憂いを絶つ
三人称の番外編です。
ベクター・アフィン教頭。
エンディアンネス魔法学園における実質指導者5教頭の1人にして、エウクレイデス王国建国時の高名な学者の末裔である。
厳格な性格と、細い身体に相反した胆力。高い魔法の能力を持ち、教育論と指導力には定評がある。
その彼が悩んでいた。
学園の問題児とも言える生徒たちのせいで――。
ある日、ベクターは問題児同士のケンカに割って入った。
問題児の1人は怪物ザルガラ・ポリヘドラ。
もう1人は天才アザナ・ソーハ。
「ザルガラ君! 君は畏れ多くも陛下の呼び出しを受けておる身であろう! 陛下の御手前、しばらくは行動を慎みたまえ!」
王の威光に縋るとは、指導者たるものとして失格だ。と内心、ベクターは恥じ入った。
「う、ぐぬぬ……」
さすがのザルガラも、王の威光を傘にされて言葉を失っていた。
その姿を見て、改めてベクターは自分の力不足を思い知る。
「ああ、分かったよ。アザナ! オレが王宮から帰ったら覚悟しておけよ!」
捨て台詞を残し、怪物ザルガラは引き下がる。これを聞いてベクターは、どうしたものかと頭を悩ませた。
また再びどこかでケンカをするのでは、という心配だ。
アザナを立ち去らせた後、ベクターはザルガラの様子を伺う。彼は不機嫌そうに生徒たちを追い散らし、校舎へと入っていた。
これを確認したのち、ベクターはアザナを追った。
「アザナくん。ちょっといいかね」
西校舎の昇降口で、アザナを捕まえる。教頭に声をかけられ、多少なりとも緊張がアザナの顔に浮かぶ。
「1つ確認したい。君はあのザルガラ・ポリヘドラに……その、女装を強要されているのかね? そうだとしたら由々しき事態だ。学園としても無視できない」
真剣なベクターの問いに、アザナはウソをついてはいけないと気負った。
「すみません。ベクター教頭。実はその……ザルガラ先輩を、からかうために自分で着たんです」
「じ、自分からだと!」
ベクター教頭は、薄い髪を乱して驚いて見せた。
「す、すみません! ごめんなさい!」
教頭の驚きを見て、アザナは思わず何度も謝った。
「い、いや……。それが本当ならば、実のところ君たちは仲が良いのか?」
さすがはベクター・アフィン。一角の教育者だ。
ケンカなどの目立つ表面だけを見ず、アザナの言い分を聞いて判断を修正した。
「はい。ザルガラ先輩にはいろいろとお世話になってます。からかうのは、そのちょっとなんていうかボクの趣味?」
「それはそれで問題だな」
ケンカや決闘と違い、からかいなどは学園としては問題にならないが、イタズラ好きという性格の生徒は、それはそれで問題児だ。
「つまり、女装は自らの意志と? 強要されたのではないのだね?」
「はい。ザルガラ先輩は悪くありません」
「そうか。それならばよいが……。いや、よくない! 男子たるものがなぜ女子の恰好をするのかね!?」
「え、でも……」
「でもも何もない! 今後は気をつけたまえ!」
さっきまで言い分をしっかり聞いていたベクターだったが、なぜかアザナの弁解に聞く耳を持たなくなった。
二度と女装などするな、と、アザナにきつく言い付けて、ベクターは北校舎の教頭室に戻った。
半生を学園に捧げ、教頭となって10年。
ベクターは初めての惑いを覚えていた。いや長く抑えてきた欲求だ。
皮張りの椅子に浅く座り、激しく足を振動させる。落ち着かない。組む手に力が入る。
「おのれ……アザナ・ソーハめ……」
学園に対していくつも利益を寄与するアザナへ、ベクターは初めて苛立ちを憶えた。
やがてベクターは机を叩き立ち上がる。
「く……アザナめっ!」
書棚の本を殴りつけた。すると、小さな魔胞体陣が投影された。書棚に仕掛けられた魔胞体陣だ。
それを操作し、次々と浮かぶパズル解く。
がこん、と鍵が開く小さな音が響いた。
そしてベクターは書棚を押し開け、奥に隠された秘密の部屋へ踏み入れた。
そこにはガラスのケースに収められた服が、所狭しと並んでいた。
歴代エンディアンネス魔法学園の指定制服が夏冬取り揃えられ、体操服まで並んでいる。さらには流行りの街娘の服。パン屋や食堂の給仕の服、軍服に衛生兵に儀仗隊の制服まであった。
その全てが女物の服である。
「ワシは……40年間こうして着る勇気もなく、ただただ忍んでいたというのに……。あのアザナ・ソーハめ……。気軽に趣味などと……、ぬけぬけと……楽しんで女装を……」
ベクターは赤いフリルに飾られた、真っ黒な重苦しくクラシカルな服の前で、ガラスケースに額をついて悔しさに歯ぎしりをした。
色とりどりの女物の服に囲まれる異様な空間の中心。そこに御年60歳のベクターという変態がいた。
「いや……勇気のないワシが悪いのだ……。あけすけなアザナを恨むなど、教師にあるまじき行為……いや、待て、まず女装があるまじき行為だな、やはりここはあけすけなアザナが……いやいや生徒に罪を擦り付けるなどと愚かな……」
悔やんだり、恨んだり、妬んだりと、ベクターの葛藤は忙しい。
「すまんな、お前たち……。ワシに度胸が無いばかりに、こんな薄暗い部屋で……。そう、40年前に思い切ってお前たちを着ていれば、今頃は女装暦40年のベテランで、美しくなっていただろうにの……。そうすれば、お前たちもワシも、こんなところで燻らず……」
ベクターは後悔し、袖が通されず月日を重ねる女物の服たちに詫びた。
なお加齢による劣化は考慮していない。
「あのアザナもだが、あのザルガラも身勝手な……。ワシの気も知らず、仲良くケンカな……ど?」
その時――、ベクターの薄い頭部に、天啓、光る。
閃いたベクターは、ガラスケースを叩き割り、中に吊るされた服を手に取った
「そうだっ! そうすればいいのだ!」
真っ黒な生地に赤いフリルとリボン溢れる服が、ついに光を得るっ!!!!
