見たこともない魔法陣
オレがアザナに見損なわれて二日後の放課後――。
いや、アザナのことはどうでもいいのだが、あの日から二日後。
放棄遺跡につくったアジトは、着々と形になっていた。
椅子とテーブルはもちろんある。棚も不恰好ながら作った。大量の本でも詰め込まないかぎり、壊れたりしないだろう。
クッションなどの類はないが、そんな軟弱なモンは無理にいらない。
これなら、まる一日、アジトで時間を潰すこともできるだろう。
荷物を運び入れ、一休みしながらおやつを食うオレの前で、ペランドーが投影魔法陣の練習をしていた。
「はあ、やっと素体の辺が投影できたよ……」
そういうペランドーの眼前に、腕の長さほどの棒が、一本だけ投影されている。色は無色。周囲の光を屈折させて、透明度の高いガラスのようだ。
これに魔力を注ぎ込むと、各々の個人の力によってさまざまな色がつく。オレの基本色は青だが、その気になればどんな色にもできる。
「上等、上等、一昨日まで素体の頂点すら出せなかったんだ。急成長だよ。ま、オレのおかげだがな」
努力家の友人を褒めながら、レモネードを飲む。かぁーっ、この炭酸が堪らん。酒もいいが、この身体には毒だろう。
「でも、最低でも正三角形をかけないと意味ないんだろ? これじゃあなんの役にも立たないし、実感がわかないよ」
それほどの急成長に、まだ不満をもらすか。
オレはいまいち成長に気が付いていないペランドーに、魔法陣ですらない棒の素体に向かって手持ちのコインを弾いた。
「っ!」
ペランドーは目を瞑ってしまったが、コインは素体の棒にぶつかり弾かれ、遺跡の床に落ちた。
「え? こんなのでも……」
「そう。そんなのでも、棒っきれを眼前に翳しているようなもんだ。一本だからもちろん強度はお察しだが、自由に出せればちょっとした攻撃くらい防げる」
「うーん。でも、正3角形や正方形のほうが受け止めやすいよね」
目標が高いのか、贅沢なのかわからんな、ペランドー。
「そりゃそうだけどさ。それを言い出したら、自分をすっぽり包める立方体陣作れるほうがいいぞ」
「あ、いいね、それ。ぼくそれを目標にするよ!」
気軽に言ってくれるな。
さいですか。
まあ目標が高いことは、いいことだ。
ペランドーは喉をレモネードで潤し、再び投影の練習を始めた。棒が縦に出たり、斜めに出たりするが、二本同時に出すことはできない。
せめて、順番に出せればいいのだが、二本目を描き始めると一本目が消えてしまう。
後は慣れなので、今のところアドバイスすることもない。
練習を眺めながら、オレは学園とステファンの現状を考えた。
困ったことに、なぜかステファンの調査は進まない。昨日はステファンが学園を休んだし、今日も特に行動を示さなかった。
タイムリミットまで10日を切ったが、もしかしてギリギリに古来種の力を手に入れるのだろうか?
