少しの弱音②
「母殿。腹減ったからそれ食っていいか?」
テーブルに置いてあるサンドイッチが気になって仕方がない。
母殿はお盆をあたしに押し付けた。サンドイッチとミルクがある。サンドイッチを手に取ると、卵とハムとチーズとトマトが挟まっていた。匂いを嗅ぐと口の中に唾液が出てくる。
いただきます、と言ってから、一口。
うんうん。卵に砂糖が入ってるのでやや甘め。チーズとハムの塩気とトマトの酸味が絶妙にマッチしてうまい。パンはやや薄く切られてバターがしっかり塗られているからしっとりしてる。
胃がびっくりしないよう、一口をゆっくり丁寧に噛みしめる。
「まぁミロノ。そのうちリヒトが謝るだろうから、文句言わず、サッと水に流してやりな」
母殿が緩い笑顔を向けた。
「いや、ないだろ」
あたしは否定する。
あいつは謝るタイプじゃない。避けなかったのか間抜けめって煽るタイプだ。
「一年前ならその意見に賛成してるけど。自分に非があることを理解していたし、後悔しているようだったな」
「面の皮が厚いだけでは?」
母殿は腕を組んで「うーん」と首を傾げて、「ふっ」と鼻で笑った。
「男の子は急成長するからねぇ。昨日とは違うってことがよくあるのさ。しかもネフェの子だ。経験の吸収が早いんだろうよ」
母殿は少し楽しそうに笑顔を見せていたが、突然、眉間に深い皺を寄せる。
「それよりも問題はクマとルーたんだ。ネフェにすら黙っているだなんて愚策をよく考えついたものだ」
おおう、急に怒りを思い出すんじゃない。
部屋の温度が下がってくる。まったく、寒くなるからやめてほしい。
「一万歩以上譲って毒を摂取したとしても、倒れたミロノの介護をどうするつもりだったのか。術で維持した証拠があったから信じてやったが、そうでなければ私がネフェを奪って里に帰るぞ」
やり方が可愛らしい気がするが、長殿にとっては大ダメージかもしれない。
「母殿。あたしはその点も了承している」
「おや? 庇うのかい?」
目がマジだ。一瞬で怒りの沸点とうに超えてるじゃん。
「いや、真実を述べているだけだ」
母殿が肩をすくめた。
「そうだろうね。もしも、ルーたんが全介助するとしたら、あんたは受けたかい?」
「受けない」
「だがクマとの約束があるよな。その辺りはどうするんだ? 約束を反故にしてもいいが、果たしてあんたの性格でそれができたのかねぇ。それよりもまぁ仕方ないかと受け入れて任せたんじゃないかい?」
うぐぐ。否定できない。
任務最優先と考えて恥ずかしさをひっこめる可能性も無きにしも非ず。
畜生、痛いところを突かれたんだけど。
あたしが黙っていると、母殿が苛立ったように口をへの字にした。
「私があんたに怒っているところはそこだ。ルーたんだからよかったものの、男に隙を見せるな。あっさりやられるよ」
それは、と反論しようとしたら、言葉を畳みかけられた。
「まずは自分の身を第一に考えな。まぁ事が起こっても良しと決めたのなら何も言わないけどさぁ。あんたも一人の女なんだからもう少し注意してもらわないと駄目じゃん。ネフェに教育が甘いって怒られたんだから」
母殿がぷんぷんと頬を膨らませている。
こんな表情をさせるなんて、ネフェ殿恐るべし……。
「とはいえ、結果的にあんたが死ぬ寸前になったのは、リヒトを放置したルーたんの落ち度だ。あはは。あいつも落ち度なんて作るんだねぇ」
ケタケタ笑い始めたがその目は一切笑っていない。激おこだぞ。
胸の前で組んだ腕が動いて、こっちにナイフが飛んできてもおかしくない。
この怒りがあたしに向いてないから助かっているが、ううう、針のむしろにいる気分だ。悪寒がする。
「母殿。普通に笑ってほしいんだが……」
ピタリ、と母殿が笑うのをやめた。
すぅっと表情が消えて、死人のような死神のような、表現に困るほど不気味な表情に変わると、周囲の色彩が失われて白と黒だけの世界になる。彼女の体から冷気のような殺気が放たれる。
全身にゾワッと鳥肌が立った。激こわだ。
「あんたが生きてるから笑って済ませてやってんだ。でなかったらクマもルーたんもぶっ殺してた。最愛の夫だろうが友人だろうが、あんたに危害を加える奴は死ねばいい」
母殿が思った以上に怒り狂ってる。仕方ない、ちょっとガス抜きしておくか。
「有難いんだが愛が重すぎて窒息する」
ちょっと茶化すと、母殿は「ふっ」と鼻で笑って、表情を戻した。景色に色彩が戻ってくる。冷気もなくなった。はぁ、これでやっと呼吸ができる。
「おっといけない。愛が重すぎると潰れてしまうね。まぁ、アホどもはネフェとこってりしっかりくっきりと絞ってやったから、一か月くらいは反省を維持するはずだよ」
何をしたか想像もしたくないが、多分、無抵抗の相手に遠慮なく奥義のコンボを決めたんだろうな。
親父殿は五体満足なんだろうか……いや手足失くなっても回復させられて気が済むまでボコボコにされただろうから、今はぴんぴんしてるはずだ。
「だからミロノ。クズどもに毒のお誘いをされたら受ける前に、ネフェが私に必ず言えな?」
そんな怖い笑顔で言われたら「はい」と頷くしかないだろう。怖いから話題を変えよう。
「丸一日くらいなら修行に影響ないよな?」
母殿は静かに頷いた。
「よかった。闘気術を完璧に使えるようになりたいから時間を無駄にできない」
本心である。魔王と戦闘してみるとまだまだ足りない部分があった。そこを補うためにはどうしても両親の力が必要である。正直、こうやって寝ている時間すら惜しい。
母殿は目を細めると、口元を手で隠しながら笑った。
「ははは。相変わらずで安心した。なら、起きたついでにこれを食え」
飲み物は……あれ何か混ぜてあるぞ。この匂いは……!?
「もしやこれはあの激苦の……」
母殿はにんまりと笑顔を浮かべた。
間違いなく仕込まれている!
疲労回復に効果ある薬草を片っ端からミキサーで混ぜ合わせて作られる母殿お手製の激マズレシピ。『味よりも効果が一番!』を。
あたしが体調を崩すと必ず突っ込んでくる果てしなく苦いこの薬を!
飲む……しかないかぁ……。
うんざりしたような視線をミルクに向けると、母殿はにやにやしながら軽食を指し示す。
「早く回復して修行しなきゃいけないだろ。それ食べたらもう一寝入りしな。私が見守っていてやるから」
つまり薬を飲むまで席を外さないと。
まぁ回復するのが早くなるからちゃんと飲むけど、ほんとに舌が痺れるほど苦いんだよなぁ。
「はい。いただきます」
激マズミルクを喉に押し込んだ。
えっっっぐっっっ! にっがっっっ! まっっっず!
舌と喉にビリビリした痛みがする。不味すぎて吐きそう。
サンドイッチが格段に美味しかったので余計に口の中に残る。
ううう、普通にお水が欲しかった。
食べ終わったら気力が尽きてしまったので、もうひと眠りしようと布団に潜り込んで目を瞑った。
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