覆水盆に返らず②(リヒト視点)
母上の説教は最初の数分で理解するのをやめた。
BGMのように聞き流しながらずっと手元を見て時間を紛らわせていたら、いつの間にか隣にクルトが座っていた。
なんでお前まで俺の説教を受けているんだ?
クルトは情けない顔をして頭を下げている。
あっちいけ、という意味を込めて、とんとん、と肩を叩いた。
クルトはハッと顔を上げると、また項垂れた。
いやだから……ああくっそ。面倒だな。
「母上、待ってください。クルトが説教を受けているんですが?」
手を上げて中断すると、母上がちらりとクルトをみた。
「怖い空気に慣れたいんですって」
「ドエムかよ」
しまった。うっかりツッコミをしてしまった。
「すみません兄上。母上から怒られることは滅多にないので、精神の修行できると思い混ざりました」
目を輝かせて胸を張るな。こんなことを修行として使うな。その趣向は一種の変態だ。
そこは父上に似なくていい。危険だ、追い払おう。
「人の説教に混ざってどうする。あっちに行け」
「いえ。兄上と一緒にお説教を受ける機会なんて早々ありません。苦労を共に学びたいのです。是非ご一緒させてください」
こいつ……一点の曇りもない目で見つめやがった。
本気で俺と一緒に説教を受けたいと思っている。
これは……何か影響を受けていると考えていい。誰だクルトに変なことを教えたのは!
「お前に変なことを教えたのは誰だ」
「メルヴィナが言っていました。苦難と説教は進んで受けるべきだと」
「そうかメルヴィナか……。残念だが、意味が少し違っている」
「え?」
「後で話をしてやるから今はあっちへ行け」
シッシと追い払うと、クルトは落ち込んだ表情になると「わかりました」と頷いて立ち上がった。そのまま肩を落としてリビングから出て行く。
人の苦労まで買わないように言い聞かせて、あとでメルヴィナを絞める。
姿勢を正して母上を見つめる。
さて、説教はあとどのくらいかかるだろうか。
「あ。父上、お帰りなさい」
「ただいまクルト」
父上がリビングに入ってきた。滋養強壮に良い野菜をいくつか手に持っている。肩と頭に雪が掛かっているので外から戻ってきたようだ。
「ネフェ、頼まれていた野菜を買って来たよ。台所に置けばいいかな?」
「ええ。ありがとう」
「これでミロノさんに美味しいのを作ってあげてください」
「はあ!?」
元凶の癖に何言ってんだ!?
思わず立ち上がって父上を睨むと、上から水かかかって来た……母上だ。
「リヒト君、まだ私の話が終わってません」
くっ。頭を冷やせってことは分かるが、イラっとする。
俺が濡れたままどかっと胡坐をかいて座ると、母上がすぐに乾かしてくれた。
そんな光景を尻目に、父上がサッと台所へ向かって戻ってくる。あの飄々とした顔に熱湯を浴びせたい。
「ところで、珍しくリヒトにお説教しているようですが……。ネフェ、なにがあったのですか?」
父上の目が笑っている。察してるくせに聞くのか。くそが。
「ミロノちゃんに精神攻撃しちゃったんですって。だから私は激おこです」
「おや珍しい凡ミスですね」
こっっの……マジで……暴露してやろうかくそ父上め!