逆にもう古来種の力を手にいれた後で、いまは余裕を持って日常を過ごしている可能性がある。
まずいな。最悪の場合、先手に回ってるつもりが、後手になっているかもしれん。
いまのうちに、図書室から重要書籍をちょろまかして置いておくか。
いずれ学園は、南校舎を残し消滅する。図書室は北校舎にあるので、消滅を間逃れない。
ステファンが暴れる数日前くらいに、いくつか抜き出しておけば、まず発覚しないだろう。
「ねえ、ザルガラくん」
「んあ? なんだ?」
おやつのレモネード蒸しパンを食べている最中、ペランドーがなにか思い付いたように声をかけてきた。
「なんだか、スラムの方が変わってきてない?」
「そういえばそうだな」
気が付いてはいた。だが気にしてはいなかった。
ペランドーは気にしているようだ。
「なんだ、騒がしいよね、ここ数日」
「そうだなぁ。ついでに景気もよさそうだ」
酒を飲んで暴れてるという騒ぎではない。昼間から宴会のように酒を飲み、商売女を引き込んでいる連中がいるらしい。
気にしてないので確認はとってないが、どうも一山当てた連中がいるようだ。
「ところでこのレモネード蒸しパンって旨いな」
「レモネードはもちろん、鍛冶屋だから重曹もいっぱいあるからね。ふわふわの蒸しパンの材料に最適だよ」
「鍛冶用の重曹かよ」
……食用使えよ。
まあ旨いから食うけどさ。
「あー、なんだかザルガラくんが蒸しパン食べてるの見てたら、お腹空いてきちゃった」
「さっき、オマエは2つ食ってただろ」
オレはこの1個だけだ。
「投影魔法陣の練習したからかな?」
「魔力は多少減るだろうが、腹は減らんぞ、それ」
体格的に、腹ペコキャラなんだろう。ペランドーは。
「ま、ペンとかそういうモンが欲しいし、買いに行くついでだ。葡萄噴水広場にでもいくか」
あのあたりなら、日が沈んでも露店が出ているだろう。ペンなど筆記用具を売る店に心当たりはないが、露店で食い物買ったついでに聞けばいい。
ペランドーは食い物を求めて、遺跡の階段を下りていく。
階段はすでに魔法で、見た目上消してある。オレかペランドーが近づくと、幻影魔法が一時的に解除され、階段が見える仕組みだ。
腹が減ってるくせに、軽快なステップで階段を降りるペランドーの後を追う。外に出ると夕日がやけに眩しかった。通信設備遺跡は窓が少なくて、ちょっと薄暗いからな。
照明関係は、改善を考えてみよう。
運悪く噴水広場は、ここから西だ。
西日に向かって、眩しい目で歩いていると、遺跡に向かって小さな人影が向かってきた。
「こんな時間に……誰だろう?」
ペランドーは立ち止まり、オレの横に並んだ。この時間にスラムに向かって帰るとしたら、そこの住人だろう。ひったくりの可能性もあるので、一応は警戒……しようと思ったが、シルエットに見覚えがあった。
「マントの形状が、魔法学園のもんだな」
「え? だ、だれだろう! アジトがバレたのか?」
ペランドーが慌てる。
バレてもオレと同程度じゃないと、侵入できないけどな。
人影はオレたちを気にする様子がないのか、立ち止まることもなく向かってくる。やがて、西日が建物の角に隠れ、人影をはっきりと視認することができた。
「……ユールテルか?」
先日、オレを無視していったユールテルだった。
充分近づいている。オレのつぶやきは聞こえただろう。
なのに、ユールテルは反応を示さない。
くそ、この間のことで軽蔑されてるのか?
一応、弁明しておこう。いや、エッジファセット家と関係はあまり持ちたくないが、アレは弁明しておきたい。
「よう、ユールテル。こんなのところになんのようだ」
努めて普通を心掛け、ユールテルに声をかける。
だが――。
「……」
オレになど興味もない。そんな態度で、ユールテルはオレたち横を、通り過ぎてしまった。
ちょっと傷つきかけたが、ユールテルの様子は明らかにおかしい。
「お、おい。ユールテル。どうした?」
後ろから声をかけると、やっとユールテルが反応した。
緩慢な動きで振り返り――。
「あ、ポリヘドラ先輩。こんにちは」
愛想笑いを貼り付け、ユールテルが低い声でいった。
「……ユール、テル……だよな?」
ちょっと自信がなくなってきた。もしかして、似た別人か?
「ええ。僕みたいな、公爵家の跡取りが……。そう、跡取りがこんなところにいるなんて珍しいでしょ?」
「あ、ああそうだな」
上手く対応ができない。オレが友達いなくて、会話がへたくそだからではない。
なんていうか呆気にとられるというか、わけがわからないというか、そんな感じだ。
「ちょっと探し物を、ね。なんていうか、放棄遺跡ってアジトに向いてますよね?」
「オレた……そ、そうか。いいよな、アジトって」
思わずオレたちもアジトあるんだぜ、とか言いそうになったが飲み込んだ。これがエッジファセットの人間ではなく、普通の後輩なら誘ってもいいんだが……。
それにエッジファセット家と関わりたくないではなく、ユールテルの様子がおかしくて誘う気にならない。
名家の重圧でおかしくなったのか?
