覆水盆に返らず①(リヒト視点)
「お前のことなんか……え?」
ミロノが滑り落ちるように倒れた。
胸倉を掴んでいたので、咄嗟に体重を受け止めるように引っ張る。
……が、筋力不足だ。片手では支えきれないので、頭を打たないように注意しながらゆっくりと床に寝かせた。
驚いたことで、荒れ狂った感情が一気に静まって冷静を取り戻す。
「……おい、どうした?」
軽く肩をトントンと叩いてみる。反応はない。気を失っている……何故だ?
手を離して数秒ほど見下ろしつつ考えて、無意識に精神攻撃をしていたことに気づいた。
「はぁ……マジか……」
久しぶりの失態に俺はため息を吐いた。
感情が高ぶると周囲にいる奴らへ無差別に精神攻撃をしてしまうので、なるべく感情を鎮めている。
それなのに、激しい怒りでコントロールが破綻したなんて……一番悪いパターンだ、信じられない。
そもそも父上は人当たりが良い。他者からの信頼を得るよう意図的に行動しているので、あいつが信頼するのは当たり前だ。単純かつ表面しか物をみてないから余計に信じるだろう。だから毒で生死の境を彷徨っていても信頼は全く崩れない。それでいいはずだ。
いいはずなのに……気に食わなかった。
読めば読むほど、数か月ほど共に行動した俺よりも信頼していると痛感させられた。
少しだけイラついた程度だったはずだ。それがまさか、ここまでの怒りになるとは予想外だ。
右手で額を触りながら「どうするかな」と呟く。
まぁやってしまったのなら仕方がない。生きているうちに対処するだけだ。
ミロノの顔色は真っ青になっている。呼吸が荒く、脂汗が頬を伝って垂れている。
意識はないだろうがもう一度呼びかけてみる。
「おい、聞こえるか?」
返事はない。
まぁできないよな。俺がよくわかっている。
はぁ……どんな状態になっているんだ?
ミロノの頭に手を乗せて調べてみると、予想通り、怒りの波動があいつの精神を攻撃していた。
俺の予想よりも遥かに強い力を叩きこんでいる。精神を防御する力がないこいつにとっては、防具がないまま数本の刃物でめった刺しになっている感じだ。
これはかなり不味い。数十分で脳が委縮して廃人になる。
早急に回復させなければならないが、俺は回復に全く力を入れていないため下手だ。
母上は台所にいるはず。頼みに行こう。
書斎室のドアを開けてから、ミロノを左肩に担いだ。
「…………?」
ん? 妙に軽いし柔らかい。それに背中に弾力のある柔らかいものがある。
そうか! 暗器はもとより防具の類もつけていないのか!?
しまった……下ろすときに気をつけないと……面倒だなくそ! いつものように防具くらいつけとけよ!
毒づきながら通路を全速力で走った。
台所へ向かうにはリビングを通る必要がある。リビングのドアを蹴って開けると、母上がテーブルにお菓子を広げて食べていた。
「へ?」
「母上、手を貸してください!」
母上はきょとんとしながら、駆け込んできた俺たちの姿をみていたが、
「きゃああぁぁぁぁミロノちゃんヤバいじゃない!?」
すぐにミロノの容体に気づいて椅子から立ち上がった。慌てているので足がもつれていたが、俺がリビングに入った途端に目の前にいた。いざという時は動きが素早いと感心してしまう。
「ええええ、見送ってわずか十五分でこんなことに……」
母上はすぐにミロノの頭に手を添えて詠唱する。
アイエーテルの回復術だ。母上の手が光ってあいつに吸収されていくが、すぐ治らない。
よほどひどい状態なんだろうな……俺がやったけど。
「母上、こいつ寝かせます」
ずっと担いでいると色々気になって辛いので、片手で椅子を並べて寝る場所を作る。
余計な部分を触らないようミロノを椅子の上に寝かせると、母上が頭の所に移動して座る。再び回復術がかけられるのをみながら、俺は母上の隣に胡坐をかいて座った。
三十分ほど経過すると、母上がドッと疲れたように体勢を崩したので、そっと背中を支える。
「中和したわ。これでもう大丈夫よ」
「助かりました」
「ははは……家に居て良かったわ。外に出てたら間に合わなかったかも」
母上は疲労と呆れと憤りが混じったような引きつった笑顔をみせた。
俺はミロノをみる。顔色は悪いままで頬はこけたままだ。衰弱は治せなかったか。
「肉体疲労は私では治せないわ。休息と栄養の二点のみよ」
俺の視線だけで答えが返ってきた。侮れない。
「それでリヒト君、どんな理由があればこんな酷いことができるのかな? ミロノちゃん本気で死ぬところだったんだけど? しっかり怒るから話してくれるかな?」
治療の過程で俺の精神攻撃だと分かったようで、母上が静かな怒りを放った。目が据わっているので半ギレだ。
理由を述べよ、か……。
まぁ、いきなり殴られなかっただけマシだ。
母上は口よりも先に手がでるタイプだから本気でキレたら鉄棒を持ってきて殴ってくる。
