何事もないはずの目覚め③
呆れたように見つめていると、長殿が口元から手を離した。見慣れたにこり笑顔を作っている。
これは心の内を探られないようにする仮面なんだろうなぁ。
「ミロノさん。約束覚えていますか? 毒を投与する前に約束しましたよね?」
長殿は最後に語尾を強める。ここが肝心だと言わんばかりに目力も強い。
「約束……。えーと、あたしの口から詳細を伝えることだったな」
ちらり、とリヒトを一瞥する。
規則正しい寝息をしているので、まだ夢の中のようだ。
「そうです。詳細の内、これだけは伝えてほしいって内容は覚えていますか?」
うわぁ、誘導尋問みたいな流れだ……。
覚えてるって、忘れてないって。
「親父殿の依頼で毒を摂取したことと、長殿は反対して止めてくれたと伝えることだな」
長殿がぱぁっと表情を明るくさせて「そうです」と頷いた。
あ、分かった。高熱で忘れてるかもと思ってやがったな。
思わず肩をすくめる。
「こちらの事情に長殿を巻き込んだので、あたしからこいつとネフェ殿に説明する。どうせ今までどこにいたのか聞かれるはずだ」
親切心で提案すると、長殿が目を見開いて激しく首を左右に振った。
「駄目です! 妻には、妻にだけは秘密にしてください!」
何故だよ! 母殿と組んでた人間だぞ? 誤魔化すなんてどう考えても無理だと思うんだが!?
「この期に及んで……終わったことだから説明すればいいじゃないか? なんで内緒にしたがるんだ?」
「本気で怒られます! 家出されてしまいます!」
長殿が必死な形相になり両手を組んで祈りポーズになる。
うっわ。親父殿をみているようだ。なんでこんなところが似てるんだよ。
「長殿、隠すのは絶対に無理だと思うし印象が悪くなる。しっかり事情を説明すればネフェ殿も分かってくださるはずでは?」
「内緒で」
うっわ。長殿の目が据わっている。
断ると記憶改ざんさせられそう……。
うーん。リヒトにバレたんだから芋づる式にバレると思うんだけど。悪あがきしない方が拗れないと思うんだけど……あたしの知らない何かがあるんだろうか。
しかしこれは断るのはマズイかもしれない。命の危険がありそうだと勘が告げている。
まぁバレたときにどうなるかあたしの知っちゃこっちゃないから、別にいいか。
「そこまで言うなら。あたしからは何も言わないことにする」
長殿が心底ホッとした表情となった。
「こちらの事情を汲んでいただき助かります」
悪化して拗れても知らないからな。
「そして忘れずにリヒトに伝えてくれて助かりました。でないと、怒ってこの子に殺されてしまいますからね」
「そんなことないだろ?」
長殿ほどの人が殺されるわけがないし、リヒトが長殿を殺すとは思えない。
だって強い信頼関係を感じるのだから。
長殿はきょとんとしたように目を見開くと、ゆっくりと朗らかに微笑んだ。
「どうやら私は、ミロノさんにとても高く買いかぶられていますねぇ」
「事実だと思うが?」
長殿が首を左右に振る。
「私も人です。殺されかけたりもしますよ。そしてこの子は私と同様の力がありますし、本気で殺意を纏えば私の精神が破壊されるでしょうね。まさに今、私はリヒトに殺されるかどうかの瀬戸際です」
言ってることは物騒だけどどこか楽しそうに見える。
考え方とネジがぶっ飛んでるのかもしれないな。親父殿の同類だし。
「こいつが長殿を殺そうとするわけないだろう」
「いえいえ。殺そうとしてきますよ」
やけに自信満々だ……。変な人だなぁ。
「そんなに仲悪いように見えないんだが……?」
「ええ。家族仲は悪くありませんが、私が貴女に危害を加えたと思った瞬間、間違いなく攻撃してきます」
「はあ? そんなわけないだろ」
疑惑の目で見ながら胡散臭そうに聞くと、長殿はやれやれと肩をすくめた。
「ミロノさん、逆の立場で考えてみませんか? 貴女が連れてきたまぁまぁ信頼関係ができてきた人間が、ルゥファスの提案で猛毒を持つ妖獣の群れに一人放置されて、命がけで戦っている現状があるとする。でもそれを自分が知らない。知った時には瀕死の状態だった。その時ファスに対して貴女はどう思いますか?」
「親父殿ころす」
「でしょう?」
あたしは少し間をあけて、否定する。
「いや。こいつに限ってそれはないだろ?」
「あります。私の服に気づいているでしょ? ほらこんなにしわしわになって」
長殿がしわしわになって少し焦げている襟を示す。
いつもピシっとした服だから珍しいなと思っていたんだが……まさかリヒトがやったのか?
