和やかな朝①
早朝、鳥の声で目を覚ます。相変わらず窓の外は雪に覆われ薄暗い。
起き上がって灯をつけ、背伸びをする。
うん、倦怠感は完全に取れている。体は硬いが気分はいい。
母殿は……ベッドの傍にある椅子に座って机に伏せている。寝ているようだ。夜通し看病してくれたようで、なんとなくこそばゆい。
あたしが視線を向けた瞬間に、母殿は状態を起こし背伸びをしながら大きな欠伸をする。そしてこちらを見ながら優しい笑みを浮かべた。
「おはよ。ミ~ロノ。スッキリとした顔してるから快適な目覚めかな?」
「おはよう。やっと調子が戻ってきたようだ」
母殿は立ち上がって、あたしの頭をよしよしと撫でる。
「そうかそうか。安心したわ」
そのままベッドの端に座ると、あたしの顔を覗き込みながら背中や手を擦った。幼子をあやすように撫でられる。
これは多分、寂しかったのかな?
好きなようにさせていたら、全身の関節を撫でられて、最後にほっぺをふにふにされて終わる。
母殿は難しい表情になると、考えるように口元に手を添えた。
「ふーむ。なるほどね。全体的に肉が減ってるし、ほっぺもコケてる。これだと回復に時間がかかるわ」
「そうか?」
確かに肉厚が少し減った気がするが。回復に影響するほどって一体。
鏡で全身チェックしたいな。
「あれから二日ほど寝てたから、栄養足りてるか流石に心配になってたけど、やっぱり療養期間長くとらないといけないわ」
母殿の言葉にビックリして、思わず前のめりになった。
「まって二日も!? あたしには軽食を食べて数時間後の感覚なんだけど!?」
「いーえ。昏々と寝てたわ」
「まじか……修行時間が減ってしまう」
両手で顔を覆って呻くと、母殿が呆れたような顔になった。
「相変わらずだねそれ。とりあえずチェックするから動いてみな」
わかったと返事をしてすぐに動こうとしたが、身体が強張っていて動けない。
流石に一週間以上ずっと寝ていた影響がでているなぁ。
ゆっくりと、ゆっくりと。様子を見ながら座る。関節がギシギシ鳴っているので、大分ぎこちない動作である。母殿がスッと手を伸ばしてくれたので、手を借りて立ち上がり、数歩だけ歩いた。
畜生、病人の動きだなぁ……。
「ミロノ、ゆっくりでいいから体操してみな」
ある程度のスペースがある。両手を広げても当たらない場所で、あたしはゆっくりと両手を挙げて降ろし。背中と腰を伸ばし、捻り。身体を曲げて起こし。足を広げて閉じて。膝を曲げて立ち上がる。
体が重い……。
動かすたびに関節と筋肉がきしむ。血液が全身に流れるとなぜか倦怠感が強く出てきた。
それでもゆっくりと動かしていくと、母殿が笑うように目を細めた。
「あっはっは。体の動き悪いねぇ。質の悪い道化をみているようだよ」
「うっさい! 体が硬くなってるの!」
「わかってるって、この程度なら問題ない。ミロノ、足を踏ん張りな」
母殿があたしの後ろに回ると、バァン! と背中に強い衝撃がきた。
電流のような衝撃が全身に巡って、筋肉が揺れた気がする。
よろけて数歩歩いてから、振り返ると、母殿がドヤ顔をしていた。
なにをして、と文句を言うため姿勢を正すと、身体が滑らかに動いた。
「あれ?」
さっきまでの倦怠感が消えて、関節のきしみや筋肉の強張りも楽になっていた。
体を動かしてみると、先ほどよりもスムーズに動く。
「ほらね。ちょっと闘気入れてやっただけで動けるんだから、問題なし」
母殿は闘気をあたしに注ぎ、細かい振動を与えて血行の流れを良くすると同時に、固まった筋肉を強制的に柔らかくした。
長く床についている者に対して行うことが多い技である。
だがこれには欠点がある。それ相応の肉体を持つ者にしかできない。仮に、身体のできていない子供や、骨折や内臓損傷の怪我人、妊婦、骨や筋肉が弱い老人にやると危険だったりする。
「ありがとう、助かった。だがもう少しちゃんと言ってくれ」
礼と若干の文句を伝えると、母殿はこっちに来いと手でドアを示した。
「よし、あんた臭いからすぐ風呂行くぞ」
超笑顔で言われた。
あたしは苦虫を潰したように呻いてしまう。
二週間も入ってないとそりゃ匂うだろうよ。下着も変えてないからな。
だが、言い方にデリカシーがない!
臭いと言われたらちょっとショックなんだが!?
