王様でも隠せなくて
本日中と前話でお約束したのにも関わらず、間に合わず申し訳ありません。
で、でもぎりぎりセーフってことで!
今回は三人称です。
その日、王城と王宮は不思議な緊張に包まれていた。
貴族の子息が王宮に参じる。
ただそれだけなのに、警戒は異様であった。
それも今は無理もないことだった。
代々王家に使える使用人が、隣国の手の者と判明しばかりなのだ。誰もが警戒の目と疑念の目を周囲に向けている。
このような時に、呼ばれる貴族の子息は堪ったものではない――はずだ。
王宮の中心に、その空気を豊かな髭で感じるものがいた。
エンクレイデル・カトプトリカ・エウクレイデス国王、その人である。
国家元首であるエウクレイデス王は、王宮の一室で静かに目を閉じて、不安でざわつく自慢の髭を撫でた。
エウクレイデス王は、王に相応しい姿をしている。
王に髭は必要不可欠。威厳や見た目だけの話ではない。口元を隠し、表情を容易に悟らせないため必要だ。
深い掘りを持つ顔の造形は、わずかな角度で目元を隠す。整って高い鼻は、表情豊かな顔の部位から視線を奪ってくれる。
大きな体は威厳を表し、国家の安泰を暗に示してくれる。また体躯の良さは、大きな声を出す基礎となる。
長い腕で大きな手を横にふれば、見る者すべての視線を引き寄せる。これは差配を示すに役立つ。
すべてが合理的に調整されていた者の末裔。
それがエウクレイデス王である。
その王は、怪物を待っていた。
怪物の名はザルガラ・ポリヘドラ。このところ世間を騒がし、愛娘ディータが興味を抱いている少年だ。
相手が貴族の子息とはいえ、姫が強い関心を抱くと公言するなど尋常ならざることである。だが、エウクレイデス王はそれを許した。たとえ彼が怪物と呼ばれていようとも、だ。
1人の少年を差し怪物と呼ぶなど、大げさであると判断している王だが、それでも悪童であるという評価は加味している。
多少の無礼は許してやろう――。
王は鷹揚さを持って、ザルガラ・ポリヘドラを招くのだ。
親として昂る気持ちを抑え、王はゆっくりと息を吐いた。
そして隣に座る愛娘の様子を伺った。その動きはゆっくりと緩慢だ。王としての鷹揚さというより、娘に横目を悟られぬ動きである。
期待に満ち溢れているのか、隣りの車椅子に座る娘はとても静かだ。しかしその姿は痛々しい。
綿で膨らませた服を纏い、据えられたような首は収まりが悪い。
愛娘の痛々しい姿からは目を逸らし、王は残された首だけを眺め見る。
「失礼いたします、陛下」
愛娘の横顔を見て落ち着きを取り戻した王の元に、近衛隊長がやって来て、ザルガラの到着を告げた。
無言でうなずき、王は一拍置いて近衛隊長に訊ねる。
「その様子は、どうだ?」
「はっ! お歳の割に、とても落ち着いた少年に思えます。ですが…………」
続く言葉は不味いと思ったのか、無表情な近衛隊長の顔に緊張が走った。
「構わぬ」
「では畏れながら、具申いたします。その気配たるや尋常ならざるという他ありません。お気をつけください!」
近衛隊長の報告を受け、王の強い視線が飛んだ。
責める目ではない。問う目だ。
問う目を受け、近衛隊長は報告を追加する。
「も、申し訳ありません。許可なく近衛の配置を増やしました」
「ほう、で? そのものたちの警戒を浴びて、ザルガラはなんとしている」
「……変わらず、という他ありません」
近衛隊長の評価を聞いて、王は肩を震わし微笑みを露わにした。近衛隊長は無表情だったが、王の笑みに内心驚いた。
「ふ……。偉大なるかな竜の姿。称賛の光も罵倒の矢も全て浴びて端然なるや……、か」
本来は『矮小なるかな人の姿。称賛の光も罵倒の矢も全て当たらず哀れなり』と続くのだが、王はそれを口にはしなかった。
父の笑みで緊張がほぐれたのか、車椅子に力なく座るディータ姫が呟いた。
「ザルガラ様はお茶の誘いを受けてくださるかしら?」
まだ子供とはいえ、王女が男性をお茶に誘うなど品位に欠ける。だが、王はそれを赦す。
「安心しろ。ディータ。無粋な事など今日は言わん。存分にザルガラとやらと会話を楽しむがいい。彼が誘いを受けると良いな」
優しくディータ姫の頭を撫で、王は席を立つ。向かうは怪物の待つ客間だ。
廊下など出ずに、王は絢爛たる続き部屋を抜けて客間へ向かう。
控えていた侍従が客間の戸を開け放つと、まず近衛隊長が入室した。彼が王の到着を告げると、客間で警戒に当たっていた近衛が居住まいを正す音が響き渡った。
王はこの音を聞いて、客人に対してなんと無礼なと思いながらも、威厳を崩さず客間へと足を踏み入れた。
そして、なるほど――と、近衛たちの緊張を解した。
10歳の貴族とは思えぬ、何かが客間で膝を折り待っていた。
王が姿を現せば、怪物や悪童と言えど、頭を垂れて従うしかない。
しかし権威に傅きながらも、少年には常人にはありえない気配を放っていた。大貴族や大神官でも、このような存在感を持つことはないだろう。
それほどまでに、ザルガラ・ポリヘドラは異質な存在だった。
このような子が、学園で同じ年頃の子と机を並べているなど、王にはまったく想像できなかった。