* * *
「全校集会なんて久しぶりだねぇ」
ペランドーが同意を求めた。
隣にいたザルガラは、そうだなと同意したかったが、それどころではない。
「……? 何してるのザルガラくん?」
「い、いや。ちょっとな」
肩のあたり埃でもあったのだろうか?
ザルガラは虫でも払うような動きをして、肩や腕の当たりをしきりに気にしていた。
「全校集会か。たしかにアザナとオレがいろいろぶち壊して、それどころじゃなかったからな」
「あー、そうか。ザルガラくんが原因だったね」
「なんだと、この野郎。半分だ、半分。あとユールテルのもあるんだからな」
「ご、ごめん、ごめん!」
ザルガラはペランドーの首を脇で抱え、全身で捻り押しつぶす。
しかし、ペランドーも体格は悪くない。対抗し、ザルガラを肩に乗せたまま、くるくると回り始めた。
この光景を見て、ヨーヨーは鼻息を荒くしていたが、2人はじゃれ合うのに夢中で気が付かない。
「し、静かにしてくださーい!」
耳の尖った眼鏡姿の小さな女子生徒が精一杯に声を張り上げ、壇上からザルガラたちを注意した。彼女は小動物のようだが、立派な生徒会長である。
ザルガラとペランドーが列に戻ったところを確認し、生徒会長は集会の進行を始めた。
「え、えー……まずはベクター教頭先生のお話からです」
生徒会長の顔が青い。表情が硬い。
規則的な足音が響き、規律に厳しいベクター教頭が壇上の袖から姿を現す。
騒然……、驚嘆っ!
「え、な、えーーーーっ!」
驚愕の声が講堂に響き渡った。
生徒たちの絶叫を浴びるベクター教頭。
その姿は、赤いフリルとリボンが散りばめられた、黒い服のクラシカルなお嬢様のソレだった。
顔と髪はそのままで――。
生徒の幾人かは、妹や近所の女の子が持っていた人形を、イタズラで首を挿げ替えた時を思い出す姿であった。
「みなさん、静かに!」
魔法で拡大された声が、生徒たちの絶叫を無理矢理に押し沈めた。
「あー、今回このような姿をしているのは、ある生徒に反省を促すためです」
どういうことだ、と生徒たちはざわつく。
「校内で決闘だ、ケンカだと暴れ、女装を強要するという生徒」
バッ、と視線が怪物と呼ばれる生徒に集中した。彼は懸命に手を振って、首を振って、違うと否定するが視線が剥がれない。
「しかし女装を強要されたと言い張り、実は自らの意志で女装をする生徒」
バッ、と今度は生徒たちの視線が、可愛らしい男子生徒へと向かった。
「てへ、ぺろ」
衆目の中、彼はあざとい反応をしてみせた。ポーズ付きで。
「だが、それだけではない!」
ベクター教頭の声が、再び生徒たちの視線を集めた。
よく見ると、乏しい髪が無謀にもヘアゴムで小さく纏められていた。寂しいサイドテールである。それは再度結べるのか? と、心配になるサイドテールだ。
「それら生徒に限らず、学園の生徒にあるまじき行為を示す生徒がいるたびに、このベクター・アフィンはこの姿を君たちの前に晒そう! いいかね? 君たちの行為はこのように、学園だけでなく自らを貶める行為を重ねていると知れ。今のこの姿がそうであるように!」
声高らかにベクター教頭は宣言した。
騒然とする生徒たちは理解する。
ベクター教頭は、問題児たちの行動を抑えるために、自らを犠牲にしたと。
「これが【肉を切らせて、骨を断つ】かぁ」
アザナは全校生徒たちの無言の追及にさらされ、困ったように頭を掻いて見せた。
「まて、オレは悪くねぇ! 明らかにアッチが、やり過ぎてるだけだろ、これ?」
「ハゲに……ベクター教頭に、なんて恰好させてんだ」
「先生が、追い詰められてるわよ!」
「かわいそう!」
「オレは悪くねぇっ!」
生徒たちの追求にさらされ、ザルガラは責任を転嫁した。
2人の生徒を中心に、ざわつき収まらない生徒たちに背を向け、ベクター教頭は壇上から降りた。
そして袖の奥で、拳を震わし感動で打ち震えていた。
「教育者としての覚悟を見せつつ、この姿を全校生徒に披露できるなど……。至福」
ベクター教頭の涙と頭が寂しく光った。
しばらくいろいろな短編で刻みます。
服はずっと吊るしておくと良くないのですが、そこは魔法ってことで。
魔法便利!
20160615 こそっと一行追加。