そういえば、ユスティティアが……。
「じゃあ、僕はこのあたり回ったら帰りますので、さようなら」
「お、おう」
オレの考えを遮るように、ユールテルが話を切り上げた。それ以上、追及するのもなんだし、立ち去るユールテルを見送った。
あ、ヨーヨーの件を、訂正しておくの忘れた。
「ザルガラくん。あの人、知ってる人?」
「ああ。って、アイツが自分で、エッジファセット家の跡取りって言ってたろうが」
聞いてなかったのか? ペランドー。
「まあ、いいか。オレもエッジファセット家にはあんまり関わりたくないし……」
魔法陣練習用の魔法を与えたので、それなりにヤツの成長が気になる。なんていったって、あの名門だからな。
案外、アレのおかげで急成長して、ガキっぽい慢心から性格でも変わったか?
いや、それってオレのせいってことか?
「ふえ、ふえ、ふえ、見つけたぜ、ザルガラァ」
いろいろ思案しながら噴水広場へ向かおうしたその時、路地裏から男の声がかかった。
目をやると、暗がりから数人の男たちが姿を現す。
「魔法学園の制服を見かけたんで、追いかけて見たら、本命にぶち当たったぜ」
「お、この間の短足じゃねーか」
一番前にいたのは、先日ステファンを取り囲んでいたチンピラのリーダー格だ。そうなると他のメンツも顔を憶えていないが、あの時のチンピラか?
「なんだ? オレになにか用か?」
オレはペランドーがいる事を考慮し、魔法陣をいつでも投影できように身構えた。
「はっ! あいかわらず、偉そうだな、ええ? 怪物さんよ」
リーダーには、なにやら自信が溢れていた。
何か策でもあるのか?
オレは警戒を強めた。
「俺様の名前は長手のカトゥン。いっとくが短足だからじゃねーぞ! あまりバカにしてもらっちゃ困る。これでも、俺様は天才って呼ばれてたんだ」
「あーそうかい」
よくある話だ。平民でどんな新式も使うのが上手かったら、将来を有望される。で、慢心したのか。
そんなカトゥンの、くだらない過去の栄光を聞き流していると、4人の部下たちも一歩前に出て、順番に手を上げ始めた。
「俺も子供のころは、剣の天才って言われてたんだ!」
「俺は子供のころ歴代国王陛下の名前を全部フルネームで言えたんだっ!」
「俺は泳ぎの天才っ!」
「俺なんてスプーン曲げ少年だったんだぞ!」
「やめろっ! 痛々しいわっ!」
どんだけ、過去の栄光に縋ってんだよ、こいつら!
特に最後はなんだよ! スプーン曲げてどうする!