「それでミロノさんはどこに? 衰弱しているなら栄養剤でも投与しましょうか?」
「はあ!? 何言ってんだ!」
とんでもない発言を聞いて俺は思わず腰を上げた。しかし母上が手で制す。
「心配なのは分かるけど、食事と睡眠中心の養生で大丈夫よ。貴方の配合はたまに変なことになるから駄目。絶対に許しません。あと勝手に顔を見に行かないでね。こっそりと栄養剤を与えに行かないでね。行ったらセクハラとしてぶっ倒すから。リーンとファスさんに似てるからって距離感を間違えないでね頼んだわよ」
よく言ってくれた母上。胸がすく思いだ。
俺は腰を落として座り直した。
「はいはい、気をつけます」
父上はにこりと笑うとリビングから出て行った。
書斎室に向かうと思うが……思うが……気を付けるとしか言ってないことに引っかかる。
「リヒト君、そこまで心配しなくていいわ。風の護りをつけているから、私がすぐに気づきます」
「母上は気づいていますよね。父上の距離感がおかしいことに……なにか企みがあるのでしょうか」
母上は「ふふ」と苦笑した。そして両手を組んで首を左右に振る。
「あれはね。会えたことに凄く喜んでしまってテンションがおかしくなってるだけ。私同様に、我が娘のように感じているから構いたくって仕方がないのよ」
「はあ……?」
なんだそれ。まったく分からない。理解もできない。
「不思議でしょ。友人の子を我が子のように感じるなんて」
「はい」
「ルーの兄弟は四人だったけど、家族ともども全員死んでしまったから、リヒト君とクルト君の二人だけが賢者ルーフジールなの。武神ルーフジールはファスさんのお兄さんの子供がいるから、ミロノちゃんを入れて六人だったかしら。その程度しかいないのよね」
話しが見えない。母上は何を言いたいのだろうか?
「ルーはね。寂しいのよ。兄弟とその家族がいなくなって悲しいのよ。ミロノちゃんはルーフジールでしょう? 彼女の中に誰かの面影を見たのかもしれないわ」
「……はあ」
やはり意味が分からないので「はあ」と生返事を返した。
母上は柔らかい眼差しで俺を見る。
「うん。今は分からなくていいわ。これはそのうち分かるかもしれないことだから」
そう優しい声で言った後に、
「では。さっきのリヒト君の態度について物申します」
説教が再開した。
やっと解放された。
窓の外は薄暗くなっている。時間にすれば四時間ってところか。
自室に行く前にミロノの部屋に足を向けた。
「……いや。特に何も言うことはないはず」
明日の予定を確認する必要がないことに、部屋の前に到着して気づく。
宿に泊まるたびに足を向けていたから習慣となっているようだ。
ドアノブを見つめる。鍵はかかっていないので入ろうと思えばいつでも、誰でも入れる。
少しだけ迷ったが、ドアを開けた。
真っ暗の中から寝息が聞こえる。中に入って、机の上に置いてある小さなライトをつけた。
少しだけ部屋が明るくなる。
ミロノがベットで寝ている。顔色が良くなってきているので母上の回復術が効果を出しているようだ。
しかし大分ダメージを負ったのでいつ目覚めるか分からない。
俺の精神攻撃を受けた奴は、二度と目が覚めないか、生涯寝たきりか、一週間以内で後遺症もなく回復するという極端な結果となる。
「弱ったところに俺がトドメを刺した……か、笑えない」
本当に、少しだけ文句を言いたかっただけだ。
それなのにこの状態。旅の途中でなくてよかったと本気で思った。
「今度は対処術を学び直す必要がある」
うすうす感じていたが今回の件ではっきりした。
ミロノと行動していたら平常心を貫けれない。
こいつを相手にしただけで様々な感情が湧いてくる。それはすなわち、感情のコントロールが破綻して能力の暴走が起こりやすくなるということだ。
精神と肉体の回復術を修得しなければ、この先はもっと大変なものとなる。
だが、俺はどうも光のアイエーテルと相性が悪い……。闇の方が相性がいいのでどこまで使えるようになるのか分からない。
まぁやるだけやってみるか。少しでも習得すれば何かの足しになるだろう。
ミロノが寝返りをうった。布団にくるっと丸まっている。
気持ちよさそうに寝ているのを見ていると……だんだんムカついてきた。
よく考えればこの十日間、父上とこいつに振り回されてきた。こちらの心情すら考えず突っ走りやがって……。
「目が覚めたら叩きのめす。覚悟しろよ」
顔を見たらすぐに部屋に戻ろうと思っていたが、やめた。