反射的に見下ろすと、あいつはまだ寝ていた。
「マジで?」
訝し気に聞き返すと、長殿は胸を張って自信満々に頷いた。
「研究室のドアを閉めた直後、リヒトが問い詰めてきました。無意識でしょうけど両手に炎を纏わせていましたから、危ないのですぐ仕留めました」
「いやまて。仕留めたってことは、こいつの状態は長殿の仕業か!?」
あ、いけね。思わず大きい声出しちゃった。
「はい」
はい。じゃねぇよ。良い笑顔すんじゃねぇよ。
こいつちゃんと生きてるのか? 寝ているだけだと思っていたのに、心配になってきたぞ。
「ちゃんと生きてますよ。罪を犯したわけでもないので我が子を殺しませんってば」
おおう。それは『罪を犯したら我が子でも容赦しない』って言ってるようなもんだぞ。
目が笑ってないな。マジな発言だったか。
普通の笑顔になった。あたしの心読んで取り繕ったな。
「ミロノさんの状態を見て頭に血が上ったようで、私の話を聞く余裕がなかったようです。なのせ先手必勝」
そこで先手必勝を選ぶのがルーフジールの考え方だ、くっそ、納得してしまう。
だけど親子喧嘩か。リヒトらしくないから驚いてしまう。
あいつ喧嘩吹っ掛けるんじゃなくて完全無視をしそうなのに。
「無視はないですね。私達は頻繁に喧嘩しますよ。アニマドゥクスで互いに攻撃し合いますね」
あー。あたしと親父殿の関係みたいだ。容易に想像ができて嫌になる。
「しかし……あたしを見ただけで喧嘩? そんなわけないだろ?」
長殿が眉間にしわを寄せた。
「ご自分がどんな姿なのか分かってますか? きっと『私が貴女を実験動物にした』と思ったはずです。ファスから血の特性を聞いて知っているから嬉々として毒を投与したと確信したでしょうね」
「あ……なるほど。それは……それならば、あり得る」
あいつに血の特性を教えた。
ニアンダ殿の治療拒否をする姿勢をみせた。
体質がバレないよう気を付けているのを知っている。
うわぁ……黙っていたせいで二人の間に変な軋轢が発生したんだ!
尊敬している長殿が悪ノリで薬物実験したと勘違いしてショック受けたんだ。
リヒトの性格を考えると、一度植え付けてしまった悪印象はなかなか取れないはずだ。
まずいな。まずすぎる……。
起きたときにどううまく説明すれば納得してもらえるんだろうか。
あたしに対しての感情はどうでも良いとしても、長殿への信頼が揺らぐのはまずいぞ。
今後の対策をしなければならないが、頭があまり働いてないのか、いい案は浮かばない。
あたしは深い溜息をついた。
「リヒトは貴女を連れてこの家から逃げようと、考えたのが読めました」
長殿は少し困ったように眉を下げた。
「私に弁解の余地を与えずに。そして二度と会おうとは思わなかったでしょう」
「だから弁解するために、返り討ちにしてこの場に留めたというわけか?」
「はい」
はい。じゃねぇよ。
我が子の成長を喜ぶような良い笑顔しやがって。
他人事じゃなくて自分事だろう。もっと危機感持つべきでは?