強い驚きを表に現さず、王は席に腰を下ろした。その隣りには、侍従に車椅子を押されたディータ姫が付いた。
王宮内で挨拶は目上の者から。目下の者は黙して礼のみ。これを守ってザルガラに動く素振りは見えない。
ただ強い気配だけを放ち、王の威厳に拮抗するかのような礼を見せていた。
王城での謁見であれば、ここで侍従長による王家を賛辞し奉る言葉が発せられるが、王宮でそのような儀典は行われない。
王は小さく手を翳し、深く静かな声をザルガラに向けて発した。
「急な呼びつけに応じ大儀である。しかし謁見ではないのだ。膝をつく必要はない。楽にせい」
「お気遣い、感謝いたします」
最敬礼を解いたザルガラは、その険の強い眼で、王の威厳に負けぬと正面から見据えてきた。王でなければ、その目に身を竦めていただろう。
「お初にお目にかかります。徒之儀も終えぬ、小なるこのザルガラ・ポリヘドラをお招き頂き、未だ喜び震えているところであります。またこの度におきましては、王城のみならず王宮内の隅々まで届く陛下の威光を目にし、エウクレイデス王国はますます栄える事、定かであると確信したところです」
格式張りすぎず、麗句を述べるザルガラの姿は、およそ怪物に似つかわしくなかった。
所詮は噂かと、王は安堵した。
「なるほど……いささか才が走ると聞いていたが、人の噂たるや信用におけるものではないな。いやはや、そのほうには不快であろうが……」
「ひどいですわ、お父様。そのような事をザルガラ様に言われるなんて」
ザルガラの反応が険しくなった。いや、険が取れ、落ち着いたというところか。王は我が娘の美貌は、さしもの英雄をも虜にするか、と複雑な気分に襲われた。
「陛下のお言葉と姫君のお優しさは、すべて快然たるものと感じ入るとこです。またその威光たるや明らか。このザルガラ、陛下の威光、偉力を前とし、何故、個人の才を持って高みに立てましょうや」
ふむ、と声なく王は頷く。
これならば、愛娘の心に安堵を与える事も叶うだろうと判断した。
「だけどなぁ……」
ザルガラの放つ気配が変わる。
「さっきから気持ち悪いんだよ! おっさん!」
爆発する気配と怒声に、居並ぶ近衛たちは圧倒され言葉を失った。
「……どうした?」
豹変に肝を冷やした王だったが、努めて冷静に訊ねた。
これによって近衛たちも我を取り戻し、職務を思い出す。
腰の剣に手をかけ、怒鳴り上げた子供を威圧する。
「無礼だぞ! いかなる方の御前と心得る!?」
「ああ、充分、分かってるぜ! 裏声で娘の声マネするオカマ王の前だろ?」
ザルガラの下品な言葉を浴び、再び近衛は呆けた。何を言っているのか、彼らは理解できなかった。近衛たちの頭が全く働かない。
異常な事態だった。
怪童ザルガラの行動ではない。近衛の反応が異常だった。
近衛たちの反応を観察し、ザルガラは1人頷く。
「そういうことか、なるほどねぇ。王家に伝わる独式魔法ってところか? この使い方……久々に頭にきたぜ!」
「なにを申している、そなたは? なにか気に障るようなことでも……」
「ああ、障ってるぜ。こんな魔法を浴びちゃ、オレも黙っちゃいねぇよ」
「……魔法? なんのことだ?」
王はとぼけて見せた。
エウクレイデス王は、ザルガラにまだ見抜かれていないと思い込んでいた。
しかし、ザルガラは無慈悲に答える。
「そうだなぁ。この王家に相応しい独式魔法を、オレが名付けるなら【白と言えば黒も白くなる】ってところだな」
ビクリと王の身体が跳ねた。
バレてしまったと、その顔が悲しみに満ちる。
「儚んで毒をあおって自尽、ってところか? エウクレイデス王さんよ」
近衛も王も動きが止まる。まるで魔法が解けて、動きを止めた自動人形のように。
魔法は解けた。
ザルガラが解いた。解けてしまった。
「ひでぇ事をしやがる……。王宮内だけとはいえ、そうしてずっと晒され続けてたのか、ディータ姫……」
ただ1人、ザルガラが怒気を向けていない存在がいた。いや、1人ではない。
表しようのない悲痛な目で、ザルガラは車椅子の上の【物】を見つめて言った。
「そんな姿……、オレだけじゃなく誰にも見せたくなかっただろうに……なあ姫様」
車椅子には、朽ちた姫の小さな亡骸。
ディータ姫はとうの昔に死んでいた。
「お初にお目にかかります、美しき姫君よ。本意ならざるとはいえ、そのような御姿を拝見する無礼をお許しください」
ザルガラは膝を折り、再び最敬礼を姫へと表す。
見るも無残な首と手足が、かさかさと音を立てて返事をした。
返事を待って、ザルガラの怒気が再び王宮を包んだ。
白手袋を投げ放ち、天を突く炎が噴き出した。天井を焼くその姿は、怒りに満ちた女性の姿だった。
「な、精霊の……王だと!」
「ア、上位種!」
我を失っていた近衛たちは、やっとここで意識を取り戻す。
だが、初めて見る上位種の顕現を前にし、剣を抜くことすら叶わなかった。
混迷の中心で、ザルガラはエウクレイデス王に向かって叫ぶ。
「おい、王様よ。オレはテメェのツラをぶん殴る! そのツラは王様だが、父親のツラじゃねぇっ! 殴り潰して立派な父親らしい顔に整形してヤるよ!」




