる。母殿が悪乗りしたら盛大にからかわれる。逃げた方がマシだ。
「知ってるー! 二人っきりになりたかったのかしらね」
ふふふふと、怪しい微笑みを浮かべる母殿とネフェ殿。
こっちもか。だからリヒトここから逃げたんじゃね?
そうツッコミしたいが面倒なのでスルーした。無駄な火の子被る必要ないからな。
以上が、あたしが寝ている間の出来事。
さて、これからのことを確認しよう。
あと半年しか猶予がないから、計画的に段階を経て、技術を上げていかなければならない。
「それで、親父殿。あたしは何の修行をしたらいい?」
そう尋ねたらみな変な顔をした。呆れているような、苦笑しているような。
変なことを言っていないつもりなんだが……。
「焦るなミロノ。お望み通り鍛えてやるから。あと一週間は安静。それが儂の見解じゃ」
緑茶で喉を潤しながら親父殿がまったりと言った。
そうか、それなら仕方ない。体力回復をメインにつつ室内で出来る修行をしよう。
「では先に、紋を覚えることにしましょう。これから必要になる紋を覚えてもらいます」
長殿がクッキーを口で割って食べながら提案すると、親父殿がパァっと目を輝かせた。
「名案だ! 頭ははっきりしているんだから学問をすればいい!」
「クルトと共に一日八時間程度の学習を念頭に置きましょう。どのくらいの種類を覚えられるかはミロノさん次第。基礎から覚えてもらいます」
長殿の目つきが鋭くなった。
当面は学問に集中……詰め込まされるだろうなと思いつつ、「分かった」と頷いた。
「二人とも。修行は大事だけど、もうすぐ成人の儀があるから忘れないように。あと十五日よ。ミロノが体調を崩さないように日程を考えるんだよ」
母殿殿が半眼で長殿と親父殿を見つめると、ネフェ殿が大きく頷いた。
「そうですよ。リヒト君は大丈夫ですけど、ミロノちゃんはコロっと忘れて全力で打ち込む姿が視えるわ」
う……その通りだ。親父殿たちだけではなく、あたしにも釘を刺されてしまった……。
でもまてよ、そうか。長く眠っていたから日付の感覚がまだちょっとおかしいが、新しい暦がくる。
「あと十五日で十六歳なんだ」
成人の儀式まであと十五日。ついに大人になるのかと不思議な気持ちになる。
あれ? 里の方は大丈夫なのか?
親父殿と母殿は村の防衛の要であり、指揮官でもある。
あたしが生れてからは里を一か月もあけることなんてなかったはず。
それにあっちも成人の儀式あるよな?
「親父殿、村の守りと、成人の儀式は大丈夫なのか?」
気になって聞いてみると、親父殿はニカッと豪快に笑った。
「問題ない。オヤジーズにしっかり守りを頼んである。村の儀式は兄に任せたから、儂はここに来ることができたんじゃ」
オヤジーズは親父殿とその友人達が結成した新自警団だ。
平均年齢50歳。若い人が入りにくいその名称はモノノフの達人で構成されており、身内に優しく敵は壊滅という志を掲げる村の防衛線の一つだ。心強いが、彼らはやり過ぎな面があるからちょっと心配だな。
余談だが、オヤジーズの妻が集まったオトメーズというグループもある。どうして結成されたのか察してくれると助かる。
「そっか。成人の儀は一大イベントだし。滞ってしまっていたらどうしようかと思った。伯父ちゃんが引き受けてくれたなら大丈夫か」
「兄貴に理由話したら、とっとと行けって怒られてしまってのぉ。着の身着のままでマグマドランに乗って来たんじゃ」
着の身着のままって。
母殿がボソリと「私が荷造りしておいたよ。こいついつも思いつきで出発するから」と呟いてた。
うん。そうだろうな。
「ちなみに、ミロノはルーフジール家の儀式をやるから、村の衆に行うモノとは別物だ」
へぇ。そうなんだ。
内容は事前に教えてくれるのかな? それとも当日まで内容は秘密かな?
ここで長殿が「とはいえ」と口を挟んだ。
何故か少し困ったような顔をしている。
「昔と違って随分簡略化されており、当主のさじ加減で端折られることが多いですが、ファスのとこは短すぎませんか?」
「何を言う、お主のとこは長すぎる」
「そんなことありません」
互いの意見が気に入らないのか、親父殿と長殿が視線をぶつける。
その姿に呆れたように、母殿たちがこれ見よがしにため息をついた。
「おいおい、今する話じないだろ。その辺は二人で適当に煮詰めな」
「そうですよ。絶対外せない項目だけ詰め込んだ『重要だけコース』でいいじゃないですか。同じ長さになるよう調節してくださいね」
親父殿たちは、むぅっとした表情になると、ガリガリとお菓子を噛み砕いた。
仕草や動くタイミングがシンクロしてる。
彼らを眺めていたが、姿形違うのに双方、よく似てると思わざるを得なかった。