俺は本棚から三冊引き抜いて机に置くと、仕舞われた椅子を出して座り、植物図鑑を開いた。
どうせ部屋に戻っても本を読むだけだ。ここで読んでもいいだろう。
読んでいる間にミロノは何度か寝返りをする。
時折あいつの状態をチェックしながら、最初から最後まで丁寧に読んで時間を潰した。
遅めの夕食が終わって入浴を済ませた。
自室に戻ったらさっさと寝るのでその前に、ミロノの様子を見ておくかと思いつつ、脱衣所から通路に出たときだ。
「なに黙ってやってくれてんのこの馬鹿ああああ!」
「すまーん!」
という女性の罵声と、男性の悲鳴がして床がドスンと振動した。
「あなたも何で黙ってたの!」
「はい、すいません」
と母上の罵声と、父上の謝罪が聞こえて床に強い振動がおこった。
角度があるためここから玄関は見えないが、何が起こったか想像に難くない。
俺は答え合わせをするために玄関に移動する。
そこには武神ルゥファス=ルーフジールとその妻ネフェーリンがいた。父上と母上同姓同名だが俺はフルネームで呼んでいる。
こちらにやってくると前もって聞いていたが……もう当日になっていたか。
なんだかあっという間だったな。
二組の夫婦はそれぞれ妻が二堂立ち、夫が床に這いつくばっているという構図である。
「毒を投与するならまず私に相談しろって口を酸っぱくしていったわよね!?」
「うむうむ。だからさらっと言ったではないか」
「今・聞きました・が!?」
ネフェーリンさんは殺戮者のような面持ちでルゥファスさんの襟首を締め上げている。対して彼はへらっとした締まりのない顔ですまないと軽く謝っていた。
「あなたです! ファスさんとこそこそ行動して! なんで前もって私に言わないのですか!」
「はい。申し訳ありません。はい。おっしゃる通りです弁解の言葉もございません」
暗殺者のような冷たい面持ちの母上と、重々しく頭を何度も下げて土下座する父上。
これはおそらくミロノの件だ。
双方、黙ってやったので怒られている。ざまぁみろ。
ジト目で二組の夫婦を眺めているとネフェーリンさんと目が合った。
怒りに満ちている眼差しに背筋がゾッとしたが、俺を見た彼女はパッと表情を緩めた。
「ぉこんばんは~リヒト。元気?」
ルゥファスさんをパッと離すと笑顔で近づいてきた。笑顔だが凶悪だ。まるで獰猛な獣が近づいてくるような緊張感が走り、思わず足が下がった。
相変わらず目が死んでいて感情が何一つ読めない。サトリを使っても何一つ読めない。不気味だ。
「心配してミロノを探してくれたんだって? ありがとうね。素直馬鹿な娘で迷惑をかけるわー」
「……いえ。気になったので」
喉が詰まったような返事をすると、ネフェーリンさんはくるっと後ろを振り向いて、母上を手招きした。
「ネフェ。馬鹿ども後にして、ミロノのとこ案内してよ」
「うん、わかったわ」
母上が土下座している父上をひょいっと飛び越える……ついでに後ろ足で頭を蹴っていた。
こっちに歩いてくるが、表情がなく目が笑っていない。
「賑やかにしてごめんねリヒト君。もう上がって休みなさい。明日まで降りてこないようにね。そうそう、クルト君にもしっかり伝えておいてね」
母上は俺の頬を撫でながら、全く笑っていない笑顔をむけた。
「気になるだろうが、くれぐれも詮索しないように」
ネフェーリンさんが緩い表情のまま、くるりと後ろを振り返る。次の瞬間、ドッと、息が詰まる様な殺意の塊が父上たちに放たれた。
「わかっていると思うけどあの子の状態によってはアタシがブチ切れる可能性がある、死を覚悟しろ馬鹿どもが」
冷たい圧力の余波を受け、俺は生唾を飲み込んだ。
瞬きをする間に首が落ちる――そんな想像が過り、背中に冷や汗が浮かんだ。
なのに父上たちは、「わかってる」と遊びの誘いを受けたような嬉しそうな表情をしている。
あいつら頭がイカレているんじゃないか?
「私が即座に回復するから壊れないわ。徹底的にやっちゃって」
母上がドヤ顔で胸を張る。刺しても死なないからいくらでも刺せといっている。
「頼もしいぞネフェ」
にやりと暗い笑顔のネフェーリンさんを見ていると寝れなくなりそうだ。
狂気を肌で感じつつ俺は、「では失礼します」と一声かけてから階段を上がった。クルトに声をかけてから自室に入ってベットに潜り込んで寝ようとするも、夜中に激しい振動がおこって部屋が揺れる。
気になる……。
でもまぁ……朝まで大人しくするしかない。
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