今回は叩きのめす前に釈明をさせてくれるようだ。
母上が俺の正面に座り直したので、胡坐をやめて正座にかえた。
ついでに二人分の距離を開けて不意打ちの打撃に備えておく。
「ミロノちゃんをこんな風にした理由を詳細に述べよ」
「精神攻撃を与えました」
隠さず攻撃方法を述べたら、母上が黙った。
「だからその理由はなに? 怒りで我を忘れたならそれなりの理由があるはずよ」
どう答えるべきか。
包み隠さず話すことは可能だが、父上が死ぬかもしれない。まぁ死んでも良いけど。
いやよくないか。クルトがまだ成熟してないからもう少し生きていてもらわないと。
俺が矢面に立てばいざこざが起こるし面倒だ。
綺羅流れ存続のため、父上の目論みに乗ってやる。
「黙って雲隠れしたくせに、反省の色が全くなかったので」
母上は少し考えてから、顎に右手の人差し指を添えた。
「それは……リヒト君が散々心配していたのに、ミロノちゃんから返ってきた言葉や態度に重みがなかったから? 苦労が報われないと感じて怒ったの?」
待て。俺は別に心配なんてして……多少、しただけだ。
「自分主体で考えちゃダメよ。他人と価値観は違うのだから、想いに対して同等の想いが返ってくることは稀だと考えないと」
「そんなことを考えたことはありません」
キッパリと否定すると、母上は苦虫を潰したような表情をした。
「まぁいいわ。言葉では説明できない部分だし……それで? 原因はなに?」
はぁ。とため息をついて、探る様な目を向けてきた。
俺の言葉を疑っている。
「ですから。こいつに反省の……」
「それを差し引いても。リヒト君がブチ切れする理由が他にもあるはずよ。貴方はすごく我慢強いから少々のことでは響かないし怒りも湧かないでしょう? だからこそ聞いているの。ここまでにした原因をね」
しまった、そうきたか。価値観の違いで手を打つべきだった……。
どうするか。母上に嘘は殆ど通用しない。
事実に虚無を混ぜなければいけないが、どこまでぼかせばいいのか。
ここはいっそのこと……。
「道中で決めたルールを守らなかったからです。軽んじられたと感じました」
誇張したが嘘は言っていない。
前もって行動を知らせるルールを破ったのは本当のことだ。
「ルール破ったから……そうなの? そうなの……ふぅん?」
母上の視線が和らいでいくので、信じた……のか?
「その程度でこんなことをやったのなら、まだまだ私の愛情が足りなかったようね」
母上の怒気が強くなった。見据える瞳に怒りが灯っている。
愛情と言っているが、これは再修行とか絶対に絞めるという意味で、修行という名目で殴り倒す宣言だ。
母上のアニマドゥクスは防御と回復に力を入れている。
攻撃は俺の方が上だが、母上は肉体の防御をあげて体術と自然の罠を駆使し、相手を追い詰める手法をとる。
巧妙な使い方をするため、俺も全て回避することは不可能だ。
「修行も途中で終わってたし丁度いいわ。相手を廃人にさせないようにもっと根底から心身を鍛えて直してあげる。ミロノちゃんが回復次第、取り掛かりましょう」
「はい」
俺に拒否権はない。
「よし。ミロノちゃんの容体に変化はないわね。よしよし」
母上が振り返ってミロノの頭を撫でた。
そして俺に向き直って人差し指で示す。
「ミロノちゃんを部屋まで運んで。手荒にしたら駄目だからね」
「はい」
俺に拒否権などない。
「あと防具つけてないみたいだから、あまり変なとこ触らないようにね。ダイレクトに感触が分かるから思春期の男の子にはあとが辛いわよ」
「黙っていてください」
母上の監修のもと、ミロノを肩に抱えて部屋に運び、ベッドにゆっくりと寝かせた。
母上が身なりを整えて布団をかけると風の精霊を呼んで術をかける。これは体調管理に使うもので異常を感知すると知らせがくるものだ。
ひと段落したのでリビングに戻ると、母上は椅子を取り出して座り、俺には地べたに座るよう指示される。さっきのは動機調査だ。今から説教が始まる。
「リヒト君にお説教なんて数年ぶりね」
母殿はあきれ果てたような顔になり腕と足を組んだ。
冷たい視線と冷たい声色が俺に向けられる。
「あなたの力はとっても強いって自覚有りますよね。それなのにどうして防御できないと分かっている相手に精神攻撃を仕掛けるのですか? 廃人にできるという自覚はありますよね? 相手の人生を奪うことがどのようなものか分かっていますか?」
何年ぶりだろうなと思いながら、くどくどくどくど続く怒りの言葉を粛々と聞いていた。
母上の説教はとても長い。一時間程度では終わらないからちょっと眠たくなる。だがうとうとすれば眠気覚ましに氷水をかけられるから眠ることはできない。とても退屈だ。
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