親の心、子迷惑⑦
朝、いつも通り目を覚まして朝食を終える。
リヒトとクルトはすぐに出発した。二人を見送ってからネフェ殿と会話をする。話題はタコだ。
「ミロノちゃんのところもタコ食べる?」
「親父殿に海に連れてってもらって獲れたてを食べる」
「分かるー! 取れたてって美味しいわよねー! 持って帰ってくれるといいなぁ」
どんな料理をしようかと期待に胸を膨らませているネフェ殿。
あたしはあまり料理を知らない為、彼女の話に感心するばかりである。
「ネフェ、買い物に行くときに追加で買ってきてほしいものがあるんだけど」
長殿が台所にひょっこり現れた。
「なぁに、ルーたん」
「さっき確認したらクリームがなくなってたよ。近々使うから買ってきてほしいな」
ネフェ殿が少しだけ頬を赤くして「あら」と含み笑いをする。
「いいわよ。買ってきてあげる。一応聞くけど、何個必要かしら?」
「そうだね。たぶん。多分だけど、ファス達もいるかもしれないから多めがいいかもしれないね」
「プレゼントね。ならリーンの好きなクリームにするわ。選ぶのに少し時間かかるけどいいかしら? 昼前には戻ってくるわ」
「勿論」
長殿とネフェ殿がにっこり微笑んで見つめ合っている。
「………」
二人ともあたしが居る事忘れてるんじゃないか?
思いっきり二人だけの世界に入ってて居心地悪いんだけど!?
あたしはすぐさま退散した。
しばらくすると玄関のドアが開いて、閉まった。
ネフェ殿が買い物に出かけたのだろう。
「あ。そうだ。書物だ」
あたしは外着に着替えて荷物を持って部屋を出た。
書斎室のドアをノックする。返事があったので中へ入った。長殿はソファーに座っている。目が合うと「準備をしますよ」と言葉を耳にした。
ぐるん、と、ぐわん、と何かが鳴った気がする。
「………!?」
途端に忘れていた内容を思い出す。
親父殿から言われた毒の投与についてだ。
「は!? え!? 嘘だろ……」
本当にすっかり忘れていたなんて……。
驚きのあまり固まってしまった。
「凄いでしょ」
いたずらっ子のような軽い声が聞こえて、あたしは油が切れたような動作で顔を上げる。
「なにこれ怖い」
これ、ほんと、完全犯罪できるんだが……。
「そうですね。力の強いサトリはこうやって記憶にロックかけることができます」
「……マジか」
「とはいえ、時間経過やとっかかりがあればすぐに思い出しますので、完全ではありません」
「いや脅威だ。誰かに何をされたか覚えてないことほど怖いモノはない」
正直な感想を述べると、長殿は静かに頷いた。
「そうならないためにネフェから指導をうけてください。ちゃんと対処できるようになります」
「わかった」
サトリ能力を隠すやつが多い。しっかり防衛術を身に付けないとな。
長殿が腰を上げた。
「始めましょう。こちらへ」
書斎庫の奥に案内される。奥の左側にドアがあった。木の棚と同じ色のドアでパッと見てドアがわからない。
ドアが開き、中を見ると1LDKほどの広さの部屋があった。
窓はなく光輝石の灯が部屋を照らして明るい。棚に機材やサンプルなどが置かれ、厳重に保管されている。
ベッドが一台あって服が置かれている。あれに着替えろってことだな。あと拘束具も置かれている。
奥にはシャワー付きトイレ。台所も完備され火も使えるようになっている。
驚くところは、壁や床、棚は全て浄化石で作られている点だ。風石が置かれて循環を担っているためか空気穴がない。
「研究所だな」
長殿がドアを閉めた。無音なので音が大きく響き、心臓がドキッとした。
「そうです。私と妻しか入らない研究室です。主に紋の解読、疫病の原因、毒の解析など行っています」
棚の奥にある紋で封印されている小さな木箱を取り出す。
「荷物はシャワー室の箱に入れて、ついでにそこで着替えて下さい」
言われた通り個室で着替えて荷物を置いた。ついでに渡された薬を飲んで腹を下す。
全部終わってからベッドに座ると、長殿は針の先にオレンジ色の液体を付けた。
手慣れているので「研究者なのか?」と聞いてみる。
長殿は「ええ。吟遊詩人ですから」と静かに頷いた。
「吟遊詩人が研究者とは意味が分からない」
「歌うだけでは真実に辿りつけないし、お金にもならないってことです」
「世知辛い」
「ですね」
長殿があたしの左手首をひっくり返した。静脈が浮かぶ。
「毒をつけた針で刺します」
「ああ」
「症状がなくなるまでここで過ごしていただきます。僕が毎日様子を見に伺いますし食事も持ってきます」
「ああ」
「万が一、亡くなったら、遺体は溶けているので液体をファスに渡します。そしてあいつと私はネフェとリーンに殺されます。死にたくないので必ず生きてください」
くっそ、そういわれるとわたしの選択が間違っている気がする!
やめないけど!
「あと貴女の介助はしません。触れないので自力で頑張ってください」
やってほしくないので力いっぱい頷く。
「わかった。さっさとやってくれ」
長殿から大きなため息がでてきた。しかし表情はいたって冷静でその目は鋭い。針の先端が手首に突き刺さる。チクっとした痛みは一瞬だった。
この程度で、と思った瞬間、すぐに体に変化がでる。
毒を摂取したときのあの症状がやってきた。熱があがり心拍数が激しくなる。
「っはぁ……っはぁ」
呼吸が乱れてきた、息をしても肺に空気が入らない。
急激に体中が冷えてきて寒くなる。気持ち悪さからすぐにトイレに駆け込んで吐いた。
朝ご飯がああああああ! という悲しい気持ちを抱えてベッドにもどって寝転がる。
冷や汗が滝のように流れて服が冷たい。あ、なんかベッドが暖かくなってきた。
「もう症状が!? ミロノさん聞こえますか!?」
長殿が心配そうにあたしの手を取って脈を計ったり、機材のスイッチを入れていた。
「これ、これはまだ……抵抗力というか、いつものやつ、で……」
意識が朦朧としてきた。普段であればこのままゆっくり気を失うのだが。
「ふぐ、ぐ……っ!」
心臓を鷲掴みにされたような痛みが襲ってきた。
ギュッと体中の筋肉が縮まって痙攣が起こる。体が動かせない。
心臓が、心臓が、心臓が………爆発するか、止まりそうだ。
長殿が何か言っている。
もしかして、あたしが長殿を叩いたりしているかもしれない。
体が七転八倒して暴れていて手足や頭がいろいろなものに当たっている。あたしの意思ではどうにもできない。痛みに対してささやかな抵抗だからどうにもできない。とりあえず耐えるしかない。
あたしは歯を食いしばって心臓の痛みに耐えるしかなかった。
次回は「ミロノのいない10日間」
主役交代してリヒト視点となります。