オレのツッコミに呼応するように、カトゥンがさらに一歩前にでた。
「怪物といえども、コレはみたことあるまい」
カトゥンがそういうと、一瞬で魔胞体陣が投影された。
「なっ!」
さすがのオレは驚きの声を上げた。
一瞬で、胞体陣を、投影。
これだけで、魔法学園のトップクラスと同格だ。
だが、それ以上に驚かせたのは……。
「まさか、捩れ立方体陣だと!」
捩れ立方体とは、6枚の正方形と8枚と24枚と大きさが異なる正3角形を表面とした立方体だ。
胞体陣のように複雑ではないが、一つで38個分の魔法陣となる。新式魔法を使うには充分すぎる立方体だ。
確かに、「あまり」見た事無い。
「つか、それ作るんならもう胞体陣作っちゃえよ」
それほど作るメリットがないからな。
驚きはしたが、脅威にはならない。描くのが難しくとも、所詮は新式。
防御も考え、オレは正16胞体陣を投影してみせた。
これは構成面が36枚と、数では負けているが許容できる魔力が違う。
立方体陣ではどんなに面が多くとも、薄い魔法を同時にたくさんつかえるだけだ。
オレはまだ軽口をいう余裕があった。
「その余裕、どこまで続くかなぁっ!」
カトゥンはそう叫んで、単純な魔力弾をオレに向けて打ち込んできた。
38枚分、威力は高めてあるようだが、新式ごときオレにはそう通じない。
正16胞体陣でそれを無難に弾くが、その感触はかなり変わっていた。
「む……。なんだかんだで、独式になってるな……」
オレは余裕を失う。
飛んできた魔力弾は確かに弱い。だが、いま魔力の流れに妙な感じがあった。
独式になると、カトゥン自身がなんらかの特殊効果を追加している可能性がる。
「今更気が付いたのか? 怪物が!」
カトゥンが新たな魔法陣を投影した。
それはオレと同じ正16胞体陣だった。
「おい、マジかよっ! 下がれ、ペランドー!」
オレは正8胞体陣でペランドーを包み、後ろへと下がらせる。
正16胞体陣なら、魔力さえ足りれば城壁すら吹き飛ばせるはずだ。
「わかったか? 今の俺様は、オマエの魔胞体陣を盗んだんだよ!」
乗っ取りなら理解できるが、盗んだ?
どういうことだ?
「見ろ、この目!」
カトゥンは自信に満ちた目を指す。
瞳の奥、そこには『本当にみたこともない』魔胞体陣があった。
「超々立方体……」
古来種が使う魔法陣。
新式の立体陣、古式の超立体……つまり胞体陣のその上。
ヤツの目のなかに、それがあった。
「どうだ! 驚いたかぁ!」
「ああ、だが手のうちを晒したのはバカだったな」
正直、知らないまま戦っていたら、オレは負けたかもしれない。
いくらオレが描けない魔法陣でも、その魔法陣を『解析』することはできる。
ヤツの目の中にある魔胞体陣は、「見えている魔法と魔法陣を自由に制御する」というモノだった。
例えば、オレが魔法弾を放つ。するとヤツは、それを憶えてコピーすることも、弾道を逸らすこともできる。その気になれば、術者に向けて返すこともできるだろう。
オレが空を飛んで見せれば、ヤツはその挙動を操作することもできる。というしろものだ。はっきり言って初見殺しである。
だが、分かってしまえば問題ない。
相手がバカで良かったぜ。
「『耳を逆撫でる子守歌!』」
つまり見えない魔法を使えばいい。
奴は目を使いすぎている。
目で反応できるものには、めっぽう強い。だから、音を使った。
「ごがっ!」
魔力で優るオレの音波が、カトゥンと正16胞体陣を貫く。
短足リーダーカトゥンを気絶させ、通り抜けた音波は、スラム街の壁を叩いて消えた。
「あ……」
一撃でリーダーがやられるのを見て、チンピラたちが一気に戦意を消失した。
「すごいや! ザルガラくん!」
無邪気に喜んでるがな、ペランドー。もしかしたら負けてたぞ、オレ。
ペランドーの声に驚き、チンピラたちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「リーダーを置き去りかよ」
オレは少し同情しながら、気絶するカトゥンを調べた。気を確実に失っていることを確認し、まず瞳孔を見て見た。
目の中に超超立方体陣は、歪みながら消えて行く。
「おいおい、寿命どころか、基礎魔力まですり減ってる。俺が正600胞体陣を作った時より酷いぞ」
寿命は肉体的なものだ。基礎魔力は魂にまで直結している。
この男は魂を見れば、すでに人間ではなくなっている。
数日で、この変化。考えられる原因は一人。
あの時、カトゥンと接触していたヤツが怪しい。
「ステファン・ハウスドルフ……。スラムの人間を実験体にしやがったのか」
言い知れぬ怒りが、オレを支配した。