まぁあたしにはどうでもいいけれど!
毒づきながら、疑惑の眼差しをリヒトに向ける。
「こいつの行動理由は、正直信じられない。だが長殿が言う事が正しければ大惨事になっていた。やはり前もって話しておくべきだった。道中の約束を破ってしまったのはあたしの迂闊さが原因だ」
「そんなに気にしないでください。予想以上に嬉しい結果だったので御の字です」
だから、何故、そんなに晴れやかな笑顔なんだよ長殿は!?
仲違いになる手前なんだぞ!? 何も解決してないんだぞ!?
全力で呆れていいか!?
長殿はそっと、自分の胸に手を置くと祈る様に目を閉じた。
「リヒトに大切な人が出来たって確信しましたから」
「語弊がある言い方はやめてくれ。あたしはこいつを仲間と思っているだけだ」
表情を歪めながらあたしが速攻で否定すると、長殿が目を見開いて固まった。そして丁寧に会釈をする。
「それを聞いて安心しました。息子を末永くよろしくお願いします」
「あくまでも仲間だからな? 仲間っていう意味だからな?」
勘違いされるのはたまったものではないので、この辺りはしっかり念を押す。
長殿は「わかってます」と頷くが、本当に分かっているのか不明だ。
まぁ掘り下げないけど。
藪蛇になりそうだから絶対に掘り下げないけどな!
あたしは面倒になってきたので長殿から視線を逸らした。
「さて、話は変わりますがミロノさん。今がリヒトに血を与えるチャンスですよ」
「はあ!? このタイミングで!? それはきちんと事情を説明してからだ!」
言った後で、また手で口を押えた。
声があんまり出てないとはいえ、大声を出せば目を覚ます。
あたしはチラッとリヒトを見たが、規則正しい寝息を立てている。
寝ている……よな? うん、寝てる寝てる。起きていたら開口一番に怒鳴るはずだから。
憤慨に憤慨を重ねてた大噴火がおこるはずだ。不調の時に火山の中心に立つのは御免だ。
長殿は不思議そうにみてくる。
これはあれだ。親父殿のせいだ。人の都合お構いなしに自分のタイミングでやっちゃう人だから、あたしも同じだと思ったんだな。
でもあたしは違うからな。ちゃんと相手を尊重するからな!
「そうですか? まぁいいでしょう。リヒトはあと三十分ほど動けませんが、話は全部聞いていますので説明は不要です」
「ん?」
なんだって? 今、なんて言った?
動けない?
そういえば、横になっていると言っていたが、寝ているとは一言も言ってないぞ!
「こいつは動けないだけで意識はしっかりあるということか!」
「はい、麻痺しているだけですからちゃんと起きてます」
あたしの血が一瞬下がって、急上昇した。
麻痺の方か!? 騙された!?
まさか自宅で罠仕掛けられているだと!? あたしの家と同じじゃないか!?
予想できてなかった……あー、もう、全部筒抜けだ。最悪過ぎるぞ……。
「最初にそれを言ってくれ、こっぱずかしい事を言ってしまったじゃないか!」
殴ってやろうかこの長野郎。
睨みつけると、長殿は面白い生物をみるような目つきになる。
だめだ。小動物がちょっと牙出してるみたいな感じでみられてる……。
「勝手に勘違いをしたのはそちらです」
「うぐっ。そーいうと思った。何か食べてくる!」
その通り過ぎるので何も言えない。一刻も早くここから出よう、憤慨死するわ。
踵を返して書斎室のドアへ向かった。
「ネフェは台所にいます。いってらっしゃい。くれぐれも毒については伏せてくださいね」
「わかってる!」
ドアを乱暴に開けてから、脱兎するかのように急いで通路へ出る。
畜生、頬が熱い。
本人の前で言えない内容言っちゃったから、滅茶苦茶恥ずかしい!
この場合は誰に憤りを向ければいいのだろう。とりあえずあたしは両手で顔を隠して項垂れた。