「臭いって言うな。あたしだって傷つく」
「本当のことだし」
「傷ついた!」
「ほらほら。みんなが起きてこないうちに入りに行くよー」
母殿はあたしの腕を引っ張り、悠々とドアを開けた。
久々の湯船は大変気持ちよかった。
母殿も一緒に入って来たのは驚いたが、あたしが中で倒れないように介助してくれたし、背中も洗ってもらえた。髪を拭いてもらい乾かしてもらった。
子供に戻ったようで恥ずかしかったが、案外悪くなかった。
複雑な気持ちがあったものの、甲斐甲斐しく世話をしてもらいながら身支度を整える。
結構、身体がふらついたので助かった。
鏡で全身を確認すると、顔はやつれて、身体は細くなっていた。自分の姿に思わず空笑いしてしまう。
「大病から回復したみたいな風貌だ。笑える」
「ありがち間違いではないでしょ? 毒物で内臓弱ったうえに飯食ってないんだから」
「確かに……」
二枚ほど多めに羽織をかけてから脱衣所をでると、母殿がまた腕を引っ張って誘導し始めた。この方向はリビングである。確か時刻は朝食時だったはず。
「飯食いに行こう。ネフェはすぐに準備してくれる」
あ、今の時間、誰が居るんだろう。リヒトかな?
ぶっちゃけ、いまは会いたくないな。
なんていうか、あたしの言葉が悪かったから改めて謝りたいんだけど、丁度いい言葉が浮かばないんだ。スルーするのも駄目だろうしなぁ。
悩んでいても母殿の足は止まらない。
あっという間にリビングに到着してドアが開く。
リビングにはテーブルの椅子に腰かけ雑談をしてる親父殿と長殿がいた。
ドアが開いて二人の視線がこちらに向かう。
「おお!?」
親父殿があたしに気づいた――と思って瞬きをした瞬間に、立ち上がってこちらに体を向ける。もう一度瞬きする間に距離を詰められて目の前にやってきた。両手を広げてハグをする気満々である。普段なら避けられるが、今は無理だ。
「ミロノおおおおおおお! 起きたかああああああ!」
「ぐはっ!?」
巨体にがっちりとホールドされてしまい、思わず潰れた声を出した。暑苦しい抱擁が拷問に近い。
力加減間違えてるんだけど!?
めきめきと肋骨がきしんだところで、母殿があたしから親父殿を引きはがした。にこやかな顔をしているが雰囲気は冷たい。
「軽率に女性を触るんじゃないよ」
「えー。娘じゃぞ? 儂、久しぶりに会うんじゃが……」
「年頃の娘に全力で抱き着くな馬鹿か」
母殿は親父殿の腕を引いてリビングに入りながら、反対側の手でテーブルを示した。見ると、ネフェ殿がテーブルの端にある椅子の後ろに立ち、あたしに向かって手招きをしている。
こっちにこい、ということだろう。
近づいて一礼すると、「おはようミロノちゃん」と、ネフェ殿が柔らかい笑顔を向けた。そして椅子の背を掴み後ろにさげて「ここに座ってね」と促される。
有無を言わせない迫力を感じるのは気のせいだろうか。
長殿や親父殿の正面に座りたくないな。
「ほら。あんたの好きな端っこの席なんだから、さっさと行きな」
迷っていたらと母殿に促された。
いや、べつに端っこが好きってわけじゃなくて……いや、別にいいか。
あたしが着席すると、ネフェ殿が料理をもってきた。
「いきなり沢山食べると胃が吃驚するから、ミロノちゃんは胃に優しいレシピよ」
数種類の野菜をじっくり煮込んだ鳥のスープとマカロニ、柔らかいパン。そして小さく切っている林檎。
スープをすくってマカロニを食べようとして、微かに香る香料に覚えがあった。
「この匂い」
え? 待って。マジ? 激マズ薬草の香りなんだけど。いや、食べるけど、うん、食べるけど。
美味しい匂いのくせにマズイのかと思うと、残念な気持ちになるだけだ。
「あ、気づいた? リーンの薬草レシピを応用したの。これなら美味しいと思って」
ネフェ殿があたしの手からスプーンを取ると、スープをすくって、「あ」と長殿を指さした。
なんだろうと思って視線を向けると、口の中にスープを突っ込まれる。
自分で食べるってばっ!
そう思いながら咀嚼する。
あれ? マカロニに数種の薬草が練り込まれているけど、苦みが丁度よいアクセントで美味しい。
嘘っ!?
ミルクに入れている苦々しい物体とは思えなう、桁外れの美味しさなんだがっ!?
吃驚していると、横にいた母殿が立ったままスープを食べて、大げさにため息を吐く。
「こんなに美味しく作らなくてもいいのに」
「リーンは大雑把すぎ、料理は美味しいからいいの!」
あたしを挟んで、母殿たちが口論のような雑談を始めた。頭の上で止めてほしいと思ったが、料理の美味しさが不快感を上回る。
食べることに集中すると、他のことがどうでもよくなるな。




