父上への不信感④(リヒト視点)
登山道を登って一時間ほどで洞窟に着いた。
もっと上があるが外を歩くだけのルートなので、修行をするなら広い場所となる。つまりここだ。
岩肌にぽっかりと直径一〇メートル。幅二三メートルの巨大な穴があり、中に進むと道が四方に分かれている。迷路ではないし入り組んでいるわけでもないので、中央を歩けば地底湖に繋がる。
もし間違えて他の道に行ってしまっても三つとも行き止まりがあり、引き返せば入り口に戻ることができる。
中央の道を進んでいくと緩やかな坂道となってくる。角度が急斜面の部分は険階段が作られいるが、比較的自然のままとなっていた。階段と坂道交互に進み下へ降りていく。
地底湖は山と地面の境目に存在している。上がって降りることになるので、麓に入り口を作ればいいのにと何度思ったことか。
未だに何も改善されないのは、地形の関係とか、岩の硬さで断念したとか、修行場所だから困難でいいとか、色々意見があって収拾がつかずそのままになっているときいた。まぁ俺も何もしないからどうでもいいな。
それよりももっと重大なことがある。
洞窟を進むにつれて言い知れぬ不安がふつふつと沸き上がっていた。
「おかしい」
山に入ってからサトリの力を全開にしているのにも関わらず、ミロノの感情が何も感じられない。
何も感じられないということは、ここにいないことを意味する。
あいつにサトリの防衛ができるわけがない。阻害する術がかかっているのか探ってみたが小動物の思考は読めるので違うようだ。
<アイエーテルよ。探査せよ>
闇の精霊に頼んでみたがヒットしない。
居れば間違いなくわかる筈なのに、何もない?
急に心臓が痛くなった。
ストロム山にいると思っていたのに、どこへ行ったんだ?
まさか、何かあったのか?
不安を押し込みながら進むと地底湖へ到着した。
地底湖の洞窟は楕円形に近い形で天井まで八〇メートル。歩ける幅は多分四五メートルだ。所々柱のように岩や土壁がそびえているが全体が見渡せる。
光輝石が人工的に埋められているので明るいうえ、岩石から覗く沢山の鉱石が光を反射しており、全ての光を湖が反射して天井を彩る。
天井と地面の境界線が消えるような幻想的な空間が広がっていたが、それを見ているのは俺だけだった。
ここには誰もいない。
結果は分かっていたのに、実際に誰もいない洞窟を目の当たりにすると茫然となった。
「何故だ……?」
息が上がっているので五分ほど休息して、ゆっくり周囲を調べてみる。
剣術で修行をした痕跡が全くない。
あいつが武器を振るえばなんらかの傷が残る筈だ。それほどの威力があるはずだ。
なのに、何もない。
可能性があるならばここかもしれないと湖に近づいた。
まさかこの氷点下の中で潜っているとか?
湖の水深は九〇メートルあり海に繋がっているらしい。水中は入り組んで迷路になっているのでウンディーネの術を練習するのに使われている。ただ稀に迷って溺死することがあるため単独で訓練をしてはいけない。
まぁ俺は幼少期にここに落とされて氷で蓋をされたから、仕方なく海まで出たことがあったけど。
落とされる寸前に風を呼んで空気を確保しなければ溺死していた。水中で酸素を得るためには風か水の術が必要だよな。
いや、余計なことを思い出した。
あいつここで泳いでないよな?
流石にそこまで馬鹿じゃないだろうが……だが万が一、足を滑らせて落ちてしまったとしたら。
冷たさに一気に低体温になり意識を失って沈んだことも考えられる。だとしたらもう助からないが。
<ウンディーネよ。水に沈む影を探せ>
何もなかった。とりあえず水の底に沈んではいない。
無言で湖を見つめた。憮然とした表情の俺が映っていた。
「ここにいないのか?」
自身の声が反響する。返事を返す者は誰もいない。
「…………」
あいつがここにいない、そう思うと心臓の動機が激しくなった。
不安や心配ではない。
疑心だ。
「父上が嘘をついた?」
父上は滅多に嘘をつかないが、取り返しのつかない何かが起こった場合に巧妙な嘘をつくことがある。
「あいつに何か、取り返しのつかない事が起こった。それを隠すために嘘をついた?」
いや、きっと違う。父上は魔王に対抗できる人間に害を成すような愚か者ではない。
一度、疑心を頭から振り払って考える。
あいつがここにいない理由は。
「飽きて別の場所に移動したかもしれない」
それは違うと思ったが、でも他に理由が考えられないので思い込む。
「入れ違いに帰宅した可能性もある」
それも違うと思ったが、念のためにと急いで山を下りて自宅に戻った。
「……くそ」
探すまでもなくあいつの感情は確認できなかった。
念のために母上に問いかけるが、「いなかったの?」と心配そうに聞き返されたので、山にいなかったことを話した。
母上の表情が曇る。そして微かに怒りの波動が出てきた。
「そう……リーンが躾けしたなら、場所を変更する時は一度戻って教えてくれると思うんだけど」
俺はすぐに同意する。
「そうです。いつもなら必ず……頼まなくても知らせに来ます」
旅の道中は移動場所や予定を変更する時は絶対に教えてくれた。単独行動、隠密行動をする時もちゃんと伝えていた。
二人の任務という名目を大きく掲げて頻繁に教えてきたが、裏を返せば、万が一にでも俺を心配させないよう気遣いが含まれていたことを、今更ながら痛感する。
まさか居場所が分からないだけでこんなに不安になるとは、思ってもみなかった。
「やっぱりそうよねぇ」
母上は首をひねりながら、ふと、表情を硬くさせた。
「トラブルが発生したのかしら」
「わかりません。例えそうだとしても自力でなんとかするでしょう」
そう言って、いや、たまに外れると思い直す。
支配の魔王の件だ。あれに近い案件になっていたら自力では困難だろう。そのレベルがここで発生するとは考えられないが…………いや一つだけある。あの場所であれば不測の事態があり得る。
「そうよね。ミロノちゃん強いし逞しいし……」
そして母上は北西の方向に視線を向けた。あの場所はコイドケルド森がある。
俺も同じ事を考えていた。とてもじゃないが最悪なケースだ。
コイドケルド森は人攫いが多く出没する森で防衛ラインがある。アニマドゥクスが数人ほど交代で見張っているが時々突破されることがあった。森に入って攫われた人の名をいくつか知っている。彼女たちが見つかったという話はまだ聞いたことがない。
「あの人がいつも通りだから、大丈夫だと思うけど」
人攫いが来る時期は去年のはずなので今年は大丈夫だと思うが、いつだって例外がある。
うっかり出遭い足元をすくわれたのではないかと、一抹の不安が過った。
「…………」
「リヒト君」
つい考え込んでしまった。
下を向くと、母上がちょっとだけ笑って優しい視線を向けている。
何故か俺のことを心配しているようだ。
「きっと大丈夫だから、そんなに心配しないで」
「なんのことですか?」
静かに聞き返すと、母上は首を左右に振ってストロム山の方向に体を向ける。
「もう少し帰りを待ってみましょう。本当に何かあればルーが絶対に動くから」
「そうですね。動いてくれるといいですね」
皮肉を込めながら肩をすくめようと手を動かすと拳に痛みが走った。見ると強く握り絞めていることに気づく。ゆっくり手の平を広げると爪の後が付いていた。
「では失礼します」
「お疲れ様、ゆっくり休んでね」
母上の言葉に会釈をしながら台所から出ると、気を取り直して書斎室に向かった。
父上と話をしなければな。
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次回3/13更新です。
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